2006年1月アーカイブ

2006年1月31日

喫煙者受難の日々

タバコ.jpg
私はタバコを吸います。それも結構ヘビースモーカーです。
世の中はますます喫煙者が肩身を狭くして生きてゆかねばならなくなっています。
タバコの入った綺麗にデザインされたケースも写真のようにセンスの悪いシールが貼られてます。
タバコを吸うと死にますよとソコマデ言わなくてもわかってます。分かっているけれど吸っているのです。
非喫煙者の迷惑になるのはいけないことだと思ってますが、その配慮をすれば、もっとのびのび吸わしてもらいたいものです。あまのじゃくの私は、喫煙人口が少数になり、阻害される世の中になっても、この不健康な嗜好はやめません。絶滅危惧種にあこがれているのです。
喫茶店ですら喫煙できないお店が増えてます。お茶してタバコを吸うから喫茶店と言うのじゃないのか。それに比べバーはいい。気にせずタバコが吸えるから。
健康オタクが多いUSAから始まった禁煙運動は日本を直撃しています。少し不健康な方が文化的であった時代は遥か昔に終焉をむかえました。
そんな私も新幹線に乗る時は禁煙車両にします。喫煙車両の空気は私でもきつい。

2006年1月29日

オリジナル金具

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鞄を作る時金具類で悩まされます。独立系鞄職人の場合、資金力がないひとが多いので特に制約を受けやすいのです。既成のカバン用の金具の多くがダイキャストにメッキをしたものが多く、鞄好きの好む真鍮を使った金具は少ないのです。
バックルやカンなどは探せば日本製でみつかるのですが、錠前となると海外のものしかないのが現状です。独立系鞄職人の場合、日本で手に入る海外の真鍮錠前を使うことになり、その種類が少ないため錠前で個性をだすのが難しくなります。
ル、ボナーでは出来る限りオリジナルの金具を作るようにしています。写真の金具はオリジナルで作った金具たちです。錠前は図面を私が書いて、真鍮を削り出して作ってもらいました。ムーブメントの部分をオリジナルにしようとすると、型代だけで数百万円すると聞き、それは当然あきらめて既成のものを使い、表部分のみがオリジナルです。今後も、オリジナルの金具を作ってゆこうと思ってますが、頼む時ある程度のロット数が必要なため、新しく錠前を作るのは年に一種類がやっとです。それでも錠前は鞄の顔なので、大事なのです。
シルバー色はニッケルメッキをするのですが、ル、ボナーでは特別にそれを焼付けでやってもらっています。お店のある場所が海に囲まれているという金具には最悪の条件のため、一般のメッキだと鈍くなるのが早いため、特別にしてもらいます。
バレクストラのブリーフケースに使われているシャーロックホームズロックは錠前だけでオリジナリティーを演出しています。そんな錠前が作れたらいいなー。

今日、古山さんという陽気な鞄好きのお客さんが来店されました。前々からその脈絡のない鞄コレクターぶりには驚愕し関心していたのですが、その古山画伯が来られたのです。
その鞄好きには思わず拍手を送りたくなるほどこだわりのないおおらかなものでした。
古山さんのホームページは面白いですよ。
 町工場二階空目薬煙突工房http://www.entotsu.net/

2006年1月27日

本当は参加したいのだけど、、

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私はブログになかなか参加できません。
とにかく忙しい!  ただそれだけです。
じゃあ、父は暇なの?というと、そうではありません。
父が書き込んでいるときには、私はぐっすり眠っています。
十分な睡眠は明日への活力ですから。
目の下のたるみも気になりますし。

2006年1月26日

絶品、鳥鍋を食す

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昨夜、前々から食べたかった富の裏メニューの鳥鍋を食べに行ってきました。
この鳥鍋は、4人前を鶏7羽を使って3日間じっくり煮込んでだしをとるため、予約していないと食べれない品で、いままでずーと食べたかったのですが、機会を逃していました。
やっと念願かないました。人生を楽しむ達人の、ル・ボナーのお客さんでもある若夫婦と、印刷屋の若社長とおやじと呼ばれる一番年長者の私の4人のメンバーで行きました。
食べてみると、若夫婦が言っていたとうり、鳥の臭みが全然なく、旨みだけが凝縮されたスープなのです。そこに自家製柚子胡椒をおとして食するのですが、ささみのしゃぶしゃぶも、鳥団子も、野菜も、そのスープに絡まって美味しいのです。最後にそのスープでのラーメンが締めです。これは絶品で、鍋そのものは、ラーメンの前奏曲だったのです。お見事!
若夫婦のご主人と、若社長は幻の焼酎をガバガバ飲んで、もうギブアップというほどみんなお腹いっぱいになって、しめて2万円ちょっと。そんな値段でいいのかと心配になってしまうほどの充実したお食事でした。
富のご主人の作る料理は、すべて誠意というスパイスが効いていて、優しい気持ちもいっしょにいただきます。
バージンブリーズ.jpgバージンブリーズ
シャーリーテンプル.jpgシャーリーテンプル
その後バーへ
わたしはアルコールが全然ダメです。だのにバーが好きなのです。
今回いったバーはマスターがプロレスラーの蝶野を小さくしたような人で、ヤナガセと違って緊張せずに居られるお店でした。私はアルコールの入ってない2種類のカクテルを頼みました。
バカラのグラスにはいったカクテルを見つめながら、時間が静かに流れてゆきます。
人生の甘い苦いも経験して、静かに何事も受け止められる真の大人に憧れますが、私は死ぬまで喜怒哀楽を表に出して、右往左往しながら子供のままこれからも生きてゆくのだろうなと思います。

2006年1月24日

ポスターが賞を取りました。

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大和出版印刷のみんなが作ったル、ボナーをイメージしたポスターが印刷技術を競うコンクールで、大手印刷会社を押しのけて、審査員特別賞を受賞しました。
若き情熱ある社員の人たちが、がんばって勝ち得た賞です。自分達の事のように私たち夫婦も嬉しくなります。会社は利益追求が最大の目的かもしれませんが、夢や希望を内包しつつ進んでゆければ幸せです。
大和出版印刷という会社は、社員の平均年齢が若い会社ですが、技術力とセンスの良さを武器に、地に足をしっかりつけて歩みを進めている印刷会社です。外野から見て羨ましく思える会社です。
印刷業界で大和出版印刷は規模は大きくなくてもあそこは特別と思われる美しい夢の描ける会社になってゆくような気がします。
商いをしていて、経済的な喜び以上に人と人とのつながりから生まれる出来事が私を幸せにしてくれます。大和出版印刷の人たちと知り合えて、金欠の私たちには作りたくても作れなかったル・ボナーのポスターを作ってもらったりして、すごく幸せな気持ちをいただいて、その上そのポスターが賞をとってしまう。楽しいことがいっぱいあります。
一昨日の日曜日はあまり売れなかったのですが、気心の知れたお客さんたちが重なって来店され、みんなで色々なお話が出来て楽しい時間を過ごすことができました。ル、ボナーというお店が人と人をつなげる場所になれば、なんて幸せなことか。
小さな幸せの積み重ねが、思い出の中で大きな幸せに変わってゆきます。
知り合った人たちの幸せなお話を聞くと、私たちも幸せな気持ちにさせてもらえます。
大和出版印刷のみんなが作ったル・ボナーのポスターを差し上げます。幸せの御裾分けです。

2006年1月22日

愛しきビートル

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愛車の68年式ビートルを車検で、西土居モータースの名整備士、古川さんの所に持ち込んだ時、この62年式ビートルがあり、売りにでていました。あまりの程度の良さに震えがきました。
どこを見ても美しいのです。特にビートルの弱点である底の鉄板が錆び一つなく感涙ものなのです。動力部分は名人古川さんが面倒をみてきたので間違いないし、私はフツフツと購入意欲がわいてきました。
ハミは安心して、楽チンな車なら、今の68年式ビートルを乗り換えるのには賛成でした。
私は偏った美意識を満足させつつ、ハミの要望も満たす現代の車を探し続けました。
カタログをいっぱい集め、試乗もし、古川さんの意見も聞き検討しつづけました。
その結果がこの62年式ビートルでは、、、、、ハミが納得するはずがありません。
しかし思い込んだらそれしか見えない私は、昔、三段論法の松本と言われた屁理屈を駆使してハミを説得し、勝手にしてというあきらめの言葉を引き出すのに成功し、私は購入する決意を固めました。
購入する日の朝、ウキウキしている私にハミの一言,ここまで手をかけたビーちゃんが可愛くないの?、、、この一言で私の熱はすーとさめてしまいました。
整形美人の68年式ビーちゃんとの涙と苦難の日々を走馬灯のように思い出し、すっぴん美人の62年式ビートルに鞍替えしようとした私の浮気心を恥じました。
でも、ほんとにこんなにコンディションの素晴らしいビートルは見たことがありません。
古いビートルに乗ってみたいと思っている、屈折した趣味人にはお勧めです。
ビートルを2台所有したいなどとほざくと、ハミはきっと怒るだろうなぁー。

2006年1月20日

修理

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内縫いの鞄の場合、玉ぶちというものを間に入れて縫います。
内縫いする時のガードの役目をするのでプラスティックの芯に薄く漉いた革を巻いて作ります。
カドのところでその玉ぶちの革が擦り切れてプラスティック芯がでてくることがあります。
ル、ボナーの今の鞄は芯を入れずに厚い革を二つ折にして玉ぶちにするように変えました。
変える前までの内縫いの鞄の玉ぶち交換の修理がここのところ何点か連続しました。
よい勉強になります。厚い革の二つ折りに変更して正解だったと思ってます。
今メジャーブランドでプラスティック芯を入れないで玉ぶちにしているのはエルメスだけだと思います。ビトンも20年ほど前のものは芯なしだったけれど、今は違うと思う。量産品の場合、芯なしの玉ぶちで内縫いするのは、大きな経済的ロスを生みます。
修理をするたび、色々と勉強になり、より良い鞄を作ろうと思います。
独学での鞄作りの30年、これからも手探りでの試行錯誤はつづきます。

2006年1月17日

阪神大震災から11年

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神戸は表面的には、あんな大きな災害を経験した都市とは思えないほどに復興しています。
震災の日、マリンパークの石畳は凸凹になり、私たち夫婦はキリンと呼んでいるガントレクレーンの大部分がバタバタ倒れ、神戸のあちらこちらから煙が上がっていました。
あの日、私たち家族は、六甲アイランドにあるマンションの13階に住んでいました。
東京に住んでいた頃何度か体験した横揺れの地震とは違い、強烈な縦揺れが襲ってきて、死ぬとほんとに感じました。その後夜の暗闇が明けるまで家族4人何がなんだか分からないままボーと寄り添っていました。部屋の中はグチャグチャになっていました。
夜が明けると窓越しに見える神戸の町のあちこちから煙が昇り、ラジオからの情報が今の現状を教えてくれました。
数日後、一時実家のある加古川に避難していましたが、すぐに戻りました。
電気だけは復旧していたので、鞄を作り始めました。当然お客さんは来ませんし、回りのお店は真っ暗です。それでも、2年分ほどのオーダーがあったのでそれを作りつづけました。
私には鞄を作る事以外、何も出来ない。夢中で作り続けました。
この震災で多くの人が亡くなられました。多くの人が傷つきました。
その人たちと同じ体験をした私は、私なりの形であの日を風化させることなく、神戸で生きてゆきます。苦難の月日を共に助け合いながら乗り越えた同志の住む町、神戸。

2006年1月15日

娘のショルダーバッグ

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娘のために、ハミが作ったショルダーバッグです。
ル、ボナーでは売っていませんが、私は結構気に入っています。
自由で、軽やかでいいのです。
私もハミも、量産したときの、革の表情の悪いバッグとかは使うのですが、自分のために作ったことはありません。
作ろうとした事は何度かあるのですが、考えれば考えるほど作れなくなってしまうのです。
一つのコンセプトに絞りきれなくて、結局諦めてしまいます。
神戸でお店を出す前は、私はイギリスの釣りバッグのハーディを使っていたし、ハミはミスター、ドーナツのおまけのトートバッグを使っていました。
車の名整備士、古川さんも乗っているのはいつも廃車にする前の車に乗っていて、今レストア中のカルマンギアも出来上がったら売ってしまうそうです。
紺屋の白袴とはよくいったもので、仕事としては天職と思っているのですが、マイバッグは死ぬまで作れそうにありません。

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今日のチャーは寝不足気味。
大嫌いなカメラを向けても、吠え叫びません。
1月23日で7歳になります。

2006年1月12日

神戸堂の帽子

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今日は休日。神戸の中心地の方に用事があり、その帰り神戸堂という老舗の帽子屋さんでこの二つの帽子を買ってきました。
私は頭が禿げているので、冬は防寒のため、夏は直射日光から頭を守るために、ファッションのためではなく必要なのです。
ベレー帽は毎日かぶっていて脱色したため同じフランスの同メーカーのグリーンを買いました。毎日かぶる帽子は何個も買って交代でかぶる方が経済的です。
ツイードの帽子は衝動買いです。前から欲しかったタイプのものがたまたまあったので買ってしまいました。外出の時かぶろうと思ってます。
私は神戸で帽子を買うなら、神戸堂でと思っています。
神戸堂は神戸の老舗が軒を連ねる大丸神戸店の向かいの区画にあります。ここにはカミネ、セリザワ、神戸シャツなどがあります。それぞれ神戸を代表するお店です。
神戸堂も紳士帽では神戸を代表するお店で、銀座のトラヤより品揃えしていると思います。
他で買ったベレー帽がきつくてかぶっていなかったのですが、そのことをご主人に話すと持ってきたらサイズアップしてくれると言ってもらいました。
お言葉に甘えて今度持っていきます。その時、昔から欲しかったイギリス製のボーラハットを頼みます。ボーラハットは中原中也や宮沢賢治がかぶっていた形の帽子で、本物のしっかり固いフェルトのタイプは見かけないのです。念願の帽子なのです。
物を買う時、その物についての豊かな会話が売り手と出来ると幸せな気持ちになります。
今日もそんな時間を持てました。

2006年1月11日

シャーク革での特注鞄

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今、シャーク革とフラスキーニのカーフのコンビでブリーフケースを作り始めてます。
年に一度注文の鞄が出来上がると来て、次の注文をしてゆくお客さんで、年に一個ずつそのお客さんに毎年作っています。ほんとは12月完成予定だったのですが、遅れています。
シャークという革はお腹の部分はブヨブヨで使えなくて、側面だけを革にするので、こんなふうに巾が狭く、その上乱暴者の野生児なので傷だらけのため、裁断する時に苦労します。ブリーフケースのサイズになるとつないで作るか、今回のようにコンビで作る事になります。
貴重品革の中では、象の次に私は好きな革です。丈夫さも象の次に丈夫ではないかと思っています。使い込んだ時の独特のなじみ方も象に似ています。
多くの人がサメの革というと、わさびおろしの革や中央に乳白色の粒がある革だと思っておられると思いますが、あれはエイ(スティングレイ)の革です。
革について、誤解して理解されていることが結構あります。何点か記しておきます。
バッファロー革と呼ばれているのは、本物はワシントン条約で捕獲禁止になっていて、東南アジアやインドの水牛の革です。普通の牛より一回り小さな牛です。
コードバンという革は、馬のお尻の部分の表皮より下にコードバン層という繊維の緻密な部分があり、馬一頭から大きいもので60cm×45cmほどの楕円の部分が2枚とれます。コードバンのベルトはつながないととれません。つながない場合一番負担のかかる部分がコードバン層を持たない馬革になり、表皮の弱い馬革は牛革より傷みが早いです。また本来弱い表皮の部分をコードバン層まで削り落として磨き直すのがコードバン革なのですが、表皮の馬革を残したまま仕上げたコードバン革というのも多く見られます。
チンジャーレとペッカリーはどちらも野豚の革で、差はありません。
カーフも日本と欧米では違っていて、日本では牛革の生後3ヶ月までをカーフ、生後6ヶ月までをキップと言います。欧米では6ヶ月までをカーフ、3ヶ月まではベビーカーフと言います。ル・ボナーでは欧米と同じに統一しています。
それ以外にもいっぱいあるのですが、今日はこのぐらいで。

2006年1月 9日

ラチエン通りの卓袱堂

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私の”ル・ボナーの一日”によく登場してもらっている、20年来の友人の陶芸家の卓袱堂の卓ちゃんが、なけなしのお金をかき集めて購入した神奈川、茅ヶ崎ラチエン通りにある店舗兼工房兼ワインバー?兼自宅です。年末、年始、卓ちゃんと仲間たちは資金難を自分達の体力で補いつつ内装工事に没頭しているそうで、プロバンス地方出身のフランス人がデザインした和風?をイメージしながら、お店の内装をやっているそうです。完成したら南フランスを味わうために泊まりに行こうと思ってます。
卓ちゃんはお金がなくても、生活を楽しむ天才です。陶芸家としての卓ちゃんは陶芸素人の私には未知数なのですが、人生を楽しむことにおいては卓越した才能を感じます。文才があれば、椎名誠の怪しい探検隊よりおもしろい物語がいっぱい書けるほどです。
初めての霧が峰での越冬キャンプも卓ちゃんと6歳になった息子の一穂と私たち夫婦で行きました。敷き布団持参でのキャンプでしたが、他の装備がディスカウントショップで揃えたお粗末な物だったので、マイナス15度の夜はたいへん厳しいものでした。ランタンの光があんなに暖かいものだとは、それまで知りませんでした。
富士山の西湖でキャンプした時も、卓ちゃんは歩くことより泳いでいる方が楽だと言い放つので、じゃあ西湖を泳いで往復してみろよと言うと彼はほんとにやってしまいました。望遠鏡で確認していたので事実です。私は藻に絡まって溺れそうになりました。
卓ちゃんは湖を見ると泳ぎたくなる習性があり、十和田湖を泳いでいて、線路が湖底に向かって伸びているのを発見したそうです。素もぐりでその先がどこまで伸びているのか確認しようとしたのですが息が続かず諦めたそうです。誰かスキューバーダイビングの出来る人で、もの好きな方、線路がどこまで伸びているのか教えてください。
人生の価値はお金をどれだけ儲けたかとかどれだけ有名になったかとかではなく、思い出をどれだけつくったかだと思っている私には、かけがえのない刺激を与えてくれる11歳年下の友人です。

2006年1月 8日

独立系鞄職人の独り言(1)

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この機械は革のコバ(切り口)を磨く時に使うバフ機です。この機械を使うことでコバ処理が数段楽になります。値段は2万円ちょっとです。それでもコバを処理するのは鞄作りの中で多くの時間を使うのでもっとスムーズにこの作業が出来ないものかと考えつづけながら鞄作りをしています。
そんな時、大手ミシン屋さんで、効率良く綺麗にコバ処理の出来るイタリア製のコバ磨き機を輸入していると聞き、見にゆきました。ヨーロッパの大手鞄メーカーの大部分がこのコバ磨き機を使っているとの事で、実際に持ち込んだ革をその機械で磨いてみると、コバ処理工程のある程度のところまではスムーズにゆきます。しかし多くの場合小ロットで鞄作りをし、染料で仕上げる私たちのような職人には必要がないと分かりました。このコバ磨き機はアタッチメントの交換が手間で、量産工場でパートの人に顔料仕上げで任せる場合はいいと思うのですが、値段が50万円強します。それだったら素人では難しいけれど、2万円のバフ機を数台買ってアタッチメントの交換をしなくて済むようにした方が独立系鞄職人の効率は良くなるとわかりました。
そのミシン屋さんに、コンピューターに型紙を記憶させて、効率よく裁断する機械がありました。これは2000万円で、よく売れているそうです。
このように、鞄作りの業界でも機械化が進んでいます。職人の技術をスムーズにさせる機械はいいと思うのですが、効率優先の機械化はどうかと思います。鞄作りもシステムエンジニアとパートの人が機械をスムーズに稼動させることを最優先させながら作るのが一般的になり、鞄職人という職業は絶滅するのではないかと思います。
効率最優先の中、昔からの優れた技術を効率が悪いからと放棄した鞄作りが横行しています。独立系鞄職人は優れた技術を後の時代に残す役目を担っているように思うのです。

2006年1月 6日

鞄を作り始めた頃

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19歳のとき、家出同然に東京に行き、無給でいいからと手作り鞄のグループに加わり、私の鞄作りは始まりました。いくらなんでも少しは給料を出すだろうという私の予測ははずれ、ほんとに無給からの始まりでした。住まいは仕事場の隅を仕切って、そこにベッドを置いてねていました。食料は田舎の姉の送ってくれた揖保の糸が主食でした。
鞄作りは素人に毛が生えた程度の鞄を作っていたので、数ヶ月で先輩たちと同程度の鞄は作れるようになりました。しかしそれでも給料はでず、揖保の糸だけの食生活で私は40キロそこそこの体重になってしまいました。つまり栄養失調同然で、ある時私は高熱を出し、このままだと死ぬと思った手作り鞄グループの代表がやっと給料をだす気になり、月7万円の給料を貰うようになり、中目黒に風呂なし4畳半のアパートを
月18000円で借り、仕事場のある赤坂まではボロ自転車を入手し、それで通っていました。
貧しかったけれど、毎日が楽しく、いい加減だけど一生懸命でした。
そんな時ハミと出会いました。彼女は手作り鞄のグループに興味を持ち訪問したのですが、本格的に鞄作りを教わった者には、ここでは鞄作りは楽しめないと思ったようです。
その時私は一目惚れし、猛アタックをかけ、付き合うようになりました。デートはいつもボロ自転車の荷台に座布団をくくりつけ2人乗りで都内を走りまわりました。貧乏だったけれどかぐや姫の歌のような暗さはない楽しい、心豊かな恋愛でした。
そして後先を考えずに一緒にいたいからと結婚へ。私の親父は生活能力のないおまえでは彼女を幸せにはできないと反対しましたが、止めることはできませんでした。親父のいうことはもっともで、手作り鞄のグループの給料では当然やってゆけず、結婚を期にやめて独立しました。その後経済的苦難はつづき普通の生活ができるようになったのはここ1,2年です。
ハミが相棒でなければ、鞄職人としては挫折し別の仕事に就いていたと思います。
私もハミも、生き方は当然不器用ですが、手先も不器用です。だから普通なんでもなく出来る事にも、苦労します。苦労する分、身につきます。思い出にもなります。

2006年1月 4日

2006年仕事初め

クロコウエブ.jpg
私の2006年はこのベビークロコの名刺入れ作りから始まりました。
親しいお客さんにずーと前から頼まれていたのですが、躊躇して先延ばししてた名刺入れです。シンプルな形の名刺入れですが、ル、ボナーでは人気のあるタイプです。
普通の牛革であれば簡単至極なんだけど、クロコは別です。
クロコの表面の凸凹が、薄く割る時に邪魔するのです。
小物を作るとき、革を薄く割るのは絶対必要で、クロコは極端に凸凹していて割り損じする可能性が高く、割り損じするとン万円の材料がパーになってしまいます。
割る時、非常に緊張するのです。何とか失敗せずに割れました。
割りがうまくいけばあとは簡単です。
私は貴重品革をあまり使いません。理由は、しっかりなめされた革の好きな私には哺乳類の革のなめし具合は分かるのですが、ワニやダチョウ、トカゲなんかのなめしの良し悪しはわからないのです。それを説明して、それでも作って欲しいと言われたとき、時々作ります。貴重品革でも象革は別で、一時よく作りました。ワシントン条約後、手に入れられない時期がありましたが、保護する事で増えすぎてアフリカの草原の砂漠化を生み、今は人為的に間引きするので、革は手に入るようになりました。象革は好きなのでまた使い始めようと思ってます。象革が一番丈夫な革だと思います。

2006年1月 3日

ノブさんへのお返事

2日のコメントへの私なりの考えを書きます。
鞄の好みはその人の趣向に起因するので、何が良くて何が悪いとは答えられません。
ラフな縫製をしたものを、ワイルドだと好む人もいれば、丁寧な仕事の鞄を爺くさいと思う人もいます。
価格にしても、人それぞれ基準が違います。
自分の趣向にあっていて、その物の価格が納得できればよいと思うのです。
丈夫さだけで鞄を選ぶ人は少なく、多様な要素で多くの人は選びます。
作る側も同じで、基本的には自分の作りたいものを作っています。 
作りたい鞄を作って、希望どうりの値段で売れれば最高です。
しかし現実はそうはいかず、そこでそれぞれ工夫します。その工夫も千差万別です。
時計を選ぶ場合でも、正確さだけならクオーツを選べばいいのだけれど、時計好きは機械式を欲しがります。それとおなじです。
エルメスの鞄が職人差があることも、作る側から見ればみえてくるけれど、買う人には分からない。分からなければエルメスを買ったということで充分満足できます。知りすぎるとややこしく考えるだけで、損をすることもあります。
ブランドについても、私の好き嫌いはあるけれど、良い悪いは買う人の判断です。
手間のかかる縫製をしている、していない。良い革かそうでないか。長持ちするかしないかといった部分的な事柄の判断は出来ても、良い悪いは人それぞれが決めることだと思います。個々の判断で満足のゆく物を購入すれば、丁寧に扱うので、長く付き合ってゆけると思います。
個人でしている私たちのような鞄職人は、試行錯誤しながら鞄を作ってます。
何が良くて、何が悪いかという判断も作りながら感じ、それぞれ違うと思うんです。

hinode.jpg
明日から、2006年のル・ボナーの始まりです。
1日1日充実した鞄作りの日々を過ごして行こうと思ってます。
今年の第一目標は充実した品揃えです。それと妥協のない一品物を作ってゆくこと。
有言実行でいきます。見守っていてください。

2006年1月 2日

独立系鞄職人

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日本の大部分の鞄職人は、鞄問屋に鞄を供給するメーカーに組み込まれています。
それとは別に少数の独立系鞄職人が存在します。
前者は少しでも早く、品質の均一な大量生産に専念し、デザイン、営業、材料在庫などは、問屋、メーカーに任せ、分業による効率化で生産力を求めます。
後者は職人、メーカー、問屋の仕事を全部まかなうことで独立性の高いオリジナルを作ろうとします。
独立系鞄職人は、夢大きくて現実は厳しく生きています。
多くの場合、手縫い鞄の教室や同工房の出身で、量産システムを経験することなく、プロとして卸しやお店をしています。労多く実少ない経営を強いられます。
それでも鞄作りの素朴な喜びは充分味わえ、そのためそれ以外は目をつぶってしまいます。
また独立系鞄職人は組織や組合との関係も薄く、独立独歩、横のつながりのない人が多い。そのため、鞄作りの新しい知識、幅を広げにくい環境にあります。
私は独立系鞄職人どうしの横の交流を持ち、技術、経営のあり方などを話し、そのうえでそれぞれの個性を表現し、オリジナリティの花を咲かせ、競いあえればいいなあと思うのです。
今は鞄業界で何の影響も与える事の出来ていない、独立系鞄職人の存在が、全体的にレベルアップすれば、これからの日本の鞄作りに刺激を与えるグループとなり、若い感性のある職人たちが多く生まれてくると思うのです。

2006年1月 1日

2006年が始まりました

自宅ウエブ.jpg
2006年が始まりました。年末恒例の格闘技を真剣に見ていたら12時近くになってしまい31日のブログを書かずじまいで、年が明けてしまいました。
みなさん、明けましておめでとうございます。
神戸の新年は神戸港内の船舶の汽笛が一斉に響き渡って始まります。
今年で私も50歳になります。1年1年を大事に過ごしてゆこうと考えています。
今日もお店に行かないといけないようです。私らしい年の始まりです。

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