2006年2月アーカイブ

2006年2月28日

50年前に父が誂えたコート

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私が生まれた頃、親父が誂えたコートです。今は私の息子が着ています。
裏地が痛んで、一部お直しをしたところです。それ以外はまだまだ現役です。
良い素材で、丁寧な仕事がされていて、大事に着ていると生地ものでも50年現役で着続けられるのかと驚かされます。裏の処理を見ると、改めてテーラーの良い仕事に感心してしまいます。

気に入ったものでも長く持ち続けるのが困難な時代になったなーと思います。
修理に持っていっても部品がないからと断られたり、修理は出来るけれど買うより高かったりすることがあります。何か変だと思うのです。
私の子供の頃、電気製品は街の電気屋さんが修理をしてくれて、長く使っていました。その他のものも修理しながら長く使いました。修理代はそんなに高くはありませんでした。
それが今のように修理しながら使い続けることが、困難になったのはいつからなのか。

気に入ったものは長く使いつづけたいと思うのは自然なことです。
ル・ボナーの革製品はそうありたい。修理や手入れをしながら長く使って欲しい。
お祖父さん、お祖母さんが使っていた鞄を孫が見て、渋くてカッコイイから譲って欲しいという情景を想像し、そんな情景を演出できる鞄作りをしてゆきたいものだと思います。

消費サイクルが早まり、気に入った物でも長く維持するのが困難で、買う側もそれを当たり前と思っている時代、そんな時代に逆行するアナログな物作りを私は続けてゆきます。私はそんな物作りの方が豊かだと思っているのです。

2006年2月25日

ペリンガーのボックスカーフ

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今回の東京出張で最も楽しみにしていたのが、革屋の常務が世界一のボックスカーフと豪語していたドイツ、ペリンガーのボックスカーフを見て触って、良ければ買うことでした。
ボックスカーフといえば、誰もがドイツのカールフロインベルグを思い浮かべますが、今でもポーランドで同じ名前で作ってますが、ドイツで10年ほど前まで作っていたものとは別物です。そのため世界のボックスカーフのシェアをフランスのデュ、プイ社がにぎり、世界で流通しているボックスカーフの多くがデュ、プイのものです。
今回見て触って、さすが私の大好きなペリンガーが作ったボックスカーフ、素晴らしい物でした。
私は何に使うかはっきりした目的もなく、ヨーロッパ皮革コレクターの虫が疼き、革屋の常務の口車にのって高価な革を買ってしまいました。ベビーカーフを使っていることもあいまって、デュ、プイの倍近いお値段なのです。しかし確かに世界一のボックスカーフです。このなめしと仕上げはさすがペリンガーです。

ボックスカーフという革は、本来靴用に作られた革で、最後に熱を加えてスミイレしやすいようになってます。靴用のボックスカーフをそのまま鞄や小物に使うと、使い込んだ時、悲惨なことになります。そのため鞄や小物に使う時は、もう1工程くわえて、表皮の定着を強めます。このことを知らない人が多く、1工程くわえていない靴用のボックスカーフで作った、鞄や小物が結構世の中に出回っています。

今回入手したボックスカーフはベビーカーフ(生後3ヶ月までの牛革)を使っているため、革の厚みが薄いので、ハンドバッグと小物に使おうと考えています。クロームなめしのタンナーの技量は、ボックスカーフを見ると一番よくわかります。ごまかしがきかない、技術力のいる革です。

2006年2月23日

神戸温泉事情

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神戸の温泉と言えば、有馬温泉を思い浮かべる人が多いと思いますが、私の住む六甲アイランドから車で10分以内で行ける温泉が市内に4箇所程度あります。それぞれ泉質が違い、色々楽しめます。その中で灘温泉は建物の雰囲気では一番です。JR六甲道駅のすぐそばにあり、泉質は炭酸泉で、シュワーと炭酸の粒がお湯から出てきます。

結婚したばかりの頃、私たち家族は風呂なしのアパートに住んでいて、長男を乳母車に乗せて銭湯に行ってました。目黒の油面や清水商店街にその頃数件の銭湯があり、利用していました。その後都下の府中の風呂付の一戸建てに引越してからも、調布。府中あたりの銭湯は大部分行きましました。家のお風呂にくらべて、あの大きな湯船に浸かっているとリフレッシュ度がまるで違い、夜の熟睡度が全然変わってしまいます。
それが温泉ならなおさらで、気持ち良いのです。
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ここの所、よく行くのは”なぎさの湯”です。
ここはオープンして、間のない温泉で、県立美術館の近くにあります。
最新のスパで、情緒はないのですが清潔感があり広々しています。特にサウナはほんとに広く、気持ち良いのです。神戸港を見ながら入る、露天風呂の温泉は、鉄分を含んだような茶色の、少し塩分が入った炭酸泉です。昨夜は雨が降っていて、雨に打たれながらの優雅な入浴でした。この気持ち良さが700円で味わえます。

2006年2月21日

大好きな神田神保町

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東京で一番好きな街は神保町界隈です。
昭和40年代にタイムスリップしたような錯覚を覚える、ノスタルジックな街です。
学士会館に泊まり、夜の神保町界隈を散策したのですが、店じまいを始めた古本屋のおやじ、80歳は過ぎているのではないかと思われる喫茶店のマスター、元気に働いている定食屋のコックさん、皆昭和40年代風の町並みと空気の中で生きいきと働いています。
少し前まで、銀座は老舗のお店が風情を守っていたのですが、ブランドショップが建ち並びつまらなくなり、新宿もゴールデン街に活気があり、独特の文化を作り出していた時代は遠い過去になり、東京の雰囲気を残す都心の最後の砦です。

東京に居た頃は、独立してすぐの頃から、神保町にあるかばん屋さんに卸していて、月に2,3度はこの街に来ていました。その頃は都内でお店を出すならこの街にしたいと思っていました。この街は、背伸びせず素で居ても、豊かな時間を過ごせます。
神戸に店を構えて13年。東京に行くと、用事がなくても立ち寄ってしまう居心地の良さを持った街。路地裏にノームが住んでいます。

2006年2月19日

茅ヶ崎の卓袱堂にて

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東京出張2日目は、渋谷の藤井さんに会う予定にしていたのですが、休みだと知り急遽、卓袱堂の卓ちゃんのところに行くことにしました。
卓袱堂のある茅ヶ崎は東海道本線で約1時間。横浜まではすぐなのですが、それからが時間を感じます。
陶芸家の卓ちゃんとは10歳違いの20年以上親しくしている友人です。私が多摩の聖跡桜ヶ丘で初めてお店を持った時、高校生だった卓ちゃんがお店でアルバイトをして、それからずっと親しくしています。
卓ちゃんは走行距離13万キロの、今では存在していたことすら忘れ去られている不人気車のホンダ、キャパで茅ヶ崎駅まで迎えに来てくれました。

茅ヶ崎、ラチエン通りにある卓袱堂は今、改装中です。卓ちゃんとその友人たちがドゥー イット マイセルフでやっているのでまだまだかかりそうです。陶器のショップ兼工房兼ワインバーの卓袱堂は4月頃のオープンになりそうです。オープンパーティには是非行きたいと思っています。

卓ちゃんと会うのは1年半ぶりです。遊び上手で、女性にモテモテなのは今も変わらないようですが、陶芸に対しては真摯に取り組んでいるようです。物作りに対して多くの事を話しました。
誰が見ても美しいと思える絶対美を表現出来る数少ない天才は別として、物作りをする多くの人はそうではない。味感の中に自分を表現しようとする。味感の好みは千差万別なので、時代に乗らないものは評価されないまま、消えてゆく。それでも、先の見えない不安をかかえながら、物作りをする人間は自分を表現するために作り続けます。物を作るという苦しいけれど楽しい作業を。
しかし人は食べていかないといけません。そのため妥協もします。自分以外の周りの人も幸せにしてあげないと、一人よがりの身勝手になってしまいます。
お昼ごはんは卓ちゃんが、料理名人の腕を生かして、ペペロンティーノを作ってくれました。
卓袱堂の2階のすっきりした和風の居間で、多くの事を話しました。私は私らしさを表現した鞄をこれから作ってゆこうと思いました。
卓ちゃんの所にはチョコレートがいっぱいありました。私はハミがくれた義理チョコのみです。
また一緒にキャンプに行きたいねと言って茅ヶ崎を後にしました。

2006年2月18日

学士会館

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昭和3年に建てられた学士会館は少し前まで旧帝国大学の卒業生しか利用できなかったのですが今は誰でも泊まることが出来るようになりました。
私はクラシックな建物に泊まるのが好きで、同じ趣味を持つ名古屋に住む息子に学士会館のことを教えてもらい、今回の東京出張の宿としてここに泊まることににしました。
フロント横のサロンでは老齢の紳士が英字新聞を読みながら、静かな時間を過ごしてます。
4階にあるシングルの客室の真鍮のノブの鍵を開けると、映画で見るイギリスのパブリックスクールの寄宿舎のような、こじんまりしているけれど重厚な部屋になっています。後からお風呂を無理やり作ったことがいただけないけれど、それに目をつぶれば後は最高にクラシカル。勉強したくなるような部屋です。
建物の中を散策し、シックな空気をいっぱい吸って、眠りの床に就きました。
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精養軒が作る朝食を一階のダイニングで食します。
私はホテルの朝食はプレーンオムレツと決めています。これがないホテルに泊まってしまった時は、すべてが台無しに思えてしまいます。学士会館にはちゃんとありました。ニコニコ。
ダイニングに集まる宿泊客の多くが現役を退く年齢の紳士で、その中に見たところ70歳ほどの老夫婦が二人で食事されていました。ご主人はブレザーにアスコットタイをし、奥様は年齢より若々しいワンピース姿。二人を包む静かな時間が豊かに見え、羨ましく思えました。
ハミと一緒にこんな静かで豊かな時間を持ちたいと思いました。
スノッブな私には、豊かな時間を過ごせる、雰囲気のあるホテルでした。
朝食付きで9,200円です。東京出張の常宿はここにします。

2006年2月17日

東京出張

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15,16日と久ぶりの東京です。
新幹線の車窓から富士山が見えると、充実した出張を感じてしまいます。
のぞみの車内の棚には、出張の人たちのナイロン製の黒の出張用鞄ばかりが見えます。
この棚に、ル・ボナーのビジーが一緒に並んでいたら、他を圧する存在感を示しているだろうなと思いつつ、東京へ。

今回は、ヒコみずのの来年から始まるバッグコース設立室のスッタッフ二人とつい最近知り合った若手独立系鞄職人同伴での、私がお付き合いしている仕入れ先巡りでした。
私は仕入れ先との打ち合わせをしながら、ヒコみずのの人たちには鞄作りを取り巻く業界の現状を実際に見てもらい、どういうバッグコースにしていくか考えてもらうため、若手独立系鞄職人のKさんには広い視野で鞄作りを考えて欲しくて。
レンタカーを借りての東京下町ツアーは少しハードなものでしたが、それなりの成果はあったのではと私は思いつつ幕を閉じました。
その後、月島の赤ちょうちんの居酒屋で、締めの雑談をして散会しました。

私は思っています。知り合った人たちみんなが幸せな日々を過ごして欲しいと。
欲張らずに、やわらかな幸せを求める人には、きっと幸せは寄り添ってくれるはずです。
その日の東京は、春の優しい風が吹いていました。私はタクシーで今夜の宿、学士会館に。

2006年2月14日

鞄作りの年月と共に増える道具たち

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写真の道具は、革を裁断した後、革に穴を開ける道具たちです。
ハンマーでたたく部分が丸いものは既製品で売っているのでそんなに高いものではないのだけれど、
四角いのは鍛冶屋さんで作った特注品なので結構します。だいたい2,3万は一つします。
30年の間に、こんなにいっぱいになりました。
クリッカー.jpgその上、量産をするときには昭和48年製のレトロなクリッカーを使って裁断しているので、鞄の刃型が山のように引き出しに眠っています。
長い間やっていると、色々な道具が山のようにたまってゆきます。
整理して、使わなくなったものは処分しようと思うのですが、もしかしたらまた使うかもしれないと思ってしまい、なかなか捨てられません。人から見ればゴミの山、しかし私たちにとっては思い出の山。

今日、モノマガジンを出版しているワールドフォトプレス社の取材がありました。
3月末ごろに出る<鞄の力>という雑誌にル、ボナーも出るそうです。
どういった形で載るのかはわからないけれど、ライターの人やカメラマンの人と楽しく会話ができました。
お二人共、東京からの日帰り取材だそうで、ご苦労様。それに比べ私は東京に仕事で行く時は必ず泊まりがけです。レトロなホテルに泊まるのが東京出張の最大の楽しみなものなので。

2006年2月12日

ル・ボナーの日曜日

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日本の多くの人が休日の日は、ル・ボナーにも多くのお客さんが来店されます。
遠方からわざわざ来てくださった人、いつも時間があれば顔を出してくれる常連さん。
そんなお客さんたちに支えられて13年間この場所でやってこれました。
見ず知らずのお客さん同士が、ル・ボナーというお店で、共通の会話の輪が出来た時、お店をやっていてほんとに良かったと思えます。そんな時私たち夫婦も手を休め会話の輪に加わらせてもらいます。
カバンのことは勿論、物好きが多いので、洋服、靴、時計、車のことなどありとあらゆる物についての会話、あと食べもののことなど色々なこだわりが会話のネタになります。そんな時人は明るく陽気です。それぞれお客さん一人一人,人生長く生きていれば重たい部分は当然持っているでしょうが、そういった部分を他人に見せる場ではないので、楽しい会話がはずむ時間を過ごすことが出来ます。
鞄バカだった私は、お客さんとの会話から多くの知識を得ました。鞄以外の神戸のお店の情報や美味しい食べ物屋のことはすべてお客さんに教えてもらったことです。
お店を持ったことは、経済的な事以上に、そんなお客さんたちとの交流が何よりの宝です。
ル・ボナーがお客さんたちの心の休憩所になれば何よりの喜びです。

夜、店を閉めようとする時間に初老のお客さんが入って来られました。四国の松山から車をとばしてこられたそうで、鞄のこと、革のこと色々な事を説明し、お客さんの疑問点にたいしてもお答えし、ブリーフケースとショルダーバッグを購入していただきました。
楽しく買い物が出来て、いい時間を有難うと言って帰っていかれました。
私は幸せをいただきました。

2006年2月 9日

鞄作りのプロを養成する学校

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渋谷にあるヒコ、みずのという専門学校の方がこられました。
いよいよ来年からバッグメーカーコースという鞄作りのプロを養成するコースを始められるそうです。今まで文化服装学院しか、しっかりとした鞄関係のコースを持った学校がなかったので、ヒコ、みずのさんには期待しています。
鞄関係の仕事に就きたい人の門戸が広がることで、閉鎖的な日本の鞄業界に新鮮な風が吹き込み,魅力ある職種に変わることを望んでいます。
私が協力できることは、手伝っていきたいと考えています。
独立系鞄職人の中では珍しく既存の鞄業界と関わり続けてきた私は思うのですが、鞄関係の専門学校に行く人の多くが、鞄メーカーの企画として就職し、デザイナーになることを夢見ていると思います。それはそれでいいと思います。しかし現状の鞄メーカーの企画の仕事は素材を選びデザイン画を書くだけで、サンプル作りは工場に丸投げのようです。そのためイメージだけが先行した鞄になりがちです。
洋服のデザイナーズブランドのように、デザイナーはデザインだけでなく、パターンも起こせるし、縫製もできる。出来るけれどシーズンごとのコレクションをデザインするだけで手いっぱいなので、スタッフといっしょにやる。コレクションのサンプルの洋服を作る所までは自社内でまかないます。
鞄メーカーの企画も、パターンを起こし最終サンプルまでを自社内で作るような企画に変われば、もっと魅力的な鞄が既存の鞄メーカーから生まれてくるように思います。
デザイナーを志すとしても、鞄をしっかり作れるようになった上で志してもらいたいと願っています。そうすれば日本の鞄業界が魅力的に変わって行くと思います。

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2006年2月 7日

旅に誘う鞄

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海を見ていると、海外行きたい病がでてきます。どこよりイタリアに行きたい。アドリア海を見てみたい。一週間、目をつぶっていれば行くのは簡単なことなのだけれど、目の前の仕事が気になって行けないでいます。誰か押してくれる人いないかな。今日もグーグルアースでイタリアの町々を見ています。
海外に旅立つ人たちの多くが鞄の底にゴロゴロいうタイヤで、伸びる取っ手が付いた鞄を持ってでかけます。確かに荷物をいっぱい入れて移動しても楽です。でもかっこ良くは見えないのです。センスのよいあのての鞄を作れたらと常々考えているのですがなかなか形に出来ません。その最大の理由は、鞄を引きずってもつという姿自体がよろしく見えないということがあります。それに加え、既成の伸びる取っ手とかゴロゴロタイヤがプラスチッキーで、よしんば取っ手の横のバーが金属製だとしても安っぽいため、本体をかっこよく作っても、それらが台無しにしてしまうのです。その部品を特注で作るとしたら、あまりにコストがかかり私には現状無理です。良い既製品の部品が登場するのを待つしかありません。
私は大きな革製のボストンバッグをもって、旅には行きたい。
そのボストンバッグに思い出をいっぱい詰め込んでかえってきます。
きっと重くて、途中で放り出したくなるかもしれないけれど、気に入った皮製ボストンバッグならそいつと会話しながら旅をつづけることが出来ます。ゴロゴロ旅行鞄はあとから付いて来るだけで会話は楽しめないのではと思うのです。
大正時代の鞄のカタログをみていて、ファスナーがなかった時代の旅行鞄は威風堂々としていて、持つ旅人の姿にポエムを見ます。現代の旅人にもポエムを演出できる旅行鞄を持って欲しい。私たち鞄職人はそういう旅行鞄を作り出さなければいけません。
多少不便な方が雰囲気があるのは確かです。機能とロマンチシズムのバランスを考えて現代の旅行鞄を作り出さねば。

2006年2月 4日

大正時代の鞄カタログ

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大正時代の鞄のカタログが20年ぶりに私の元に帰ってきました。
このカタログは、鞄問屋の青木が創業100年を記念して、昔のカタログを復刻したものです。渋谷のフジイさんに20年ほど前にお貸していて、お互いそれを忘れていて、フジイさんがル・ボナーを来店された時それにお互い気が付いて、返還の運びとなった代物です。
ファスナーがなかった時代の鞄は威風堂々とした風格があります。この時代、庶民の大部分は風呂敷を使っていて、革鞄は高級品でした。トランクが帝大卒の初任給と同じ金額だったそうです。鞄職人も充実した仕事ができる環境にありました。
ダンボールと鉄枠を革で包み込んだトランクは元々イギリスが発祥なのですが、現存しているものは大部分、日本製です。日本製は縦、横のサイズが畳からきていて1対2で外国のものは3対5サイズなので分かります。日本の鞄作りの技術が戦前は世界トップレベルであった証です。昔、日本製の戦前作られたトランクを分解したことがありましたが、強度を高めるための独特の工夫を見ることが出来ました。
戦後の日本は大量生産、大量消費の時代がはじまり、戦前の職人の技はどこかに忘れ去られてしまいました。戦前の日本の鞄を復刻したいなと、このカタログを見ていると思ってしまいます。

2006年2月 2日

独立系鞄職人の独り言(2)

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久しぶりに総手縫いの鞄を作り始めています。
鞄の手縫いは、靴やスーツと違って見せる手縫いなので、作り手の個性がでてしまいます。一目一目気を使って、それでいてリズミカルに縫ってゆきます。
手縫いは経済的なことを考えなければ、鞄職人にとって楽しい作業です。鞄を作る喜びが味わえて初心に帰れます。しかし手縫いの製品を作りつづけてプロとして鞄職人をつづけてゆくのは非常に難しいと思います。一個の鞄を作るのに時間がかかりすぎて、それを正当な価格で売った時、99パーセントの人は高いと思うでしょう。一番効率よくシステム化して手縫いをしているエルメスの製品の価格は適正とは思いませんが、その半値であれば適正だと思います。エルメスの半値で作りのしっかりした手縫いの鞄を独立系鞄職人が作ってもそれを買おうとする人はごくわずかです。倍の値段のエルメスの鞄を買う人は多いのですが。
手縫いという技術を継承してゆくのは大事な事だと思います。しかし若い独立系鞄職人の人たちは、そのこと以上に作りの良い鞄を適正価格である程度の数をまとめて作れるシステムを構築してほしい。それができれば、無理なく好きな鞄作りをつづけてゆけます。。オリジナリティをもったデザインをして世に問う余裕も生まれてくると思うのです。
美しい手縫いをするにはどうすればいいか、完璧なコバ磨きをするにはどうすればいいかといった技術的な工夫はしつづけなければいけないし、職人にとって楽しい作業です。しかし独立系鞄職人の場合、材料仕入れから生産、販売まで作るだけではなく、全部しなければなりません。トータルな中で鞄作りの日々を見つめることが大事だと思うのです。
30年遠回りをした私の実感です。

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