銀座の伊東屋斜め右向かいにある「銀盛堂」が7月26日で店を閉じる。
老舗居並ぶ銀座中央通りで、独特のアイデンティティーを持ったカバン屋さんでした。
私たち夫婦が独立して鞄作り始めた時、最初に置いて頂いたお店です。
店が閉まる前にご挨拶したいと思っていて、この機会にお伺いした。

背の高い鉄筋のビルが建ち並ぶ中、銀盛堂の木造二階建てのお店は、
銀座商人の意地のようなものを感じる。
事業より好きな鞄の事だけ考えてお店を続けた昭和人でした。
久々に銀盛堂さんの店内に入った。
30年前頻繁に顔を出していた頃とおなじ広さのお店だのに狭く感じるのは、
子供の頃育ったふるさとの町を久々に訪れた時、道巾が狭く感じるのに似ている。
厳しく優しく私に接してくれた下町気質のご兄弟は引退して今はお店には出ておられない。
現在70前後の年齢になるオーナーご兄弟とは会えなかったけれど、
この誇り高き銀座のカバン屋さんは、最後までお二人の個性を残していた。
今は青山にあるヘルツの鞄の原型を提案したのも銀盛堂さんだった。
私たちを含め、オリジナルな鞄作りを生業としようとする若者たちの作った稚拙な鞄も快く置いてくださった。そして御兄弟の大好きなイタリアの庶民風革鞄をイタリアに直接行って大量に買い付け在庫して、我が道を行く個性的なかばん屋として存在し続けた。
20代前半の私たちが独立した頃はネットなどなくて、独立系鞄職人として生活してゆくには、お店出す資金がなけれれば卸しかなかった。卸は小売店舗の方が価格決定権があって、面白いと思っても売れる価格でないと仕入れてもくれなかった。仕事遅い私たちは徹夜続きでカバン作り続けても生活は楽ではなかった。何度やめようかと思ったことか。
そんな時御兄弟は下町言葉で励まして下さった。
「てやんでぇー! グダグダ言ってないで死に物狂いで好きなカバン作り続けりゃいいだよ。血ヘド吐くまで作って作り続けてみろよ。骨は俺がひろってやるから。ばっきゃろうー!」
そしてある時返そうと思わなくていいから生活の足しにしなと札束を私に手渡した銀盛堂の弟さん。その時の私たちにとっては大金だった。それから何年か経った時、ハミが少しずつ生活費切り詰めて貯めたお金を私に手渡し、「銀盛堂さんの弟さんに返してきて」と。返した時弟さんは泣いて喜んでいただいた。返せた時一人前の鞄職人に一歩を踏み出せた私たちだったように思った。
その後鞄に対する方向性も違ってゆき疎遠になった。けれど銀盛堂さんは見守り続けていて下さったことを今日知った。私たちが鞄問屋を通して「アウム by 松本」というブランド名でカバンを作っていた時も、その鞄を仕入れて頂いていた事を。
趣向も方向性も違ったけれど、カバンに対する愛情を持ち続けた部分は同じだったはず。
私たちが今日まで鞄作り続けて来れたのは、見返り求めぬ愛情ある人たちに支えられて。
頑固なかばん屋「銀盛堂」の御兄弟は、そんな私たちの大事な人たちの中の二人です。
銀盛堂は7月26日で終るけれど、私たちの心の中には30年前の銀盛堂のお店の佇まいと、お二人の40歳代前半の黒ベストを着てお店で接客している姿が脳裏に刻み込まれています。
かっこ悪くても、一生懸命鞄作りしてる人を愛した銀盛堂さんでした。
本当に御苦労さまでした。そして本当にありがとうございました。
私たちはもう少しカバンを作り続けてゆきますね。