2006年12月アーカイブ

2006年12月31日

2006年の大晦日

大晦日のル・ボナー.jpg

ル・ボナーのある六甲アイランドは完全に静まり返った街となっている大晦日です。今日はお店を閉めて大掃除の予定でした。
が突然、親しく思っているMさんご夫妻が帰省途中来てくださったり、常連のF夫妻が正月からハワイだというのに来て下さったり、何組ものお客様たちが来られて普段の日曜日並みでした。おかげで大掃除はお店部分だけで、20坪あるル・ボナーの7割を占める工房部分は手付かずのまま。まあいいか。

今年は本業のカバン作り以外のことで色々楽しんだ1年でした。
興味はあったけれど、踏み入れないようにしようと思っていた時計や万年筆への興味を、強く持ってしまった1年でありました。いけない、いけないと思いながら知れば知るほど面白いのであります。
多くの人はその興味あることを自身にしまい込むことが多いのですが、私の周りにはその道の達人たちが多く、その人たちのコレクションと知識は、新米の私に強い菌として襲い掛かる。
ただこの程度のままでいければ、いいのかなと思っております。この程度なら本業にも良い影響を与えていると、勝手ないい訳を考えている私であります。

本業のカバン作りにおいては素材が厳しくなってきたことを痛感する1年でした。
タンニンなめしの革はヨーロッパの小さなタンナーががんばっていて安心なんだけれど、クロームなめしのタンナーがいけない。ヨーロッパでも良いクロームなめしの革を作るタンナーがほんとに減った。
また金具類も選択の幅がなくなってきている。満足できる金具を使っていくには、オリジナルで作るシステムを真剣に考えないといけないと強く思った年でした。

今年の大晦日から正月3日間は何年かぶりに、名古屋に居る息子も戻って来ていて松本家4人と1匹で迎えます。来年も今年以上に良い年にしたいと思っています。
神戸の新年は、神戸港の船が一斉に響かせる汽笛で始まります。その神戸で2007年も楽しく充実したカバン作りの日々を送っていきます。

2006年12月30日

もうすぐ完成なのですが

リュック完成寸前.jpg
糸処理と紐先の磨きを済ませると完成です。
もっと早く出来るはずでしたが、今年の12月は雑事が多く予定より遅れてしまいました。雑事も大切な仕事のうちなのですが、前もって予定を組めないのが悩みの種です。
細かな仕様説明などは年明けになってしまいます。明日31日は工房のお掃除、自宅の大掃除は・・・・
やはり無理かな~。

2006年12月29日

2006年のル・ボナーを振り返って

2006年12月28日.jpg

三宮のお店を閉め、夫婦2人で再出発して3年あまり、2年間は右往左往しながら、それまでの負の遺産を整理することに必死でした。ようやく落ち着いて今年は少し心に余裕を持って日々を過ごせたように私達は思っています。

そんな私達にとって、2006年を振り返って一番強く感じたことは、ル・ボナーのカバンとお店を通じて、多くのこれからもずっと親しくしていきたい人たちと知り合えたことです。こんなに多くの人たちと知り合えた1年は、今までなかった。
特に仲の良いご夫婦たちと、カバンは勿論の事それ以外のモノ好きの人たちと多く知り合いになれました。

ご夫婦お2人での来店はほんとに多くなりました。常連客のご夫婦は皆さん魅力的で、どこか変?で、お客様というよりお友達のように接してしまいます。いけない、いけない、親しい仲にも礼儀有り、お客様と店主の関係だのについ。
ル・ボナーに集う仲の良いご夫婦たちと、イタリアはちゃめちゃツアーなんかが出来たら楽しいだろうなあなんて勝手に想像している私であります。

モノ好きの人たちとも多く知り合いました。
カバンは勿論のこと、時計、万年筆、車、靴その他etc、、、、
私も少し余裕が出来たのか、本業以外のモノに対して非常に興味を持ち始めた1年であったことも相まって、モノにこだわるオヤジたちとそれを作る人たちと親しくなりました。
その屈折した?こだわりは半端なものではありません。私の革好きに匹敵します。私は革とカバン以外はそこまでこだわることはない?と思いますが、そんなオヤジたちのモノへのこだわりは面白い。来年はそんな人たちと一緒に、色々な企てを計画しています。楽しみです。

私達夫婦は、ル・ボナーというお店が気心があった人たちが集うサロンのような場所になることを望んでいます。まだまだ工房兼ショップのル・ボナーはそのバランスを試行錯誤している途中ですが、そんなお店になってゆく出発点であった1年目だったように思います。

見えない目標に向かって走らされていた3年前まで。
その頃のことを思い返し、この1年の平和な日々を愛おしく思う。
これからも、静かに着実にカバン作りを楽しもうと思う。利害関係のない親しい人たちと一緒に。

2006年12月27日

ル・ボナーのカバン作りは自由気まま

名刺ケース.jpg

久々に名刺入れが店頭に並びます。今回からワルピエ社のブッテーロを表に、内側に貼る革は薄く割っても破れたりしないためにフラスキーニのブレンダボックスを使いました。あと外側の後部分にポケットを追加しました。今まで以上にポケット一杯の名刺入れ。
そんなこんなで、この名刺入れのお値段は9,660円での販売です。

黒のパフが売れました。ハミがデザインして作ったハンドバッグで、ル・ボナーを代表するカバンの一つです。独立系鞄職人の工房ではこういった洋服のようなバッグを作っているところは少ない。重厚なカバンも好きだけれど、パフのような自由な発想のデザインがル・ボナーのカバンの幅を広げてくれている。

パフに使用している革は、フランスのボダンジョア社のブロンジェというシープ・ナッパで、革のシルクと呼ばれています。パリのオートクチュールで革の洋服や手袋に使われている革です。原皮はピレネー山脈のフランス側で育った子羊の皮。スペイン側の子羊より厚みがあって肌が綺麗だと言われています。
非常に高価な革で、サンプルで少量仕入れたのですが、もう少ししか残っていません。
パフもこの革で作れるのはあと数本。代替の革を探さないといけません。

ハミと私のカバン作りにおいて思うことは、売れるカバンを作るということより、作りたいカバンを作ってゆきたい。ヨーロッパの良き時代のカバンを参考に作るモノも、売れる売れないではなくて、美しいから作ってみたいという思いからです。
カバンを作ることで生活していますが、作ることが楽しくなければイヤです。
それが私たちのアイデンティティーなのだから。ル・ボナーらしさを創造していきたい。

1つだけ残っていた黒色の学手風ブリーフケースも売れてしまいました。オーダーも相当数残しているので、次はいつ店頭に並べられるか。でもル・ボナーらしいカバンは一つずつでも店頭に並べていたい。それにしてもル・ボナーの学手風ブリーフは良い味でてると自画自賛。作らないと。

ル・ボナーのカバンはトータル感がないと言われます。そう言われるのを望んでいる私たちです。作りたいカバンを自由に作っている私たちですから。
来年は色々なカバンや革小物でお店の中いっぱいにしたいなぁ。

2006年12月25日

セイコー ロードマーベル

ロードマーベルウエブ.jpg

私は手巻きの3針の時計を年末に購入すると宣言しました。
その時計はグランドセイコーのSBGW001でした。その時計を購入する気持は少し前まで変わりませんでした。上等でありながらさり気ない時計。日本が世界に誇る時計だと思います。普段はストーヴァのアンテアをベルトを色々変えながら使って、GSの手巻きは大事な時の1本。シックなベルトを付けて使うつもりでした。

しかし私の時計学の先生、ライターのN氏のお金では買えない気持ちよい時計コレクションを見せてもらい、私の気持に変化が生まれました。GSの手巻きはランドセルを背負ったおじさんと呼ばれる私にはまだ早い。もう少し後にします。背伸びしなくて買える日まで。

ある日、ヤフーオークションの時計を見ていました。ライターのN氏がセイコーのロードマーベルは良い時計ですよの言葉を思い出し見てみると、40年ほど前に作られたデッドストック品が出品されているのです。私はデッドストックという言葉に弱いのです。この時計欲しい。

ロードマーベル(1)ウエブ.jpg

ロードマーベル36000は40年ほど前に諏訪精工舎が作った、初めての10振動のハイビート機種の一つです。
ライターのN氏に教えていただいたのですが、この全数字モデルのダイヤルの数字はプレスによる打ち出しではなく、植字なのです。丁寧な仕事をしています。そして数字がキッズぽくて、時計好き途中の私には達観してない感じで良い感じ。

私は初めてのヤフーオークション。1時間の延長戦を制し、希望落札額より1万円オーバーしたけれど、落札に成功。届くまで不安だったけれど、実物を見て一安心。新品と言ってもおかしくないコンディション。シックなチョコ色のエレファントの革のベルトを付けてみようかな。

手巻きのリューズを巻く感触が気持良い。届いて数日経ちましたが日差は数秒。
さすがセイコーのハイビート。40年以上使われずに眠っていた時計とは思えない。

男は必要じゃなくても、モノを欲しがる。使わなくても時々机の引き出しにしまったお気に入りのモノを見てはニコニコしています。ランドセルを背負ったおじさんのまま、おじいさんになるのもいいかな。

2006年12月24日

2006年のル・ボナーのクリスマスイヴ

筆入れウエッブ.jpg

ル・ボナーのクリスマスシーズンはオープン以来初めて、忙しさにかまけてクリスマスの飾り付けをせぬままクリスマスイヴを迎えてしまいました。元来クリスマス好きの私は、28年ほど前に独立してカバンの製造卸を始めた頃、最初につけた屋号は”サンタクロース”でした。お客さんにクリスマスシーズン限定のかばん屋なの?と言われること多々あり、1年ほどで名前変えました。

そんなル・ボナーの今年のクリスマスイヴは寂しい1日となってしまうのかと思いきや、多くのお客様が来店していただき、接客でテンヤワンヤ。革小物が壊滅的に品薄状態のル・ボナー。そのためか多くのお客様がプレゼントにカバンを買いに来られた中年以上のご夫婦での来店でした。ほんとにありがとうございました。

今、オーダーのカバンの製作を中断して、急ぎペンケースを仕上げています。
このペンケースは25年ほど前から作り続けているル・ボナーの定番中の定番の革小物です。
ペンケースにしては大き過ぎると言われながら可愛いフォルムが好評で、ル・ボナーのお客様たちに愛され続けている品です。今年27歳になる息子は15年以上使い続けていますがまだ現役で、良い感じに経年変化をしています。
縫い合わせた部分のコバを磨いて、ファスナーのひっぱりを付けて完成です。

万年筆に興味を持ち始めてから、筆記具が1本1本個別に分かれたペンケースをル・ボナーの小物のアイテムの一つとして加えねばと考えています。私自身も欲しいので。
私の知っている万年筆好きの人たちの何人かは、万年筆並みの値段の1本差しの万年筆ケースを首からアクセサリーのように提げている。あれはいかがなものかと思っておりましたが、今はそんな風にぶら下げたくなる気持にも共感する私です。まずい、、、、、、。

我が家のケーキ.jpg

夜、ハミと娘とチャーと私のクリスマスイヴ。小さなケーキに優しいキャンドルの光。
東京に住んでいた頃は、毎年仲間のみんなが集まってきて、ワイワイガヤガヤ朝まで騒いでいた。今は静かに家族だけのクリスマスイヴ。歳とって体力なくなったから昔みたいには無理だから良い感じ。

年末に手巻き3針の時計を購入すると宣言して、軍資金は用意しました。しかしその時計の購入は少し先に延ばすことにしました。その顛末は次回に。
そのため軍資金の大部分は手つかず。と思いきやハミがそのお金の半分は私に権利があると主張。ハミと娘のために使うことになってしまいました。躊躇思案することなく素直に時計買っておけばよかったと思いつつ、ハミの主張も一理ある。

2006年のクリスマスイヴの夜は更けてゆきます。

2006年12月22日

初めての零下15度のキャンプ

初めての越冬キャンプ.jpg

私たちが初めて越冬キャンプをしたのは、私が28歳の時でした。
メンバーはハミとまだ5歳の息子(娘はまだ生まれてなかった)と、卓袱堂の卓ちゃん。卓ちゃんはその頃、将来の進路に悩む高校生。場所は信州の霧が峰の大雪原。

その頃乗っていた車は幌でまとったオンボロの2サイクルのジムニー550。
子供一人を含めた4人ではあるけれど、キャンプ道具一杯つめての移動は全員に苦痛を強いることとなります。セカンドシートはハミと息子と荷物。リアは卓ちゃん。バックミラーからは荷物に埋もれて卓ちゃんは確認できない。中央高速の坂道の登りでは、アクセルをベタ踏みしても、オンボロジムニーは時速30キロがやっと。そのうえ2速までシフトダウンしないとエンストしそうになります。

そうして辿り着いた場所が信州霧が峰の大雪原。夏だと霧が峰の草原にキャンプするなんてことは許されることではないけれど、雪に覆われた霧が峰でキャンプしても誰にも注意されません。逆に零下20度にもなる所でキャンプする我々を見て、ホテルに泊まるスキー客は笑って前を通っていきます。

テントは卓ちゃんが持っていた、ノースフェースのテント似の国産。生地が薄くて冬は厳しそうなシロモノ。
雪を踏み固め、工事用のブルーシートを敷いた上にテント。寒さ対策のためテントの床にダンボールを敷きつめ、その上に家で使っている敷布団を敷いて万全かと思いきや、敷き布団の巾にはハミと息子の寝るスペースしかなく、私と卓ちゃんはダンボールのみ。ホームセンターで3900円で買った寝袋を二枚重ねして寝ましたが、寝袋と敷きつめたダンボールが接地した部分が凍りつくのを感じながらの睡眠となりました。

夕食は野外バーベキューと洒落込もうと思っていましたが、寒風拭きすさむ氷点下15度の世界。火をおこしたのですが、暖房の役目は全然はたさない。氷点下15度を甘くみすぎていました。これは無理だとテントに避難。プリムスのストーブに小さなフライパンを載せてバーベキュウ。小さなストーブの暖かさがこれほどありがたいと感じたことはありませんでした。

このキャンプの最大の目的はクロスカントリースキーを楽しむこと。
皆がアルペンスキーをしている中、へそ曲がりの我々は誰もしていないクロスカントリースキーで誰も滑っていないバージンスノーを闊歩する道を選びました。これが楽しいけれど体力を相当使う。5歳の息子はスキーで歩くことが出来ず、私達がスキーを滑らせて歩く後を、一歩一歩雪原に足が股ぐらいまで埋まりながらついて来ました。当然泣きながら。現在その息子は、雪原を歩くこともできて、アルペンスキーのように滑り降りることも出来る山スキーをしています。両方を楽しむことが出来る良い選択だと思います。
クロスカントリースキーでの滑降は難しすぎる。

その後私達は何度かの越冬キャンプをしました。徐々に装備も充実して行き、快適な越冬キャンプを過ごせるようになって行きましたが、思い出に一番残る越冬キャンプは無謀な最初の霧が峰です。
凍死するかと思いました。そんな無茶なキャンプを楽しめるハミと、耐えた息子はえらい。
22年前の年末の思い出です。

2006年12月20日

ヒロ子ちゃんが逝っちゃった、、、、、

さようなら.jpg

20年ほど前、私達が貧乏だったけれど、お金かけずによく一緒に遊んでいた若い仲間の一人、ヒロ子ちゃんが天国に逝ってしまいました。まだ38歳です。これから蓄えた知識と経験と才能を開花するはずだったのに早すぎます。残念です。

ヒロ子ちゃんに初めて出会ったのは、私達が聖跡桜ヶ丘で始めてのお店をしていた頃。ヒロ子ちゃんは東工大の建築科に入学したばかり、東工大ラクビー部のマネージャーをしていて、小さくて可愛い18歳でした。素朴なヒロ子ちゃんは、怪しげな私たちの仲間と一緒に行動することで、その後のたくましさを身につけたのかもしれない。11人で行った白樺湖のスキーにもひろ子ちゃんは参加してた。あの時がヒロ子ちゃんにとって始めてのスキーだった。
ボーゲンもまともに出来ないヒロ子ちゃんを大丈夫だからと頂上まで連れて行き、転んでいる時間の方が多いヒロ子ちゃんでしたが、頑張り屋のヒロ子ちゃんは最後まで弱音言わずに時間かけて転びながら降りてきた。

東工大の大学院時代、国費で1年間のフィンランド留学を終えて帰国した時も、芦屋カントリークラブの前の芦屋川の川原で猪親子の襲撃に遭いながら一緒にキャンプしたよね。
あの時私達は神戸にお店を出したばかりの時で、神戸の夜景が綺麗に見える六甲山の頂上付近の公園のブランコ揺らしながら、20年後に私はみんなにサンフランシスコ行きの航空チケットに手紙を添えて送る。その手紙には何月何日何時にサンフランシスコのツインピークスで待ってますと書いて。シャンパンのみながら、サンフランシスコの夜景を見ながら、空白の20年の月日のそれぞれの人生を語り明かすために。そんな夢のような計画をヒロ子ちゃんは肯きながらニコニコ聞いていた。

東京芸大の講師をしていた頃、特有の伝統的な住居の調査に数ヶ月、蚤と格闘しながらブータンに滞在した後、ル・ボナーに来てくれて、これからのヒロ子ちゃんの夢を語ってくれた。その頃ヒロ子ちゃんは夢の量に比例して体型がふくよかになっていた。

2ヶ月前、新宿の伊勢丹で卓袱堂の卓ちゃんの個展に、ヒロ子ちゃんは来てくれた。
その時ヒロ子ちゃんは自身の病気を知っていて、闘病中でありながら、古い日本の木造建築の技法を現在の木造建築に生かすため、古い神社やお寺を調査しているところなのと熱く語っていた。これから建築家として花開くはずだったのに、、、、、、、、。

私とハミは、仕事がんばってどこかに土地を買って、ヒロ子ちゃんにデザイン設計してもらった木造の家を建てることを夢見ていました。それも突然、かなわぬ夢となってしまいました。

あの頃の仲間に連絡して、ヒロ子ちゃんが大好きだったお酒飲みながら(ヒロ子ちゃんは大変な酒豪でした)同窓会を開こうと卓ちゃんと話しました。私たちにとって、とっても大事なヒロ子ちゃんの思い出を話します。 笑顔が可愛いヒロ子ちゃん、あまりにも早すぎるよぉ。

ヒロ子ちゃんの38年。私の知ってるヒロ子ちゃんは夢を実現するために一生懸命で、柔らかに美しい人生でした。私たちはあなたとの思い出を決してわすれません。私もハミもヒロ子ちゃんが大好きです。

2006年12月18日

エルメスのカードケース

エルメス名刺入れ.jpg
エルメスの名刺入れです。横浜から来られたお客様がお持ちでした。
10年以上前にロンドンのエルメスショップで購入されたそうで、日々お客様のお供をしているそうですが、まだまだ現役です。表に使っているボーグレネクシュベールとエルメスでは呼んでいるカーフの型押しの革の型は消えかけていますが、ひび割れなどの致命傷はまだ大丈夫だし、中に貼られた裏貼りの革は今でもしっとりしています。さすがエルメス。

私はこのシンプルなデザインの中に高級を演出してしまうエルメスの縫製力に敬意を表します。エルメス得意の手縫いではなくミシンで縫っています。しかし糸は麻。この細い麻の糸を美しくミシンで縫うのは大変なことです。あと この薄い仕上げ。裏に張っている革の厚みは0,1~0,15ミリ程度です。日本で革の割りを頼む時、0,3ミリが失敗しないギリギリで、0,2ミリで割ってもらうと相当数の失敗を覚悟しなければいけません。
またなめしの甘い革を薄く割って裏貼りに使うと、摩擦で擦れて早い時期に破れます。10数年この薄さで破れることなくしっとり感を保ち続けているということは凄いことです。

厚くて丈夫は当たり前ですが、薄くて丈夫はむずかしい。それをさりげなくしてしまうことでエルメスはシンプルな高級を演出している。勉強になります。

今年のル・ボナーは、小物の補充が充分でない1年でした。安定して売れる小銭入れ付き折財布にいたっては、半年以上欠品が続いています。クリスマス・プレゼントで一番革小物が売れる時期に全然ないのです。
来年は、小物の充実を最重要課題と考えています。ル・ボナーらしい小物を揃えていきたいと思っています。そんな時エルメスの小物は色々なヒントを教えてくれます。

2006年12月16日

新プロジェクト途中経過

 新ホーム.jpg
                            
フラソリティー バイ ル・ボナープロジェクトは今年中に通販のホームページをアップしようと考えていましたが、1月末か2月初めスタートとなりそうです。
私のサンプルの製作が遅かったことで、全体の流れが遅れてしまいました。

本生産は現在フラソリティーで始まっていますが、ゆっくり時間をかけて作ってもらうようお願いしています。モノ作りは効率よく作ることは大事ですが、焦るとろくなことはありません。

私のホームページを作ってもらった大和出版印刷のスタッフに今回のホームページもお願いしているのですが、個人情報保護法のからみから、ネットで販売する場合セキュリティーが何より大事で、その下調べに多くの時間がとられたようです。今回はデザイン会社も参加しての大がかりなホームページ製作となっています。表紙その他の撮影はシェラトンホテル内で撮りました。どんなホームページになるか、私自身も楽しみです。

ホームページアップ時は4型各3色ですが、順次新作を増やしていこうと考えています。

今回プロジェクトは、フラソリティーと大和出版印刷とル・ボナーが力をあわせてやっています。
それぞれの役割を誠意を持ってこなしていて、良い感じです。誰かが突出してでしゃばってしまうと、良い計画も、進行途中でギクシャクしてしまい、皆が楽しい計画にはなりません。
このまま時間はかかっても、気持ち良くスタートをきり、時が経つとともに充実していくプロジェクトにしたいものです。ゆっくり丁寧に。

2006年12月14日

半年に1度の神戸堂

ベレー帽.jpg

今日は木曜日。ほんとなら休日なんだけれど、午前中は雑用で三宮に行き、午後からは待ち合わせている人がいるので5時まではお店を開けて仕事をしています。5時からは囲碁倶楽部の納会がシェラトンホテルであります。私は倶楽部の幹事をしているので大忙し。今回のシーズンは初めて私が優勝しました。初段まであと4回勝ちが上回ればなれます。がんばらねば。

半年に一度、私は神戸堂で帽子を購入します。訪れるのは、夏にメッシュのベレー帽を購入して以来です。同じはげちゃびんのF氏がボルサリーノのストローハットを神戸堂で買って、毎週のように見せびらかされ、私は羨望の眼差しでその帽子を見ていました。

今回神戸堂にて入手した帽子は、ボルサリーノのベレー帽。今まで毎年フランス製のベレー帽を買っていましたが、今回は少し奮発してボルサリーノ。優しい柔らかさで大満足。このかぶり心地を知ってしまうと来年も冬の帽子は、神戸堂でボルサリーノのベレー帽を買うのでしょう。

11月のイタリア旅行に行ったとき、ボルサリーノのお店にも行きました。被ってみるのですが何か違和感を感じるのです。帽子が私のはげ頭にしっくりこないのです。そのため買わずに帰りました。
神戸堂で同じボルサリーノを被ってみるとしっくりきます。やはり私は神戸堂です。
神戸を代表する老舗の帽子専門店、神戸堂は私にとって必需品の帽子を、居心地の良い接客で、安心というおまけ付きで提供していただける。

神戸の街を歩くと他の都市より、上等な帽子を被った老紳士を多く見るように思う。
神戸堂はそんな神戸人と、二人三脚で存在する帽子屋さん。神戸堂の老紳士二人は帽子学の素晴らしい先生。私は半年に一度訪れるのが楽しみです。

その時、杉本酒販でシガリロをまとめ買い。イタリア旅行の時まとめて買ったダビドフのシガリロが底をつき、今回はダビドフのB品のジノのシガリロ。ダビドフのシガリロを吸っていると、ジノは風味、味とも劣る。
しかし日本で買うと、ダビドフ2800円に対してジノは1000円。コストパフォーマンスはジノ。1日5本程度の喫煙ならばダビドフでもいいのだけれど。今の状況ではまだまだ。

神戸はおじさんにとって、居心地のよい街です。

2006年12月12日

試作から・・・

まず最初に.jpg

試作リュック.jpg
長くお付き合い頂いていますお客様からのご依頼リュックを作り始めています。
質感のあるソフトな革が見つかるまでお待ちいただいていましたが、定番化されていない革をサンプル買いされた方より分けて頂き、やっと製作に至ります。

色のみ、のご指定であとはお任せですが、雑誌の切り抜きのみで実物を見た事がないのでまずはサイズ確認のため生地での試作。

次に型紙上の問題点を見つけるため、デットストックで仕入れたカーフで試作。
価格的に上級な革ですが、表面の仕上げや、肉質感がイメージと少し異なるため、主人の言葉をよそに使用してしまいました。
私なりの便利さを考えファスナーポケット等を付けています。
実際に荷物を入れてみて、重みでどう変形するか、ショルダーの位置等の問題点を確認し、少し型紙の修正を行い、本生産用の革で裁断、今パーツの磨きをしています。
試作の革もそうですが、ソフトななめしのためコバ面の傷みが早そうなので蝋入れでの処理をしています。
蝋ですが、養蜂園から取り寄せた蜜蝋を煮溶かし、ゴミ等の不純物を取り除き固めたものを使用しています。働きバチがお腹から蝋を出して巣を作るんです。煮溶かすお鍋をみつめながら想像して愛おしくなったりしています。
物作りは和食と似て下ごしらえに時間がかかりますね。大切な作業です。物作りは皆一緒ですね。組上げはまだ先になりなす。

ロダニール、頬ずりをしたくなるほどマットな仕上げで厚みも程よく、上品な大人を思わせる革です。
この革を生かし、良い表情が出せるかどうか、、です。

2006年12月10日

チャーに見つめられると

12.10チャー.jpg
午後のおやつタイム。今日は熱い日本茶にアンパン。
いつもだとカメラを向けると魂を吸い取られると思っているのか、怖い形相で吠えまくるチャーです。が食べ物を前にするとカメラは眼中になく従順な瞳で、僕にもちょうだいよと訴えかけてきます。この潤んだ瞳に負けて少しおすそ分け。そんな風に甘やかし続けて、彼はビーグルなのに20キロオーバー。チャー恐怖のオタニ動物病院に連れて行くたびに、太りすぎを指摘されます。

彼は9ヶ月で金玉取ったので発情しなくて、食欲のみのオス犬になったはずなのに、このところ普段より興奮気味。発情したオス犬のようによく吠えます。
お店にお客様が来店するたびに吠えて、商売の邪魔をするし、散歩中はみっともないほど鼻を地面に擦り付けながら匂いを嗅ぎます。しつけという経験をしないまま8年の月日が過ぎて行きました。

夜 ハミが帰った後、マセラティを不運な事故で全損となり、その後も懲りずにアルファ147GTAを購入したイタ車病のY氏が来られて、怪しい?企てを話している間も、このバカ犬チャーは吠え続ける。ほんとにうるさい。

Y氏にプロジュースしてもらって、ル・ボナーのために日本で初めてのモノを作るべく行動を起こしてもらってます(私は日本で初めてが好きなのです)。儲からないのに面白そうだからと参加していただいた金属加工会社の社長さんや、最高のメッキ塗装をするため金属の表面の洗浄のための水にまでこだわっている職人さんなどに参加していただきこの企ては現在進行形。形になったらこのブログで伝えます。面白いですよー。

そんな大事なお話をY氏としている間ずーとチャーは吠え続けている。落ち着いて話せない。なんとか吠えさせない方法はないかと考えて、、、、ありました。
お菓子をチャーの目の前に置いて待てと言えばいいのだ。彼は食べ物の前では従順であった事を忘れていた。

2006年12月 9日

復活した栃木レザーの革

キペロン.jpg

久しぶりに日本のタンナーがなめした、魅力的な革に出会いました。
復活した栃木レザーがなめしたタンニンなめしのカーフ(日本ではキップ)です。
栃木皮革の説明では、3ヶ月ほどかけて10ほどの濃度の違うタンニン槽(ビット)に漬けては乾かしを繰り返して作った革だそうで、確かに良くなめされていて、素晴らしい質感を持った革に仕上がっています。

日本のタンナーの革なめしの技術は世界トップレベルです。しかし価格競争に走り、見た目だけ良い、中途半端ななめしの革を低価格で作っているタンナーが多くをしめているのが現状です。
栃木レザーはタンニンなめしの革のシェア最大のタンナーで、20年ほど前は私達も使っていましたが、なめしの甘さから色々な問題点が発生し、ヨーロッパ皮革を使うようになった原因を作ったタンナーです。

その後栃木レザーは倒産し、革部門だけは復活しました。心入れ替えて作った革がこの革です。
元々技術力のあるタンナーなので、世界トップレベルのタンニンなめし革を作るノウハウは持っているのです。その技術を使わなかっただけなのです。
この革で鞄を作ってみたいと思いました。ただ本生産した革が、このサンプル革のレベルで出来上がってくるかという不安があります。倒産前の栃木レザーの革がそうであったから。

でも、きっと頼むことになるでしょう。
ヨーロッパの革も、良いと思う革が少なくなってきています。
去年、素晴らしい日本的なクロームなめしのカーフを作っていたテイカというタンナーが、良い革を作っても日本の市場は認めてくれないと言ってタンナーをやめてしまった、悲しい出来事がありました。良い革を作ろうとがんばろうとしているタンナーは応援したい。

来年この革をオーダーするまで、革コレクターの私の革棚にしまっておきます。
良い革は年月とともにワインと同じように熟成されます。新生栃木レザーが作ったこのキペロンという革はそんな良い革です。

2006年12月 7日

新聞記者S氏のFujeeのショルダーバッグ

藤井・ショルダー.jpg

新聞記者のS氏が来られました。今回はなんのために来られたかよく分からないまま、ル・ボナーの店内をスケッチをしながら1時間ほど居られて、映画見なきゃぁと言ってあわてて帰っていかれました。
新聞記者のS氏は不可思議なおじさんです。

そんなS氏。今回は東京・渋谷の藤井さんに注文していたショルダーバッグが出来上がり、出来立てホヤホヤのそのバッグを持って来られました。S氏は万年筆菌だけではなく、カバン菌にも侵されているようです。古山画伯が発症元のように思われます。定年退職前のおじさんに伝染させるとは、罪なお方です。

fujeeパートリッジ(2).jpg

イギリスに昔からある狩猟用のパートリッジバッグをアレンジした形のバッグです。
丁寧に仕立てられた総手縫いのカバンで、内貼りをしないと手を抜いたように思われがちなのですが、このカジュアルなカバンはそれが自然に感じられるほど美しく仕上がっています。

藤井さんとスタッフ2人の作るカバンを見るたびに、刺激を感じさせていただいています。
カバンを作る側から考えた時、Fujeeのカバン作りは美しいと思う。
方向性は違うけれど同じ独立系鞄職人。私たちもがんばらねば。

年末の土曜日に、関東の片田舎の全学連のアジトのようなアトリエで、頑固職人の会なる集まりがあり、私も光栄にも招待されました。人間国宝の漆職人さんも参加する由緒正しき会?で相当偏屈な怪しいお歴々が集まり、昼間から大宴会だそうです。
藤井さんも参加されるそうなので、行きたいのは山々ですが、製造小売業を営む身には年末の土曜日は1年で一番の稼ぎ時。それにイタリアに視察旅行?に行ったばかりで、ハミ一人にお店を任せるなんて、いくら私が我儘身勝手だとしても言えない。怪しい頑固職人のお歴々は、年末の土曜日の昼日中から宴会ができるものだと感心してしまいます。羨ましい~。
私は頑固職人なんかではないのでと強がりを言って、泣く泣く断念しました。

私は椎名誠の怪しい探検隊シリーズが好きです。
あんな風に、ヘンテコに一生懸命で、無我夢中に馬鹿馬鹿しく生きる50過ぎの怪しいおやじたちの集いは楽しい。来年は、そのお仲間として是非参加させてもらいます。
ちなみに新聞記者のS氏も職人でないのに、頑固職人の会に参加しております。基準は非常にゆるい頑固職人の会なのであります。

2006年12月 5日

2006年も師走

クリスマスイルミネーション.jpg

人影まばらな六甲アイランドですが、ル・ボナーのあるショッピング街の大家が何を勘違いしたのか大奮発、頑張ってご覧のようなクリスマス・イルミネーション。クリスマス気分に勝手になっている私であります。
旧居留地では今年も阪神・淡路大震災の鎮魂のために始まったルミナリエが始まります。
神戸に住んでいるのにまだ一度も見に行ったことがありません。今年こそは見ておきたいイベントです。神戸はイルミネーションが似合う街です。
なにより神戸の夜景は一年中イルミネーションみたいな感じで、私は大好きなんです。

ル・ボナーの12月は相当がんばって作らないといけない月になりそうです。
イタリア旅行前に作っておかないといけなかったカバンも未完成のまま旅立ち、そのつけを12月に持ち越したため自業自得。自身の尻を叩いています。
東京で製造卸しをしていた頃は朝の8時から夜中の2~3時まで毎日作業していたことを思えばへっちゃらと言いながら、15年の歳月は年齢を増やしたことに反比例して気力と体力の減退をいやでも感じさせられる私であります。

裁断.jpg

今オーダー品の裁断をまとめてやっています。裁断した後、割り(革の厚みを部品ごとに変える作業)は大阪の山西さんにお願いしているので、まとめて裁断して割りに出さないと非効率になるので。

裁断の時は捨てる部分が少なくて済むよう取都合を意識する私と、捨てる部分が多くても良い所取りのハミの考えがぶつかります。ここのところハミの贅沢な裁断方法が優位を占めています。大断ちの白線、お尻の部分なのだからあと10cm右位まで裁断したいと思ってしまう私なのですが、ハミはそれを許しはしない。高価な革を、贅沢に裁断してカバンを作る。それが許されるのも自分のお店を持っていればこそ。ありがたいことです。

私たちの作るカバンを待っているお客様がいる。それは私たちの幸せ。
それに応えるため、私たちはカバンを作り続ける。優しいカバンを作り続けてゆきたい。
と思いつつ、ル・ボナーの師走はてんやわんや。

2006年12月 3日

若き家具職人

注文家具(2).jpg

丹波の工房で家具を作っている難波行秀さんに家具を特注でお願いしていました。
ハミがサイズと希望を伝え、製作者と相談しながら、作ってもらいました。
今年の春に頼み、夏は木が暴れるからと、晩秋を迎える頃から製作していただきました。

家具を特注で作ってもらうのは、初めの経験でしたが、作ってほんとに良かったと私達夫婦は大満足。必要で買ったシステム家具や趣向から入手したアンティーク家具などでは得られなかった愛おしさに似た柔らかな心で満たされました。

すべてチェリーの木で組上げてもらい、合板は隠れた部分でも使っていません。オイルフィニッシュで仕上げてもらったので、年月と共に色艶が出てくるのを楽しめます。
チェリーの木のほのかな香りが、我が家のリビングを満たしています。
家具の売り場の臭いとは全然違う心安らかになる香り。

特注家具(3).jpg

丁寧な仕事です、作った職人の誠意を感じます。
最初はこの上にテレビを置こうと考え、低めに作っていただいたのですが、重いテレビを上に置くのは、この丁寧な仕事の家具に可哀相に思えて何も置かないことにしました。
上に寝転んだり、座ったりしながら、この家具が届いた日の夜は夫婦二人柔らかな心で傍にいてニコニコ。
しっかりした作りなので寝転んだり座ったりしても全然平気です。低さが逆に、狭い我が家のリビングを広く見せているようです。

奇をてらう事ない難波さんの家具作りが私たち夫婦は好きです。
お金が貯まったら、次は食テーブルと椅子をチェリーの木でお願いしたいなぁーと思ってます。

家具職人の難波行秀さんの連絡先は
            669-3166
             兵庫県丹波市山南町小野尻428
                 Tel Fax 0795-76-2335
                  http://www.tanbananba.com/

2006年12月 1日

美しい日本の自然と独立系鞄職人

上空から.jpg

海外から帰って感じることは日本の自然は豊かだということ。
温帯の地域で、これほど変化があり緑豊かな国は他にないのではと思う。
イタリアを北から南に南下したのですが、田舎の風景はモナリザの絵のバックに描かれたような風景が続きます。初めて見るとき、魅力的に見えるのですが、そんな感じの風景がナポリまで続きます。
それに比べ、日本の風景は春夏秋冬変化があって、自然もバラエティー。
日本の場合、街は経済最優先の影響で、個性を見つけ出すのは難しくなって、つまらない街並みが大部分ですが、田舎や自然は先進国の中では一番変化にとんでいて、豊かなのではと思う。
海外旅行は、そんな日本の魅力を再発見する意味でもありました。
私は日本人に生まれて良かったと思います。私は日本の自然が大好きです。

フィレンツェにはモノ作りの天使たちは居るけれど、鞄作りの天使たちは見つけきれませんでした。特に独立系鞄職人のような立場で、鞄を作る余白はないように感じました。
フィレンツェの街を歩き、独立系の靴工房は確認できるのですが、鞄工房は見つからない。
イタリアにおいては、日本以上に鞄のニーズが高級ブランドのものか大衆量産品のどちらかで、私達のような存在を必要としていないように思えました。

そのヨーロッパのブランド品を半分以上買っている日本という国においては、独立系鞄職人の作る鞄に魅力を持つ人たちが少数ですが何人かはいて、切磋琢磨して鞄を作り続ければ認めてもらえる環境があるのではと思う私です。
きっと経済至上主義の日本において、非効率な手作業が必要からではなく、心の癒しとして存在意味を持っているのではと思ったりする。ヨーロッパの独立系時計師も、日本という市場がなければ大変でしょう。
なくても困らないけれど、存在することで豊かさを感じてくれる人たちがいる日本。そんな日本の特に神戸という街で、アナログな鞄作りを続けられていることに感謝します。

ヨーロッパの高級ブランドの鞄は系列化し利益最優先で魅力は色あせ、日本の鞄問屋はアジアに生産の拠点を移行し大量生産を加速させる。そんな日本で逆に、鞄作りに興味を持つ若者は増えている。渋谷にある専門学校には鞄のコースが新しく出来るし、フィレンツェのサンタクローチェ・レザースクールの生徒さんは日本の若者ばかりだったし。もしかして鞄作りの天使たちは日本に引越しして来ているのかも。独立系鞄職人が魅力ある鞄作りの努力と工夫をした時、一番評価されやすい環境の国は日本なのかもしれない。

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