鞄職人の思い出の最近のブログ記事

2016年2月26日

革製「デイパック」を製品化したいと思ってから年月が過ぎた。

私の青春時代(40年ほど前)はアウトドアムーヴメントの創成期だった。その中で私は二人の若者が興した「シェラデザインズ」というブランドが好きだった。そのシェラデザインズが生み出した「デイトリッパー」というザックには衝撃を受けた。機能や容量を考えると生まれないであろうこの🍙型のザックは魅力的だった。いつかこのデザインの革リュックを作りたいとず〜と若い頃から思っていたけれど、革という高級素材で作ると高価になって売れないと思って作れなかった。大ヒットしている「ビジィーリュック」のようにオンタイムに使える大容量で機能的な革製リュックならある程度高価でも要望は十分あるけれど、カジュアルなデイパックで高価だと売れるとは考えられない。だがしかし、私も還暦を迎える歳となりそんなに売れなくても作りたい製品を作れる余裕が少しはあるようになった。そしてこのザックの試作を繰り返し、後は量産ラインを始動すればという状態になってから時間は走馬灯のよに過ぎ去っていった。何とか今年中には製品化したいと思いつつ、ファーストサンプルを日々使い始めたボンジョルノ。

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アマガエルみたいと言うお人も多くいるだろうけれど、やはりボンジョルノ松本はシュランケンカーフのライムグリーン。

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元祖デイパックの「アルパインデザイン」が使っていたストラップの止め方を採用。

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ボルトで止めるこの方法は、登山用大型ザックでまだフレームザックが登場する前の「キスリング」で多く使われた仕様。革はストラップやショルダーを横向のステッチで止めると重みを掛か続けると裂ける可能性が生地に比べて高いのでこの方法を採用した。

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本体底部分にはこの程度は余裕で収まる。まだまだこの上にもゆとりたっぷり。一眼3台と予備のレンズ2つとパンパンに収納したポーチ・ピッコロは常時収めてる。

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元祖デイトリッパーは上と下を完全に仕切っていたのでA4ファイルとかの書類は曲げないと収納出来なかった。ル・ボナーのは上部のポケット部分が落とし袋になっていてノートPCだってスルーっと問題なく収納可能(大きいサイズのPCはどうか)。内装もファーストサンプルと違って製品時にはオールピッグシルキー貼り。

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これがセカンドサンプル。ファスナー口の雨蓋がどうしてもピシッとしないのでパターンを大幅変更。それでもまだ緩みがあるので型紙をもう一段階タイトに変更済み。

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ストラップの左右を止めるベルトとウエスト固定ベルトまで装着。クッション性バツグンのストラップは好評のビジィーリュックのストラップと同じ仕様。後ろから見ると本当に三角の🍙型だと分かる。

このリュックは半農半鞄職人の栃木の職人さんに頼む予定。大変丁寧な組み上げをして頂ける職人さんなのですが大きな問題を抱える職人さんでもある。理解不能なほど仕事が遅い。1ヶ月で10個の組み上げは無理なぐらい。でもまあそれでも良いかと初めて頼んで作ってもらう事に英断。そんなこんなで間違いなく10万オーバーのカジュアルリュック(数年前復刻生産された本家は1万円前後)。でも作りたかったのです。我が青春のオマージュ。

2013年12月20日

37年前のクリスマスイブ

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博報堂が世代区分というのをした。なかなかうまい分け方で感心した。その中で私やハミが属する世代は「ポパイJJ 世代」。何か他と違ってとぼけた名称。でも言えてるから笑ってしまう。強烈な団塊世代後なので「その後の世代」なんてついでのように言われていた世代。三無主義とかノンポリとか、社会に関わりを持ちたがらない世代。でもなぜだか「ポパイJJ世代」気に入っている。

37年前の1975年の師走。その頃私は鞄職人見習い1年半の20歳、やっと無給ではなくなって本俸7万円也。裏付けのない夢はいっぱい持っていたけれど、それ以外は何もなかった。そんな私ではあったけれど恋をした。4歳年上のぽっちゃりした幼児体型の女性。確かに私はぽっちゃり系が好みでありそれがきっかけでは確かにあったけれど、そんな事より初めて夢を共有出来る女性であった事が大きかった。その後結婚し四半世紀は七転八倒しながら共に生きて来た。二人で半人前の私たちが今あるのは、幸せのカタチを二人で共有出来たからだと思う。今年もコンビニでは「クリスマス・イブ」の曲が流れていた。この季節の喧噪も静けさも寒さも、私をロマンチスト&センチメタルなボンジョルノに変える。

37年前のクリスマスの季節、私とハミは夜の下北沢の街を散策していた。その頃の私たちはお金も時間もなくて、逢う時間も限られていた。体力だけは自身があったから、自転車の荷台に座布団をくくり付けそこにハミを乗せて、東京の街をナイトクルーズするのがお気に入りのデートだった。その日はシモキタだった。開かずの踏切近くのジーンズショップのウインドウに飾られていたハーフコートにハミの目が止まった。真っ白なイミテーションファーのハーフコート。背中に大きくワーナーブラザーズのキャラクターのシルベスターがプリントしてある。

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何とも可愛いコートでハミが着たらきっと可愛いだろうなと思ったけれど、月の中頃になるとお金が無一文になる私にはその購入資金はなかった。翌日私は前借りを頼み込みその下北沢のジーンズショップに急ぎ行った。まだあった。数日後のクリスマスイヴの夜、そのシルベスターが背中部分に大きくプリントされた真っ白なイミテーションファーのハーフコートをハミにプレゼント。ハミは涙を浮かべて喜んでいた。その当時の私は、ハミの喜んでくれる顔が見れればそれだけで他に何もいらなかった。

その後ハミは長い年月そのコートを着ていた。神戸に引っ越す20年前までそのコートが冬のメインだった。引っ越す時荷物の一部を加古川の実家に預かってもらっていて、その中にあのコートは眠っているはず。もう純白ではないけれどまだ着れるはず。今度引き取りに行こうっと。

今年もクリスマス・イブの夜が近づいて来ています。クリスマス・イブは恋人たちの聖なる夜。想い出に残るクリスマスプレゼントはル・ボナーにてなんちゃって。現在革小物は財布以外品数が全然ありません。なのでバッグをどうぞ。

2013年5月20日

「ゴローズ」はあの頃特別だった。

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NHKの朝ドラ「あまちゃん」は家族でかかさず見ている。
「じぇじぇ」とつい言ってしまう。
その1シーンに登場した使い古した革のショルダーバッグが目に止まった。
それは間違いなく「ゴローズ」が30年以上前に作っていた品。

このバッグは記憶にある。
内縫いの玉ブチを、コバだしの一枚革で作る仕様は他に見た事がない。
サイドポケットのホック部分のデザインがその当時のゴローズらしさ。
一枚仕立てのラフなショルダーバッグだのに、
丁寧なコバ磨きとネン処理がされていて、
あの頃魅力を感じた「ゴローズ」のバッグに間違いない。

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国産のタンニン革だけど、
あの頃は原皮もなめしも良かったから、
時を経ても現役でいられる。
バックルは真鍮金具で定評のある柳場製。

「ゴーロズ」は原宿の表参道で今も特別なオーラを放つ
インディアンジュエリーショップとして存在している。
イエローイーグル高橋吾郎さんの人生は破天荒で、
隙間のない現代社会では存在し得なかったであろう希有な昭和人。
今とは違って30年以上前の「ゴローズ」は、
革製品のウエートが高い商品構成で、
職人集団として素敵な製品を生み出していた。
手作りブームだったその時代(70年代後半)に、
そのゴローズが作り出す品々は数ランク上を行っていた。
しかし事業拡大が裏目に出てその組織としてのゴローズは終焉を迎えた。

私も「ゴローズ」に本当は入りたかった。
でもヒッピー風の迫力あるその職人集団に怖じ気づいて、
もう少し優しそうなところで鞄職人人生を始めてしまった。
その後何年か経った後、メンバーだった数人の方々と縁あって親好を深めた。
秀出た才能から不器用な職人である私は多くの事を学んだ。

この時代のゴローズ製のバッグを熟知している?私は、
手抜きではないラフさを持った丁寧な作りのバッグを、
復刻させたいという思いを持ち続けている。
今そいったタイプのバッグは皆無だと思う。
今でもあの頃見た「ゴローズ」のバッグは色褪せていない。
少し現代風にアレンジすれば、失われた夢をカタチに出来る予感。

2012年1月11日

35年前にヴァレクストラのプレミエに憧れた

鞄の業界で頂点はエルメスである事は万人が認めるところだと思っている。厳選された素材、手間をかけた縫製、規範となるデザイン、機能性以外はどれをとっても最高級たるブランドだ。だからといって世界の鞄のピラミッドの頂点に君臨し続けるであろうエルメスの鞄が絶対ではない。私の愛車の13年落ちのアルファロメオ145クワドリフォリオ前期型を走らせていて、横を最新のフェラーリが追い越していったとしても全然劣等感なんて感じないのと同じで、個人的な最高はまた違う次元だ。

鞄職人の私が個人的に最もを刺激を受けた鞄はミラノのヴァレクストラ。このブランドの鞄作りは魅力的で、かつてグッチ一族が経営していた頃のグッチに色濃く感じられたイタリアのアイデンティティを持った鞄作りの魅力を、クールに今も残そうとしている数少ないブランドだと私には感じられる。多くの既存のブリーフケースとは違う縦が高めのル・ボナーの縦横比は、そのバレクストラの影響を受けている。ヴァレクストラの傑作錠前のシャーロックホームズロックに憧れて、オリジナルで特別な錠前を作ろうと試みた事もあったけれど作れなかった。そんな風にこのブランドは長きにわたって私に刺激を与え続けてくれたブランドだった。そんな中でも「プレミエ」というソフトアタッシェは今も私にとって特別だ。

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今から35年前の私が二十歳の頃「プレミエ」という鞄に出会った。外観も内装もシンプルでありながら、威風堂々としていて高級を強く感じた。ここまで媚を売らない高級を鞄の中に創造出来る事に脱帽した。当時はハンドルも硬質ゴムと金属だけで成形していた。その事が逆にこのカタチを引き立たせているように思えた。クールな上等が40年ほど前に革鞄においてあったのだ。その後この鞄以上に刺激を感じた他ブランドのカタチは、鞄において経験していない。

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ファスナーもスイス・リリー社との共同開発と謳われたピンが二段式になった特別なもの。ファスナーの修理交換の最も多い理由は生地が擦れて破れる事。それもスライダーの端と接触する部分がよく擦り切れる。それを解消する為にスライダーの端もピンの上を走るように二段式になっている。このファスナーには見た目の格好良さも加わって衝撃を受けて、若かった頃の鞄職人・松本はいつかこのリリー社の二段ピン式のファスナーを使いたいと夢見た。そして使えるようになって一時はこの高級ファスナー一辺倒でル・ボナー製品を作っていた時期があった。25年使っているエレファント革のラウンドファスナー財布も、一度も交換修理する事無く今も現役という丈夫さ。

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このプレミエのカタチを忠実に作ってみたいと思った。しかし若い頃は経験と技術が追いついていなくて、どうやって作るのか縫製手順が皆目見当がつかなかった。今は作る方法は理解出来て作れる事は作れる。しかし作るとなると違う問題点がある事に気付いた。内蔵されているステレスの枠やオリジナルで量産を頼まないと作れないハンドルやファスナーをロックする錠前等、零細な鞄職人には揃えられないオリジナルパーツ達が必要である事を。ある程度の規模を持ったブランドでないと生み出す事の出来ないカタチなのだという事を。

それならばこの鞄を買って持っていたいと思った。若かった頃は大変貧乏でそれは叶わなかった。今は少し余裕が出てきたので10年前の値段だったら買えない事はない。しかし現在の販売価格を見てみたら、私の知っている10年前のプレミエの価格の倍以上になっているではありませんか。これは私の納得出来る価格を大幅に越えていて買えません。孤高の欧州バッグブランド・ヴァレクストラの「プレミエ」は脳裏に刻み続けるだけに終わるのか。鞄に大枚を払える古山画伯やでべそ万年筆くらぶ会長買わないかなぁ〜。このソフトアタッシェは歴史に残る名品だと私は思っております。ただ私が初めて見た35年ほど前に作られたプレミエの方が、現行品より素材も仕事も丁寧だったように思える。それは私のオブラートに包まれた思い出がそう思わせているのかもしれないけれど。35年前に初めて見たプレミエはヌメで作られていて、4〜5年大事にお手入れしながら使われていて綺麗に茶褐色にエージングしていた。35年経った今でも鮮明な記憶として残っている。

2011年8月31日

懐かしい写真



20年ちょっと前までネットは普及していなかった。
そんな時代個人でオリジナルの鞄を作って生活するには、
お店を持つか卸しをするしかなかった。

昔の写真を整理していたらその頃撮った写真が出て来た。
私が35歳だった頃の家族と若い仲間たちで書き初め大会をした時の集合写真。

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初めて持った小さなお店をつぶして、オリジナルのカバンの製造卸しと大手ブランドバッグの組み上げをメーカーから請負って朝8時から夜中の2〜3時まで毎日カバンを作っていた頃の写真。一番私にとってカッコ悪くてきつかった時代。でもそんな不遇の時も若い仲間が手伝ってくれたり一緒に遊んだなぁ〜。若い仲間と正月毎に計4回この書き初め大会は開催した。ハミの発案だった。その最後の4回目に撮った写真。この翌年に私たち家族は東京多摩から神戸に引っ越した。

あの頃に戻りたいとは思わないけれど懐かしい。何も与える事は出来ないのに手伝ってくれた連中。お金最小限でよく皆と遊んだ。彼らも今では40歳半ばの年齢になっている。そんな皆と久しぶりに会いたくなった。

2011年2月 2日

30年前から作り続けている「ネコリュック」

ネコリュックが店頭に並びました。

年齢層が相当高いル・ボナーでは異彩を放つカタチです。30年前にこのカタチは生まれ、18年前に神戸のこの人工島で、今の3分の1の広さの鞄工房兼店舗を始めたら初期にも、店頭に並べていて人気があった。でも商品構成的にアンバランスだと感じて10年ほど作っていなかったリュックだった。5年ほど前、小学生のお子様を連れたご夫婦が使い込んだネコリュックを修理に持って来られた。まだ学生だったご主人がアルバイトして貯めたお金で、後に奥様になる恋人への始めてのクリスマスプレゼントがこのネコリュックだったそうで、お二人の青春の思い出の品だと。そういったお客様が何組か連続した。それでハミと話し合って再び作り始めた。

30年前に作り始めて5年ほど前に再び作り始めるまでは、丈夫で手頃な値段で入手出来る牛革のグローブレザーを使って作っていた。30年前作りはじめた時は、販売価格が19000円だった。神戸でお店を始めた頃の販売価格は23000円。そして今は材料と仕様をバージョンアップして33600円。一枚仕上げなのと基本パターンは変わっていないけれど、革はシュランケンカーフになり、ベルトは2枚貼り合わせで、ポケットもピッグシルキー使い正真正銘オール革の贅沢仕様になった。多くのお客様たちに懐かしさ感じながら寄り添うル・ボナーの「ネコリュック」を、これからもシュランケンカーフで作り続けていきます。今回は新色加え、お客様の要望にもお答えしながら5色でネコリュックを作りました。




ゴールドとブラック。ゴールド(茶)では何度も作っていますが、ブラックは久々。しっぽ他パーツの革にレッドをコンビネーション。ライムグリーンは前回生産分。最後の一つになりました。




左からオレンジ、スカイ、ピンク。華やかな色たちです。オレンジでネコリュックは始めて。思ったより違和感ありません。少量しかないシュランケンカーフのスカイでも要望に答えて連続して生産となりました。新色のピンクは、この色見た時何を作ればいいのか悩んで、入手してからしばらくの間お蔵入りしていた。豚ピンクなどと呼んでおりましたが、ネコリュックならと作ってみたら、これ良いのではないでしょうか。





153センチのハミがネコリュック背負うとこんなバランス。普段のハミはスカイ色のネコリュック背負って自転車で自宅とお店を往復しています。見た目以上にいっぱい収まるネコリュックはハミのお気に入り。小学生から可愛いおばあちゃんまで大丈夫なネコリュック。ベルトも身長140センチから180センチまで対応出来る柔軟さ。ル・ボナーらしくないカタチだけれど、ル・ボナーを思い起こす人の多いカタチです。

2010年12月13日

「府中」が懐かしく思い出された日曜日




いつもはお客様少ないル・ボナーだけれど、一昨日、昨日と多くのお客様の来店があり、ありがたい師走の2日間でした。やっと師走らしくなった感じして、今年の最終日まで全力疾走で乗り切る思いの二人です。今年の最終営業日は29日を予定しています。

先日の午前中にハミと話していました。一番懐かしく思う住んだ場所は何処かな?と。やはり私は府中です。その午後偶然その府中からのお客様の来店あり、20年前まで私たちが住んだ町の今を懐かしさから色々お聞きした。私たちが住んでいた頃の府中とは大きく変わっているようだった。でもいつの日か府中にはハミと一緒に訪れたいなと思っています。府中には10年住んでいました。府中は貧乏だった私たちとって優しい町でした。目黒から移り住む時は、多摩地区で一番お洒落な町「国立」を目指しました。しかし家賃が安い一軒家は国立では見つからず、結局何処の駅にも遠い国立に限りなく近い府中市武蔵台という場所の古い一軒家で鞄工房兼住居として10年過ごしました。雨漏りし、隙間風が入る家だった。その場所で鞄作り続けた。府中市は大きな工場などが多くて法人所得が人口の割りに多く入るからなのか、市民の負担少なく、それでいて福祉や子育てに対して充実した地方自治体だった。隣りの国立とは逆の貧乏な子育て家族に優しい町だった。なので国立ではなくて府中で良かった。今住んでいる神戸市が特別に個人に対して高負担低福祉な都市だけに、余計に私たちのあの時代にあの町に住んだ事が幸運だった事を実感する。

ネットなどない時代だったから、お店を持てない独立系鞄職人は卸しするしかなかった。作った鞄を持って都内の鞄屋さんを回り置いてもらった。そういった卸しの場合、価格の決定権はショップ側に有り、シビアな市場価格を強いられる。合理的な生産方法を経験する事なく鞄職人になった私たちは長時間労働でそれをカバーするしかなかった。あの時代と同じ内容の長時間作業を今の私がすると、きっと過労死するだろう。しかしそれでも生活はいつもギリギリだった。そんな日々でも、夢だけはいっぱいあった。作りたい鞄のカタチもいっぱいあった。子供達が眠った夜中、仕事の合間にハミと作りたいカバンのカタチを話すのが好きだった。府中市主催で年4回あった「朝市」は助かった。早朝6時から2時間足らずの野菜などの食料品の販売の中で、作った在庫の革製品を売った。それが思いの他好評で、月の生活費の半分ほどの金額がその2時間ほどの間に売れた。府中に住んでいる間、欠かさずその朝市には出店していた。そんな時も家族4人一緒だった。子供達は格好悪くても一生懸命生きてる親をイヤでも見続けた。

そんな府中のぼろ家には、一回り若い連中が多く出入りし、無給で仕事を手伝ってくれた。日々の生活にも困る状態で鞄作っている私たちのところに来ても得なんてない。このぼろ家から大学に通う者もいた。借家の庭に不法にプレハブの工房を建てていたので、土が見える庭は四畳半ほど。そこにブロックで炉を組んで、食材をみんなで持ち寄って12人ほどでバーベキューパーティーした事もあった。あの時ハミが作ったひき肉ほんの少々、大部分野菜のハンバーグは大好評で、今でも我が家のハンバーグは同じレシピ。あの頃無償の連帯感を感じた連中とは今も親しくしている。エツゾーは不意に訪ねて来てくれたり、店長は関西出張時には我が家に泊まり、コロンビアに居るタクちゃんとはスカイプでつながっている。

夢だけあって余裕なんて全然なかったあの府中での日々。でも懐かしく思い出される。もう同じ日々は過ごしたいとは思わないけれど、精一杯ヘトヘトになりながら生きたあの日々が懐かしく思い出される。

2010年7月22日

ハミの58歳の誕生日

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私が50歳過ぎてやっと私たち夫婦は落ち着いた。
それまで七転八倒紆余曲折ヒィーヒィー言いながらの日々を過ごしていたため、夫婦の記念日は過ぎてからいつも気づくそんな二人だった。
やはり節目節目の記念日は大事にしないとと思いつつ、今年の33回目の結婚記念日も、丁度ヨーロッパ周遊旅行出発日であった事も重なって、何も記念日らしい事はないまま過ぎてしまった。

私たち夫婦は一緒に仕事しているので、普通の夫婦の倍以上一緒にいる。
というより一緒ではない時間の方が大変少ない夫婦だ。
そんな生活を33年続けて来た。夫婦喧嘩もよくするけれど、小さな歴史の共犯者としてこれからも共に暮らして行くだろう。

今日はハミの58歳の誕生日。一か月の間だけは5歳違いの年上女房。
そんな還暦近いハミだけれど、年上の女房だけれど、それを実感した事は33年間一度もない。初めて会った時と同じ少女趣味的?なピュアな感受性を彼女が持ち続けているからなのか、彼女は私にとって今でも新鮮だ。

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ハミは出会った34年前から今日まで変わらない。
普段の平凡な日々の中でも多くの事を感じ取りながら、
感受性豊かに過ごしている。
そんな感受性がハミらしいカタチを生み出し続ける。
多くの人に刺激受けながら今日まで来たボンジョルノではありますが、
誰よりも刺激を受けているのが実はこの人生の相棒。
これからもハミと2人3脚でル・ボナー。

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三脚にカメラ固定してタイマーセットして、
お気に入りのロッドブレーキ自転車に二人乗りしたところをパシャッ~。
58歳になったハミも、もうすぐ54歳のボンジョルノも、
34年前自転車に二人乗りして東京都内をデートしていた頃と心は同じ。
違いはあの頃より体重が20キロ増えたボンジョルノと、
逆に10キロスマートになったハミ。大事にしたいと思っています。

2010年3月 6日

ウォーラスのオービットを酷使した私の80年代

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私の所有するテント「オービット」を何年かぶりに組み立ててみた。シェラデザインズを創業した二人が、再び夢よもう一度と始めたアウトドアブランド「ウォーラス」のテント。二人は今も頑張っているのかな。

このテントには特別な思い入れがある。私の80年代はバブル景気で華やかな世の中とは正反対で、初めて出したお店をつぶし貧乏だった。格安で済ませるキャンプが唯一の楽しみだった。それまでホームセンターで購入した5,000円のテントを使っていた私でありましたが、「オービット」が発売され、そのテントの生まれた背景と、オリジナルな発想とフォルムに魅了された。しかし当時8万円ほどの価格は貧乏な私にとって高嶺の花だった。そして月日が経った。ある日卸し先回りの途中に、神田神保町にある、さかいやスポーツを訪れた時、2万円チョットの価格でなんと「オービット」が売っているではありませんか。欲しいけれどその2万円もすぐには用立て出来ない貧乏な私。でも数日悩んだ後、購入決定。その後のキャンプはこのテントが、格安キャンプサイトであることは同じでありながら、豊かな心持ちを与えてくれた。

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その頃私たちは府中の借家住まい。その庭に大屋さんには無断で8畳ほどのプレハブを立てて工房にしていた。玄関前には数センチの隙間しかない状態で車も止めていた。だから家に入るには車のボンネットを乗り越えてでないと入れない状態。
そんな府中の我が家には、何人かの高校生だった頃から親しくなった学生たちがよく来ていた。その家から大学へ通う者もいた。そして無休なのに私の仕事を手伝ってくれたりもした。そんな連中と家の裏に4畳半ほどだけ残った庭にセメントブロックで炉を組んで肉なしのバーベキューなどもしたなぁ~。いやハミ得意のミンチ肉1割入ったハンバーグは焼いた。

そんな一回り若い連中とキャンプによく行った。総額1万円程度を割り勘で。零下15~20度の厳冬の霧ケ峰や奥蓼科でもキャンプした。寝袋は3000円で購入したナイロン綿タイプを2重にして。マットは段ボール何枚か敷いて。そんな時の相棒はこのテント。雪はまだ良かった。しかし雨は弱かった。そして移住空間は大きさの割に2人半ほどと中途半端な床形状。でも不満はなかった。

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テントの中で寝転んでみると、メッシュ越しに空が見れて(フライシートをはずしていれば)、不思議なほど心休まる空間。ピラミッド形状の中にいると、心が休まるというような事を聞いたことがあるけれど、お気に入りのテントの空間でも同じ効果があるように思うボンジョルノでした。

私にとって1980年代は経済的に一番苦しんだ年月だった。でも思い出すと懐かしい。その頃知り合った仲間は私にとって特別大事な人たち。このウォーラスの「オービット」はその頃の思い出の大事なアイテム。しかしもうあの頃の貧乏生活は2度といやだぁ~!。

そんな一回り若い仲間たちと知り合わせてくれた「卓袱堂」の卓ちゃんがコロンビアから戻ってきたら、キャンプを久しぶりにしたねと話している。彼は念願のモスのテントを入手したらしい。でもコロンビアから戻ってくるのは2年後。

2010年3月 5日

20年ほど前に作ったトランクが里帰り

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20年ほど前に作ったトランクが修理で里帰りです。
このトランクを作っていた頃は、まだヨーロッパの革は使えなくて、
アメリカ原皮の国産なめしのタンニン革を使っていた。
それが災いして革の表皮は瀕死状態。
でもトランクのようなハードケースは表皮が死んでも、
柔軟性が必要な部品を交換すれば使い続ける事が出来る。
ベルト2本とハンドルをブッテーロ革使って修理します。
最初はコンビ風になるけれど、使い込めば同化する。

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このトランクの持ち主は女性で、
自分の絵をこのトランクに詰め込んで行商で全国を旅し、
風雨にさらされながら共に思い出作った相棒。
トランクに刻まれた傷やシミの一つ一つが愛おしいと言う。
ハンドルとベルトをそのまま使えればその方がいいのだけれど、
旅の途中で切れたりすると困るので交換修理と相成りました。

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東京の池袋にあった鞄屋さんにあったこのトランクに一目惚れして入手したけれど、
誰が作ったかなんて知らないまま使い続けた。
修理したいと思って、内側に縫い付けてられた「アウム」のラベルを頼りに、
ネットで探してル・ボナーに辿り着いた。
「アウム」は12年前まで使っていた屋号。

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「オヤジの作る鞄は、ラフだけれど誰も真似出来ない味があるんだよなぁ~」なんて、
職人の私に対してけなされているか褒められているのか分からないけれど、
同業者によく言われる。その象徴的な鞄が、私の作るトランク。

だから今日の夕方、キャリアに括りつけてゴロゴロ持って来たトランク見て、
すぐに私の作ったトランクだと分かった。
昔恋した女性に何十年振りかで再会した時に感じるドキドキ感と似た感覚を、
このトランクと再会して感じるボンジョルノ。

良くなめされた革をお手入れしながら素敵にエージングしてゆくのは素敵だけれど、
傷付きシミが付き朽ち果てながらも、それを思い出のキャンバスのように愛せる付き合い方も素敵じゃありませんか。

鞄作り続けて30数年。
愛情持って使い続けてもらっている私の作った鞄との再会は、
鞄作り続けていて良かったと心底思う瞬間。
思い出のキャンバスは残しながら、心を込めて復元します。

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