2013年3月アーカイブ

2013年3月31日

ワイルドスワンズの「フォセットミニ」と「イージス」

銀座の自社ショップ『C.O.U.」でお馴染みの、
親しくしているケイズファクトリーさんは、
魅力的な革製品を組織として作り続ける魅力的なグループ。
そのケイズさんのブランドであるワイルドスワンズの製品は、
今までトートバッグの「ベルエアM」のみル・ボナーでは扱っていました。
それに加え新作の「フォセットミニ」と「イージス」が加わりました。

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内ポケットに丁度iPadが収まるタイプの小振りなセカンド。
全8色揃って29,400円也。詳細はこちら

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カジュアルメンズショルダーの「イージス」。
背のポケットの横幅はA4の雑誌が収まる(上は出るけれど)。
ル・ボナーの二人にはない感性で、刺激を感じているボンジョルノ。
トープ、チョコ、黒、ネーイビーで42,000円也。詳しくはこちら

C.O.U.さんのブログでも詳しく紹介されていますので、
興味を持たれた方は是非読んでみてください。

2013年3月28日

今日で20周年

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20年前の3月28日にこの神戸の六甲アイランドでお店兼工房を始めました。
最初8坪強の小さなショップでしたが、20年たった今では30坪ほどになりました。
鞄職人人生37年の半分以上をここで過ごした事になると思うと、
色々な想い出が蘇り感慨深いものがあります。

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10年目はヒイヒイ言いながら毎日を過ごしていて気に留める事なく過ぎて行った。
20年目は忘れなかったけれど、お客様への感謝の記念何かしようと話していたけれど、
何も特別な事を出来ないまま今日を迎えてしまったぁ〜。ごめんなさい。

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これからも二人でル・ボナーを続けて行きます。
二人でル・ボナーのカタチをこれからも生み出し続けながら、
お客様方と楽しく年月を重ねて行きたいと願っています。

今年「鞄談義」を親しい方達ちと一緒に作る事が出来て、
この20周年の年の素敵な記念になったと思います。
その中から私が書いた「ル・ボナー物語 前編」を。
後編を読んでみたいなぁ〜と思った方は、
「鞄談義」1,800円にて好評販売継続中〜。

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 ル・ボナー物語 前編
 
 この本を作るのは古山万年筆画伯が言い出しっぺだ。去年の「古山画伯と行くスペイン・スケッチ旅行」の折、「鞄好きが集まって自費出版で本を出そうよ」と言い出した。それに何人かの鞄好きが半強制的?に参加した。しかし古山万年筆画伯の裏付けのない?情熱には感心させられる。損得を考えたら近寄らない方が無難だ。でも楽しいから関わってしまう。そして原稿の締め切り日が来て原稿を送った。そしたらボンジョルノに頼んでいた原稿用紙五十枚分の「業界物語」がないよぉ〜んとメールが。「エ〜そんな枚数俺書くのぉ〜?」。急ぎ打ち合わせまでの数日の間にその長文を書き終えないと。で今書き始めております。今回の本の参加者は。私以外は皆鞄大好きおじさんたち。それも相当偏った皆様方だ。なので作り手代表としてユーザーが知らない鞄業界の実情を書きたいと思う所存です。と言ってもそんなに知っている訳ではない。でも手作り鞄職人したり、鞄ブランドの企画で勤めたり、量産の鞄縫製職人したり、自分のブランドを問屋のネットワーク使って売っていたし、独立系鞄職人(これは私がブログで使い始めた造語)もしているし、革製品輸入業もやろうしているマルチタイプの鞄職人人生を三十五年続けて来た。だいたい職人はその道一筋の口数少ない頑固タイプというのが世の相場。そうでないボンジョルノ松本が、自分の半生を振り返りながら、原稿用紙五十枚書いてみようじゃありませんか。

 1975年19歳の僕は悶々としていた。高校時代勉強らしきことはまったくしていなくて劣等感だけの若者だった。小学校の頃はそれなりに優等生で成績優秀だったけれど、それ以後はひたすら下降線を辿った。唯一高校時代に没頭出来たのは読書。授業中も読んでいて、普通の小説なら一日2冊ほどを読む。劣等感を払拭する生き方を僕なりに探していたのかもしれない。でも試験勉強はしなかったし出来なかった。なので一浪して予備校生だった時も、神戸の須磨海岸で一日中本を読んで過ごしていた。当然大学進学は無理な事で、悶々と自分の未来を憂いでいた。
 そんな時姉の買っていた「ノンノン」というファッション雑誌を見ていたら、手作りの人たちの特集記事に目が止まった。焼き物、家具、アクセサリー、鞄、革小物など。学歴など関係ないモノ作りの世界。それも当時手作りブームで、原宿の表参道界隈ではそんな作りが洗練されていないヒッピー(日本ではフーテン)くずれの人たちが作って売るアクセサリーの露店が何軒も出店しているという。これならいけると思い東京へ。それも軽薄軟弱な僕は、その雑誌で紹介されていた中で、素人でもすぐに作れそうでアットホームな感じがした赤坂にあった鞄作りのグループへ。
 
 その頃夢だけで生きて行けると思っていた。だから無給ならばいいけどと言われ。喜んで加わった。19歳の春だった。その頃その手作り鞄のグループは、赤坂の小さなビルの半地下の駐車場をしきった部分を工房にして鞄を作っていた。その工房も不法建築だっただろうし、トイレはそのビルのダストボックスの収集部分に水洗トイレを設置していた。いつも上からゴミが落ちて来ないかと心配しながら用を足していた。私が加わって4人。鞄作りは直ぐに覚えた。35年以上経った現在本拠地を青山に移し、今も変わらず同じレベルの鞄をそのグループでは作り続けている。これは凄い事だ。それも規模拡大しながら。
 そこには2年ほどいた。貧乏だったけれど楽しかった。途中から給料も少額出るようになった。しかし1978年結婚を期に独立する事になった。相棒は文化服装で本格的な鞄作りを学んだ四歳年上のハミ。僕の裏付けない夢を信じて一緒にスタートした。世の中バブル景気に浮かれ始めた頃。ユーミンの曲が街には流れていた。しかし私たちはそのバブルの恩恵を得る事なく過ごし、バブル景気は知らぬ間に終わった。
 お金もなければコネもない。問屋に大量に卸して売ってもらう生産力もない。今ならネットを使って売る方法があるけれどその時代にはない。ないものだらけで、あるのは体力だけ。それで鞄屋さんへ卸していた。その頃一日16時間仕事していた。しかし鞄の価格はお店で売っている他の大量生産の日本製の鞄並みの上代でないと置いてもらえなかった。その頃作っていてよく売れたのが手縫いのトランク。戦前のトランクより作くりが甘くていい加減な部分多くあるトランクだけれど、その頃世の中になかったからよく売れた。戦前はこれより小さなトランクが大卒の新入社員の初任給ほどしたという。だから採算が成り立つ鞄。それを僕の手元に入るのが3万円ほどで作っていたのだから売れるよね。でも働けど働けどわが生活楽にならずの主原因。そんな日々を27歳頃まで続けた。その頃そんな鞄作りしていた私たちだった。素人に毛が少し生えただけのそんな僕たちの作る鞄を、置いてくれたお店や買ってくださったお客さまたちに感謝しています。そんな日々が僕たちを育ててくれた。

 転機は1983年の27歳の時に訪れた。東京多摩の聖蹟桜ヶ丘のショッピングセンターにお店を出さないかという話しが舞い込んだ。ショッピングセンターの二階の三坪ほどの本当に小さなお店。でも保証金なしで自分たちのお店が持てる。願ってもない話しだった。今までだって四畳半の仕事場で二人作っていたのだから、共有部分の通路も利用すれば十分工房兼用のお店でいける。小さいけれどかけがいのないお店を持つ事が出来た。
 そしてこの時期多くその後も親しくしている仲間や先達と知り合う。僕たち二人は世間知らずで技術力が劣る鞄職人だった。しかし多くの人たちと知り合い教わり、それを反芻し少しずつ成長した。このお店を紹介してくださったインディアンジュエリー作家の村田ご夫婦は今も最も感謝するご夫妻。手縫いの藤井さんにもこの時期に村田さんに紹介され、知り合って衝撃を受けた。靴業界の御意見番の長嶋さんとも、この同じショッピングセンターにその時期企画されたアシックスの「ペダラ」ショップを出店していた縁で親しくなった。そんな先達たちに教わり助けてもらいながら僕たちの鞄も成長した。ジブリの「耳ををすませば」はまさにその地域が舞台。あのアニメを見るたびにあの頃の楽しく充実した日々を懐かしく思い出す。 

 しかしそれも3年ほど。どうも私は欲望が強いようだ。成城駅前にお店を出さないかという話しが飛び込んで来た。あの高級住宅地の成城です。田舎者で世間知らずな僕には、ステップアップのチャンスだと思った。丁度二人目の子供が生まれ産休中のハミに相談なしに勝手に店舗移転を決行した。そして半年で失敗。全て失って一から出直し。
 その後長嶋さんの紹介で、ワールド、三陽商会、リーバイス、オンワード樫山など名だたるアパレルメーカーの仕事をしたけれど、その当時自分たちで作る手段しか知らなかった私たちは、その業界の生産量とスピードにあたふたするばかりだった。今なら一財産が作れていただろうけれど。
 三菱商事のフットウエア事業部のアドバイザーみたいな事もしたりして、日本に入ってくる前のアメリカブランド「コーチ」にも少し関わった。まるで世間知らずで来た私には別世界。でもこの時業界の生産システムや鞄のビジネスの流れを初めて知った。でも経済的な部分ではこの頃どん底だった。

 そんな仕事つながりで老舗鞄問屋からオリジナル高級鞄ブランドを出さないかという話しが舞い込んだ。展示会ごとに新作を出してというもので、日本に高級鞄を根付かせるという趣旨に乗った。ブランド名「アウム バイ ヨシキマツモト」。
 そしてその時初めて高級輸入革問屋の「サライ商事」を紹介してもらった。革好きな私ではあったが、それまで使った事のない素晴らしいヨーロッパの革たちと、その時初めて出会った。牛革の場合半分に裂いた半裁というアメリカ原皮を使った日本の革しか知らなかったそれまでの私には、伸びる縁と呼ばれる部分を原皮段階で取り払い使える部分だけなめしたこのヨーロッパ皮革文化の奥深さに感動を覚えた。その後もその時使っただけで、お店を持つまでは良いのは分かっているけれど高価で使えなかったけれど、今は大半がサライ商事経由のヨーロッパ皮革を使っている。使えるようになったのが人一倍嬉しくて、いつも在庫過多状態のル・ボナー。
 しかし自分たちで作るという事は相も変わらず同じだったので、忙しいばかりで実利は同じで少ない。その時強く思った。お店が欲しい。上代がそのまま収入になったあの聖蹟桜ヶ丘時代が一番良かった。今ならあの頃より相当技術も進歩したから、もっと良いはず。でもお店を出す為の資金が捻出出来なくて、現状の中で右往左往。
 その頃作っていた鞄が枠を使ったカタチ。ボストンバッグにダレス。それに棒屋根や大割れなどクラシックな風情の品々。手間が正比例でかかってしまう品々。

 そんな日々が続く中で生活は厳しさ増すばかり。それで窮して就職する事にした。就職する会社は大手商社がバックアップして生まれた会社。世界で通用する鞄を軸にトータルに商品を展開する、今までになかった日本のブランド。デザイナーに国際的なモデルを経て、その後ヨーガレールのサブのデザイナーをしていた林ヒロ子さんを擁して始まった。そこの企画担当としてデザイン画から、パターンを起こしサンプル作ってメーカーさんと打ち合わせする仕事。日本の鞄ブランドの大部分はデザインだけで、後はメーカーさんに丸投げする。その場合微妙な案配をコントロールする事が出来ずに特別は生まれにくい。そんな手間をあえてかけて生まれた鞄たちは特別な輝きを持った高級既成鞄だった。
 その時パターンの奥深さと面白さを教えてもらった。一緒に企画を担当していた金田さんはパタンナーとして天才的だった。元々洋服のパタンナーだった氏は、生地と違って厚みも計算に含み込まないといけない革製品のパターンは面白いという。三角関数を駆使して生まれたグッドデザイン賞をもらったラグビーボール形状のバッグたちのふくよかさは、氏の能力なしには生まれなかった。ル・ボナーの内縫いのバッグのふくよかな表情を生み出すパターンと縫製方法はあの時の影響大。その金田さんが作ったイタリア製のシホンベルベット素材で作ったベレー帽の形状はその才能を遺憾なく発揮している。突起が連続したこの形状が竜が天に向かうような一パターンで二つのパーツを裁断し縫い合わせてこのカタチが生まれる。端切れがいっぱい出そうな形状なのに出ないで作れる。これには感服した。
 そんな風に今思い返しても、あの時が一番面白かった。お金の心配せずに鞄作りに没頭出来た。その上予算規模が十分あって全て豊かで楽しいクリエーティブな日々だった。多くの事を吸収出来た。初めてメーカーさんに量産をお願いする道筋も、その時初めて実際に経験した。3年後に黒字変換出来ればこの魅力的な職場にずっといられるはずだった。しかしバブル景気は終焉を迎えつつあり、バックアップしていた大手商社が倒産し、日本から世界へ飛び立てたかもしれないそのブランドも終わりの日を迎えた。そして私も元の個人の職人に戻った。

 そんな事態になっても、免疫力が人一倍蓄えられた過去を持つ私はへこたれない。いくつかのメーカーさんとのつながりが生まれ、その一社の仕事を請け負う事にした。その頃凄く売れていたレノマのセカンドバッグの縫製。裁断された部材が持ち込まれ、縫製のみに全力投球。数は200個で一個3000円也。手慣れた職人さんだと一ヶ月でこなす仕事だそうだ。という事は月60万。これは良いと飛びついたけれど、それはあくまで手慣れた職人さんの話しで、量産初心者の私は、一日16時間労働で2ヶ月とその後それの検品後手直しで、計3ヶ月ほどを費やした。その後も縫製量産仕事を何度か繰り返したが、私には厳しいと感じた。そんな経験もしたので、今量産を頼んでいる職人さんには敬意を心底感じながらお願いしている。
 
 その後また他の問屋さんを通してオリジナル鞄の卸しを再開。バーニーズ・ニューヨークではよく売れたなぁ〜。少し普通の生活が出来始めた頃大きな決断が待ち受けていた。その頃二人でよく将来について話していた。お店を持つという事を諦めて卸しだけでこの仕事を続けて行くのなら、大好きな信州の古民家を借りて、そこで仕事しながら田舎生活したいねと。でもその夢は叶う事はなかった。
 兵庫県の実家に戻った時見た新聞に「神戸海手・六甲アイランドでテナント募集」の記事。それも私の大好きな安藤忠雄建築事務所設計のショッピングビルへのテナント募集ではありませんか。これは応募する価値は十分ある。東京を離れ地方都市・神戸の人工島で待望のお店を持つ事には不安があったが、売れなければ卸も続ければなんとかなると決断した。その後の開業資金集めは大変だったけれど、これで七年のブランクを経て待望の工房兼お店に辿りついた。七年前に比べて技術的な蓄えも多くの先達から吸収しているし、もう失敗は繰り返さないと誓いながらお店を神戸の離れ小島に得た。

2013年3月26日

「フラボナ・ポーチ」にグリージオとロッソも

唯一ル・ボナーでオンラインにて購入出来るフラソリティーbyル・ボナーシリーズ。
その中でも安定した人気を誇るフラボナのポーチだけですが、
定番色の3色に加え「グリージオ」と「ロッソ」でも作ってみました。

ただ現在フラボナのオンラインショップは、
「鞄談義」専用オンラインショップとして使用している為休止中。
なので通販ご希望の方はメール(info@kabanya.net)にて。
ご迷惑をおかけしています。

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前後を止めた立体の形で使っても、
大人気のポーチピッコロの倍ほどの収納力。

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前後をはずして平にして使うとiPadも収まるサイズ。
エージングが楽しいミネルバボックスの中で一番人気のグリージオでも、
このフラボナ・ポーチ作ってみました。

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それとロッソ(赤)でも。

イタリア人は色抜けは嫌いますが色落ちを気にしません。
それより革の生命力とエージングを選びます。
ミネルバという革は特にその最たる革で、
黒とか赤の濃い色はそれが顕著です。
白い洋服だと確実に使い始め色が付きます。
でも使い続けて自分色にエージングした頃には、
そのデメリットも落ち着き始めます。

近年イタリア革の多くも色止め加工をし、
色落ちしなくて傷付きにくい革を作る方向になっています。
でもその事で革でなくても良いような革になっているような気がします。

フラボナシリーズはイタリアベジタブルタンニン革協会認定の、
100%ピュアタンニンのバタラッシー社のミネルバボックスで作っています。
フラボナ・ポーチは29,400円で好評販売中。

2013年3月25日

「朝日ファミリー」に載りましたぁ〜

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阪神間限定15万部ですが、
朝日新聞と一緒に届けられる「朝日ファミリー」の表紙で、
ル・ボナーが紹介されました。
22日だったので過去形ですが。
それが理由なのでしょう、
いつも静かなル・ボナーですが、
23〜24日の週末は珍しくいっぱいの初めてのお客様に来店頂いた。
やはりメディアの影響力は大きいなと改めて思った次第です。
しかし売り上げとは正比例しないものです。
そのところを真剣に考えなければいけないなと思うボンジョルノでありました。

2013年3月22日

二人で初春の六甲アイランド散歩

昨日の定休日は久々二人で六甲アイランドの遊歩道一周の散歩をした。
ハミは足の計測をしてぴったし合わせるというシステムのジョギングシューズの試運転。
私はX100で初春の気配を撮りながら。
まずは神戸六甲アイランドの桜の今の気配は〜。

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下の写真の桜には2羽いますよ〜

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歩く事に専念するハミ。
それに比べて撮りながらなので、
立ち止まっては駆け足で追いつくの繰り返しは、
陸上部のインターバルトレーニング思い出す感じでハード。

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桜以外の草花も春を呼んでます。

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ハミの履いているジョギングシューズは、
足を計測して左右異なった中仕切りを入れてフィットさせた靴。
大手スポーツ器具メーカーもそんな方法で販売している。
魅力的な販売方法だと感心する。

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イタリアではこのミモザから抽出したタンニンで革をなめす。
ル・ボナーのミネルバやブッテーロも。

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よもぎを接写で撮ろうとして膝を着いたら
濡れていて泥がべっとり。

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海と空、振り返ると六甲山が。
この街が気に入っている。

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2013年3月18日

EF40mmF2.8パンケーキレンズ

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FUJIFILMのX100は面白い。これで持ち歩き用は十分だと思う。重過ぎず軽すぎず良い感じ。ただX100のデーターも映し出される光学ファインダーは大変素晴らしいけれど、一眼レフのファインダー内で焦点が合う一瞬の快感は得る事は当然出来ない。でもあの快感の為に受け入れなければいけない重さと大きさは50半ばのボンジョルノには負担が大きい。軽くてかさばらないレンズがあれば一眼レフのデジカメも時々は持ち歩けるなと思っていた。そんな私の要望に応えるかのようにキヤノンはEF40mmF2.8というパンケーキレンズを出した。値段も手頃だし価格ドットコムのレビューの評価も良い。入手したいと思い続けた。しかしもうレンズはそんなにいらないでしょうという良心のような存在がささやきかける。

そんなある日、電子レンジを買い換えなければならなくなりハミと二人で家電量販店へ。ハミがどのタイプにするか迷っている間、私はレンジではなくてレンズが並んでいるコーナーへ。そこに気になっていたEF40mmF2.8があるではないですか。それも価格交渉してみると価格ドットコムの最安値より1,000円弱高いだけ。買い物の支払い担当は私だから、カード一括でハミが決めた電子レンジとレンズを。子供の頃母親と一緒に買い物に行った時に、黙ってお菓子を籠の中に入れた時のドキドキした記憶が蘇ったぁ〜。

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そして撮ってみると思った以上に良い感じ。マクロ側も風景も十分満足出来るレベル。その上一番のお気に入りのEF50mmF1.4の3分の1の重さでコンパクト。これならカバンに収めても邪魔にはならない。レンズは明るいだけが能じゃないなんて今頃言っているボンジョルノでありました。

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ただビジュアル重視のボンジョルノには、レンズなし状態の一眼レフデジカメのキャップをしたような、寸足らずな面構えが気になった。最大の利点であるコンパクトさは少し犠牲になるけれど、急ぎフードとフィルターをアマゾンで買った。そしてその品が届いた。

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花形フードもあったけれど、それだと出っ張り過ぎる。私がチョイスしたのはライカ風の金属フード。結構いけてるのではないでしょうか。これなら首から提げてもそんなには苦にならないし格好もなんとか。長時間提げてみないと実際のところは分からないけれど、今年のヨーロッパはX100決定と思っていたけれど、このチョイスも有りかなぁ〜。

2013年3月17日

素敵にエージング

先日紹介したブッテーロ革小物お手入れ名人ではなくて、
もう一人の極めつけのブッテーロお手入れ名人が来店。
早速持っておられたル・ボナー製品を撮りました。
夜の室内のハロゲンライトの下だと実際に見る凄さは伝えられませんが、
それでも頑張って撮ってみました。

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デブペンケース。
前がそのエージングした品で後ろが新品。
新品より間違いなく綺麗です。
こんな風に使われていると幸せ者です。

デブペンはブッテーロのお手入れ入門用に最適な形の革小物。
そんな事も理解して頂けているからなのか、
デブペンはブッテーロタイプが圧倒的に売れる。
一週間ちょっと前にブッテーロタイプでいっぱい出来上がったけれどもう完売寸前。
次回完成予定は6月頃か。

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このグリーンのブッテーロ天ファスナーブリーフは前にも一度紹介した事があるけれど、
お手入れを継続した年月を重ね、益々味わいが出て来て風格が増している。
カバンは盤面が広いので磨き上げてエージングさせるのは大変。
多くの場合自然に任せた傷も味わいという方向で良しとするけれどこの方の場合は違う。

ブッテーロは使い手の思いに応えてくれる革です。
それだけに真剣に向き合わないと答えが見えない革でもあります。
これほどタンニンなめしの革の魅力と弱点を伝えてくれる革は他に知らない。

2013年3月14日

本の付録のマルチツール

古山画伯のアトリエが「GoodsPress」という雑誌で紹介されると知った。
旧煙突工房が紹介されるとすればセンセーショナルな出来事だっただろうけれど、
新煙突工房なので本当はそれほど興味はなかった。でも購入した。
だってこの雑誌の今回の付録の品が欲しかったから。

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届いてびっくりした。付録としてはあまりにちゃんとしてる。
スイス製のマルチツールナイフをいつも携帯していたボンジョルノですが、
海外に出国する時空港で没収されてから所有していなかった。
これだったらナイフが付いていないマルチツールなので没収されないで済むはず。
いやちょっと不安はあるかな。英語で弁解出来そうにないから。
どちらにしても大満足。

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こんな雑誌本体より立派な付録付き雑誌が登場した最初って何からなのか。
この「ミニ檸檬」の万年筆が付録で登場した時は衝撃的だった。
発売時万年筆に興味がなかったから購入してなかったけれど、
先日遅蒔きながら手に入れる事が出来た。
「赤と黒」も一緒に入手なったけれど、そちらはハミが実用で使うそうな。

子供の頃付録付きの月刊漫画雑誌は楽しかった。
グリコのおまけはキャラメルがそんなに美味しくなくても買う理由になった。
マーブルチョコレートだってそうだった。男の子はおまけが大好きなのであります。

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おまけではないけれど、
自転車関連のフリーペーパーの取材のお礼にと、
「自転車手帳」というダイアリー手帳を頂いちゃった。
これはレアな手帳です。自転車好きにはたまりません。

これらの小さなモノたちが幸せな気持ちにさしてくれる。
当然高い買い物はそれ相応の満足感を今まで与えてくれた。
でも今回の33万円のお買い物はどうも納得出来なかった。
その品は給湯器。

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2013年3月13日

東横線渋谷駅のあのホームが無くなる

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3月15日で東横線渋谷駅のあのホームがなくなると聞いて、
慌てて東京に単身赴任している「ル・ボナーの一日」特派員?のF氏に頼んで、
今の東横線渋谷駅を撮りに行ってもらった。

ハミと私には特別思い出深いプラットホーム。
結婚前のデートの待ち合わせ場所は此処が多かった。
結婚前は中目黒だったし、結婚後最初に住んだアパートの最寄り駅は学芸大前だった。
どちらも風呂無しアパートだったけれど、最寄り駅はお洒落な東横線沿線。
あの頃の東横線の各停の車両は緑色だったと記憶している。

渋谷駅前近辺が大変貌しているらしい。
神戸に終の住処をみつけてから出張では時々訪れていたけれど、
気に留める事無く渋谷を通り過ぎていた。
でもあの東横線渋谷駅のプラットホームがなくなると聞くと、
多くの想い出が蘇って来て、懐かしさと寂しさを覚えた。

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私の想い出の中の東横線渋谷駅はミラノの中央駅だったけれど、
実際はそんなに恰好良くはなかっただろうし、
現在のプラットホームの現実は違っていた。
私達の想い出の中にある東横線渋谷駅を心に描きながら35年前の日々を懐かしむ。
私達が七転八倒しながら生きた時代の東京の想い出の場所がどんどん消えて行く。
全て失われない内に、ハミと二人で東京へ訪れたいと思った。
いやもう二人の想い出の中にしまっていた方が良いのかもしれない。

2013年3月12日

梅の花は春の序章

暖かい日があったかと思うと急に寒さが戻る三寒四温な日々。
でも風さえ強くなければ気持良い日々。

昨日の午後営業中のお店を一時間ほど閉めて、
街の外周5キロの遊歩道沿いにある梅の花たちを見に行った。

優しい花たちが二人を迎えてくれた。
隣りに続く桜並木がこの後満開の季節を迎える。

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2013年3月11日

ブッテーロ革小物お手入れ名人

イタリア・ワルピエのイタリアタンニンなめし協会認定のピュアタンニン革のブッテーロという革は面白い。使う人によって変化の度合いが大変ある革で、扱いが雑だとそれなりに厳しい状態を露呈し、お手入れを楽しむ方が使うとこんな魅力的なエージングをする革はなかなかない。

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ル・ボナーの顧客の方で何人かのブッテーロお手入れ名人がおられる。その中でもトップクラスの名人が来店された。左がその方がお手入れした3本挿しペンケースで右が新品。化粧ブラシで磨き上げるお手入れ方法。化粧ブラシは柔らかい毛なので艶を出すのが大変だ。でも柔らかいから刺激されて革の中に含まれた脂が気孔から表面に出て来ても、その脂が広がらないでツブツブの連続となりキラキラ光る独得のエージング。

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その日新たに見せてもらったお手入れ自慢の品はブッテーロ革使った名刺入れ。右の品がそのお手入れした名刺入れ。左が新品時のブッテーロの黒。革を毎日見ている私でも一瞬ブッテーロだと理解出来なくて「これクリスペルカーフ?」と聞いてしまうほど。お手入れ楽しむならブッテーロは抜群に面白い。ただこの方のお手入れは尋常ではなく、革盤面の大きな鞄となると大変過ぎる。化粧ブラシでのお手入れが可能なのは革小物限定。

「お手入れするとこんなに素晴らしくなりますよ」という見本としてル・ボナーに展示したいから、新品2個と交換してくださぁ〜いと頼んだけれどきっぱり断られてしまった。お手入れしながら使い続けたことで無二の作品へと昇華した革小物たちだと思うのだった。

2013年3月 8日

由緒正しきボウラーハットを被ったボンジョルノ

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「帽子も売っているんですか?」と、入って来られるお客様が月に数人はおられる。
ハゲ頭には帽子が必需品と、いつの間にか増えた帽子が工房にはいっぱい掛かっている。
その数あるボンジョルノ帽子コレクションの中で一等賞はこの英国製ボウラー。

和歌山の山林王が、戦前三越を介してロンドンのボンドストリートにあった帽子屋さんに特注した由緒正しきボウラーハット。作ったはいいけれど存在感有り過ぎて、被る事無くデッドストック状態で蔵の中で70年以上眠っていた品。誰も興味のある人がいないからと、特注した山林王の孫にあたる顧客のキャリアなN氏から私へ譲渡。

そのキャリアなN氏が先日来店されて、「あのボウラー被ったボンジョルノをブログで公開してよ」と。まるで見せ物じゃありませんか。進呈頂いた方の要望なので、断れる立場にはありません。それでハミに撮るのを頼んだら「そんなの恥ずかしいからイヤ」と断られ、そして自前で三脚&セルフタイマーで撮ろうと試みたけれどこれが難しい。それで今度は土下座?してハミに頼んで撮ってもらった。その写真が下の2枚。

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ここのところ、岡山のワーカーズのジーンズはいてカジュアルテイストで身を固める日々を過ごす事の多かったボンジョルノでしたが、今日はこのボウラーハットを被っても違和感のない身なりを意識しながらも、ボンジョルノ風に少し崩し気味で。この格好でライカで撮っていたらカルティエ・ブレッソン? いやいやボンジョルノはカルティエ・テブレッソンだったぁ〜。このところ週末の六甲アイランドにはコスプレした若者が多く集まり写真撮影している。彼女たちの趣向が少し理解出来たような気がした。

2013年3月 7日

「デブ・ペン」桜咲く前に何とか出来ました

人気継続中のデブ・ペンケースは、この時期一番よく売れます。
4月を過ぎると落ち着くので、1月に店頭に並んでいるのがベスト。
でも思うようには出来上がらなくて、
去年は4月過ぎてから店頭に並ぶという失態を演じた。
今年も危なかったけれど、何とかギリギリ3月中に並べられました。

今日は木曜日でル・ボナーはお休みだけれど、Pen and message.さん、分度器ドットコムさん、名古屋のペンランドカフェさんでは販売開始です。今回はブッテーロのみの制作です。

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左2つは黒。黒は赤ステッチと青ステッチで作りました。
右はネイビー。黒と見分けがつかないほど濃いネイビーです。
でも予約分を取り置いて卸し先に送ったらネイビーは在庫0。

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オレンジとレッド。

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茶とグリーンとチョコ。

もう次回生産計画を始めています。次回完成予定は3ヶ月後ぐらいか。
今回作らなかったブッテーロのワインとミネルバボックスのグリージオ、コニャック、タバコも次回は作ります。それと今回作ったブッテーロの各色も。
これからも作り続けるル・ボナーの30年選手のペンケースです。

2013年3月 6日

久々「免許証ケース」作りました

免許証がカードサイズになり、
財布のカード挿し部分にも収まるから、
あえてお店に並んでいなくてもいいかと思って、
このところ欠品状態が続いていた免許証入れを久々作りました。

このタイプの免許証入れは30年以上前に作り始めました。
免許証を入れる以外には使い道のない、
顔写真と期限部分だけをくり抜いたタイプ。
面白いからとお土産用に何枚かまとめて買ってくださるお客様が多い品。

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シュランケンカーフでは20色作りました。

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ブッテーロ、チェルケス、マローカーフ、クリスペルカーフでも作りました。

どの革のタイプでも税込み1,260円也。
メールでのご注文は基本受けていない製品なので、
来店時に選んで買ってください。

あっ何て事だぁ〜。
来店時に革を選択されご注文されたお客様の分を作るのを忘れてました。
まとめて作る時に分からなくならないよに、
よけて置いていたのを忘れてしまっていました。
少し待っていてください。ハミがその分は現在製作中。

2013年3月 5日

「自転車趣味」で取材を受けちゃった

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今日は朝からそわそわしているボンジョルノ。
本職の鞄関連の取材なら何度も経験して慣れているけれど、今日は初めての趣味部分。
全国に配布する自転車関連のフリーペーパーの取材です。

私の少し屈折した懐古的自転車趣味を熱く語ってしまいました。
本業ではない事は無責任に語れるから楽しかったなぁ〜。
お店隣りの倉庫に置いてある7台の自転車を見た取材の方が、
「まるで自転車屋さんみたいですね」と嬉しくなるご意見。
出来ればそこに昭和のという言葉が加われば、
ボンジョルノ感謝感激有頂天。

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70年代のロッドブレーキタイプの愛車に二人乗りしているところを、
取材の方にお願いして撮ってもらいました。
少し悪のりが過ぎたかもしません。

このところ乗っていないなぁ〜。
何人かの顧客の方から「少し太ったのでは?」と言われました。
イヤ少しではありません。相当太りました。
また六甲アイランド周回コースを疾走?する日課を復活させないといけません。

60年代デュポン改オイルライター復活

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60年代のデュポンのガスライターをオイルライターに改造した品を、
その工夫が面白くて気に入って愛用していた。
しかし私の扱いが悪いからなのか火が灯る芯が途中で切れて使えなくなった。
不器用な私は自分で直そうと試みると壊す可能性がある。
そこれでライターコレクターのプンチャンさんに修理をお願いしていた。
そして私の元にバージョンアップして戻って来ました。
ジッポー用の金属芯の入ったタイプになって戻ってきたのです。
これで扱いの荒い私でも安心して使えるはず。

それにしてもディポンのライターは良く出来ているなと思う。
デュポンのライターの魅力の一つである盖を開けた時のキーンという金属音は,
50年以上使われ続けた現在でも失われていない。
携帯するには少し重過ぎるライターだけれど、
その欠点をも持つ喜びに変え豊かさを実感させてくれる。

2013年3月 1日

10年以上作り続けているんだなぁ〜「フェルディー」

定番として作り続けているバッグは色々あるけれど、
「フェルディー」も作り続けて10年以上の年月が経った。
今回は春夏を意識した色合いで作ってみました。

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シュランケンカーフのイメージはこの3色。
ジーンブルー、オレンジ、ゴールド。
初めてシュランケンカーフと出会ったのは、もう10年以上前になります。
その当時はまだシュランケンの色もそんなに多色なくて、
この3色はその中でシュランケンカーフの発色の良さを強く伝えてくれました。

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そして現在一番人気を二分するトープとバイオレットでも作りました。
レディースは勿論、メンズでもこの二色は人気があります。
落ち着きのある特別な色合いのシュランケンカーフです。

レディースで「フェルディー」は「ミセス」とバッティングします。
用途的に似通っていて、お客様もよく悩まれる。
容量はミセスに軍配があがります。
フェルディーはファスナーがトップに付く安心感と、
たすき掛けと肩掛け両方可能が優位。

67,200円にて好評発売継続中。

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