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ル・ボナーの一日 アーカイブ

2005年10月03日

ル・ボナーの一日を始めるにあたって

鞄を作り始めて三十年経ちました。
十九歳で手作り鞄のグループに加わり、二十一歳で結婚し、二十二歳で独立してから苦しい事の方が多かった。
鞄職人としての月日で、何度もやめようと考えましたが、今は続けていてほんとに良かったとおもいます。
今、続けられているのは、人との出会いだと思っています。
苦しくても心の貧乏人にはなりたくないといっしょに歩いてきてくれた妻であり鞄作りのパートナーであるハミ。物作りをつづける道筋を優しく教えてもらった村田さん夫妻。
手縫いの魅力を教えてくださった藤井さん。
本物を世に問おうといっしょにがんばろうとして下さった長島さん。
生き方の巾を広げてくれた卓ちゃん。
苦しいときでも逃げずに横に居てくれたイガ。
パターン(型紙)の豊かな可能性を教えてくださった金田さん。
夢を一緒に紡ごうとしてくれたタケちゃん。
二十年、見守りつづけてくれてる店長。
そして、名もない私たちの鞄を使ってくださっているお客様一人ひとり。
出会った多くの人たちに感謝しつつ、これからも夫婦二人で優しい鞄を作ってゆきます。
そんな鞄作りの日々をこれから綴ってゆきます。

2005年10月04日

お待たせしていたリュックキャッツが出来上がりました

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ネコリュックが出来上がりました。
今回は茶とチョコをつくりました。
前回はショルダー部分の革にイタリア、ワルピエ社のブッテーロを使っていましたが、
少し硬かったので今回は同社のマレンマを使いました。

2005年10月07日

フェルディーはこんな色もあります。

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ホームページに載せてない色の鞄もありますので、
メールで問い合わせてください。

2005年10月08日

ペーパームーンにはこんな色があります

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ペーパームーンには今クロ、チョコ、ベージュコンビ それとデュプイカーフとは違うデュプイ社の少し固めのカーフ革のチョコ色でつくったものがあります。
なじみはデュプイカーフのクロが一番いいようにおもいます。 
デュプイカーフはエルメスのメインタンナーとして有名なデュプイ社にオリジナルで作ってもらった革です。

2005年10月11日

取材がありました

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今日は月刊誌、サライの取材がありました。
鞄のこと、革のこと、ル、ボナーのこと、色々な話をし撮影をしたあと
カメラマンの方がいい時計をされていて、その話になりました。
このごろ、私は時計に興味を持ち始めておりお二人の時計の話はすごく楽しかったです。
お二人は時計の取材でよくスイス、ドイツに行かれるそうで、独立系時計士のフィリップ、デュフォーにも
何度か取材で会ったそうです。
今、ドイツの独立系時計士が面白いとの事。手ごろな価格で持っていて幸せな時計があるそうです。
ちなみにそのカメラマンの方が付けていられた時計もその一つでした。
同じ物作りをする私も、持っていて幸せになる鞄をつくって行こうと思う今日でした。

2005年10月14日

鞄作りをしながら思うこと

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私は元々、イギリス風の鞄が好きでそういったタイプの鞄を多くつくっていました。
その後エルメスや昔のグッチを知って、職人の精緻な技術によって広がる表現力に感動し、
そんな鞄職人のひとりになりたいと思いながら今日に至っています。
この頃、よく思うのですが、日本を表現した鞄ってなにがあるだろうかと。
現代の日本を表現しているのは、ラゲッジ゙レーベルのナイロンかばんだとおもいます。
しかしそれは、日本の文化や歴史を表現はしていないと思う。
銀閣寺や桂離宮の縁に座って庭を見た時に感じる安らぎのようなものと共通する鞄。
そんな鞄が作れたらと、試行錯誤の日々がつづきます。
写真の鞄も日本を意識して作ったものです。まだまだです。
時間をかけてこのことは、取り組んでゆきたいと思ってます。

2005年10月21日

テイカというタンナーがありました。

テイカのヌバックカーフ革で作ったトートバック
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ル、ボナーは輸入皮革だけを使いたいわけではありません。
ほんとは日本の革を使って鞄をつくりたいのです。
本来、日本のタンナーは世界トップレベルの技術力を持っています。
しかしコストを最優先に考えるため、なめしの甘い革を作り続けて私たちの希望する革を見つけることがなかなかできません。
なめしとはそのままにしていると腐ってしまう皮を、腐らない革に変える工程のことをいいます。
なめしが甘いと革が早く死んでしまいます。
しっかりなめされた革=時間をかける、時間=コストなのでその部分をはぶいてしまいがちなのです。
なめしの良し悪しはプロでも判別しにくい部分なのですが、長く使い続けるうえで一番大事なことです。
日本でいい革を探すのをあきらめかけていたとき、テイカの革に出会いました。
テイカの作る革に触れた時、その繊細で緻密な感触に驚かされ、そしてなにより日本の香りを感じました。
私たちはテイカのカーフ革がいきる鞄の試作を繰り返し、ようやく定番の革として使えるめどが立った矢先、テイカは解散しました。
理由は同じ値段ならブランド力のある輸入皮革を選ぶ日本の市場。
ごめんなさい。私たちのような小さな鞄製造業者には、良い革を作ろうとがんばっているタンナーを支える力がありません。とても残念です。

風景のある仕事場

工房の窓越しに見える風景
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150枚の手帳カバーの仕事もあともう少し。ちょっと一服しています。
ここでお店兼工房を始めて13年になります。
色々な事がありましたが、今はこの場所で過ぎてゆく時が愛おしいです。
私は今まで外が見えないショピングセンターやデパートでお店を持った事がなく
29歳で初めて持ったお店は東京の京王線沿線の聖跡桜ヶ丘で、お店の窓からジブリの映画 耳をすませばでよくでてくるいろは坂が正面にみえました。
その後、成城のお店も三宮のお店も外がみえました。
仕事していて一息いれるとき、私には外の空気が何より必要なんです。
ハミはジャズボーカルのライブを聞きに行ってます。
私はもう少し仕事をして、チャーと一緒に家路につきます。

2005年10月28日

突然、大御所がル、ボナーにやって来た

藤井さんウエブ.jpg
朝、電話がありハミがでると フジイです。神戸に行くのでお伺いしてもいいですかと。
あの渋谷の手縫い鞄の大御所のフジイさんです。
20年ほど前、フジイさんが吉田鞄をやめて国立に工房兼ショップを始められた頃私は府中に住んでいてカジュアルな鞄を作っていました。その時フジイさんの鞄作りに接して大きな衝撃をうけました。その後一時手縫いに夢中になりました。今は少し違った方向の鞄作りをするようになった私ですが、フジイさんの変わらぬ鞄作りの姿勢に尊敬しています。。
20年ぶりに会ったフジイさんは20年前の記憶のフジイさんのままで、私だけ年をとってしまったようです。
鞄の事、革の事、意気投合しながら話し、あっという間に時間が過ぎてゆきました。
方向は違うけれど鞄に対する思いは同じである事を確認出来た貴重な時間でした。
今度は私が渋谷の工房に行かせていただきます。こんな所まで訪ねてくださって
こころよりうれしく、ありがとうございます、でいっぱいです。

2005年11月01日

10年選手のひと時の里帰り

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10年前後使ったブリーフケースが修理でひと時、ル、ボナーに戻ってきました。
糸切れの修理でついでにコバを磨き直し、革の表面についた汚れを取りました。
ベルギーのマシュア社のサドルプールアップを使った鞄です。
色抜けはしていますが革はまだまだ現役です。
お手入れらしきことはされずに10年よくがんばったとおもいます。
少しの間休憩をとったらまた持ち主のもとに戻り寄り添ってがんばってください。
何かあったらル、ボナーに帰ってくれば、持ち主がこの鞄を愛しつづける限り修理します。
ル、ボナーから旅立って月日が経った息子が戻ってきた時、その鞄という息子は私に色々な事を語りかけてきます。

2005年11月02日

エルメスという孤高の皮革ブランド

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エルメスは皮革製品を扱うブランドでは別格です。
私もエルメスを研究し多くの影響を受けました。素晴らしいところは多々あるけれど、すべてを認めているわけではありません。
エルメスは他メーカーと違い組み立て段階からは一人一人の職人に完成まで任すため職人の技量の差が製品にはっきり出てしまいます。
若い職人が最初に手がけるのがボーグレネクーシュベルという皮革のためか、作りがいまいちの製品を多く見受けられます。それに比べ貴重品革を使った製品は震えがくるほど素晴らしいものを見ることができます。
また、エルメスは自社製品は全て手縫いと謳っていますが、実は皮革製品の大部分がミシンと手縫いの併用で、オールミシンの物も少なくありません。総手縫いの物は貴重品革に見ることが出来ます。
私はエルメスの素晴らしい部分は、手縫いをしている事より麻糸で美しくミシンステッチをいれる事。厚みのある革では使いにくい、いせ込み技法を使って縫製している事。革の性格を知り尽くしたうえでの贅沢な裁断。そして皮革製品の高級の世界基準を確定したこと。
ル、ボナーはエルメスに多くを学び、影響を受けました。
今、エルメスを卒業し、ル、ボナーの個性を創造しようとしています。見守っていてください。

2005年11月04日

手縫いにつての私考

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鞄好きの人には手縫いの鞄に憧れる人が少なくなくおられます。
私なりに手縫いについての考えを記したいと思います。
手縫いは時計のトゥールビヨンという機構ににています。
懐中時計であった時代には画期的な機構であったトゥールビヨンも、腕時計全盛の現在では複雑な機構のため組上げれる職人が限られ手間がかかり、そのため時計好きの憧れとなっています。
手縫いも、進歩したミシンが出回っている現在、鞄が手縫いである必要はないのだけれど
手間のかかる作業で、手縫いをする職人が少なく希少価値として欲する人は少なくない。
手縫い鞄を私なりにコスト計算してみると、ブリーフケースで30万円前後の価格で作らないとあいません。10万円前後で手縫い鞄を売っていたとしたら、作り手が無理をしているか誤魔化したものだと思う。
私も一時、手縫いに夢中で取り組んだ事があります。その時出来た鞄にどうしても高い値段が付けれずに苦しんだことがありました。その時思ったんです。
妥協せずに手縫いするなら、妥協しない値段をつけるべきだと。その代わり注文したお客さまの満足できるレベルのものを誠心誠意追求する。
手縫いはミシンと違って、運針を二度するようなチェーンステッチになります。
手縫いは右上がりのステッチになり、ミシンは左上がりのステッチになります。
ミシンで右上がりのステッチを縫おうとすると、ミシンの構造上糸が擦れて切れてしまうのです。ただミシンでも菱目打ちをして丸針で縫えば、手縫いモドキになり、素人には判別しにくくなります。
手縫いのステッチは一寸6目、8目までは初心者でもほどほどのステッチが縫えますが、一寸10、11、12、13目と細かくなるにつれてテクニックと精度が必要になります。
テクニックと精度を上げるとステッチは鋭利なものになってゆきます。
菱目打ちの良し悪し、菱切りの研ぎ具合、糸の選択と蜜蝋の含み具合、メリケン針の太さすべてステッチに影響します。
今まででこの手縫いだけは真似出来ないと脱帽した手縫い鞄がありました。
それはエルメスの80年前ほどに作られた横幅60センチほどの大きなソフトトランクで一寸11目のステッチ幅を、その幅より太い麻糸で革、板を突き抜いて縫いきったもので、ステッチ幅と糸の太さのセオリーを無視し、それでありながらステッチは安定した角が鋭利な四角に近い菱形の連続。その手縫いの迫力は今も私の脳裏にしっかり刻まれています。
手縫いからは少し距離をおいている今の私ですが、手縫いをやめてしまったわけではありません。手縫いという作業は非常にワクワクする作業ですから。

2005年11月06日

ル、ボナーの内縫いの鞄

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ル、ボナーの内縫いの鞄の特徴は、鞄を正面から見た時、正面後面とマチとの間を仕切るタマブチが前を向いてマチが額縁のように縁にみえることです。一般的な内縫いの鞄の場合は正面、後面とマチの間45度の角度にタマブチが見え、正面から見るとマチがやせています。この違いは鞄を実際に比べて見たとき大きな違いがあると思っています。
私は15年ほど前に鞄ブランドの企画として型紙を起こし初期サンプルを作り工場と打ち合わせをする仕事をしていた時期がありました。
その時一緒に企画をしていた金田さんという先輩がいました。
金田さんは元々オートクチュールの洋服を作っていた人でパターンを起こす事に秀でた人でした。金田さんにはパターンが創造する広がりと豊かさを教えてもらいました。
その金田さんがしようとしていた事が洋服の縫製技法を鞄作りに応用する事でした。
特に、いせ込みという技法を鞄で使えたら豊かな表情を生み出すと、力を入れていました。
いせ込み技法とは、スーツの袖と本体を縫い合わせるときなどに使う技法です。
これを鞄に応用する場合生地では計算にいれずにすんだ厚みも計算にいれないと適正パターンが出せず、その上革の固さが工場で量産した時に、豊かな表現を拒みました。
いせ込み技法を使って内縫い鞄を作っているのは、私の知る限りエルメスだけです。
この技法を使うとマチの厚い部分が外部とあたる事になり耐久性を格段に高め、
何より同じ鞄が別物のような豊かな表情をみせる。
私はル、ボナーを始める時、やっとこの技法を使った鞄作りが出来ると思いました。
少しの手間と工夫で手作りだから出来る表現方法を手に入れる事ができます。
手作りで鞄を作っている人には外縫い鞄を得意とする人が多い。内縫い鞄には豊かな表現方法が隠れているので試しで作ってみてください。

2005年11月07日

パターンって面白い

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私のパターンの師匠金田さんがイタリアのシホンベルベットを使って作ったベレー帽です。
竜が昇ってゆくような型紙で、同じものを2枚とり、それを縫い合わせるとこの形になります。
このパターンを考えるには幾何学が必要との事ですが、私はこのパターンを発想するきっかけを持っている引き出しの多さに関心しました。
その後、パターンについて師匠から出来る限り吸収しようとしました。
パターンを起こす上で一番大事な事は、デザインを見てより良く見えるようにするにはどうすればいいか自分なりに考え、創造し型紙を起こす事。
シンプルな形の鞄ほどパターンの違いが大きく影響する。
靴は木型によって曲線を作り出します。鞄はパターンと職人の指先のアンバイ加減で曲線を描きます。

2005年11月09日

ル、ボナーの取っ手

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今日は取っ手作りの日でした。
ル、ボナーの取っ手はエルメスの影響を受けた形状をしています。
エルメスだと100万円を越える鞄にしかこの形状の取っ手は使っていませんが、
ル、ボナーでは一本取っ手の場合、なんにでも使っちゃっています。
最初はこの取っ手の肉盛りには硬質ゴムを削って使っていましたが、
革の油分をゴムが吸ってしまって、革のひび割れが早いうちに起きてしまうことが分かり
その後吟面つきの革を重ねて使い、それだと少し硬いので、今は床革を重ねて削ったものに落ち着きました。
取っ手は鞄の顔なので気を使います。
30年の間に色々な取っ手を作ってきましたが、この形状の取っ手が一番気に入っています。取っ手に使うオサエとカンは真鍮を使ってオリジナルで作りました。
部品の一つ一つが丁寧な仕上がりを見せると、鞄本体の組上げにも力がいります。
鞄を作ることはほんとに楽しい仕事です。

2005年11月11日

ショルダーパパスについて

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ショルダーパパスはエッティンガーの真似をしたのかという問い合わせがありました。
エッティンガーというブランドを知らなかった私はインターネットでエッティンガーの鞄を見てみました。確かによく似ています。
ショルダーパパスは私自身が普段使うために、4年ほど前に作ったもので、アディダスカントリーの靴底をイメージして作ったオリジナルのデザインです。
ル、ボナーは敬意を払っている鞄は真似することもあります。エルメスの何点かは真似をしました。ケリー、バーキンなども作ってみましたが、エルメスとおなじ素材でエルメスの上級レベルの仕事をした場合、どうしても高いお値段になってしまうので今はやめています。
プリムを真似たキューブは、エルメスしか使っていない、いせ込み技法を適正価格で持っていただきたく思いつくりつづけています。キューブはプリムよりいせ込みを強くするためいせ込みに3工程使っています。ブリーフキューブは価格を抑えるため2工程です。それでもエルメス並のいせ込みです。
鞄のデザインにパテントはありません。見比べていいと思うものを買われる事を進めます。
ショルダーパパスは初めは英国資本のバングラキップを使っていましたが、なじみがイマイチだったので、今はイタリア、バトラッシュ社のミネルバボックスを使っています。
自分で言うのもなんですが、良い鞄だとおもいます。
ル、ボナーの鞄で定番として長く作り続けているものも、改良し続けています。
細ダレスも17年作り続けている定番ですが、今回も耐久性をあげるため二つの改良をしました。前にも増して、ル、ボナーを代表するメンズバックになったと思います。
良い鞄を作るという事が一番大事な事で、真似をされる、真似をするというのは小さなことに思えます。

2005年11月12日

私の尊敬する1970年代のブランド

私は尊敬する職人が多くいた60から70年代のヨーロッパのブランド、特に下記の3ブランドは色々な意味で影響をうけました。
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グッチ一族が経営権を持っていた頃のグッチのハンドバックです。私がいちばん注目したのはへり返しの厚みです。これだけ革を厚いまま綺麗にへり返すのはこの時代のグッチが一番です。日本の職人も綺麗なへり返しをしますが革を薄く漉いてへり返すので耐久性が劣ります。フィレンテェ職人の繊細な力仕事です。ステッチの糸はコットンでショルダーの部分のステッチはすぐ擦り切れてしまいますが、ヨーロッパ鞄の伝統を守って使っています。
この時代のグッチはエルメスにも劣らない存在感があり色香がありました。
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バレクストラはメンズバックを作る上で、バランスとセンスの良き教師です。かぶせのブリーフのサイズバランスは絶妙だと思います。そんなバレクストラが一番輝いていたのが、70年代であったと思います。私が二十歳の時バレクストラのシンプルでありながら高級を醸し出すソフトアタッシェのプルミエールを見て感動したのが、今でもこうして鞄作りをつづけているはじまりでした。今でもプルミエールは作っていますが30年前に見た時の感動はありません。何かちがうのです。写真のブリーフも黄金期のものです。革はフラスキーニのボックスカーフのようにおもいます。
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エルメスが高級鞄の世界基準になる前の一品です。エルメス的でないデザインですがハンパではない技術力を見せつけてくれます。ゆるみがまったく感じない緊張感のある鞄で恐れ入ります。この時代より前のエルメスの鞄を何度も見てるために、私にとってエルメスは特別なんです。
1970年代、ヨーロッパのほんとの高級鞄を手に入れることの出来る人は限られた人で、
その人たちを満足させるに十分な鞄がありました。今は色々なブランドの鞄が簡単に手にいりますが、オーラを感じる鞄は逆に見つけにくい時代になったように思います。
ファッションの名の下に大量消費されて職人の手仕事も宣伝広告のためで、ほんとに大事な事だとは思っていない。
そんな時代だから、逆に私たちのような個人の鞄職人が高い意識を持って鞄作りをしていかないとと思う今日この頃です。


2005年11月14日

夜のル、ボナーにて

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静かな街で、ゆっくり時間が過ぎてゆきます。
月に一度、仕入れで東京に行くのですがすべてのペースが速く感じてしまいます。
この大都市で走り続けていた自分が居たのだと、第三者のように思い出している自分がいます。今こうして東京から距離を置いた地でお店を出したことが、ほんとに良い選択であったと思います。東京にお店を出していたら、情報も早く得れるだろうし、マスコミに露出する度合いも多くなると思いますが、時代の流れに右往左往していたような気がします。
流行を気にせず、自分たちのペースで好きな鞄を作り、それを認めてくれる神戸という街。
神戸の人は東京を意識しない独自の文化を持っています。それが心地いいのです。
鞄作りで言えば、東京では黒、チョコ,茶中心でカラフルな色は挿し色ですが、神戸ではカラフルな色から売れていったりします。綺麗な色は作っていても楽しいんです。
街を歩いていても綺麗な色がいっぱいです。東京を歩くと印象は無彩色の黒です。
そんな居心地の良いこの街に根付いて、ゆっくり鞄を作ってゆきます。
まだ13年の新参者の私です。よろしくお願いします。

2005年11月15日

鞄職人になりたいと思っている人へ

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鞄は、靴や洋服に比べて基礎技術の鍛錬をあまりしなくても作れます。簡単に作れるだけにプロでやってゆく上で逆に大変なんです。
私は19歳の時、手作り鞄のグループに加わり鞄作りのスタートをきりました。
その後、21歳で結婚し独立してオリジナルの鞄の卸しを始めました。
手作りの、技術の幅のない鞄は色々な制約を受け、生活は苦しいものでした。
その頃は朝の8時から夜中の2時まで働いていましたが、それでも貧乏でした。
その後多くの物づくりをする人たちと出会い鞄作りの技術の幅を広げることで、
何とか30年続けられたのだとおもいます。
鞄職人の大半は問屋の製造を担うメーカーの組上げを歩合でやっています。
月に一人で200個ぐらい組上げれないと食べていけません。
私も一時やっていましたが量産のシステムを把握していないと、苦しいだけで無理があります。しかし大半の鞄職人はこのシステムに組み込まれています。
私たちのような鞄職人は隙間産業のようなもので、食べていけてるのはほんの小人数だけです。絶滅危惧種みたいなものです。
私も一時事業欲に燃え鞄職人になりたいという若者を何人か雇いいれていた時期がありました。しかし私に経営能力がないことを痛感し、今は夫婦二人でやってます。
鞄作りの教室に通って一生懸命覚えれば、センスの良い人なら月に2,3個の素晴らしい鞄は作れるようになると思います。しかしそれでは食べていけません。
一点一点鞄を作る作業は楽しいものです。しかし芸術作品ではないので、どんなに素晴らしい鞄を作っても数十万円です。それもブランドでない私たちの作るものは手間に比例します。手間に比例してつけた値段でもお客さんが納得しなければ一銭にもなりません。
それでも鞄作りに夢を描ける人は頑張って欲しいと思います。
お店に遊びに来たら、アドバイスは出来ると思います。

2005年11月18日

コバを磨くとは

コバ処理をしているところ
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メールでル、ボナーの鞄は本磨きですか?と言う質問がありました。
私は何を指して本磨きというのか解らないので、私なりにコバ(革の裁断部分)磨きについてお話します。
革のコバを処理する方法として大きく分けて、ヘリ返し、バインド、コバ磨きの3つに分かれます。
へり返しは一般に売られている財布などによく用いられる方法で、繊細な感じにみえます。ただ薄く漉かないと折り返せないので、カドの部分が擦り切れた場合ごまかすことはできても修理は出来ないのでル、ボナーではあまりやりません。
バインドは、テープの革が別部品なので、交換修理が可能なので使う事があります。
コバ磨きはよく使います。コバ磨きには染料磨きと顔料仕上げがあり、究極の磨きと言われるのが蜜蝋と熱ゴテを使った染料磨きですが、私の知っている製品でこの磨きをしているものは知りません。私たちも一時この磨きを使っていたのですがあまりに手間がかかりコストに反映することが出来ず今は使っていません。主にル、ボナーでは染料磨きを使いますが顔料仕上げのものもあります。染料の場合コバ色が黒か濃い茶になるので、カラフルな色の革のコバには向かない事があり、その時は顔料をつかいます。どちらにしても下処理に手をかけると美しく仕上がります。ただ顔料を使う場合厚塗りは避けます。早いうちに顔料がひび割れて取れてしまうからです。
切り身の処理は早かれ遅かれ痛みます。お手入れ、修理をしてくれるショップで買えば磨き直してくれるので心配いりません。美しいと感じれるものが良い処理です。手をかけた処理です。
ル、ボナーでは製品がより良く見えるようなコバ処理を心がけています。

2005年11月21日

6年使用の学手風ブリーフケース

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お手入れで6年使われたブリーフケースが里帰りです。
私はこのタイプのブリーフケースが好きです。
ベルトがあるために使い勝手の悪い鞄ですが、このベルトが鞄の型崩れを防いでくれる役目と、鞄本体の傷みをガードする役目を担っています。荷物を紐でくくる感じに似ています。
ル、ボナーのこの学手風ブりーフが他と違う箇所は、まずベルトが一周していることで、上に書いた二点のメリットを強化している事。斜め漉きした原厚の革を二枚貼り合わせたベルトは、細い人ならズボンのベルトに使えるほどしっかりとしています。
それとベルトを通しているループに、下駄を履かしていることです。下の写真で解るように、ベルトの両脇に革を重ねる技法です。この技法はエルメスのボストンバックに使われていて興味を持ち、使っています。鞄本体をガードするという意味でメリットがあると思ってます。ただ相当な厚みになり、ミシンではきれいなステッチが入れれないため手縫いになり、価格が高めの製品でないと使っていません。
あと、多くの学手風ブリーフの場合、内貼りをせずに一枚革で床部分をそのまま見せていたり、内貼りに生地を使うものが多いのですが、ル、ボナーではステア革かピッグスキンを内貼りに使っています。三層仕切りになると、表に使う革の倍ぐらいの革が内貼りに使う事になるのですが、革で内貼りをしたほうがいいと思ってル、ボナーではそうしています。
今ハミとふたりでダレスとブリーフ、キューブを作っているのですが、それが完成したら久しぶりにこの学手風ブリーフを作ろうと思っています。今回の改良点はベルトの位置を少し内側にすることと、ショルダーの取り出し位置を変えること、それと錠前を替えること。
特に錠前を何にしようか、今思案中。
使用後の、ブッテーロで作った鞄を見るたびに、ブッテーロという革は復元力のあるいい革だとつくづく思います。ル、ボナーにとって大事な革です。

2005年11月23日

ダレスを製作中

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ダレスももう少しで完成ですが、並行して他の鞄も作っているので大忙しです。
今,ワクと本体をつなぐ部分の手縫いをしていますが、手縫いはいつもながら時間を消費します。
8個作って4個はお店に並べようと思っていたのですが、作る途中で買い手が決まって、お店に並ぶのは黒のブッテーロだけです。嬉しいやら、淋しいやら。
時間に追われると、焦ってしまうのが私の悪いところなので、焦らず作ります。
太ダレスの定番で使っている錠前を作っているイタリア、OCS社が今年の初めに解散し、ある在庫を使ってきましたが、在庫も残りわずかになりました。新しく他の錠前を捜すか。オリジナルで作らないといけません。悩みの種です。
明日も休まず製作に没頭したほうが良いのかも知れないけれど、明日は前々から計画していたことがあるので休みます。週に一度の休みです。リフレッシュしないと。
日本のマチュピチュに行ってきます。

2005年11月26日

ブッテーロという革

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ブッテーロという革は、イタリアのワルピエという家内工業に近い小さなタンナーが作っているタンニンなめしの革です。有名なブランドではエトロ、トッズなどが使ってます。
革の部位はショルダーを使ってます。ヨーロッパの革はステア(成牛)の場合背中とお尻で分けます。背中とお尻の皮が性格が違うので、違ったなめしをするため原皮の段階で分けるのです。カーフ(生後6ヶ月まで)の場合はまだ若く性格の差が少ないので分けずになめします。アメリカの原皮は肉のついでのような扱いのため、お腹から背中を一気に割るため
性格の違うお腹と背中の半分がつながった半切という形になります。日本でなめされる革は大部分アメリカ原皮を使ってます。
ブッテーロという革には特別な思い入れがあります。私が始めて出合ったヨーロッパの革であり、今でも一番いいタンニンなめしの革だと思ってます。裁断するとき、包丁を革に入れると、ブッテーロの場合吸い付いてくるような感じがあります。他のタンニンなめしの革はパカっと開くような感じです。この違いはなめしの違いだと私は信じています。
この革はキズは付きやすい革ですが、歳月がそのキズを隠してくれる、復元力のある革です。
ブッテーロで作ったブリーフを買ってくださったお客さんが、川原のジャリ道で転んで、鞄の表面にジャリがめり込んだようなキズが付いてしまいました。見た時、これは治らないと思いました。それが何ヶ月か過ぎた後見てみると、キズは残っているのですがあの悲惨な状態からくらべると許せる、思い出のひとつのような模様として変化していました。
ブッテーロの復元力を実際に感じた出来事でした。
私はブッテーロをこれからも大事に使って行きます。大好きな革ですから。

2005年11月27日

鞄を作り始める前に

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私は鞄を作り始める前に図面のような絵を書きます。
デザイナーはイメージをスタッフに伝えるためにデッサンのような絵をまず書きますが、私の場合、サンプル製作を自分でするので、イメージを人に伝える必要がなく、絵は実際のバランスを見るために書きます。4分の1で正確に書くように心がけています。それを何度か書き直して、それから型紙を起こします。絵の段階の鞄は100以上あります。いつか形にしてあげたいと思ってます。
型紙になって1度は作ったことのあるものは数百はあると思います。ただ型紙を残しているのは100ちょっとです。財布などの小物は別に100ぐらいはあると思います。
ル・ボナーは統一感がないと言われることがあります。そのとおりです。
ただそれでいいと夫婦二人思ってます。ハミとわたしで作りたい鞄のタイプが違うし、好きで鞄を作っているので、企業ではないので、我がままな鞄作りを通していこうと思ってます。
ハミはドイツのシュリンク、カーフが好きで、このカラフルな革を生かしたバックを次から次へと作っています。それに比べて私は少しスランプ気味。そのため店内はカラフルなシュリンク、カーフ花盛り。私も頑張らないといけません。

2005年11月29日

家路の途中

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夜、チャーを連れての家路の途中、クリスマスのディスプレイが街を飾り付けています。
マンションのベランダをイルミネーションで飾り付けている家も何軒かあります。
写真はファション美術館のホールとスペイン階段を写しました。六甲アイランドには有名な建築家の設計した建物や風変わりな建物が多いのです。これはUFOみたいです。
神戸の旧居留地では阪神大震災の鎮魂のためにルミナリエが始まり、多くの人が訪れます。それに比べ、ここ六甲アイランドは夏に比べ人の往来がへります。初めてここを訪れた人はゴーストタウンのようだと言う人もいます。確かに特に冬は六甲おろしが吹いて寒々としています。商売をするには厳しい場所です。
ここでル、ボナーは13年つづけることが出来ました。これからも二人で鞄を作り続けれる間はここに居ます。多くの顧客に支えられてきょうまでつづけられ、これからも顧客を裏切らない鞄作りをしていこうと思っています。
人影少ない六甲アイランドにあるル・ボナーですが、それでも12月は1年で一番多くのお客さんが来店してくれます。ブランド品ではなくマイブランドのオリジナルの革製品を、愛する人にプレゼントするために。
幸福の手助けをさせてもらえるル・ボナーの12月です。メリークリスマス。

2005年12月01日

フィレンツェに行きたい

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私にとってフィレンツェは聖地です。一度はルネサンスの都の石畳を歩き空気を吸いたい。
写真はフィレンツェの革小物職人の工房です。フィレンツェに旅行する、お客さんの若夫婦に頼んで撮ってもらったものです。フィレンツェ市内を3日間歩きまわってやっと見つけた革の工房だそうで、観光でいっても鞄職人の工房は見つけ出せないとのこと。それでも私にはフィレンツェが鞄作りの聖地なのです。グーグルアースでフィレンツェの街を見るたびにこの中世そのままのおとぎの町への想いはつのります。
良い鞄を見るためならパリやミラノに行った方が見れるとおもいます。でも鞄の妖精はフィレンツェに住んでいます。
今日、革屋さんからデッドストックの革の情報が入りました。イタリアを代表するフラスキーニのカーフ革で、ユーロになってから値段が高くなりすぎて日本に輸入しなくなった、革たちです。フラスキーニはブレンダ地方にある、イタリアのクロームなめしの頂点に位置するタンナーです。古き良き時代のグッチがメインで使っていたのもここの革です。今回入手出来るのは、ムスタング、パペーテ、ビューカーフなどなど熟成されたワインを思わせる極上の革たちです。フランスのカーフは白ワイン、イタリアは赤ワインっていう感じに思えます。
事実革は湿度調整された倉庫で寝かしていると、なめしにムラがなくなり、より良い革に熟成されて行きます。だからデッドストックの革はより魅力的なのです。
手元に届き、実際に触るのが愉しみです。
イタリアの鞄は良い物と悪い物が混沌としててチョイスするのが難しい。イタリアの革も大部分ひどいもので、良い革は少ない。しかし良い革は特別魅力的なのです。イタリアものを購入するときは選択眼が必要です。

2005年12月02日

フラスキーニのカーフが届きました

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フラスキーニのカーフが届きました。このしなやかでねっとりとした手触りはフラスキーニ独特のものです。フラスキーニのカーフ革は、なめす時に漬けるクローム液を交換することなく、継ぎ足し使っている他のタンナーではやらない方法でなめすことで有名です。老舗のうなぎ屋の秘伝のタレのようなものです。
そして時間をかけてなめし、うわさではクローム液に牛の血をまぜることでフラスキーニ独特のねっとりとした触感を生み出しているといわれています。最高のイタリア、カーフです。
革屋の常務になぜフラスキーニの革をあまり輸入しなくなったのか聞いてみると、値段が高くてもイタリアカーフの良さを知ってもらいたいから、ほんとは輸入したいそうなんです。しかし現在のフラスキーニの主な取引先がトッズというブランドで、そこの指示で顔料厚塗りの革をメインに作っていて、本来フラスキーニを代表していた染料仕上げのねっとりとした革はあまり作っていないのです。無理を言って染料仕上げのねっとり革を作ってもらっても、イタリア人のいい加減な性格が災いして、顔料仕上げを送ってきたりするそうで、そのため昔のようには輸入出来なくなったそうです。イタリア、カーフは過去の遺物になろうとしているようです。寂しいことです。クロームなめしのタンナーはどこも厳しいようです。クロームなめしの革はある程度大きな規模を持つタンナーでないとつくれません。そのため規模を維持する経営をするには大ブランドに従う革作りをしていかなければならず、それぞれのタンナーの個性を無視した利益追求を最大の目的の革を作ってゆく。それが自分の首を締め上げてゆくのを知りながら。それに比べ小規模でもやれるタンニンなめしのタンナーは元気です。スエーデンのポルケ、ベルギーのマシュア、イタリアのバトラッシー、ワルピエ、個性的な革を作り続けています。
今回入手できた革は4000デシ程度。鞄約40個分ぐらいです。大事に使ってゆこうと思います。この素晴らしい革が活きる鞄を作ってあげないと革がかわいそうです。

2005年12月06日

ル・ボナーの12月

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今年の12月は特別忙しくなりそうです。残業はしない主義にしていたのですがやらざるおえないようです。元々注文品が12月に集中した上に、雑誌サライに載ったことで問い合わせが数多くありテンヤワンヤです。今まで色々な雑誌に載りましたが今回のサライの場合は今までと違う初めての年齢層からの問い合わせが多くありました。サライの読者の平均年齢は相当高いのです。そしてその年齢の人はメールをしたことがない人も多く、中にはファックスもつけてない人もいました。新鮮なカルチャーショックでした。団塊の世代より前に生まれた人には、今の若い人たちには必需品のパソコンもケイタイもいらないのです。
情報が洪水のようにあふれ出す時代、整理選択するだけで一仕事。なければないで困らない事のほうが多い。情報が少ないほうが優雅な生活が出来るような気がしました。
ここ数日急に寒くなりました。神戸の冬は風が厳しいのです。阪神タイガースの応援歌にでてくる六甲おろしが吹くのです。冬になると私はハミがプレゼントしてくれたシルクのマフラーとフランス製のベレー帽をしています。冬の私のトレードマークです。

2005年12月09日

シノさん、この革ではどうでしょうか?

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ペリンガーのシュランケンカーフの新色が入りました。
トープという色で見るまでどんな色か解らないまま買ってしまいました。
届いてみるとグレー系の色で、ライトグレーより茶色かかったグレーです。
奥様用に作られるボストンバックにこの色はどうでしょうか?
実際に見てみないと色は解らないので、お時間のある時に立ち寄って見てください。
エルメスの色作りには感心させられます。フルセットのパステル並に色があり、その一色一色が何色かの色を混ぜた微妙な発色をしています。
特にペリンガーで作るシュランケンカーフは、エルメスの使うシュリンク革の中でも一番良く出来ていると思います。

2005年12月11日

六甲アイランドの日曜日の夜

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六甲アイランドの日曜日は人影まばらで、飲食関係のお店はご覧のように日曜休日にしています。なんか違うんじゃないか、そんなふうな商売をしているから人がこなくなりお店が長続きしないのではないのかと思う。この街にすむ住民は魅力的な街づくりを願い、現に居心地の良い街だと思う。が、お店はなげやりで自ら努力することを忘れているお店が目立つ。それぞれのお店が、立ち寄ったお客さんに幸せな時間を提供できれば、長く楽しくこの街で商売がやっていけるのに。
ル、ボナーはここで13年かばん屋をやっています。繁華街ではなく、住宅中心の街には不似合いな手作りかばん屋のル、ボナーが今日までやってこられたのは、物好きな顧客が何度も足を運んでくれるからで、そんなゲストが寂しいこの街でも来てくれるのです。
現代のエトランゼの住む街、六甲アイランドが私は好きです。もっと色々なお店が元気になればもっと良い街になるのだけれど。

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2005年12月12日

革が好きです。

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私は革が好きで、特に牛革のなめしのしっかりしたものが好きです。
此処で、お店を始める前の、東京で製造卸をしていた頃は、仕入れてくれる小売店で売れる価格に絞り込まなければならず、アメリカ原皮の国内なめしの革を使っていました。
その反動で、お店を持って鞄を作るようになってからは使う予定がなくてもいい革を見ると買ってしまいます。革屋さんからはヨーロッパの革のコレクターと言われています。写真の棚にある革はその一部です。
ワイン好きがワインをコレクションするように、私は革を寝かせて熟成を待ちます。だからデッドストックの良質な革があると聞くといの一番に手を上げてしまうのです。量産鞄やは数枚のデッドストック革は後が続かないので使いようがありません。それに比べ小ロット生産の手作り鞄やにはお金もないので、少しずつ買えるのは願ってもないありがたさ。しかし使い道は後で考えるとしてとりあえず買ってしまうので、どんどん貯まってコレクター状態になってしまうのです。自分達の生産力がたいしたことがないのを忘れているのです。
来年からはこのコレクションを使って、一点作りでないと出来ないエッセンスを加えて鞄を作って行こうと思っています。その鞄は売れなくていいので値段は高くします。鞄好きが見てウォーと唸らせる鞄を作れればそれでいい。人はその足跡を自分なりの形で残したいのです。私は鞄という形で。

2005年12月14日

ミネルバという革

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ミネルバという革は特別色変化する革です。手前の2点が私が使用しているもので、後ろ2点が新品です。茶は約1年使い、グレーは4ヶ月目です。どちらもすごく色変化しますがグレーは特別で、別の色の鞄のようです。
この革を作っているのは、イタリアのバトラッシーというタンナーで、元々イタリアの古来のなめし技法を調べていた大学の先生が実際に作りたくなって始めたタンナーで、今は2代目のシモーネという人がやっています。そのなめし技法はバケッタ製法と言い、この製法で革をなめしているタンナーは数軒ありますが、手抜きせず忠実に古来のバケッタ製法をやっているのはバトラッシーのみです。
この革の部位はショルダー部分を使っており、脂を含んだピュアータンニン革で、ミネルバリスシオはプレーンなバケッタ革でブリーフ、シカゴやビジーに使っています。ミネルバボックスはリスシオを手もみして柔らかい腰にしたシボのある革でショルダー、パパスなどに使っています。
一般的にタンニンなめしは馴染んで、クロームなめしは馴染まないと思われていますが、それは間違った常識で、しっかりなめされた、染料染めの革はタンニン、クローム関係なく馴染みます。ヌメ(無染色の革)はどんなヌメでもいい色に変わると思われがちですが、実際には汚れが先行して、いい感じにはなりにくい。
ミネルバという革は、扱いが悪くても間違いなくいい馴染みを見せます。ほんとに面白い革です。
バトラッシーはフィレンツェの郊外の村にあります。その村にはブッテーロを作っているワルピエもあります。美しい村だそうです。一度は訪れてみたい村です。

2005年12月15日

総手縫いダレスの5年目の