独立系鞄職人の独り言の最近のブログ記事

2016年7月29日

還暦記念に「棒屋根ボストン」制作

私も今年8月23日に還暦を迎える。此処の所、自ら作るのは量産品のサンプルぐらいだった。老いは職人としての体力や気力を低下させるし、何より老眼が邪魔する。全盛期のようには集中力を持って鞄を作れなくなってきたなと自覚する今日この頃だった。でも60歳を迎える前に鞄職人ボンジョルノ松本まだ健在という鞄を作りたいと思った。そしてこの大きくて重い棒屋根ボストンを作る事にした。

この鞄は今までブッテーロ革を使い内側に固めの芯材を張り込んでハードな作りだった。棒屋根も三角形に屋根形状させていた。それはそれで迫力満点だったけれど、今回はシュランケンカーフの元厚のしなやかさを出してみたくて、芯材は最低限にして柔らかな質感の棒屋根ボストンに仕上げた。それでも迫力十分。外装のステッチはベルトのステッチ以外は手縫い。手縫いが得意ではないボンジョルノですがこの鞄はしかたない。最大厚15mm(ゲタループ部分)の手縫いは菱切りで開けた穴に針を通す時の締まりがキツくてペンチ片手に一目一目ヒイヒイ言いいながら。

他の仕事もしながらの合間仕事だし手が遅くなっているから、還暦の誕生日までには作れないだろうと予想していたが、作り始めると楽しくて早く完成させる事ができた。精緻とは言えないけれど職人ボンジョルノらしさが出せた鞄に仕上げられたのではないでしょうか。

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作っていて楽しかった。まだまだやれば出来るという自信にもなった。私はプロなのでこういう一点モノも販売はします。でも売れなくてお店にいつまでも鎮座していてくれても嬉しいな、税込み864,000円也。買わなくて見に来てください。これからもこの手の実用には向かない迫力ある鞄を、鞄職人確認作業として毎年作れたらと思っています。来年は大割れボストンにしようかなそれともトランク。

2016年3月28日

エレファント革のトランク完成

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数年前にお受けしたエレファント革のトランクがようやっと出来上がりました。A4ファイルがギリギリ入る、小さいけれどぽっちゃり可愛いサイズバランスのトランクに仕上がりました。いつでも良いですよのお言葉に甘えて今日まで完成が伸びてしまいました。フルオーダーでのカバン製作はこれが最後と考えています。これからは量産のサンプル製作に専念したいと思ってます。

(トランク豆知識)

トランクは厚紙で芯を作りそれに革を貼り込んで口元に金属枠を革で巻き込んで強度を出す作りです。蓋と本体の高さが違ってきます。柔軟性を持ったハードケースです。木箱を作ってそれに革を貼り込んで組み上げるのがアタッシェ。アタッシェは蓋と本体が同じ高さになります。木箱の強度で支えるつくりです。

トランクの発祥は英国です。アタッシェはヨーロッパ大陸のどこかの国で作られたようです。日本は戦前英国のカバン作りに大きく影響を受けていました(戦後はイタリアの影響を強く受けたカバンやハンドバッグを作るようになりました)。そして日本の戦前のトランクは元祖英国製より丈夫なトランクを作っていました。現在残っている戦前のトランクは圧倒的に日本製です。強度を高める為、厚紙に革を貼り込む前に何枚もの薄紙をヤマト糊で何重にも貼った上に革を貼るという手間を惜しまない日本の職人の仕事が影響しています。

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上の画像で分かるように日本製は縦横比が1対2。これは畳の縦横比から来ています。英国のトランクやアタッシェはこのサイズバランスは存在しません。ちなみに画像のクロコのトランクは某神戸の資産家の蔵に眠っていた品を適正な代価をお支払いして譲って頂いた品。このサイズのクロコのトランクはは当時でも相当高価だったと想像出来ます。当時この半畳サイズの牛革のトランクで大学卒の初任給の価格だったからその5~10倍ほどか。

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フルオーダーの最後がオール手縫いのトランクだったのは何かの巡り合わせか。40年ほど前に独立してカバン作りを生業とした時、よくトランクは作った。下北近くの井の頭通り沿いの古道具屋で購入した戦前の日本製トランクを分解して作りを研究したのが最初だった。その後も節目節目でトランクは何度も作った。アタッシェは出来てもトランクは絶対量産は出来ない特別な鞄。

2015年11月24日

ル・ボナー物語 前編

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「鞄談義Ⅱ」完成を記念して前回の鞄談義ファーストの私の書いた部分の一部を画像を加えてアップ。

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ル・ボナー物語 前編

 

 この本を作るのは古山万年筆画伯が言い出しっぺだ。去年の「古山画伯と行くスペイン・スケッチ旅行」の折、「鞄好きが集まって自費出版で本を出そうよ」と言い出した。それに何人かの鞄好きが半強制的?に参加した。しかし古山万年筆画伯の裏付けのない?情熱には感心させられる。損得を考えたら近寄らない方が無難だ。でも楽しいから関わってしまう。そして原稿の締め切り日が来て原稿を送った。そしたらボンジョルノに頼んでいた原稿用紙五十枚分の「業界物語」がないよぉ〜んとメールが。「エ〜そんな枚数俺書くのぉ〜?」。急ぎ打ち合わせまでの数日の間にその長文を書き終えないと。で今書き始めております。今回の本の参加者は。私以外は皆鞄大好きおじさんたち。それも相当偏った皆様方だ。なので作り手代表としてユーザーが知らない鞄業界の実情を書きたいと思う所存です。と言ってもそんなに知っている訳ではない。でも手作り鞄職人したり、鞄ブランドの企画で勤めたり、量産の鞄縫製職人したり、自分のブランドを問屋のネットワーク使って売っていたし、独立系鞄職人(これは私がブログで使い始めた造語)もしているし、革製品輸入業もやろうしているマルチタイプの鞄職人人生を三十五年続けて来た。だいたい職人はその道一筋の口数少ない頑固タイプというのが世の相場。そうでないボンジョルノ松本が、自分の半生を振り返りながら、原稿用紙五十枚書いてみようじゃありませんか。

 

 1975年19歳の僕は悶々としていた。高校時代勉強らしきことはまったくしていなくて劣等感だけの若者だった。小学校の頃はそれなりに優等生で成績優秀だったけれど、それ以後はひたすら下降線を辿った。唯一高校時代に没頭出来たのは読書。授業中も読んでいて、普通の小説なら一日2冊ほどを読む。劣等感を払拭する生き方を僕なりに探していたのかもしれない。でも試験勉強はしなかったし出来なかった。なので一浪して予備校生だった時も、神戸の須磨海岸で一日中本を読んで過ごしていた。当然大学進学は無理な事で、悶々と自分の未来を憂いでいた。

 そんな時姉の買っていた「ノンノン」というファッション雑誌を見ていたら、手作りの人たちの特集記事に目が止まった。焼き物、家具、アクセサリー、鞄、革小物など。学歴など関係ないモノ作りの世界。それも当時手作りブームで、原宿の表参道界隈ではそんな作りが洗練されていないヒッピー(日本ではフーテン)くずれの人たちが作って売るアクセサリーの露店が何軒も出店しているという。これならいけると思い東京へ。それも軽薄軟弱な僕は、その雑誌で紹介されていた中で、素人でもすぐに作れそうでアットホームな感じがした赤坂にあった鞄作りのグループへ。

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 その頃夢だけで生きて行けると思っていた。だから無給ならばいいけどと言われ。喜んで加わった。19歳の春だった。その頃その手作り鞄のグループは、赤坂の小さなビルの半地下の駐車場をしきった部分を工房にして鞄を作っていた。その工房も不法建築だっただろうし、トイレはそのビルのダストボックスの収集部分に水洗トイレを設置していた。いつも上からゴミが落ちて来ないかと心配しながら用を足していた。私が加わって4人。鞄作りは直ぐに覚えた。35年以上経った現在本拠地を青山に移し、今も変わらず同じレベルの鞄をそのグループでは作り続けている。これは凄い事だ。それも規模拡大しながら。

 そこには2年ほどいた。貧乏だったけれど楽しかった。途中から給料も少額出るようになった。しかし1977年結婚を期に独立する事になった。相棒は文化服装で本格的な鞄作りを学んだ四歳年上のハミ。僕の裏付けない夢を信じて一緒にスタートした。世の中バブル景気に浮かれ始めた頃。ユーミンの曲が街には流れていた。しかし私たちはそのバブルの恩恵を得る事なく過ごし、バブル景気は知らぬ間に終わった。

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 お金もなければコネもない。問屋に大量に卸して売ってもらう生産力もない。今ならネットを使って売る方法があるけれどその時代にはない。ないものだらけで、あるのは体力だけ。それで鞄屋さんへ卸していた。その頃一日16時間仕事していた。しかし鞄の価格はお店で売っている他の大量生産の日本製の鞄並みの上代でないと置いてもらえなかった。その頃作っていてよく売れたのが手縫いのトランク。戦前のトランクより作くりが甘くていい加減な部分多くあるトランクだけれど、その頃世の中になかったからよく売れた。戦前はこれより小さなトランクが大卒の新入社員の初任給ほどしたという。だから採算が成り立つ鞄。それを僕の手元に入るのが3万円ほどで作っていたのだから売れるよね。でも働けど働けどわが生活楽にならずの主原因。そんな日々を27歳頃まで続けた。その頃そんな鞄作りしていた私たちだった。素人に毛が少し生えただけのそんな僕たちの作る鞄を、置いてくれたお店や買ってくださったお客さまたちに感謝しています。そんな日々が僕たちを育ててくれた。

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  転機は1983年の27歳の時に訪れた。東京多摩の聖蹟桜ヶ丘のショッピングセンターにお店を出さないかという話しが舞い込んだ。ショッピングセンターの二階の三坪ほどの本当に小さなお店。でも保証金なしで自分たちのお店が持てる。願ってもない話しだった。今までだって四畳半の仕事場で二人作っていたのだから、共有部分の通路も利用すれば十分工房兼用のお店でいける。小さいけれどかけがいのないお店を持つ事が出来た。

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 そしてこの時期多くその後も親しくしている仲間や先達と知り合う。僕たち二人は世間知らずで技術力が劣る鞄職人だった。しかし多くの人たちと知り合い教わり、それを反芻し少しずつ成長した。このお店を紹介してくださったインディアンジュエリー作家の村田ご夫婦は今も最も感謝するご夫妻。手縫いの藤井さんにもこの時期に村田さんに紹介され、知り合って衝撃を受けた。靴業界の御意見番の長嶋さんとも、この同じショッピングセンターにその時期企画されたアシックスの「ペダラ」ショップを出店していた縁で親しくなった。そんな先達たちに教わり助けてもらいながら僕たちの鞄も成長した。ジブリの「耳ををすませば」はまさにその地域が舞台。あのアニメを見るたびにあの頃の楽しく充実した日々を懐かしく思い出す。 

  しかしそれも3年ほど。どうも私は欲望が強いようだ。成城駅前にお店を出さないかという話しが飛び込んで来た。あの高級住宅地の成城です。田舎者で世間知らずな僕には、ステップアップのチャンスだと思った。丁度二人目の子供が生まれ産休中のハミに相談なしに勝手に店舗移転を決行した。そして半年で失敗。全て失って一から出直し。

 その後長嶋さんの紹介で、ワールド、三陽商会、リーバイス、オンワード樫山など名だたるアパレルメーカーの仕事をしたけれど、その当時自分たちで作る手段しか知らなかった私たちは、その業界の生産量とスピードにあたふたするばかりだった。今なら一財産が作れていただろうけれど。

 三菱商事のフットウエア事業部のアドバイザーみたいな事もしたりして、日本に入ってくる前のアメリカブランド「コーチ」にも少し関わった。まるで世間知らずで来た私には別世界。でもこの時業界の生産システムや鞄のビジネスの流れを初めて知った。でも経済的な部分ではこの頃どん底だった。

  そんな仕事つながりで老舗鞄問屋からオリジナル高級鞄ブランドを出さないかという話しが舞い込んだ。展示会ごとに新作を出してというもので、日本に高級鞄を根付かせるという趣旨に乗った。ブランド名「アウム バイ ヨシキマツモト」。

 そしてその時初めて高級輸入革問屋の「サライ商事」を紹介してもらった。革好きな私ではあったが、それまで使った事のない素晴らしいヨーロッパの革たちと、その時初めて出会った。牛革の場合半分に裂いた半裁というアメリカ原皮を使った日本の革しか知らなかったそれまでの私には、伸びる縁と呼ばれる部分を原皮段階で取り払い使える部分だけなめしたこのヨーロッパ皮革文化の奥深さに感動を覚えた。その後もその時使っただけで、お店を持つまでは良いのは分かっているけれど高価で使えなかったけれど、今は大半がサライ商事経由のヨーロッパ皮革を使っている。使えるようになったのが人一倍嬉しくて、いつも在庫過多状態のル・ボナー。

 しかし自分たちで作るという事は相も変わらず同じだったので、忙しいばかりで実利は同じで少ない。その時強く思った。お店が欲しい。上代がそのまま収入になったあの聖蹟桜ヶ丘時代が一番良かった。今ならあの頃より相当技術も進歩したから、もっと良いはず。でもお店を出す為の資金が捻出出来なくて、現状の中で右往左往。

 その頃作っていた鞄が枠を使ったカタチ。ボストンバッグにダレス。それに棒屋根や大割れなどクラシックな風情の品々。手間が正比例でかかってしまう品々。

  そんな日々が続く中で生活は厳しさ増すばかり。それで窮して就職する事にした。就職する会社は大手商社がバックアップして生まれた会社。世界で通用する鞄を軸にトータルに商品を展開する、今までになかった日本のブランド。デザイナーに国際的なモデルを経て、その後ヨーガレールのサブのデザイナーをしていた林ヒロ子さんを擁して始まった。そこの企画担当としてデザイン画から、パターンを起こしサンプル作ってメーカーさんと打ち合わせする仕事。日本の鞄ブランドの大部分はデザインだけで、後はメーカーさんに丸投げする。その場合微妙な案配をコントロールする事が出来ずに特別は生まれにくい。そんな手間をあえてかけて生まれた鞄たちは特別な輝きを持った高級既成鞄だった。

 その時パターンの奥深さと面白さを教えてもらった。一緒に企画を担当していた金田さんはパタンナーとして天才的だった。元々洋服のパタンナーだった氏は、生地と違って厚みも計算に含み込まないといけない革製品のパターンは面白いという。三角関数を駆使して生まれたグッドデザイン賞をもらったラグビーボール形状のバッグたちのふくよかさは、氏の能力なしには生まれなかった。ル・ボナーの内縫いのバッグのふくよかな表情を生み出すパターンと縫製方法はあの時の影響大。その金田さんが作ったイタリア製のシホンベルベット素材で作ったベレー帽の形状はその才能を遺憾なく発揮している。突起が連続したこの形状が竜が天に向かうような一パターンで二つのパーツを裁断し縫い合わせてこのカタチが生まれる。端切れがいっぱい出そうな形状なのに出ないで作れる。これには感服した。

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 そんな風に今思い返しても、あの時が一番面白かった。お金の心配せずに鞄作りに没頭出来た。その上予算規模が十分あって全て豊かで楽しいクリエーティブな日々だった。多くの事を吸収出来た。初めてメーカーさんに量産をお願いする道筋も、その時初めて実際に経験した。3年後に黒字変換出来ればこの魅力的な職場にずっといられるはずだった。しかしバブル景気は終焉を迎えつつあり、バックアップしていた大手商社が倒産し、日本から世界へ飛び立てたかもしれないそのブランドも終わりの日を迎えた。そして私も元の個人の職人に戻った。

  そんな事態になっても、免疫力が人一倍蓄えられた過去を持つ私はへこたれない。いくつかのメーカーさんとのつながりが生まれ、その一社の仕事を請け負う事にした。その頃凄く売れていたレノマのセカンドバッグの縫製。裁断された部材が持ち込まれ、縫製のみに全力投球。数は200個で一個3000円也。手慣れた職人さんだと一ヶ月でこなす仕事だそうだ。という事は月60万。これは良いと飛びついたけれど、それはあくまで手慣れた職人さんの話しで、量産初心者の私は、一日16時間労働で2ヶ月とその後それの検品後手直しで、計3ヶ月ほどを費やした。その後も縫製量産仕事を何度か繰り返したが、私には厳しいと感じた。そんな経験もしたので、今量産を頼んでいる職人さんには敬意を心底感じながらお願いしている。

 その後また他の問屋さんを通してオリジナル鞄の卸しを再開。バーニーズ・ニューヨークではよく売れたなぁ〜。少し普通の生活が出来始めた頃大きな決断が待ち受けていた。その頃二人でよく将来について話していた。お店を持つという事を諦めて卸しだけでこの仕事を続けて行くのなら、大好きな信州の古民家を借りて、そこで仕事しながら田舎生活したいねと。でもその夢は叶う事はなかった。

 兵庫県の実家に戻った時見た新聞に「神戸海手・六甲アイランドでテナント募集」の記事。それも私の大好きな安藤忠雄建築事務所設計のショッピングビルへのテナント募集ではありませんか。これは応募する価値は十分ある。東京を離れ地方都市・神戸の人工島で待望のお店を持つ事には不安があったが、売れなければ卸も続ければなんとかなると決断した。その後の開業資金集めは大変だったけれど、これで七年のブランクを経て待望の工房兼お店に辿りついた。7年前に比べて技術的な蓄えも多くの先達から吸収しているし、もう失敗は繰り返さないと誓いながらお店を神戸の離れ小島に得た。

2015年8月21日

「WORKERS」の魅力的なモノ造り。

WORKERSの舘野君がアメリカ南部のコットン畑を視察して、紡績、織、染色までオリジナルのジーンズ生地作って、それで作ったジーパンを裾直し(15cmも切るという事は足が短いということか、トホホ・・・)して履いてみました。前にWORKERSで入手したワークパンツ風のジーパンとは違ってフィットする感じ。履き込んで洗い込んで良い風合いになって行くのが楽しみです。

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実際のボンジョルノの下半身よりスマートに見えると思っているのは私自身だけだろうか。上も下も帽子と靴とベルト以外全て「WORKERS」。

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パーツ一つ一つがオリジナルの刻印入り。零細企業の場合、これがなかなか出来ない。業種は違えどオリジナル製品を作っているル・ボナーはそれが出来ていないと反省。

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こういったパーツへの拘りが、着ていて豊かな気持ちを増幅させてくれる。

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舘野君と知り合って、私はアメカジ風な服装に回帰した。ちょっとイタリアオヤジ風に頑張った時期はあったけれど、やはり私はこういう舘野君が提案するアメリカンカジュアルが楽で好きみたい。普段着るカジュアル系の洋服はほんの一部を残して、大部分「WORKERS」製品になっている今日この頃のボンジョルノ。

そんな「WORKERS」の舘野君のモノ造りは、今の私にとって最も刺激を受ける存在。30歳代半ばにして「WORKERS」というブランド価値を生み出した才能に驚かされる。それも量産以外全て一人でこなしているのだからすごい。企画、デザイン、パターン、販促、営業、経理、経営戦略、撮影、出荷作業、カタログだって版下までは自身で。そんなアパレル企業は他に知らない。元々お金持ちのお坊ちゃんだった訳ではなく、事業計画書を作って借金からのスタート。辛辣な物言いは時々周りを傷つける事はあるけれど、彼の作り出すモノたちはそれを補って余りある豊かな気持ちを与えてくれる。

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今日またまたカッコ良いWORKERSの紙袋が届いた。開けてみると「WORKERS」のヒット製品のチノパン。今まで履いていたチノパンとは似て非なる素材感と仕様。チノパンが軍モノから始まった事を思い起こさせる作り。でもオーダーした覚えがなかったので、誕生日プレゼントで送ってくれたのかな?やっぱ舘野君は良い人だなんて思っていたら、ちゃんと請求書が入っていた。履いてみると肥満気味の私がスマートに見える。さすが本人もメタボ体型だけにパターンうまい。

それにしても、「WORKERS」の衣類が増えた。今まで普段着ていたユニクロより約5倍の価格。しかしこの満たされ感は何なんだろう?有名ブランドのブランド料の見栄価格ではない、夢を現実にする構成力と魂入った個性というバックボーン。着てると気持ち良くて豊かでいられる。彼のモノ作りはこれからも目が離せない。

(もうすぐ販売開始するだろう「鞄談義Ⅱ」の中のボンジョルノの文章より)

この時代に生きた証を残したいと思う。それが私達は鞄作りでした。それぞれ皆持っている資質や環境が違うから、表現するカタチはそれぞれ違う。しかしこの時代に小さな記憶として残せたら素敵だな。隙間少ない息が詰まりそうになる現代社会において、個が輝きを持ってモノ作り出来る価値。芸術作品でも工芸品でもない鞄作りと言う仕事においてそれが出来るなら、私達は心から自分たちの人生に満足できます。

そんな輝きを業種は少しだけ違うけれど「WORKERS」の舘野君は見せてくれている。

2014年12月11日

エルメス レザー・フォーエバー

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フランスのレザーブランド・エルメスが革の魅力を伝えるイベントを東京で開催している。どうしても見たくて日帰りで見に行ってきました。このブランドだけは特別です。革製品の高級の基準と指針を示し続ける。場所は上野の東京国立博物館 表慶館。 それにしても会場の表慶館が雰囲気あり過ぎです。

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使っている道具の方に目が行く。

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凄い構成力に感服しました。

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美しい〜オブジェのよう。

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エルメスの鞍はやはり別格。実際に会場でまたがる事も出来るのだけれど、そのフィット感にびっくり。

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会場の表慶館の螺旋階段は映画の1シーンに出てきそう。

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面白かったです。外に出ると素敵なイエローの絨毯が雨に濡れ光っていました。

(追加画像)会場の表慶館良い〜。

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2014年10月28日

フィットする事の価値

テーラースーツをこよなく愛する無償太ダレス関東営業販売部長?のキャリアなN氏が帰神し、今最もご執心のフィッターの銀座の陳さんに頼んで誂えたアイリッシュリネンのブレザーを羽織って来店。フィット感を求めなければ既成のスーツで十分。テーラーで誂えるのは、寝間着を着ている時のようにリラックス出来て、それでいて身体にフィットする愛しい一着を求めて作り続ける。そしてN氏が数多くスーツを誂え続け辿り着いた最高のフィッターが彼女だった。彼女の針はギリギリまで躊躇なく攻める。そして出来上がったブレザーは立体感がありフィットしている。出来上がったすぐは少しきつい感じだが、数日着て行動していると糸の具合が身体の動きに合わせてバランスしフィットしてくるのだそうだ。その寸止めの妙を持つフィッターに出会える事は希有。それほどその世界でも職人芸的な仕事は減っているという。

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スマートでふくよかなフォルム。

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アイリッシュリネンだから着てるとシワは出る。それもこの素材の味。

(追伸)

スーツにしても靴にしても、フィットする事を価値としてブランド力やデザイン性の価値以外の高価格帯ゾーンの需要がある。しかし、その価値を現実に生み出せる職人は少ないし、宣伝はしていないので出会えるチャンスも少ない。でも特別を知って得た喜びは価格以上の価値を感じれる。それに比べ革鞄の世界は、そいった特別は何だろうかと考えてみた。ル・ボナーの最大のヒット作のパパス・ショルダーを使って頂いている多くのお客様に、たすき掛けして自転車を漕いでも前に落ちて来ないフィット感を褒めて頂けるけれど、それはテーラースーツやオーダー靴の持つ付加価値にはなり得ていない。何だろう?と考えていたら「良質な軽さ」というのが頭をよぎった。革だと相反する部分が多く有り大変難しいファクターではあるけれど、ル・ボナーのユーザーがこれから増々高齢化していくだろうから考える余地は十分ある。時計の世界でも、創業してまだ10年たらずの複雑時計の軽さに価値を求めたリシャール・ミルという超高級なブランドが人気を博したのは予想外だった。革鞄の場合、実際の重さだけではなくて、持ったり提げた時に軽く感じられるバランスとパターンという考え方もある。少し考えてみる事にした。

2014年10月27日

再び「モノ作り」の情熱を

マイナスの力が背中を押してくれないと、歩みを止めてしまうのか。此の所、過去の遺産である定番品の売れ方が順調に推移していて、作り出すという事への強い欲求が薄らいでいた。経済的にも納期的にも追いつめられていた頃の方がカタチを出せた。モノを生み出すという地球上で唯一人間だけが持つプリミティブな喜びを、再び享受出来る日々の復活を望みつつ自分に甘くなってしまうジレンマをここ数年続けていた。その上、趣味と実益が合致した販促に役立つと始め全くその通りだったこのブログ「ル・ボナーの一日」も、更新回数がFacebookを始めてからめっきり減った。間違いなくFacebookよりブログの方が販促として効果的であるのに、楽に更新出来る方を優先してしまう。そんなこんなで、ボンジョルノ松本は停滞していた。そんな自分が歯痒かった。再び復活するには、自分で自分の背中に火をつけないと走れない。鞄職人としてまだまだやり残した事はいっぱいあるはずだのにもどかしい。

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そんな時、昔からのお客様が銀座の「ORTAS」の小松さんにオーダーしたショルダーバッグを提げて来られた。デザインはオーソドックスなハンティング系のショルダーバッグですが、オール手縫いの一点モノの迫力は別格で、それだけでなく見れば見るほど精魂込めた職人のモノ作りへの情熱に感じいった。私が失いかけていた光を、この鞄が伝えてくれた。

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私はもう昔には戻れない。しかし、七転八倒しながら続けた鞄職人としての39年の経験を糧に得た方法論を武器に、まだ輝けるはず、まだ新しいカタチを生み出せるはず。

まず手始めに、中途で挫折していたビジネスリュックの再構築。今の時代に必要とされているバッグを世に問う。スーツでも違和感無く持てる大容量のリュック&ブリーフケース。ビジネス街を歩くと、スーツのズボンの端をバンドで閉めて自転車で通勤する姿を見る事が何度かある。移動時はリュックが楽だけれど、オフィスではリュックに見えないブリーフに変身するフォーマルに持てるバッグを待ち望む声も多く聞いている。纏め作りは頼むとしても、サンプルまでは私が作り上げないとル・ボナーらしさは生まれない。

過去にこのブログで私が記した下記の文章が身に沁みる。

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この時代に生きた証を残したいと思う。

それぞれ皆持っている資質や環境が違うから、

表現するカタチはそれぞれ違う。

しかしこの時代に小さな記憶として残せたら素敵だな。

隙間少ない息が詰まりそうになる現代社会において、

個が輝きを持ってモノ作り出来る価値。

芸術作品でも工芸品でもないモノ作りという仕事においてそれが出来るなら、

私達は心から自分たちの人生に満足できるはず。

 

 

2013年5月10日

「ニワレザー」さんが作る革小物

今日はレ・ザルティザンの三島さんが来店された。
三島さんと話していると楽しくなれる。
年に10回以上スイスと日本を往復しながら、
時計関係の商いをするナイスガイ。
関西での慌ただしいスケジュールの合間を縫ってのご来店。
来週はまたまたスイスだそうだ。
このところ隔週で行っている感じ。

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三島さんは現在カメラに夢中。
少ない時でも4台以上のカメラを持ち歩いているのには感心しちゃいます。
そして今日はなんといつものデジカメ以外にフィルムカメラです。
それもライカM7にズミルックス21mmは凄い。

そんな三島さんが取り出したGRD用のケースが目に止まった。
親しくしているニワレザーズさんで随分前にオーダーして作ってもらったケース。
これは本当に素敵だと思った。

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ニワさんはこの業界で最も優しい眼差しを感じる素敵な写真を撮っていて、
まだお会いした事はないけれど是非一度お会いして、
お話ししてみたいなと思っていた職人さん。
その丹羽さんの作った革製品を始めてじっくり見た。

ニワさんが撮る写真同様、優しさが伝わる品。
これほど丁寧で優しさ伝わる革小物を見るのは始めてだ。
これは一点作りでないと生まれない、作り手の心を写す鏡のよう。
爽やかな優しい刺激を感じています。

2013年4月19日

KIITOで「Hearts and Crafts」

水曜日の夜、
お店を早めに閉めてハミと二人でエルメスのドキメンタリー映画を見に行った。
東京や大阪で上映されたのは知っていたけれどチャンスがなく、
一夜限りの限定予約制で神戸で見る事が出来ると知って行く事にした。
ハミと映画を見に行くなんて神戸に来て始めての事。
デート気分で腕を組んで、
会場まで行く途中に見つけたアンティークショップに立ち寄ったりしながら、
デザイン・クリエイティブセンター神戸 KIITOへと向かった。

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会場のKIITOは1927年築の元生糸検査場の建物。
外観は特別ではないけれど中に入ると特別な空間。
アンティークを残しながらモダンと融合し居心地良い。

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「Hearts and Crafts」の上映会は始まった。
美しい映像と革のしなる音、道具たちの音色が心地良い。
そしてモノ作りする普通の人たちが美しく思えた。

エルメスと言えば皮革製品では特別なブランド。
多くのブランドがグローバルスタンダードなるビジネスプランで、
ブランドを食い物にして増殖している時代に、
豊かなモノ作りの世界を創造している数少ない世界ブランド。
その事を再認識するドキメンタリー映画だった。

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上映会が終わり特別な空間から出ると9時半になっていた。
神戸らしい海風を心地良く感じながら二人手をつないで家路についた。

2012年12月10日

不器用な鞄職人

2012年も最後の月に突入しております。
今年もお客様たちと楽しく一年を送る事が出来ました。
現在定番品の多くは信頼する職人さんたちに組み上げてもらっているけれど、
私が今年中に終わらせないといけない一点作りや修理品も一杯あってあせっております。
でも一昔前に比べるとこの頃楽しているなとは思っている。

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色々なタイプのミシンを使ってきたけれど、結果この上下送り半回転が自分たちに一番しっくりくると分かった。押さえはこんな風に原型をとどめない状態まで削って使っています。なので不安定です。でもそれでも好きなステッチ具合を求めた結果こんな風に。そんな荒馬をコントーロルしながらステッチを縫う。

私はこの仕事を初めて37年になります。
初めて訪れた人はその寂しさにびっくりする六甲アイランドで、
お店を初めてからでも来年の3月28日で20周年を迎えます。
この道一筋でなんとかこの歳まで来れました。
私は職人としても社会人としても大変不器用で、
その為大変四苦八苦しながら遠回りして現在に至っております。
私より素敵なカバンを作れる職人さんはいっぱいいるし、
私の現在置かれている立ち位置だと、
もっと事業として大きくする事が私以外なら容易だろう。
でも才能のない私にとっては現在のこの状態がベストだと感じている。
これからもハミと一緒にカバンを作りながら年老いていくだろう。
自営業なので健康でさえあれば定年はない。
そんな日々の繰り返しが愛おしい。

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長く作り続けているとこの手の道具が増えていく。この3倍はある。鍛冶屋さんに頼んで作ってもらったモノから既成の品まで。鍛冶屋さんに作ってもらった道具はやはり全然違う。

私は大変不器用で、何をするにも遅い。
でも不器用だったからこそ鞄職人として今日まで続けられたと思う。
不器用だから何をするにも人一倍努力しないといけなくて、
なので一つ一つの事が人一倍身になるし、
自分自身を過剰評価する事なく、
苦しんで会得したから仕事を愛しく思う事が出来る。
不器用で良かったと今では思う。

鞄作りは芸術作品を作る訳ではないので、
ビジネス的な部分を持ち合わせてやっていかないと、
個人で長く作り続けていく事は厳しい。
その部分に目を瞑る事なく、
自分たちの思いをカタチにする事は出来るはず。
守らなければいけない拘りと本当はどうでも良い拘りとを、
取捨選択しコントロール出来れば。
ただ私の場合その事を悟ったのは50歳過ぎてからだったけれど。

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時々今でも手縫いをする。ただ全然手縫いには拘りを持っていない。なので縫う糸は麻じゃなくてビニモ。その方が丈夫なので。でも手縫いは楽しい。

これからも一生懸命楽しみながら、
ハミと一緒にカタチを残していきたい。
ル・ボナーの二人の個性をカタチにして。
創り出す仕事を続けられている幸せを感じながら。

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