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鞄職人松本氏の優雅な生活 アーカイブ

2005年10月04日

迷犬チャーのプロフィール

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仕事で店を離れる時以外は、いつも私と行動を共にしている次男のチャーです。
今年で6歳になる彼は薩摩ビーグルという犬種で、
猪狩のために、江戸時代に薩摩犬とイギリスのビーグルを交配してできた犬種だそうです。
そのため気性が激しくて、よく吠えます。
犬嫌いの人はル・ボナーでの買い物が落ち着いて出来ないとおもいます。
よく吠えるのを見かねたお客さんに警察犬の指導をしている人を紹介してもらったのですが、
ビーグルは無理といわれ、それ以来野放し状態です。
それでも可愛い我が家の次男坊チャー。


2005年10月07日

愛車とその主治医と私

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左が名医、古川氏。
古川氏とめぐり合うまでの長い月日と修理代も無駄?ではなかったのかと思う。
寡黙な中に、時おり見せる笑顔が私たちをやさしくしてくれる。
兵庫区、西土居モータースの古川さん。
名医といえば、動物のお医者さん、尾谷氏。近じかリンクします。

私の愛車ビートル

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私は68年式フォルクスワーゲンタイプ1にのってます。
ジムニーSJ10、ジープJ37、ランドクルーザー40系、とちょっと癖のある4WDを乗り継いできた私が初めて手に入れた乗用車です。
買って1年ほどは問題てんこ盛りで、高速道路の継ぎ目を通過するたびに左右にジャンプする、30キロ以上の距離をはしると必ずエンストしてしまう、その他いろいろ。
あちこちのワーゲンショップに持ち込んで修理を繰り返したのですが、本調子にはほど遠く
手放そうかと思っていたとき、ル、ボナーのお客さんで旧車を4台ほど所有しているM氏が
愛想は悪いけれど腕の良い整備士がいるから、1度見てもらったらといわれ、
これが最後と持ち込みました。
それからの5年間大きな問題もなく幸せなワーゲンライフを送っています。
つくづく旧車を乗り続けるには、腕のいい主治医がいない無理だとおもいます。
家族で遠出をするときはレンタカーを借りてしまう軟弱な私ですが、
このカブトムシが可愛くてしかたありません。

2005年10月22日

迷犬チャーの遠吠え

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チャーの我が家での指定席です。彼は居心地のいい場所を見つける名人です。
彼の吠え声は素晴らしく嫌になるほど大きいので、甘やかしている私たちは色々な
制約をうけます。
彼が来てからの6年間、家族で一緒に外食をする事は一度もありません。
外食をする時は誰かがチャーと留守番です。
いい猟犬か番犬にはなる素質はあると思いますが
集合住宅で暮らす我が家では無用の長物です。
愛玩犬に程遠いこいつとこれからも付き合っていきます。

2005年10月24日

私が愛用している革小物たち

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私は使い込むと馴染んでくれる革小物がすきです。
19歳の時初めて茶利革というタンニンなめしの革に出会った時から30年間そのことは変わっていません。タンニンなめしの革は思い出も一緒に染み込んで自分色に変わってゆきます。
ただ100パーセントピュアタンニンでなめされた革は少なく、合タンの場合馴染みません。
クロームなめしの革もよくなめされた染料染めの革は、タンニンなめしの革とは違った形で馴染んでゆきます。
ただ、私のようなカジュアルな生活をしている者にはタンニンなめしの革小物があっているように思うのです。

ビーちゃんが車検から帰ってきました。

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私の1968年式フォルクスワーゲンタイプ1が車検から帰ってきました。
車検のたびに若返るビーちゃん。今回は手を入れた部分はすくなくてすみました。
ドアウインドウのハンドルが異常に硬くなっていたのでその部分の部品の交換、バックミラーの交換、サンバイザーの取り付け、ヒーターが効かなくなっていたのでその部品も交換。
ヘッドライトの電球の交換、ワイパーのモーターの交換ぐらいです。
今まで、車検のたびに大手術をしていて小さな部分に手がまわらなくて今回やっと小さな問題に手をつけることができました。
あとは内装です。これは自分でやるしかありません。ぼちぼちやって行きます。
ビーちゃんは私にとって等身大のオモチャなんです。世話がやけるけれど現在の車では味わえない楽しみをいっぱい味あわせてくれます。

2005年10月26日

エトランゼの住む街六甲アイランド

シェラトンホテルから見たリバーモールイースト
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真ん中に見える三角の塔の下辺りにル、ボナーのショップが在ります。
此処にショップを出して13年になりました。
安藤デザインのこの建物も現代建築でありながら、日本の文化が感じられて気に入っています。
この人工島には外国人居住者が大変多く、おそらく関西で一番多いと思います。
左の方に見えるオレンジの高層ビルは外国人専用賃貸マンションです。
阪神やオリックスの外国人選手もここに住んでます。
英語が話せない私たち夫婦は、日本語で外国のお客さんに接しています。
神戸の中心の三宮から少し離れているこの街は商売をするにはハンディが多く、13年前一緒に出店した仲間の大部分は店を閉め、今も続いている所は数えるばかりです。
ただ、人工島でありながら緑が多く春夏秋冬を感じさせてくれて住みやすい街だと思います。
明日は週に一度の休日です。ハミとチャーと一緒にビーちゃんに載って再度山公園に鋭気を癒しに行きます。神戸の外国人墓地のあるところで私たちのお気に入りの場所です。そこで食べるおばあちゃんが作るやきそばが大好きなんです。
その後、もし今日阪神が勝ったら日本シリーズ第五戦を甲子園に見にゆきます。
お願いだから阪神勝ってください。

2005年10月27日

今日は再度山(1)

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阪神4連敗で私の甲子園デビューは夢と消えました。来年は必ず行くぞ!
今日は再度公園にいきました。
三ノ宮から車で15分ほどでこんな別世界に来れてしまいます。
神戸の良いところです。
此処で深呼吸をするとカラダに良いものを吸っているって感じます。

今日は再度山(2)

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この先に外国人墓地があります。
神戸の文化はこの先にある墓地に安眠してるエトランゼが作ったものだと思います。

今日は再度山(3)

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外国人墓地は部外者は入れません。外からやっと撮れた写真です。

今日は再度山(4)

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ビーナスブリッジから見た神戸です。ここから見る夜景が神戸では一番と言われているビューポイントです。
神戸は小さな街だけれど、豊かな街だと思います。
少し足を延ばせば自然があり、街には沢山のカラフルな色があり、こだわっているお店がいっぱいあります。時計、宝飾のカミネ、婦人帽子のマキシム、靴の銀座堂、他にもいっぱい、名前をあげればきりがありません。
この街でこれからも鞄を作って行こうとおもいます。

2005年10月29日

私の仕事椅子

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私は今まで仕事用にいろいろな事務椅子を使って来ましたが満足する椅子には出会えませんでした。一年ほど前初めて満足出来る椅子に出会えました。それがこの椅子です。米軍払い下げの家具を扱うお店で出会いました。クッションがないのに座ってみると全然お尻が痛くなく自然な姿勢ですわれました。私には少し高かったけれど買ってしまいました。
一年経った今でも非常に気に入ってます。
日本の60代より上の鞄職人の多くは床に腰をおろし仕事をしていたのですが、私たちの世代は机で仕事をするので自分にピッタリ来る椅子に出会えることはけっこう大事なことです。
あとで分かったことなんですが、同メーカーの椅子をアメリカの画家のノーマン、ロックウエルも使っていたようです。彼の絵にもでてきます。
作業用の机は科学の実験室で使っていたものを使ってます。カッコウはよくないですが安定感があるので気に入っています。

2005年11月03日

アウディーTTでドライブ

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今日の祭日はお店をあけたため、その代替で昨日はお休み。
休日の楽しみは午後のお昼寝。ふとんの中に潜り込んでウトウト始めたらリンーと電話。
電話は店長から。20年来の友人です。
私が東京の聖跡桜ヶ丘に始めてお店を出した時、同じショッピングセンターで別のお店の店長をしていて、今は出世して会社で責任の重い仕事に就いているのですが私たち仲間は今も店長と呼んでいます。
聖跡桜ヶ丘時代はよく遊び呆けていました。私たち家族と店長とアルバイトの卓ちゃんで
お店が閉まってから、次の日もお店があり息子は学校があるのに湘南の海岸まで車で行ってドンちゃん騒ぎ。ほかにもいっぱい無茶をしました。
店長は屈折した性格で、私みたいなノーマル(?)な性格の者と気が合うのが不思議です。そんな店長が横浜から転勤で関西に来て1年になります。
最初は勤務地の京都に住んでいたのですが、京都に適応できず3ヶ月でギブアップ。
横浜に似ている神戸に暮らすようになって何とか発狂せずに今は落ち着いています。
一番気の許せる友人です。腐れ縁は死ぬまで続く様な気がします。
話しを元に戻して
その店長が神戸の端の垂水にあるアウトレットモールに行こうと言うのです。
男二人でドライブです。須磨から垂水につながる国道2号線はオープンで走ると潮風の臭いが心地よく、遠くに淡路島と明石大橋が見えてデートにはベストシーンですが、男二人ではいけません。
アウトレットモールはハリボテの建築が印象に残っただけであとはありません。
ところで、写真のアウディーTTロードスター1,8Tクアトロ6速マニュアル左ハンドルは店長の車なのですが、現代の車の中で私はこの車とアルファロメオ147がすきです。
今まで強そうな車ばかり乗っていた店長にしてはセンスのいい選択だと関心しています。
飽きっぽい店長のことですから、この車も近いうちに手放すと思うので、その時は安く私のものにしようと思ってます。

2005年11月05日

フィリップ、デュフォーの時計

Philippe Dufour (Simplicity) ①ウエブ.jpg
作る人の魂を感じれる物に出会えた時、私は感動という震えを感じます。
フィリップ、デュフォーのシンプリシティーも私にとってはそんな一品です。
ブランド崇拝を卒業した時人は職人の魂の入った一品を求めるのだと思います。
魂のいった一品は魂に比例して高価になります。
しかし、ブランド力に比例して高価になるウソとは違って純粋なんです。
私も来年から二ヶ月に一品ペース位で、自分と正面から向き合って魂の入った鞄を作ろうと思う今日この頃です。

2005年11月08日

山口小学校の楠木

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親父の仕事の関係で、あちらこちらに引っ越した私ですが、故郷はどこかと訪ねられたら小学6年間と中1を過ごした現在の朝来市朝来町とこたえます。
今年の夏、小学校の時からの友達で今は弁護士をしているO君が、庭師の大ちゃんと3人で小学校の担任の衣川先生に会おうというのです。
弁護士のO君と庭師の大ちゃんとは10年前同窓会で久しぶりに会って以来親しく付き会っています。
O君は大阪に弁護士事務所を持って日々ハードに仕事をこなし、大ちゃんは何百年も先まで残る庭を造ろうと汗をかきながらがんばってます。全然違う仕事をしている3人ですが気が合うのです。
10年前の同窓会では、その後二次会、その後小学校の時仲の良かった男3人と美人で美容師をしているひろ子ちゃんと私の初恋の人ヒサ子ちゃんと、5人でひろ子ちゃんの家に押しかけ夜遅くまで話をしました。たのしかったなあ、、、、その数年後美人のひろ子ちゃんは白血病で亡くなりました。
それ以来の故郷です。
先生に会う前の日の夜、お店をハミに任せて特急はまかぜに乗ってゆきました。
生野駅までO君が車で迎えに来てくれて夜はO君の実家に泊めてもらいました。
次の日の朝は雨で、山の上半分は霧で隠れ空気が美味しくて思わず深呼吸。
私の住んでいた林業試験場もその官舎も今はありません。
私がお風呂にいる時間に美川ケンイチのヤナガセブルースをかけて映画の始まりを知らせる町に一軒の映画館もなくなっていました。
それでも朝来の町を歩くと、思い出がアチラこちらから顔をだします。
午前中に先生の家に行き、色々話して、飲んで、食べて午後からはお酒の飲めない私がO君の車を運転して、朝来の観光スポットを4人で回りました。
朝来の森美術館、千年家、ミコバタの精錬所跡、遠足でよく行ったババ山。
静かで幸せな時間でした。最後に、卒業した山口小学校に行きました。
私たちが学んだ木造校舎はなく、鉄筋の新しい校舎が建っていましたが、正門とその横にある楠木は今もありました。卒業文集の表紙の絵は私が書いたこの楠木でした。あの頃は枝がもっと横に伸び葉は青々と繁っていて偉そうだたのに、37年ぶりに見る楠木は少し元気がなさそうでした。
その日の夜,新井の駅から播但線で帰りました。O君と大ちゃんは駅のホームで手を振って送ってくれました。私にとっては幸せな24時間でした。
この年になって思うのですが、思い出は自分の人生のかけがいのない宝物なんだと。
また同窓会をしたいな。

2005年11月10日

あの頃はいつもジープ37に乗っていた

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東京の聖跡桜ヶ丘に始めてお店を出した頃に、このジープJ37を手に入れました。
子供の頃、親父が林業試験場の仕事でこの車に乗っていて、その頃から乗りたい車でした。私の車選びはエクステリアが五感を刺激すれば、あとはどうにでもなるというものです。私の所有した車で一番好きな車でした。
その後店をたたみ鞄製造卸し業に戻ってもこの車で、営業、仕入れと東京を走り回り
時間が出来ると家族と仲間で信州にキャンプに行ってました。
その頃人生で一番貧乏だった私はこの車を持ち続けることが出来ず、手放してしまいました。今でももう一度乗りたい車です。
アルバイトをしてた卓ちゃんを高校の卒業式の日に校門の前で待ってそのまま陶芸を勉強する京都に送っていた時もこのジープJ37でした。今は鎌倉で陶芸をつづけています。
その時京都観光にとついてきた映画マニアの井坂は、今はポルノビデオの監督をしています。昔の写真を見ると色々な出来事が蘇ってきます。


2005年11月13日

あの頃はみんなでキャンプ

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30代の私は時間がとれるといつもキャンプに行っていました。
貧乏だったあの頃、お金を掛けずにリフレッシュするのにキャンプは最高のチョイスでした。
写真の時は珍しく贅沢な旅行で6人宿泊予定で貸し別荘を予約し、11人で行きました。
場所は信州、白樺高原。昼はそれぞれ勝手に遊び夜は皆でドンちゃん騒ぎ。
一番チープなキャンプは卓ちゃんと卓の弟の周とアルバイトのイガの4人で行った12月31日からの奥蓼科での越冬キャンプでした。所持金は4人で1万円弱。燃料費が安くて済むのでイガのぼろジープに乗って下道でいざ奥蓼科へ。通行止めの道の先の先、零下15度の別世界へトリップ。装備はディスカウントショップで買った5000円のテントと1900円の寝袋の二重仕様。夕食は味噌味に餅、白菜、サザエの缶詰、あるもの何でも入れて山賊鍋。食べた後は花札して負けたら罰ゲームは、零下15度の雪原で雪にパンツさげたお尻を押し付けて100数える。朝、テントから外に出ると数え切れないお尻の形が雪原にありました。夜中、二重寝袋のかいなくあまりの寒さに目を覚ますと隣で酔って寝ているイガは寝袋も掛けずにグーグー熟睡モード。こいつは豪傑かバカだ。隣のテントからは寒さを紛らわすための歌が聞こえてきます。
次の日、帰り支度をしていた私たちの前で、和歌山ナンバーのカップルを乗せた新車のエスクードがスッタッグ。浮かれ気分で通行止めの雪道を走るからだ、ザマア見ろという思いでしたが、一時間ほどしても脱出できず、スタッグ脱出ベテラン4人組は助けてあげる事にしました。10分もしないうちに脱出成功。その後卓ちゃんの長々とした説教。お礼にとお金を差し出すカップルに金なんかいらないとまたまた説教。ほんとは金欠キャンプの私たちには喉から手が出るほど欲しいのにやせ我慢。それでもというのでしかたなく(?)貰ってあげて一万円をダッシュ。この不労所得で帰りは露天風呂と食堂での食事。
2年前の夏の終わり、岐阜の高山のその奥でキャンプをして以来していません。あの時も楽しかったなあ。私は工事用のブルーシートをターフとして使う名人なんです。

2005年11月16日

昔、ファーラウトというブランドがありました。

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15年ほど前、私は鞄ブランドの企画をしていた事があります。
鞄職人としていき詰まり、車工場の期間従業員のアルバイトなどをしていた時、知人から鞄ブランドに勤めてみないかという話しがあり、私は東京の広尾にあるその会社に面接にゆきました。その会社の名はファーラウトといいデザイナーの林ヒロ子さんを中心にヨーロッパでも通用する鞄ブランドを作ろうと立ち上げた会社でした。
林さんは若い頃ヨーロッパやニューヨークでモデルをしてて、その後ヨーガンレールの革製品のデザイナーを経て、ファーラウトのデザイナーとして独立した女性です。
その林さんのデザインを具体化しパターンを起こしサンプルを作り製造工場(メーカー)と打ち合わせをするのが私の仕事です。その時一緒に企画の仕事をした先輩が金田さんで、鞄作りの幅を広げる意味でも、一般の鞄業界の諸事情を知るうえでも勤めたことは有意義な経験でした。
ファーラウトは商社から資金が出て、社員15人の小さな会社でしたが豊かな仕事環境が豊かな発想を生むという考えで資金を贅沢に使いました。
写真のお店はファーラウトの1号店で日本橋高島屋の1Fにありました。その後6店舗の直営店を出しましたがどの店も贅沢な内装でした。会社のショールームの内装はそれ以上に
すごいもので床にはイタリアから輸入した大理石を敷き詰めてました。
贅沢に材料を使い、手間のかかる鞄作りをし、理想を追い求めました。
しかし、スポンサーの商社が倒産し、いっしょにファーラウトも解散しました。
その後、林さんはファーラウトのメンバーの半数を連れてトモローランドで新しいブランドを立ち上げようとしましたが上手くいかず一人イタリアに旅立ちました。
私には大きな経験であったし、夢のような楽しい時間でした。
林ヒロ子さんがワールドでファーラウト、ビヨンドというブランドを立ち上げたという話しを聞きました。がんばってください。夢を追い求める林さんは素敵です。

2005年11月17日

休日の私達

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休日は特別な用事がない時は、いつもチャーを連れて夫婦で六甲アイランドの南端にあるマリンパークまで散歩します。今日は空気が冷たく澄んでいて空は雲一つない晴天。
住宅地を囲うように遊歩道が周回し一周すると5キロになります。遊歩道の両側に色々な木々が植えられていて、今日はオオシマザクラの紅く紅葉した葉が目につきました。
マリンパークでは必ず釣りをする人がいます。ただ3,4年前まではほんとによく釣れたのですがここ数年魚が少なくなりました。ハミと娘のモモも一時釣りに凝っていて、朝の5時頃からマリンパークに行き、結構大きな魚を釣っていました。
その後ハミは水彩画の教室に行き、私は車の手入れかお昼寝をして夕方からの戦いに備えます。実は私の一番の趣味は囲碁を打つ事なんです。毎週木曜日の午後5時から10時の間シェラトンホテルの一室を借りて囲碁をうっています。私がこの囲碁クラブにはいって5年になりますが、メンバーのなかで一番弱くて実力は一級程度です。少しでも上をめざしてがんばっているのですが、なかなか勝てません。しかし囲碁というゲームはほんとに面白い。私は模様をはり大きな夢を碁盤に描く碁が好きです。実力が伴わないと勝てない美しい碁です。だから私はなかなか勝てません。
今日も1勝2敗で負け越しました。

2005年11月19日

チャーの恐怖

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チャーはカメラを向けると怒りの表情にかわります。その顔がこれです。魂を抜き取られるとでも思っているのか、カメラに向かって本気で怒りだします。
あと、仕事場でハミと今日はチャーをお風呂に入れようなどと話していると聞き耳を立てていて、家に帰る時間になってもなかなか帰りたがらず、なだめすかしてなんとか家までたどりついても家の中に入ると私に食ってかかってきます。格闘の末風呂に入れると今までの凶暴なチャーは影を潜め、哀願するような切ない鳴き声に変わり、お願いだからお風呂だけは許してとなきつづけます。それほどお風呂は嫌いです。
それ以上にチャーの最大の恐怖は獣医さんのところへ行く事です。チャーの主治医のオタニ動物病院に車で行く時、チャーは病院の10キロほど前から指定席のリアシートから立ち上がり私の肩に前足を置き声も出せずに震えだします。ただの予防注射に行くだけなのに
彼には幼い時の恐怖の体験が甦るのでしょう。それはオカマになった手術です。
彼の前足から伝わる震えは笑ってしまうほどの彼の恐怖のほどを伝えます。
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弱虫のくせに闘争心丸出しのチャーとは違って、前に飼っていたクークーはほんとに優しい犬でした。彼女はいつもいっしょに飼っていた猫のあかねとその娘のヒラメと犬小屋で仲良く寝ていました。クークーを留守番させて家族で泊りがけの旅行に行った事がありました。
家に帰ってみると家の中はグチャグチャに荒らされていて、泥棒に入られたのです。
近所の人は誰も気付かず、どうやらクークーは泥棒さんと仲良くなったようで吠えもしなかったようです。結局金めのものはなにもなく、グチャグチャにされただけで何もとるものがなくくたびれ損だったようです。。そのクークーは今は海の見える芦屋霊園の犬の形の石造のペット共同墓地に眠っています。

2005年11月20日

私のメガネ

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私はメガネが好きです。ただ勉強をあまりしなかった事が幸いしてか、目がアフリカの人なみにすこぶる良く、メガネとは無縁の45年間でした。
それがここ2,3年遠視が進みメガネを使うようになりました。
その間作ったメガネは5本。作り過ぎと言われますがそのとうりです。ごめんなさい。
今4本のメガネを使っています。写真の上から
自宅で新聞を読んだりする時につかいます。革まきはオリジナルです。
その下は手縫いなどの細かな仕事をする時に使います。小さなメガネで、万年筆より少し大きめのケースに入ります。アルミのケースに革巻きしました。
その下のメガネが一番よく使うもので、仕事中はこれをかけています。
一番下のは外出用で中遠両用で、ドイツ製のおしゃれなメガネです。
これからもメガネは買って行くと思います。
そんなにいらないと言われればそのとうりです。
でもまた買ってしまうのです。
私は10代の頃からジョン、レノンが好きで、彼のような雰囲気を持った大人になりたいと思っていました。しかし現実は厳しく30代前半に店をつぶした時の心労が黒髪の長髪をハゲオヤジに変え、神戸での飽食の生活が50キロ台のスマートな体型をデブな中年に変え、
ジョン、レノンになるのを諦めました。諦めたときにメガネの必要な人になりソコだけジョン、
レノンしてます。
後から分かった事なんですが私の乗っている白のビートル68年式はビートルズのアビーロードのアルバムの写真の4人が歩いている後ろに止まっているビートルと同じ年式、同じ色なんです。それも当時ジョン、レノンが乗っていたくるまなんです。他人が聞けばどうでもいいことなんでしょうが、ジョン、レノン好きの私にはその偶然に感動で震えました。
ナチュラルな生活に憧れながら、色々な欲をすてきれない私です。

2005年11月22日

安藤忠雄氏の建物

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私は安藤忠雄氏が設計した建物に、住吉の長屋がマスコミで紹介された頃から興味があり、現代的でありながら日本の美意識を具現化した建物に大いなる刺激をうけました。
13年前お店をここに出す事にした最大の理由は、安藤忠雄設計事務所が設計した建物にお店を出せるという事でした。一番安藤建築らしさが表現されていると、私が思ったスペースを借りるために、建築途中から下見に行き、この場所をかりました。なけなしのお金をかき集めての出店だったので、広さは9坪程度で、現在のお店の広さの半分以下でした。この場所に決めた1番の決定打がこのカーブした壁です。
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写真では伝えきれないのが残念なんですが、ほんとに表情のあるコンクリート打ちっ放しの壁なんです。
石をスライスして磨いたような硬質な表情があります。それは13年経った今も全然変わりません。安藤建築以外のコンクリート打ち放しはどれを見てもただのコンクリートです。後で知ったのですがコンクリートを枠に流し込むとき、安藤設計の建物の場合何度も締め付けてコンクリートの密度を高める作業を繰り返すそうです。
他のお店がコンクリートの壁を覆う内装をする中、壁が活きる内装を心がけました。
その年の大晦日の夜、お忍びで安藤忠雄夫妻が愛犬を連れて来店されました。13年間の中で一番ドキドキしたお客さんでした。
今は隣のお店との仕切りの壁を抜いて広いお店になりました。隣のお店の内装をそのまま使わせてもらっているので、お店と工房が統一感のないものになっていますが、目線の先には硬質な文様を持った壁が13年変わらずあります。

2005年11月24日

朝来へドライブ

今日はハミの要望で、朝日新聞で日本のマチュピチュとして半分冗談で紹介された、私の故郷、朝来にある竹田の城跡に、チャーを連れてビーちゃんに乗ってドライブです。
竹田の城跡に行くのは小学6年の時以来37年ぶりです。
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城壁のすぐ傍まで車で行けるとは知らず、下から登って着ました。結構へばりました。
素晴らしい風景です。遠くの山々が水墨画のようです。
空気は冷たいけれど優しい感触です。
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その後神子畑のイチョウの木を観に行きました。
夏に来たときに見つけたのですが、年をとったイチョウだけの特徴である、枝からオッパイのような部分がいっぱい下がっているんです。そのイチョウを見ると拝みたくなる神々しさを感じてしまうのです。そのイチョウは銀杏の実がなっていたので、女性でした。合掌。
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最後に、多々良木にある芸術の森美術館に。彫刻がいっぱいあり見てて楽しいのですがそれ以上に石を途方もなく積み上げたダムが圧巻です。
充実した休日でした。

2005年11月25日

我が家のビーちゃんは絶好調

昨日は久しぶりに、我が家のビートル68年式で遠出をしました。車検帰りのビーちゃんは絶好調。始動一発で目を覚まし大きなエンジンの音を響かせます。環境問題が厳しい折、肩身を狭くしながら?300キロほどの走行距離を、ビーちゃんをなだめすかしながら走り出しました。
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.高速道路は80から90キロで巡航します。120キロぐらいは出るのですがエンジンが壊れそうな悲鳴を上げるので、そこまではあまり出しません。4速が高速用で下道では3速が大部分です。タイヤの巾が145しかないので、見た目空気抵抗の少なそうな形をしているのですが横風で左右によく揺れます。
高速でよく止まった過去の記憶がトラウマになって、今でもすぐに路肩に避難できるようにキープレフトの癖はなおりません。ちなみに68年式のワーゲンにはハザードが付いていません。ドア窓から手を出して後続車に知らせます。
サービスエリアで休憩していると、若者が近寄ってきました。何か言いがかりでもつける気かと思いきや、綺麗なビートルに乗っていますねと褒め言葉。彼はグローリー、ビートルに乗っているとの事。1978年式のドイツ本国で作った最後のビートルをそう呼びます。
古い車に乗っている人間は、その車に金では買えぬ価値を勝手に見出します。私もその一人です。若者のビートルは完全にオリジナルで、そのためボロボロだそうです。そんなことはないでしょうと若者のビートルに近づくと、確かにひどい。だが若者よ、貴方は偉い。
私のビーちゃんはボディーは全塗装、エンジンは新品のメキシコ製、足回りも総とっかえ、整形美人なのです。でもそれは言わずに、サービスエリアを後にしました。
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ハミはビーちゃんの助手席に乗るようになってから、うたた寝をしなくなりました。80キロ走行で最新の車の160キロよりスリルを味わうと乗った人は言います。褒め言葉と受け止めて、ハミも一緒に愉しんでいるのだと信じています。
今回のドライブで、私は自信がつきました。夏以外はレンタカーを借りなくても、このビーちゃんで遠出ができると。今度は尾道に行こうと思っています。

2005年11月28日

私の親父

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私の親父は森林関係の研究をする公務員でした。人付き合いの悪い性格が災いして、最初は県庁に居て、そのあと林業試験場に行き、最後は親父のために作ったような緑化センターの初代所長という肩書きで公務員を終えました。親父は品種改良と害虫の研究を主にしていました。品種改良で思い出すことは、芋ほどの大きな栗を長年かけて作ったことがあり、それを実験台として食べたことがありました。これがひじょうにまずく、マロングラッセにしたら何とか食べれるのではと試してみても、やはりまずいものはまずく、結局実用化されませんでした。ハンドボールほどのイガイガが育つ栗の木は今も夜久野高原の緑化センターの森にあると思います。害虫研究では、親父の研究室に数えられないぐらいの虫の入っている試験管があったことがおもいだされます。天橋立に行ったとき、松くい虫が大発生し天橋立の松が危険にさらされた時、陣頭指揮をとって駆除し被害を最小限に抑えたと自慢気に話していました。
怒るとメチャクチャ怖い親父でしたが、休みの日には弁当を持って家族であちこちの山に登りました。行きたくなくても親父が行くと言えば行かなければならない絶対君主のような親父でした。そんな親父が死んで15年になります。
勉強嫌いの私は親父の思い描いた理想の息子とは正反対の人生を生きてきたように思います。親不幸な息子でした。
私の息子は、高校時代担任の先生に親の後を継いで鞄職人になればいいのにと言われていたのに、不思議な事に私の親父と同じ森林関係の研究者の道を進んでいます。
息子が学会で論文を発表するのを親バカの私は聞きに行ったことがあります。その時私は私の親父のことを思いました。もし生きていたら孫のこの姿を一番喜んだのは私の親父であったと思う。
親父は普段はいつも作業着を着ていましたが、出張の時はスーツに、冬は誂えたウールのコートを着て出かけて行きました。お土産はいつもハイクラウンチョコレートでした。
そのコートを今レトロ好きの孫が気に入って着ています。誂えた年が内ポケットに刺繍されていて、昭和31年とありました。私が生まれた年に誂えたコートでした。

2005年11月30日

20代はラグビーに夢中だった

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私の24歳の誕生日の、ハミのプレゼントはラグビークラブの申込書でした。
私は昔からラグビーが好きで、してみたかったのですが、学校のクラブにはラグビーがなく、その後は職人人生、見るだけで我慢していました。そんな時、このプレゼント。うれしくてすぐ申し込みをしました。入ったクラブはのっぺラボウズという草ラグビーチームで、西荻窪のすし屋の常連が作ったチームでした。のんべいが作ったホドホドラグビーをエンジョイする程度のものだろうと考えていたら、これが社会人が趣味でやるレベルではなく毎週猛練習の連続、ヘドは出る、足はつる、さぼろうとすると電話はかかるし、迎えに来るで学校のクラブなみなのです。月曜日は体中筋肉痛で仕事にも支障をきたすありさま。それでもやればやるほどラグビーの虜になってゆきました。私のポジションはNO11のウイングです。足が速いのでこのポジションを任されたのですが、決して得点力のあるウィングではありませんでした。ただディフェンスには自信があり、タックルに命かけてました。
メンバーは雑多で、鉄工所のおやじ、特許庁の職員、ファイト一発のCM撮ってるカメラマン、一級建築士、家具職人、お金が貯まると海外を放浪する日雇い労務者、東大の学生など色々な人種が集まってました。皆懸命に走ってました。
夏の2泊3日の山中湖の地獄の合宿は午前も午後も練習、練習、夜は筋トレ、遊びの粋は完全に越えていました。
そのかいあってチームは徐々に強くなり、私がお店を出し日曜日休めなくなりチームをはなれた後、都のクラブチームの大会で準優勝する強いチームになりました。ただその時のレギュラーは大学でラグビーをやっていた私の知らないメンバーで、一緒に走っていた雑多な連中は裏方をやっていました。良い時にこのクラブでラグビーが出来たなあとおもいました。ヘタな私でもレギュラーでやれた時期に。
今はテレビで見るだけですが、ラグビーは一番好きなスポーツです。近くに神戸製鋼とワールドの練習グランドがあり、ラガーマンのお客さんも何人か来られます。そんな時ラグビーのことを話すのが、大好きなわたしです。

2005年12月03日

ハミが書いた絵

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私はハミの描く絵が好きです。
この写真の絵は、ル・ボナーが三ノ宮のギャラリーで展示会をしたときポスター用に数分で描いた絵です。
伸びやかで物語を感じるこの絵が特に好きです。
私の妻であり鞄作りの相棒であるハミがいなければ、鞄職人をつづけていなかったと思います。金銭的に苦しい時も、精神的に行き詰った時も、ずっと傍に居てピュアーな心を持ち続け柔らかな人であり続けた。感謝しています。
ハミの作る鞄は、ハミの描く絵と同じで自由で柔らかな感性を表現してます。その時々の流行とは無縁のデザインで、好きなものをつくります。
それに比べ私は俗人で、これ見よがしの鞄を作ったりします。
ル・ボナーの工房の壁には少しずつハミの絵が増えて行きます。もっともっと描いて欲しいなー。私の宝物です。

2005年12月04日

ル・ボナーの家具

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私はフランスのアンティック家具がすきです。写真の鏡台とテーブルもそうです。
フランスのものはウォールナット(クルミ)が多く使われていて、硬質な木目がわたしは好きです。日本に輸入されるヨーロッパのアンティック家具はイギリスの物が多く、イギリス物はオークを使った塗料の厚塗りの家具が多くて、好きになれません。
特に写真の鏡台はクルミの根をつかった象嵌細工を表面に使った手のかかったもので天板の大理石の年代から推測して200年は経っているとの事。テーブルはフランスのウォールナットの家具らしいキメの細かい木目を松脂のワックスで磨き上げ、それぞれの足に控えめな彫り物がしてあります。
この鏡台とテーブルは東京の国立にあるタイムジャックというフランスアンティック家具を専門に扱うお店で購入しました。お店は小さいのですが、郊外に3箇所倉庫があり、そこには宝物がいっぱい隠してあります。それに都内のお店に比べて値段が安くて、質がいいのです。
ル、ボナーの年末の大掃除の仕上げはこの家具たちをフランス製の松脂のワックスで磨き上げることです。
家具も鞄も革も人の手仕事は、それぞれの国の文化や民族性に起因していると思います。百花繚乱だから面白いのです。グローバルスタンダードという言葉は私には無機質なつまらないものを感じます。好き嫌いは別として、色々あるから楽しい。無駄は豊かさだと思う。

2005年12月05日

傷心のチャー

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チャーは先週の木曜日の散歩で、足の裏の肉球を何かで切ってしまったらしく、今日もびっこをひいて歩いています。足の裏を見るとそんなにたいした傷ではないので、過保護ゆえにオーバーな態度をとって甘えているだけだとほっておいたのですが、よくならず、獣医さんに見てもらいにゆこうかと声をかけると急に元気な足どりになります。獣医さんに行くのがチャーにとって最大の恐怖で、獣医さんのところへ行くぐらいなら、傷みは我慢できるという精一杯のチャーの意思表示なんでしょう。
今週の木曜日にはどちらにしてもオタニ動物病院に連れて行きます。ついでにお腹にできたデべそのようなおできも切ってもらおかな。
チャーはちゃんとお座りと言わないと写真のようなお座りをするだらしないビーグルです。
骨がまがっているのかと最初は思っていましたが、親のナナも同じ姿勢でお座りをするのを見て血筋だと分かり安心しました。
体重は20キロを越えデブビーグルです。

2005年12月07日

身の丈の幸せ

15年前の私たち家族
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私は今幸せです。好きな鞄作りを生業とし、家族4人が食べて行ける。
身の丈にあった私の幸せです。この幸せを充実したものにすればそれでいい、もっともっとと欲張ろうとは思わない。
大きな夢を求めて高みを目指す人は美しい。しかし自分の金銭欲や名誉欲を満たすためにもっともっとと走りつづける人は悲しい。目指すものが抽象的なためにいつまでも求め続けもっともっとと走りつづける。多くの人を踏みつけて登った高みの先にはもっと高い欲望という高みがあり、それは永遠につづく。
それに比べ身の丈の幸せを規定できると自由になれるように思う。背伸びして前だけ見てると見えなかったいろいろなことが見えてきます。五感が自由になるのです。その時その時を感じながら生きていける。美しいものが見えてくる。
私はずっと宝くじを買っています。2年ほど前まではもし当たったら人生が変わると色々想像していました。それがこの頃、もし当たっても大きく変わらないなと思うようになりました。
決してお金持ちになったからではなく、求めるものが変わったからだと思います。
身の丈より少し背伸びしたものを買うときのドキドキとする幸せ感。それに比べどんなに高いものでも余裕で買ったものにはそれはない。
事業拡大をしようとした時期もありました。それが私の身の丈を越えていたことを悟ったとき自由になれました。今その時その時を感じながら生きてます。

2005年12月08日

休日のル、ボナー

今日はビーちゃんに乗ってチャーの足を診てもらいに兵庫の山手にあるオタニ動物病院に
行きました。途中郵船ビルが見えました。親しいお客さんがこの3階の海が見える場所に事務所を持ちます。仲のいい連中の隠れ家風に使うとのこと。遊びに今度行ってきます。
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オタニ動物病院ではチャーの激しい抵抗にあい、押さえ込むのに大変な体力をつかいました。やはりチャーの右足の肉球は深く切れていて、レントゲンと注射2本と沁みる消毒とチャーにとっては悪夢の時間でした。今日はいつもより早めに車の中で震えだしました。その後に起こる悪夢の時間を予期していたかのように。
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帰り道、お世話になっている人に贈り物を買うためにまずは大井肉店へ。神戸ビーフを買うならここでと言われている老舗の神戸ビーフ専門店です。創業明治4年というまだ肉を食べた事のない日本人が大部分の頃からやっているという事。偉い
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その後六甲道にあるメツゲライ、クスダというハム、ソーセージ専門店へ。専門店は売っているものへの思い入れが違うので好きです。あれもこれもと買っているうちに結構な金額になってしまいました。猪肉のパテは買わずにはいられなかった。
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最後に阪神御影駅前のケルンというパン屋さんへ。神戸は人口あたりパン屋とケーキ屋が日本一多い都市と言われています。私たちはここのパンが好きです。とくにコッペパンは絶品です。お昼ごはんは猪肉のパテとコッペパンにごぼうサラダをはさんだサンドイッチとコーヒーでした。美味しかった。
写真は御影駅の高架下の入り口です。昔この先に多くの個人店舗があり、にぎわっていたのだろうなと想像し、今はその賑わいはなくその寂しさをこの扉が象徴しているように思えました。
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今夜は囲碁クラブの懇親会です。一番若くて最後まで生きているだろうからと幹事をさせられています。結構雑用が多くて後悔してます。

2005年12月10日

パソコンとのお付き合い

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パソコンと毎日接するようになったのはブログを始めるようになってからです。
それまではキーボードもマトモに打てませんでした。今もパソコンのことは全然無知で、分からない事があるとコンピューター関連の会社に勤めている親しいお客さんに助けてもらってます。色々説明してもらうのですが頭の中が固くなっている私には、馬の耳に念仏で何も頭に入りません。それでもブログはつづけられているのですから、パソコンは偉いです。
私は形から入るタイプなので、マックのパソコンが欲しかったのですが、みんなにそれはやめろと言われ、しぶしぶマックに少し似ているデルのこのパソコンにしました。
17インチの画面で老眼の私でも見やすくて気に入っています。ただデルは基本の状態は安いのですがアレも欲しいコレも欲しいとオプションを加えていくとあれよあれよと高くなり、
必要のないオプションいっぱいの厚化粧パソコンになってしまいました。まあいいか。
高校の頃勉強が嫌いだったので、授業中も小説ばかり読んでいて、物書きになれるといいなあとぼんやり考えていた文学少年だったので、ブログを毎日更新するのは全然苦になりません。
ただパソコンにアクシデントが起きたときはあたふたします。親しいお客様の暖かいご協力なしには私のパソコンライフは維持しません。みんなありがとう。
ホームページは大和出版印刷というところに頼んで作ってもらいました。元々そこの社長さんや社員の人たちがル・ボナーのお客さんで、ホームページを作ったほうが良いよと勧められ善意で作ってもらいました。今年中にリニューアルします。楽しみです。
それとル、ボナーのポスターを今、大和出版印刷で製作中で、それを印刷技術を競うコンクールに出品するそうです。完成するのが楽しみです。

2005年12月13日

チャーは元気になりました

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足のケガから立ち直り、元気なチャーに戻りました。
チャーは本来臆病な性格なのですが、それを隠すためによく吠えます。お店に訪れた若い女性には吠えないのですが、おじさんとかには吠え続けます。商売の上ではお店においておきたくないのですが、まだチャーが若い頃、家に一匹で留守番させようとした時、遠く離れた場所まで、鳴き声が響いてこのまま留守番させると近所に多大な迷惑がかかると諦めて以来、毎日お店に連れて来ています。
お店のアイドルというには程遠く、お客さんが来るたびに吠えつづけています。
夫婦ゲンカをするたびに、ハミは私に対して、あなたはチャーそっくりと言われます。娘曰くそのとおり。その言葉を聞くと私は何も言えなくなります。いくらなんでもあんな甘えたでかんしゃく持ちのチャーといっしょにするなと心の中でつぶやいています。(涙)
チャーは散歩の時鼻を地面にするほどに近づけて匂いを嗅ぎながら歩きます。カッコ悪くて下品なので何度もやめさせようと試みたのですが直りません。今日はその罰が当たったのでしょう、小石を鼻の中に吸い込んでブヒブヒもがき苦しんでいました。ざまあみろ。今日で3回目です。
今夜もチャーを連れて帰宅途中、ニコニコしながら婦人とワンちゃんが近づいてきます。ほんとは仲良くしたいのですが、私はニコニコしながら手で静止のポーズをとって離れます。
チャーは至近距離に入ると、吠えまくり威嚇します。婦人と可愛いワンちゃんの恐怖する(あきれた)顔を見たくないのです。
彼は体重で分けると中型犬ですが、犬種的には小型犬の部類に入ります。ここなら大丈夫と思い鋳物でできたベンチにチャーをつないで離れたところに居ると、彼はそのベンチを引きずりながら近づいてくるのです。彼の鬼気迫るパワーに呆れてしまいました。
そんなチャーとこれからも一緒に暮らして行きます。

2005年12月16日

レマン湖のライトアップ

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ライターのNさんが独立時計士の取材でスイスに滞在されていて、スイスからメールが届き添付されていたライトアップされたレマン湖の写真です。幻想的な、日本ではなかなか見ないライトアップです。冷たく美しいロマンチズム。
今神戸の旧居留地では、神戸の冬の最大イベントのルミナリエがおこなわれています。ルミナリエは暖かなライトアップです。
私は冬が好きです。幼い頃、雪降る町で育ったためか雪が好きなのです。東京に住んでいた時も、雪が見たいだけのために信州まで車をとばしたことが何度もありました。
雪の積もった世界は音が雪に吸い込まれ、無音の世界になります。その世界がたまらなく心地良いのです。、日本の雪国の冬は暖かさが心に残る、寒い季節です。
神戸の数少ない不満は、六甲山が邪魔して雪ガ積もらない事。雪を求めてこの冬も雪降る町に車を走らせるでしょう。

2005年12月17日

アメリカ西海岸の旅

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初めてアメリカ西海岸を旅したときにフリーマーケットで手に入れたレミントンのタイプライターです。購入価格は当時10ドルでした。
その旅は、当時親しくしていた10歳年上の靴のアドバイザーのNさんと2人でのレンタカーを借りてモーテルを泊まり歩く2週間の貧乏旅行でした。
Nさんはその頃、三菱商事の仕事をしていて、アメリカブランドのコーチを直接仕入れるか、日本でパテント生産するかという問題に関わっていて、コーチ製品に使っている革の大部分を作っているサンタクルーズにあるサルツ社というタンナーを視察するというのが表向きの理由で、ほんとはアメリカの面白さを私に教えるためでした。アメリカ大好き人間のNさんにとって、アメリカには見るべきもの作り文化はないと思っていた私の考えを変えさせたかったのです。行って見て私の考えはますます強固なものになりました。ただアメリカでの2週間はほんとに楽しかった。最先進国でありながら文化的でないアメリカという国は居心地がいいのです。特にカリフォルニアだったからだと思いますが、大雑把でいい加減なのが、悔しいけれど私にあっていました。
旅のコースはロスからサンフランシスコにフリーウエイをいっきに北上し、そこからゆっくり海岸線をサンディエゴまで南下し、ロスに戻るというものでした。英語がまともにしゃべれない2人の貧乏旅は新鮮な驚きと緊張感に満ちたものでした。食べ物では甘すぎてバカデカイ、アップルパイのせいで2日間胃もたれしたことと、アメリカ庶民を感じさせるチリビーンズドックとまずいチェリーコークで、あとは大雑把だったとしか覚えてない。
宿泊代は高くてもツイン40ドルを守りました。その当時ハードゲイが闊歩することで有名だったサンフランシスコのカストロ通りを興味がてら歩いていると、向こうから革ベストを着たそれらしきカップルが通りすがりににこにこしながら、肩をたたいていったのです。どうも私たち二人も同じ部類と勘違いしたようです。ブルブル  その頃エイズが話題になりかけた時期でした。
アメリカは貧乏旅行がいい。アメリカのいいところが見えてくる。また行きたいな。車だけはMGのポンコツ車ではなくて、少し程度のいいのをレンタルして。

2005年12月19日

大和出版印刷が作ったポスター

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大和出版印刷は同じ六甲アイランドにモダンな社屋を持つ、才能ある若き社員が集う印刷屋さんです。社長さんを筆頭に多くの社員の人たちがル、ボナーの鞄を買っていただき、大和出版印刷の人たちは制服の変わり?にル、ボナーの鞄を持って貰ってます。
そんな印刷屋さんの今年の最後を飾る行事が、印刷技術のコンクールにポスターを出品する事で、その素材にル、ボナーを使うことになり、決定したポスターの原案をパソコンからプリントアウトして持ってきてくれました。実際に出来上がるポスターは最新の印刷機の限界に挑戦するので、色も図柄も超鮮明になるそうですがこれでも十分カッコいいです。
バックには革の表面を撮影し、色加工したそうで、出来上がりを見るのが楽しみです。
ル・ボナーのホームページも大和出版印刷に頼んで作ってもらいましたが、センスのいい美しいホームページに仕上がって私は大満足で、頼んで良かったと思ってます。
文化祭のノリで、大和出版印刷の若い才能を結集したポスターがコンクールで何かご褒美が出ることを祈ってます。

2005年12月20日

私の車遍歴

免許を取って初めて所有した車が、このいすずのユニキャブです。4WDのような格好をしていてそうじゃない車で、直進安定性が最悪の車で、第3京浜を走っていて突風で隣車線までかってに移動してしまうほど横風に弱く、危険を感じつづけて、1年ほどで手放しました。
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その後サニーバネットという箱バンに乗っていました。仲間と1週間仕事をせずにエクステリアに絵と文字を描きまくり、近所の人はこの車を見て私の職業が前衛劇団の団員だと思っていたようです。
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その次がジムニーSJ10です。いつもオープンで乗っていました。雨の時は傘をさしてのっていたのですが、上からの雨は防げるのですが、対向車、特にトラックが巻き上げる水しぶきはまともにかぶり、はみと私はずぶ濡れになります。零下15度の霧ガ峰極極寒キャンプもこの車でいきました。床が錆びて抜け落ち手放しました。
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そして昔からの憧れであったジープ J37です。私は今でもこの車が一番好きです。程度の良いJ37が手に入れれるなら今でも欲しいくるまです。あの頃私は人生で一番貧乏でJ37を手放すことになったけれど、そうでなければ今でも乗り続けていた車です。
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スバルのサンバーは結構気に入って乗ってました。燃費がよくて、維持費が安い、荷物もいっぱい載って、4WDでサンルーフまで付いてました。首都高速でエンジンが焼き付きアイススケートの選手のように何回転もして、それでも事故を起こさずにすんだその日まで。
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ランドクルーザー40系はいい車でした。ヘッドコンソールを自作しそこにオーディオをセットし、リアシートはハイエースのシートを取り付けてリクライニング、ベットになるようにしました。神戸に来てからも乗っていたのですがNOX規制をクリアー出来ず手放しました。
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そして今フォルクスワーゲンに載ってます。
今まで一度も新車を買ったことがありません。それと所有した車は全部ヘッドライトが丸目です。

2005年12月21日

形にして表現したい心

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ハミの姪が作った陶器のオブジェです。私は彼女の作るオブジェは、彼女の心象風景をよく伝えていて大好きです。
物を作って表現することは人間にとってプリミティブな喜びです。
しかし、その事で食べてゆくのはむずかしいことです。
芸術家は世の中が評価しなければ一銭にもならないし、職人は数をこなさなければ、どんなに素晴らしい物を作っても貧乏のまま。それでも作りつづける。自分がこの世に生きている証だから。
アマチュアとプロの違いは逃げる場所があるかないかだと思います。プロは逃げれないから、世の中と折り合いをつけて物作りをせざる終えない。妥協出来ることは妥協しながら前に進む。その先にある自由な世界を夢見ながら。

2005年12月22日

S君の彼女への結婚指輪

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神戸に雪が積もりました。神戸に住んで13年、雪ガ積もったのは数えるほど。
雪好きの私はチャーと一緒に銀世界に飛び出して、飛び跳ねていました。
今日は休日を返上してクリスマスイブに間に合うように鞄作り。サンタクロースになったような気分で仕事してました。
昨日、お店をオープンした頃からのお客さんのS君が、彼女の両親へのクリスマスプレゼントを買いに、二人で来てくれました。
S君はお母さん、お父さんと相次いで亡くされて,一人息子のS君の悲しみを、春の風のように柔らかな心の彼女が和らげました。
お父さんの一周忌を済ませた後、二人は結婚します。
お母さんがS君名義で残してくれたお金を、そのまま使わずにいたのですが、そのお金全部で結婚指輪を購入するそうです。天国のお母さん、お父さんもそんな使われ方が一番喜んでもらえると。
爽やかな風が吹き、私たち夫婦も幸せを頂きました。
二人にとって恋人としての最後のクリスマス。
メリークリスマス。

2005年12月24日

ル、ボナーの忘年会

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昨夜は友人や親しいお客さんと三宮の繁華街で忘年会。
夜の三宮は久しぶりです。神戸の安くてうまい店を知り尽くすお客さんの若夫婦の案内で、まずは割烹の富へ。20席ほどの2人でやっている小さなお店ですが、小奇麗で爽やかなお店です。美味しくお腹いっぱい食べました。中でも鍋ものは絶品。だしが絶妙のバランスでまろやかなのです。飢えた子供のようにいつも私が最初に箸をつけていました。私はアルコールが全然ダメですが、酒の席は嫌いではありません。よく、飲んでるヤツより酔ってるみたいと言われます。その時々を楽しまなくては。
その後、1度は是非行きたかった神戸の老舗のバー、ヤナガセへ。
ヤナガセは神戸のクラシカルな雰囲気を今も残すバーで、暖炉があり、その薪の燃える火を見ながらカクテルを飲み、静かに時間を過ごす、大人のお店だと聞いていて、是非行ってみたいお店でした。
行ってみてそのとおりのバーでした。それがまずかった。団体でガヤガヤ騒ぎながら行くところではなかった。静かな室内に私たち団体客の声だけが聞こえていました。ヤナガセのみなさん、ごめんなさい。
次からは場をわきまえます。今度はハミと2人で来よう。私はアルコール抜きのカクテルを注文して。昨夜は午前さまでした。

今日はクリスマスイブ。我が家の今夜の食卓にはシェラトンホテルで買ったクリスマスケーキと友人から貰ったダニエルのショートケーキが並んでいます。ケーキが一杯です。
なんとなく幸せなクリスマスイブです。

2005年12月25日

港町神戸の海

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六甲アイランドの南端にあるマリンパークです。チャーとのいつもの散歩コースです。
神戸の港は、大型のコンテナ船が着岸できるように、沖へと港が拡大していきました。
阪神大震災後、船舶が他の港を利用するようにになり、その船舶は神戸港に戻って来ず神戸港は寂しい港になりました。神戸市は経済の復活を神戸空港に託していますがどうなることか。私は神戸が経済力のない地方都市になっていいと思ってます。ただ神戸の個性が残れば私はここに居ます。東京から神戸に引越して13年、神戸は根無し草が根をつけやすい地です。元々何もなかった地に港が出来、エトランゼが集まり住み、産業が根付き豊かになった資本家が豊かな文化を生んだ。現在の経済至上主義の世の中からは、金が金を生むだけで、豊かな文化も生活も生まれてこない。
写真の中央あたりに見える白い建物はフィールという1階がレストランで2階は美容室になっているお店です。犬を連れって行ってもいいレストランなので時々利用するのですが、商店街から離れた、六甲アイランドの端の端にあるこのお店がやっていけてるとはどうしても思えません。きっと他で儲けたお金でやっていると思うのですが、こんなお店を呼び込む魅力が神戸にはあるのでしょう。
神戸には他の地方都市にはない個性的な老舗のお店があり、個性的な新しいお店が生まれています。心豊かな神戸の人がそれを支えています。神戸に住む一人一人が作った文化です。
そんな神戸を包み込む海は年々きれいになっているように思います。

2005年12月27日

心の時間

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10代は1日が長かった。放課後家に帰るまでの2時間あまりの時間でも、充実して遊べた。夏休みは思い出いっぱい作りました。
20代からは時間がどんどん加速して、50歳を目の前にした現在の私にはあっという間に1年が過ぎて行きます。
私には、心の時間の半分以上を10代の10年間が占めているように思う。
社会の歯車に組み込まれる前の10年間私は自由で無駄だらけの毎日でした。
その時自分が形成され、その後社会との順応性が少しついただけで、あまり変わらないと思います。時間だけは加速して行きます。
この頃思うのです。忙しいのが偉いわけじゃない。忙しい事もエンジョイできる心を持って時間を過ごそう。年齢とともに短くなる心の時間がそうでないともったいない。
私の思い出作りの日々がつづきます。

2005年12月29日

CL90のレストア

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40年ほど前のバイクです。5年ほど前まで動いていたのですが、その後鼓動を止めて我が家のベランダで眠っていました。その間、海風にあたり、あちこち錆びてしまいました。
このバイクを再生させます。エンジン、足回りはビーちゃんの主治医の名整備士、古川さんに任せ、私はせっせと錆びとりです。シートは革に私が張替えました。
ホンダの創世記の傑作CL90が春には復活します。楽しみです。
私はどうしてもコンピューターで制御された機械に愛情を持てないのです。レトロ趣味だと言われればそのとうりなのですが、スパーマンでない、そんな機械たちは人間と同じ喜怒哀楽を示し、オーナーの愛情があれば永遠にがんばってくれます。
優しい時間をそんな機械たちが彩ってくれます。

2006年01月01日

2006年が始まりました

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2006年が始まりました。年末恒例の格闘技を真剣に見ていたら12時近くになってしまい31日のブログを書かずじまいで、年が明けてしまいました。
みなさん、明けましておめでとうございます。
神戸の新年は神戸港内の船舶の汽笛が一斉に響き渡って始まります。
今年で私も50歳になります。1年1年を大事に過ごしてゆこうと考えています。
今日もお店に行かないといけないようです。私らしい年の始まりです。

2006年01月06日

鞄を作り始めた頃

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19歳のとき、家出同然に東京に行き、無給でいいからと手作り鞄のグループに加わり、私の鞄作りは始まりました。いくらなんでも少しは給料を出すだろうという私の予測ははずれ、ほんとに無給からの始まりでした。住まいは仕事場の隅を仕切って、そこにベッドを置いてねていました。食料は田舎の姉の送ってくれた揖保の糸が主食でした。
鞄作りは素人に毛が生えた程度の鞄を作っていたので、数ヶ月で先輩たちと同程度の鞄は作れるようになりました。しかしそれでも給料はでず、揖保の糸だけの食生活で私は40キロそこそこの体重になってしまいました。つまり栄養失調同然で、ある時私は高熱を出し、このままだと死ぬと思った手作り鞄グループの代表がやっと給料をだす気になり、月7万円の給料を貰うようになり、中目黒に風呂なし4畳半のアパートを
月18000円で借り、仕事場のある赤坂まではボロ自転車を入手し、それで通っていました。
貧しかったけれど、毎日が楽しく、いい加減だけど一生懸命でした。
そんな時ハミと出会いました。彼女は手作り鞄のグループに興味を持ち訪問したのですが、本格的に鞄作りを教わった者には、ここでは鞄作りは楽しめないと思ったようです。
その時私は一目惚れし、猛アタックをかけ、付き合うようになりました。デートはいつもボロ自転車の荷台に座布団をくくりつけ2人乗りで都内を走りまわりました。貧乏だったけれどかぐや姫の歌のような暗さはない楽しい、心豊かな恋愛でした。
そして後先を考えずに一緒にいたいからと結婚へ。私の親父は生活能力のないおまえでは彼女を幸せにはできないと反対しましたが、止めることはできませんでした。親父のいうことはもっともで、手作り鞄のグループの給料では当然やってゆけず、結婚を期にやめて独立しました。その後経済的苦難はつづき普通の生活ができるようになったのはここ1,2年です。
ハミが相棒でなければ、鞄職人としては挫折し別の仕事に就いていたと思います。
私もハミも、生き方は当然不器用ですが、手先も不器用です。だから普通なんでもなく出来る事にも、苦労します。苦労する分、身につきます。思い出にもなります。

2006年01月09日

ラチエン通りの卓袱堂

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私の”ル・ボナーの一日”によく登場してもらっている、20年来の友人の陶芸家の卓袱堂の卓ちゃんが、なけなしのお金をかき集めて購入した神奈川、茅ヶ崎ラチエン通りにある店舗兼工房兼ワインバー?兼自宅です。年末、年始、卓ちゃんと仲間たちは資金難を自分達の体力で補いつつ内装工事に没頭しているそうで、プロバンス地方出身のフランス人がデザインした和風?をイメージしながら、お店の内装をやっているそうです。完成したら南フランスを味わうために泊まりに行こうと思ってます。
卓ちゃんはお金がなくても、生活を楽しむ天才です。陶芸家としての卓ちゃんは陶芸素人の私には未知数なのですが、人生を楽しむことにおいては卓越した才能を感じます。文才があれば、椎名誠の怪しい探検隊よりおもしろい物語がいっぱい書けるほどです。
初めての霧が峰での越冬キャンプも卓ちゃんと6歳になった息子の一穂と私たち夫婦で行きました。敷き布団持参でのキャンプでしたが、他の装備がディスカウントショップで揃えたお粗末な物だったので、マイナス15度の夜はたいへん厳しいものでした。ランタンの光があんなに暖かいものだとは、それまで知りませんでした。
富士山の西湖でキャンプした時も、卓ちゃんは歩くことより泳いでいる方が楽だと言い放つので、じゃあ西湖を泳いで往復してみろよと言うと彼はほんとにやってしまいました。望遠鏡で確認していたので事実です。私は藻に絡まって溺れそうになりました。
卓ちゃんは湖を見ると泳ぎたくなる習性があり、十和田湖を泳いでいて、線路が湖底に向かって伸びているのを発見したそうです。素もぐりでその先がどこまで伸びているのか確認しようとしたのですが息が続かず諦めたそうです。誰かスキューバーダイビングの出来る人で、もの好きな方、線路がどこまで伸びているのか教えてください。
人生の価値はお金をどれだけ儲けたかとかどれだけ有名になったかとかではなく、思い出をどれだけつくったかだと思っている私には、かけがえのない刺激を与えてくれる11歳年下の友人です。


2006年01月12日

神戸堂の帽子

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今日は休日。神戸の中心地の方に用事があり、その帰り神戸堂という老舗の帽子屋さんでこの二つの帽子を買ってきました。
私は頭が禿げているので、冬は防寒のため、夏は直射日光から頭を守るために、ファッションのためではなく必要なのです。
ベレー帽は毎日かぶっていて脱色したため同じフランスの同メーカーのグリーンを買いました。毎日かぶる帽子は何個も買って交代でかぶる方が経済的です。
ツイードの帽子は衝動買いです。前から欲しかったタイプのものがたまたまあったので買ってしまいました。外出の時かぶろうと思ってます。
私は神戸で帽子を買うなら、神戸堂でと思っています。
神戸堂は神戸の老舗が軒を連ねる大丸神戸店の向かいの区画にあります。ここにはカミネ、セリザワ、神戸シャツなどがあります。それぞれ神戸を代表するお店です。
神戸堂も紳士帽では神戸を代表するお店で、銀座のトラヤより品揃えしていると思います。
他で買ったベレー帽がきつくてかぶっていなかったのですが、そのことをご主人に話すと持ってきたらサイズアップしてくれると言ってもらいました。
お言葉に甘えて今度持っていきます。その時、昔から欲しかったイギリス製のボーラハットを頼みます。ボーラハットは中原中也や宮沢賢治がかぶっていた形の帽子で、本物のしっかり固いフェルトのタイプは見かけないのです。念願の帽子なのです。
物を買う時、その物についての豊かな会話が売り手と出来ると幸せな気持ちになります。
今日もそんな時間を持てました。

2006年01月17日

阪神大震災から11年

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神戸は表面的には、あんな大きな災害を経験した都市とは思えないほどに復興しています。
震災の日、マリンパークの石畳は凸凹になり、私たち夫婦はキリンと呼んでいるガントレクレーンの大部分がバタバタ倒れ、神戸のあちらこちらから煙が上がっていました。
あの日、私たち家族は、六甲アイランドにあるマンションの13階に住んでいました。
東京に住んでいた頃何度か体験した横揺れの地震とは違い、強烈な縦揺れが襲ってきて、死ぬとほんとに感じました。その後夜の暗闇が明けるまで家族4人何がなんだか分からないままボーと寄り添っていました。部屋の中はグチャグチャになっていました。
夜が明けると窓越しに見える神戸の町のあちこちから煙が昇り、ラジオからの情報が今の現状を教えてくれました。
数日後、一時実家のある加古川に避難していましたが、すぐに戻りました。
電気だけは復旧していたので、鞄を作り始めました。当然お客さんは来ませんし、回りのお店は真っ暗です。それでも、2年分ほどのオーダーがあったのでそれを作りつづけました。
私には鞄を作る事以外、何も出来ない。夢中で作り続けました。
この震災で多くの人が亡くなられました。多くの人が傷つきました。
その人たちと同じ体験をした私は、私なりの形であの日を風化させることなく、神戸で生きてゆきます。苦難の月日を共に助け合いながら乗り越えた同志の住む町、神戸。

2006年01月22日

愛しきビートル

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愛車の68年式ビートルを車検で、西土居モータースの名整備士、古川さんの所に持ち込んだ時、この62年式ビートルがあり、売りにでていました。あまりの程度の良さに震えがきました。
どこを見ても美しいのです。特にビートルの弱点である底の鉄板が錆び一つなく感涙ものなのです。動力部分は名人古川さんが面倒をみてきたので間違いないし、私はフツフツと購入意欲がわいてきました。
ハミは安心して、楽チンな車なら、今の68年式ビートルを乗り換えるのには賛成でした。
私は偏った美意識を満足させつつ、ハミの要望も満たす現代の車を探し続けました。
カタログをいっぱい集め、試乗もし、古川さんの意見も聞き検討しつづけました。
その結果がこの62年式ビートルでは、、、、、ハミが納得するはずがありません。
しかし思い込んだらそれしか見えない私は、昔、三段論法の松本と言われた屁理屈を駆使してハミを説得し、勝手にしてというあきらめの言葉を引き出すのに成功し、私は購入する決意を固めました。
購入する日の朝、ウキウキしている私にハミの一言,ここまで手をかけたビーちゃんが可愛くないの?、、、この一言で私の熱はすーとさめてしまいました。
整形美人の68年式ビーちゃんとの涙と苦難の日々を走馬灯のように思い出し、すっぴん美人の62年式ビートルに鞍替えしようとした私の浮気心を恥じました。
でも、ほんとにこんなにコンディションの素晴らしいビートルは見たことがありません。
古いビートルに乗ってみたいと思っている、屈折した趣味人にはお勧めです。
ビートルを2台所有したいなどとほざくと、ハミはきっと怒るだろうなぁー。

2006年01月24日

ポスターが賞を取りました。

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大和出版印刷のみんなが作ったル、ボナーをイメージしたポスターが印刷技術を競うコンクールで、大手印刷会社を押しのけて、審査員特別賞を受賞しました。
若き情熱ある社員の人たちが、がんばって勝ち得た賞です。自分達の事のように私たち夫婦も嬉しくなります。会社は利益追求が最大の目的かもしれませんが、夢や希望を内包しつつ進んでゆければ幸せです。
大和出版印刷という会社は、社員の平均年齢が若い会社ですが、技術力とセンスの良さを武器に、地に足をしっかりつけて歩みを進めている印刷会社です。外野から見て羨ましく思える会社です。
印刷業界で大和出版印刷は規模は大きくなくてもあそこは特別と思われる美しい夢の描ける会社になってゆくような気がします。
商いをしていて、経済的な喜び以上に人と人とのつながりから生まれる出来事が私を幸せにしてくれます。大和出版印刷の人たちと知り合えて、金欠の私たちには作りたくても作れなかったル・ボナーのポスターを作ってもらったりして、すごく幸せな気持ちをいただいて、その上そのポスターが賞をとってしまう。楽しいことがいっぱいあります。
一昨日の日曜日はあまり売れなかったのですが、気心の知れたお客さんたちが重なって来店され、みんなで色々なお話が出来て楽しい時間を過ごすことができました。ル、ボナーというお店が人と人をつなげる場所になれば、なんて幸せなことか。
小さな幸せの積み重ねが、思い出の中で大きな幸せに変わってゆきます。
知り合った人たちの幸せなお話を聞くと、私たちも幸せな気持ちにさせてもらえます。
大和出版印刷のみんなが作ったル・ボナーのポスターを差し上げます。幸せの御裾分けです。

2006年01月26日

絶品、鳥鍋を食す

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昨夜、前々から食べたかった富の裏メニューの鳥鍋を食べに行ってきました。
この鳥鍋は、4人前を鶏7羽を使って3日間じっくり煮込んでだしをとるため、予約していないと食べれない品で、いままでずーと食べたかったのですが、機会を逃していました。
やっと念願かないました。人生を楽しむ達人の、ル・ボナーのお客さんでもある若夫婦と、印刷屋の若社長とおやじと呼ばれる一番年長者の私の4人のメンバーで行きました。
食べてみると、若夫婦が言っていたとうり、鳥の臭みが全然なく、旨みだけが凝縮されたスープなのです。そこに自家製柚子胡椒をおとして食するのですが、ささみのしゃぶしゃぶも、鳥団子も、野菜も、そのスープに絡まって美味しいのです。最後にそのスープでのラーメンが締めです。これは絶品で、鍋そのものは、ラーメンの前奏曲だったのです。お見事!
若夫婦のご主人と、若社長は幻の焼酎をガバガバ飲んで、もうギブアップというほどみんなお腹いっぱいになって、しめて2万円ちょっと。そんな値段でいいのかと心配になってしまうほどの充実したお食事でした。
富のご主人の作る料理は、すべて誠意というスパイスが効いていて、優しい気持ちもいっしょにいただきます。
バージンブリーズ.jpgバージンブリーズ
シャーリーテンプル.jpgシャーリーテンプル
その後バーへ
わたしはアルコールが全然ダメです。だのにバーが好きなのです。
今回いったバーはマスターがプロレスラーの蝶野を小さくしたような人で、ヤナガセと違って緊張せずに居られるお店でした。私はアルコールの入ってない2種類のカクテルを頼みました。
バカラのグラスにはいったカクテルを見つめながら、時間が静かに流れてゆきます。
人生の甘い苦いも経験して、静かに何事も受け止められる真の大人に憧れますが、私は死ぬまで喜怒哀楽を表に出して、右往左往しながら子供のままこれからも生きてゆくのだろうなと思います。

2006年01月31日

喫煙者受難の日々

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私はタバコを吸います。それも結構ヘビースモーカーです。
世の中はますます喫煙者が肩身を狭くして生きてゆかねばならなくなっています。
タバコの入った綺麗にデザインされたケースも写真のようにセンスの悪いシールが貼られてます。
タバコを吸うと死にますよとソコマデ言わなくてもわかってます。分かっているけれど吸っているのです。
非喫煙者の迷惑になるのはいけないことだと思ってますが、その配慮をすれば、もっとのびのび吸わしてもらいたいものです。あまのじゃくの私は、喫煙人口が少数になり、阻害される世の中になっても、この不健康な嗜好はやめません。絶滅危惧種にあこがれているのです。
喫茶店ですら喫煙できないお店が増えてます。お茶してタバコを吸うから喫茶店と言うのじゃないのか。それに比べバーはいい。気にせずタバコが吸えるから。
健康オタクが多いUSAから始まった禁煙運動は日本を直撃しています。少し不健康な方が文化的であった時代は遥か昔に終焉をむかえました。
そんな私も新幹線に乗る時は禁煙車両にします。喫煙車両の空気は私でもきつい。

2006年02月18日

学士会館

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昭和3年に建てられた学士会館は少し前まで旧帝国大学の卒業生しか利用できなかったのですが今は誰でも泊まることが出来るようになりました。
私はクラシックな建物に泊まるのが好きで、同じ趣味を持つ名古屋に住む息子に学士会館のことを教えてもらい、今回の東京出張の宿としてここに泊まることににしました。
フロント横のサロンでは老齢の紳士が英字新聞を読みながら、静かな時間を過ごしてます。
4階にあるシングルの客室の真鍮のノブの鍵を開けると、映画で見るイギリスのパブリックスクールの寄宿舎のような、こじんまりしているけれど重厚な部屋になっています。後からお風呂を無理やり作ったことがいただけないけれど、それに目をつぶれば後は最高にクラシカル。勉強したくなるような部屋です。
建物の中を散策し、シックな空気をいっぱい吸って、眠りの床に就きました。
学士会館(1).jpg学士会館(4).jpg学士会館(3).jpg
精養軒が作る朝食を一階のダイニングで食します。
私はホテルの朝食はプレーンオムレツと決めています。これがないホテルに泊まってしまった時は、すべてが台無しに思えてしまいます。学士会館にはちゃんとありました。ニコニコ。
ダイニングに集まる宿泊客の多くが現役を退く年齢の紳士で、その中に見たところ70歳ほどの老夫婦が二人で食事されていました。ご主人はブレザーにアスコットタイをし、奥様は年齢より若々しいワンピース姿。二人を包む静かな時間が豊かに見え、羨ましく思えました。
ハミと一緒にこんな静かで豊かな時間を持ちたいと思いました。
スノッブな私には、豊かな時間を過ごせる、雰囲気のあるホテルでした。
朝食付きで9,200円です。東京出張の常宿はここにします。


2006年02月19日

茅ヶ崎の卓袱堂にて

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東京出張2日目は、渋谷の藤井さんに会う予定にしていたのですが、休みだと知り急遽、卓袱堂の卓ちゃんのところに行くことにしました。
卓袱堂のある茅ヶ崎は東海道本線で約1時間。横浜まではすぐなのですが、それからが時間を感じます。
陶芸家の卓ちゃんとは10歳違いの20年以上親しくしている友人です。私が多摩の聖跡桜ヶ丘で初めてお店を持った時、高校生だった卓ちゃんがお店でアルバイトをして、それからずっと親しくしています。
卓ちゃんは走行距離13万キロの、今では存在していたことすら忘れ去られている不人気車のホンダ、キャパで茅ヶ崎駅まで迎えに来てくれました。

茅ヶ崎、ラチエン通りにある卓袱堂は今、改装中です。卓ちゃんとその友人たちがドゥー イット マイセルフでやっているのでまだまだかかりそうです。陶器のショップ兼工房兼ワインバーの卓袱堂は4月頃のオープンになりそうです。オープンパーティには是非行きたいと思っています。

卓ちゃんと会うのは1年半ぶりです。遊び上手で、女性にモテモテなのは今も変わらないようですが、陶芸に対しては真摯に取り組んでいるようです。物作りに対して多くの事を話しました。
誰が見ても美しいと思える絶対美を表現出来る数少ない天才は別として、物作りをする多くの人はそうではない。味感の中に自分を表現しようとする。味感の好みは千差万別なので、時代に乗らないものは評価されないまま、消えてゆく。それでも、先の見えない不安をかかえながら、物作りをする人間は自分を表現するために作り続けます。物を作るという苦しいけれど楽しい作業を。
しかし人は食べていかないといけません。そのため妥協もします。自分以外の周りの人も幸せにしてあげないと、一人よがりの身勝手になってしまいます。
お昼ごはんは卓ちゃんが、料理名人の腕を生かして、ペペロンティーノを作ってくれました。
卓袱堂の2階のすっきりした和風の居間で、多くの事を話しました。私は私らしさを表現した鞄をこれから作ってゆこうと思いました。
卓ちゃんの所にはチョコレートがいっぱいありました。私はハミがくれた義理チョコのみです。
また一緒にキャンプに行きたいねと言って茅ヶ崎を後にしました。

2006年02月21日

大好きな神田神保町

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東京で一番好きな街は神保町界隈です。
昭和40年代にタイムスリップしたような錯覚を覚える、ノスタルジックな街です。
学士会館に泊まり、夜の神保町界隈を散策したのですが、店じまいを始めた古本屋のおやじ、80歳は過ぎているのではないかと思われる喫茶店のマスター、元気に働いている定食屋のコックさん、皆昭和40年代風の町並みと空気の中で生きいきと働いています。
少し前まで、銀座は老舗のお店が風情を守っていたのですが、ブランドショップが建ち並びつまらなくなり、新宿もゴールデン街に活気があり、独特の文化を作り出していた時代は遠い過去になり、東京の雰囲気を残す都心の最後の砦です。

東京に居た頃は、独立してすぐの頃から、神保町にあるかばん屋さんに卸していて、月に2,3度はこの街に来ていました。その頃は都内でお店を出すならこの街にしたいと思っていました。この街は、背伸びせず素で居ても、豊かな時間を過ごせます。
神戸に店を構えて13年。東京に行くと、用事がなくても立ち寄ってしまう居心地の良さを持った街。路地裏にノームが住んでいます。

2006年02月23日

神戸温泉事情

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神戸の温泉と言えば、有馬温泉を思い浮かべる人が多いと思いますが、私の住む六甲アイランドから車で10分以内で行ける温泉が市内に4箇所程度あります。それぞれ泉質が違い、色々楽しめます。その中で灘温泉は建物の雰囲気では一番です。JR六甲道駅のすぐそばにあり、泉質は炭酸泉で、シュワーと炭酸の粒がお湯から出てきます。

結婚したばかりの頃、私たち家族は風呂なしのアパートに住んでいて、長男を乳母車に乗せて銭湯に行ってました。目黒の油面や清水商店街にその頃数件の銭湯があり、利用していました。その後都下の府中の風呂付の一戸建てに引越してからも、調布。府中あたりの銭湯は大部分行きましました。家のお風呂にくらべて、あの大きな湯船に浸かっているとリフレッシュ度がまるで違い、夜の熟睡度が全然変わってしまいます。
それが温泉ならなおさらで、気持ち良いのです。
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ここの所、よく行くのは”なぎさの湯”です。
ここはオープンして、間のない温泉で、県立美術館の近くにあります。
最新のスパで、情緒はないのですが清潔感があり広々しています。特にサウナはほんとに広く、気持ち良いのです。神戸港を見ながら入る、露天風呂の温泉は、鉄分を含んだような茶色の、少し塩分が入った炭酸泉です。昨夜は雨が降っていて、雨に打たれながらの優雅な入浴でした。この気持ち良さが700円で味わえます。

2006年02月28日

50年前に父が誂えたコート

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私が生まれた頃、親父が誂えたコートです。今は私の息子が着ています。
裏地が痛んで、一部お直しをしたところです。それ以外はまだまだ現役です。
良い素材で、丁寧な仕事がされていて、大事に着ていると生地ものでも50年現役で着続けられるのかと驚かされます。裏の処理を見ると、改めてテーラーの良い仕事に感心してしまいます。

気に入ったものでも長く持ち続けるのが困難な時代になったなーと思います。
修理に持っていっても部品がないからと断られたり、修理は出来るけれど買うより高かったりすることがあります。何か変だと思うのです。
私の子供の頃、電気製品は街の電気屋さんが修理をしてくれて、長く使っていました。その他のものも修理しながら長く使いました。修理代はそんなに高くはありませんでした。
それが今のように修理しながら使い続けることが、困難になったのはいつからなのか。

気に入ったものは長く使いつづけたいと思うのは自然なことです。
ル・ボナーの革製品はそうありたい。修理や手入れをしながら長く使って欲しい。
お祖父さん、お祖母さんが使っていた鞄を孫が見て、渋くてカッコイイから譲って欲しいという情景を想像し、そんな情景を演出できる鞄作りをしてゆきたいものだと思います。

消費サイクルが早まり、気に入った物でも長く維持するのが困難で、買う側もそれを当たり前と思っている時代、そんな時代に逆行するアナログな物作りを私は続けてゆきます。私はそんな物作りの方が豊かだと思っているのです。

2006年03月04日

ランゲ・アンド・ゾーネの時計

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ランゲアンドゾーネ裏ウエブ.jpg
ドイツ時計の最高峰ランゲ・アンド・ゾーネのランゲ 1 です。
私のブログを読んだお客さんが、私の時計好きを知り、見せていただきました。
私の財力ではまず買えない時計を実際に触って、間近に見れて、感激、感激です。
機械式時計は職人の緻密な仕事から生み出される絶対美を見ることが出来るので好きです。

お店を出して良かったと思う一つに、お客さんが持たれている良い物をたくさん見れるということがあります。古き良き時代のヨーロッパの鞄もたくさん見ることができたし、憧れの車たちに乗ることもできたし、大好きな時計も見れます。お店を持っていなければ、そういう品々に接する機会はこんなにはなかったと思います。所有物でなくても、良い仕事をしている品に接すると心臓がドキドキします。

そのお客さんに、メンテナンスに出しているランゲのダトグラフが6月に戻ってきたら見せてもらいます。私は数千万円するトゥールビヨンより、ダドグラフのムーブメントの方が美しいと思っているほどで、そのマイ世界一のムーブメントを見ることができるのです。今からドキドキします。その時に私の憧れの職人、フィリップ・デュフォーが作ったシンプリシティーも見せていただける。余韻を残す、独特の音色を聞くことができるのです。
私はこの二つの時計を見る日、感動で泣くと思います。

ここの所、時計を見る機会が多いのですが、気になっている時計があります。
横須賀駅前にある3代つづいた老舗の時計屋、太安堂のスイスのミネルバ社で作ったオリジナル時計です。この時計がいいのです。裏はスケルトンになっていて、今ではあまり見ないランゲと同じスワンネックを使っています。値段もがんばれば買える値段だったので、欲しいと思いました。でも製造をやめており、在庫もないそうです。残念です。今度東京に行く時には横須賀まで足を伸ばそうと思っています。太安堂のような気合の入ったお店は行って実際に見てみたい。
taianndou.jpghttp://www.taiando.com/index.html

2006年03月09日

神戸人の帰神

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先日、神戸生まれの神戸育ちで、転勤で東京に住むお客さんのN氏がお店に立ち寄ってくださって、成田一徹著のトゥー・ザ・バーという本をプレゼントしていただきました。
N氏は帰神(神戸に帰ってくることをそう呼ぶそうです)すると必ずバーに立ち寄るそうです。N氏は肝臓を患ったためアルコールはだめで、タバコも健康のためにすいません。それでもスコッチウイスキーと葉巻の香りが好きで、バーに行き、バーテンダーとの会話を楽しみ、好きな香りに包まれた空間に身を置くことが居心地がいいそうです。

私は神戸に移り住んで14年になろうとしていますが、つい数年前まで神戸の良さがわからず、東京に戻りたいと思っていました。しかし、神戸を愛する人たちと出会い、ずっと神戸に居続けたいと思うようになりました。皆が皆そうだとは言えないけれど、神戸を愛する人は中庸の豊かさを求めます。頑張りすぎて、はるか先の豊かさを求めて目の前の日々を犠牲にするような生き方はしません。身の丈にあった幸せを合理的に感じ取って生きてます。
モノを買うときも、時間とその空間も含めて買います。ファッションはシックな色の中に、ポイントとしてカラフルな色を好みます。生活をエンジョイするのが上手な人が多くいます。

その中でも、センスの良い老夫婦が目立ちます。年をとっていても身なりに気を使い、夫婦で時間を楽しんでいる様子は、豊かさを共有させてもらえます。三宮のバーに立ち寄ったとき、シックな老カップルが静かにその場の時間を楽しんでいる様は、あまりにも絵になっていました。

街を楽しむ達人たちが多く住む神戸。そんな神戸で私たち夫婦も年をとってゆきたい。日々楽しみながら。ボヘミアンの旅もどうやら神戸が終着駅になりそうです。

N氏にいただいた本に、海文堂のカバーがしてありました。海文堂は昔は海関係の本しか扱っていなかった本屋さんで、元町商店街にある神戸らしい本屋さんです。神戸をあまり知らなかった頃歩いた道も、今歩くと違って見えます。あちらこちらから神戸らしさが顔を見せます。

2006年03月11日

モスのシドニーが欲しい。

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テントを造形芸術の域まで高めたビル・モスの最高傑作のシドニーです。
20年ほど前、このテントが発表された時、私は衝撃をうけました。それまでテントは機能を優先するものばかりで、こんな無駄なフォルムのテントが世に出るとは思いもしませんでした。
私は猛烈に欲しかったのですが、その頃私は大変貧乏で、シドニーは超高価なテントで高嶺の花でした。その後モスのテントもなくなり機能優先のテントばかりになってしまいました。

私はその後、シェラデザインズを創業したジョージ・マークスとボヴ・スワンソンが、ノース・フェースに買収されたため、新しく作ったブランドのウォーラスの最初に発表したオービットというテントを15年近く使っていて、それはそれで大好きなテントで、私のキャンプのマストアイテムでありつづけています。

しかし、シドニーは欲しい。こんなテントは他にありません。
インターネットオークションでモスのシドニーを検索するのですが今まで一度も見つかりません。

私は想像します。私にとっての理想のキャンプを。
収納力のないビーちゃんにキャリアをつけて、小川が横を流れる草原のキャンプ地へ。テントはモスのシドニーとウォーラスのオービットがあり、ターフはモスのヘキサゴンを張ります。その中央に木で革張りのデレクターズチェアとテーブルがあり、その横には石で組んだ釜があり、夜になるとその火を見ながらシェラカップでコーヒーを飲む。そんなキャンプスペースを照らすのはコールマンの赤い200Aランタンです。
このシチュエーションにどうしてもモスのシドニーが必要なのです。
私は貧乏で、テントはホームセンターの5000円のもので、ターフは工事用のブルーシートを使っていた時(その頃一番キャンプに行ってた)でさえ、キャンプの空間をより快適にするため努力しました。ブルーシートをターフとして美しく張る工夫をし、5000円のテントでもより快適な睡眠を求めて、ダンボールと敷き布団を持ち込んだりしました。
私ももう50歳です。理想のキャンプ空間を体験したい。

2006年03月16日

安心できる散髪屋を求めて

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私は今までハミに髪は切ってもらっていたのですが、旅先の散髪屋に入ってから、散髪屋さんで髪を切り髭を剃ってもらうことがことのほか気持ちよいことだと知り、今では月に一度散髪屋さんに行くようになりました。私の場合ハゲているので、髪はバリカンを使って2ミリで揃えてもらい、あとは髭を剃ってもらうだけなので、仕事としてはいたって簡単だと思います。ただ髭はどうしても剃ってもらいたいので、美容院ではだめで、理髪店なのです。しかし安心して任せられる散髪屋さんがまだ見つからずにいます。
マイ散髪屋さん探しは月に一度の行事になっています。ここ2ヶ月は恐怖の散髪屋2連続でした。

先月入った散髪屋は若いお姉さんとお兄さんがやっているお店で、お姉さんは目の周りを真っ黒に塗った厚化粧の女性で、そのお姉さんが担当したのですが、バリカン2ミリで揃えてと頼むと、7ミリの刃しかないので、はさみで揃えていいかと言うので、ちゃんと切り揃えることが出来るならいいですよと了承すると、2ミリに揃えることは出来ずひどい虎刈り、その上髭剃りは剃り残しだらけ。それで値段は4500円。酷すぎると思いつつその場を早く逃げ出したく、言われるままにはらいました。外に出てから心の中で二度とこんな床屋に来るものか、バカ野郎と叫んでいました。

今月は前回の失敗の反省から、じっくり吟味して散髪屋さんをチョイスしようと思い、マイ散髪屋さん探しを始めました。しかしその日はどこも休みで、行きたいと思うとどうしても行きたいと思う性分のため、次の日もマイ散髪屋さん探しをしました。なんと運悪く、月一度の週休2日の週で、開いていません。それでも開いている散髪屋さんはないかと街を彷徨った末に、住宅街に見つけました、営業している散髪屋さんを。

入ると、そこのおやじは、待つお客のいない椅子にコートを着て横になってテレビをみてます。電気代の節約のためか暖房を切っているのです。私を見るなり、いらっしゃいではなくアーと一声。よほど客とは無縁の店のようで、客が来たことに驚いている様子。私はまた失敗したと思いつつ散髪椅子に付きました。腕の方は予想していたより良かったのですが、あまりにも汚い、不衛生なお店で、鏡周りの棚はほこりが層を作っており、使うことの少ない道具はサビがでていて恐怖を覚える不衛生感。変にモダンな電動で出てくる洗面台も、収める時途中でモーターが空回りしておやじが手動で納めていました。
値段は1900円で2000円を出すとおつりがないと言うのでそのままおつりの100円をもらわずにその散髪屋を退散しました。

私は散髪屋さんによほど縁がないのだと思ってしまうここ2回の恐怖の体験でした。
来月はもう少し下調べをして、マイ散髪屋さん探しをつづけようとおもいます。衛生的で、安心して任せられて、写真のような昔懐かしい散髪屋さんはないのかな。少しぐらい遠くてもいいから探し出したいものです。

2006年03月18日

迷犬チャーの今日この頃

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昨夜はチャーの大嫌いなお風呂に入れました。
月に二度のこの行事はいつも繊細な注意を払って行います。彼は私たちの気配で今日はお風呂の日であることを察知するので、そのことについての会話は彼の前では絶対してはいけません。でないといつもはピョンピョン跳ねながらの帰途も、足取り重く、仕事場に戻ろうとするし、家の前まで来ると、ご主人さまであろうが誰であろうが、鬼のような顔になって暴れまくります。
獣医さんからもらう薬用シャンプーで二度洗い、そのシャンプーは無臭なので、最後に私たちが使っているシャンプーでもう一度洗います。チャーが綺麗になった代償に、彼の死にそうな悲鳴と彼のもがいた痕跡であるつめ傷を私はいただきます。

彼は冬場、家に居て一家団欒のとき、いつもコタツに頭を突っ込んで、お尻だけ出して寝ています。のぼせないのかと心配になるのですがそうしてます。きっと、野外で一夜を過ごすと凍死するでしょう。
夜、寝る時も彼は私のベットにもぐりこみ、私の右手を枕に高いびきで寝ています。寝相が悪く、熟睡のままベッドから落ちたこともありました。過保護に育てた私たちの責任だとあきらめています。

チャーは猫を見ると追いかけようとします。ある日垣根に隠れている猫を見つけ飛びかかろうとしたとき、猫はとっさに前足を目に見えないほどのスピードで振り下ろしました。チャーは静止して固まっています。そしてチャーの額が斜めに切れて血が流れ出しました。野良猫恐るべし。その日からチャーは猫を見ても見て見ぬふりで、避けて通ります。
彼の数少ない野生はその時を境に終わりを告げ、ペットになりました。

今日は一日中雨でした。昨夜チャーを洗った、あの努力はなんだったのか。

2006年03月21日

ファーラウトでの一年

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私は30歳なかばの頃ファーラウトという会社に1年ほど企画で勤めていたことがあります。
この会社は、商社がスポンサーになって、世界で有名ブランドと対等に競える日本の鞄ブランドを構築しようという、高い目標を持った会社でした。資金の面でも、驚くほど余裕のある事業計画で、3年間はどんなに赤字を出しても商社が支え続けるというもので、夢を一緒に構築したいと思い、勤め人になりました。

場所は東京の広尾にあり、ビルの1フロアを使っていました。総勢15人の小さな会社でしたがすべてが贅沢な会社で、私はそれまでも、その後も経験しない夢のような仕事環境でした。先輩のパターンの天才、金田さんと二人で企画の部屋をもらい、そこで型紙作成、サンプル作り、工場との打ち合わせ、素材の吟味などをしていました。必要だと私たちが思った道具や機械はどんなものでも買うことができました。鞄の素材も驚くほど高価なものを海外、国内問わず取り寄せました。そんな中で出来上がった鞄たちは今見ても豊かな表情を持った素晴らしい鞄です。

しかし、夢のようなブランドは夢のまま終わってしまいました。スポンサーの大手商社が倒産し、資金が止まったファーラウトは解散しました。3年続いていれば、黒字になり独立独歩やっていけただろうと今でも思っていますが、バブルの泡の中に夢は消えてしまいました。

私にとってファーラウトでの1年は、贅沢な文化祭でした。仲間と一緒に夢をかなえるために。
私にとっておとぎ話の龍宮城のような1年はこうして終わりましたが、その後の独立系鞄職人として生きてゆく上で、多くの経験と知識を得ることができました。
今、こうして神戸でお店を14年続けられているのも、あの1年は大きな経験でした。

2006年03月31日

ビーちゃんの静かな日々

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ビーちゃんはこのところ活躍することが少なく、車庫で静かに眠っている日々が続きます。
昨日も、自宅と店の間数百メートルを荷物を運ぶために往復しただけ。
調子はすこぶる良くて、一発始動。ビーちゃんの場合、冬場エンジンが温まると自動チョークが戻り、そのとき走っていても一度エンジンが止まってしまうのですが、それはお決まりの事で、その後は快調にはしります。来週の休みには、ビーちゃんを連れて名整備士、古川さんのところに、健康診断のために行って来よう。前に古川さんのところに行ったとき、ビーちゃんにインダッシュナビを装着したいなと相談したら、滅茶苦茶バカにされました。

気に入った物と出会い、良い仕事をする人たちに出会えれば日々楽しく生きてゆける。
変化は少なく静かな毎日だけれど、感じながら豊かな毎日。それで充分。
名誉欲や金銭欲は終わりなき虚しい輪廻。他と比較するのではない、自分なりの豊かさを日々の生活の中に見つけ出せれば、なんと幸せなことか。ものはそんなささやかな幸せの日々を彩ってくれます。良い仕事は、無償の誠意を教えてくれる。
私も職人。お客様に気に入ってもらえる鞄を作り、より良い仕事をするための日々でありたい。忙しいことが偉いとは思わない、自分なり充実した日々を過ごすことこそ尊びたい。

2006年04月06日

桜の季節

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遅ればせながら、神戸もやっと桜が咲き始めました。
関東はもう散り始めていると聞いています。関西の春は関東より遅く始まったようです。
六甲アイランドは、生まれて20年弱の街なので、桜の木はみんな小さく桜の花のトンネルもまだまだですが、10年、20年と経った時、私たちの思い出とともに成長して、立派な桜の花のトンネルになっていることでしょう。

六甲アイランドは住宅街を囲むように一周5キロの遊歩道が整備されています。遊歩道には色々な木々や花が植えてあり、四季それぞれに目を楽しませてもらえます。
その道を、散歩やジョキングを日課にしている人がいっぱいいます。
今は桜とユキヤナギが目立つ遊歩道です。

この街は、関西では一番外国人が多く住む街だと思うのですが、エトランゼたちは日々の生活を楽しむ名人です。今居る場所で精一杯楽しもうとする姿勢は、街を彩ってくれます。
野外で遊ぶ子供たちもカナディアン・スクールの子たちが、街の中で目立ちます。

そんな六甲アイランドに住み、お店を開いて14年になります。
ここは商売するには厳しい所ですが、神戸の中心の繁華街の三ノ宮、元町の喧騒から距離をとった位置にあり、そのバランスが絶妙なのです。高級住宅街のある山の手は、庶民には歳をとると坂道が厳しそうで、この人工島が住み良い。
10年、20年後もここに住み、お店を続けたい。その頃には、立派になった桜の花のトンネルを私たち夫婦は散歩しています。

2006年04月08日

マイ腕時計 探し中

時計カタログ.jpg
私は時計には全然興味がなかったのですが、ル・ボナーに来店されるお客さまの腕時計を見る機会が何度とあり、素晴らしい時計にはその中に職人が作り上げた小宇宙を内包していることを知り、今では時間があると、カタログを見たり、雑誌をみたり、インターネットで調べたり、実物を見たりしながら、マイ腕時計探しの毎日です。

時計が欲しくなったターニングポイントは、雑誌の取材があり、その時カメラマンの方が付けてられた腕時計が魅力的で、その時計がドイツの独立系時計士のヨルク・シャウアーのもので、値段もがんばれば私でも買える値段だったのです。
それまで独立系時計士と言えば、フィリップ・デュフォーやアントワーヌ・プレジウソしか知らず、私には高価で手の届かないものとあきらめていました。
その日から私の時計探しに火がついてしまいました。私でも買える気に入った時計がきっとあると確信しました。

最初はクロノのような派手な時計に興味をもち、調べれば調べるほどシンプルな3針の時計の美しさに魅了されてゆきました。
どんな時計が欲しいのかを考え、贅肉は削ぎ落としてゆきました。最後まで残ったシースルーバックという希望も捨てた時、私を満足させる時計が見えてきました。
お金がちょっと足りないので、小遣いを貯めて今年の暮れには買います。

時計屋さんに買いに行き、その時計を手渡される前に、お店の人に頼んで時計の裏蓋を開けてもらおうと思ってます。2度と見ることのないその時計の美しいムーブメントを、しっかり脳裏に刻むために。そしてその時計は私の時を刻み始めます。手巻きの地味な3針時計、しかし今の私にぴったしの等身大の時計。満足、満足、これで決まり。無理していなくて良い感じです。

2006年04月09日

フィリップ、デュフォーさんとパパス・ショルダー

デュフォーさんとパパス.JPG
ライターのNさんからメールが届き、今バーゼルの時計フェアーの取材でスイスに行かれているとの事。
私の憧れの独立系時計士のフィリップ、デュフォーさんがル・ボナーのパパス、ショルダーをかけている写真が添付してありました。ミーハーの私はワクワク、どきどき、単純に嬉しくて、ニコニコ。

フィリップ、デュフォーという独立系時計士の名は、NHKでアントワーヌ、プレジウソさんと二人の違った形の独立系時計職人の日々を綴った特集番組を見たときから、私にとって、尊敬する職人となりました。
彼のもの作りの姿勢は清く純粋で、モノを作る職人すべて(私も含めて)に、本来あるピュアーな美しい喜びを思い起こさせてもらえます。

デュフォーさんは、作っているシンプリシティーが、2009年まで予約の生産で手一杯で、新作を作る余裕がないそうです。嬉しいことですが、新作を作るということは、作り手にとって大きな楽しみだし、ファンのひとりとしては、デュフォーさんの新作が見てみたい。

ライターのNさんは時計の取材で、年に何度もスイスやドイツに行かれます。そのたびにメールを送ってくださり、私のツボをつく写真を添付してくださいます。今回もスイスに旅立つ前に、パパス、ショルダーの良い写真を送りますねというメールがあり、この写真。
最高のプレゼントです。
今度、神戸に来られた時は、富の絶品、鳥鍋をご馳走しますよ。

それにしても、パパス、ショルダーいい馴染みをしています。近年でのル・ボナーの鞄の中では最大のヒットです。

2006年04月13日

4月13日の休日

北野坂のビーちゃん.jpg
今日は休日。雨がちらほら降っていて、ビーちゃんで外出するには少しの不安を感じつつ(ビーちゃんは雨に弱いのです)出かけました。
まずは、チャーの大嫌いなオタニ動物病院に、狂犬病とワクチンの注射。案の定チャーは恐怖で金縛り状態でした。

その後、前から一度は顔を出したかった田中ミシンさんへ。
田中ミシンさんは新品から中古まで多くの工業用ミシンなどを扱っておられて、修理調整に定評があるミシン屋さんです。手入れの行き届いたマシーンが並んでいて、気持ちの良いお店です。70歳代の社長ご夫妻も下町の良い味がにじみでてます。
今では生産されていないミシンを捜していただくお願いをしてきました。倉庫の奥にあったコンパクトでクラシックな箔押機も手に入れたいな。

その帰り道、北野坂にあるインド綿を使って、オリジナルの婦人服を売っているSATORIへ。
ハミはこのお店の洋服が気に入っていて、コムセギャルソン風の洋服を10分の1ほどの価格で数枚買いました。その間一時間、私とチャーはビーちゃんでお留守番。

ケルンのパン.jpg
ケルンでパンを買って、家で遅い昼食。
神戸はほんとに沢山パン屋さんがあります。全国区のパン屋さんも多く、レベルも高いです。
そんな中で、私はケルンのパンが好きです。異論はあると思いますが、私はケルンです。
肩肘張らずに、能書き言わずに優しいパンを作っているケルンが一押しです。
特に、ここのコッペパンは美味い。コッペパンが美味いと思ったのは、府中刑務所の近くにあったパン屋さん以来です。
今日は、私の大好きなコッペパンの間にごぼうサラダを挟んだサンドが売り切れていて残念。

神戸での私たち夫婦の休日は静かでゆったり過ぎて行きます。

2006年04月15日

ほんとに大事なもの

テンチョウ.jpg

転勤で、大嫌いな関西で1年半居て、頻繁に顔をだしていた20年来の友人の店長(アダ名)が、安住の地、横浜に戻って行きました。
彼は、私が始めてお店を持った、多摩の聖跡桜ヶ丘のショッピングセンターで、その当時大手チェーン店の店長をしていて、お店で仕事をしている時間より、私のお店に居る方が長く、休日も若い連中と体力勝負の遊びを一緒にしていました。松本家の浮き沈み、喜怒哀楽を見てきた友人です。
1年半、店長が居てくれて楽しかった。
彼のダークグリーンのアウディTTロードスターに、オープンにしてオカマのカップルに勘違いされながら乗ることも当分出来ません。

数日前、此処久しく来られていなっかた、仲の良い老夫妻のお客様が来店されました。
ここ1年、ご主人が入退院を繰り返して、やっとこうして散歩ができるようになったとの事。
お仕事のお手をとめさせてごめんなさいね、でも会えてうれしかったと言って、奥様がご主人の手をとって帰っていかれました。
いえいえ、私たちはル・ボナーを大事に思っていただけるお客様とお話が出来ることが大好きです。
小さな幸せですが、一番大事な幸せのように思います。
また来て下さい。ダンディな老紳士のご主人とハミのことを幸子さんと呼ぶ可愛い奥様。
私たちはいつでも仕事の手を止めて、楽しくお話をしたい。

私たち夫婦にとって、一番大切なものは人との出会い。
出会いがあれば、同じ数の別れがあります。出会えた一人一人との一期一会を大切にして、固執はしないけれどかけがいのない宝物。
明日も新しい出会いが待っているのかな。


2006年04月19日

村田ご夫妻との出会い

スタジオT&Y.jpg
私が鞄職人として独立して間もない、20代半ばの頃、10歳年上の村田ご夫妻と知り合いました。
その頃村田ご夫妻は、国立で自分達で作った革製品のショップを開いておられました。今は自分達の好きなインディアン・ジュエリー中心のお店に変わりましたが、30年近く村田ご夫妻のお店は内装を何度か変えながら、今も個性を放って国立の街になくてはならない存在としてあります。

今はスタジオT&Yという名に変わりましたが、出会った当時はホワイトホエルという名でした。
その当時、私の仕事場兼自宅が府中で近かったので、頻繁にお伺いしていました。
まだまだ職人として未熟だった私は、多くの事をご夫妻に教えていただきました。
初めて聖跡桜ヶ丘にお店を出せたのもご夫妻の紹介だったし、ファーラウトという夢のような職場を世話していただいたのもご夫妻でした。
村田ご夫妻の、さりげない心遣い、私たち夫婦は今も感謝の気持ちで思い出します。

去年、久しぶりに村田ご夫妻にお会いしました。15年ぶりです。
ご夫妻は、昔のままです。お店もご夫妻の個性を感じる、居心地の良いショップです。違いと言えば、ワンちゃんが3匹も我が物顔でいることで、それもまたご夫妻らしい。
ご自宅に泊めていただき、朝方まで色々な話をしました。
15年ぶりに会うのに、全然違和感なく、昔のまま。優しい時間を過ごさせていただきました。

私たち夫婦は、村田ご夫妻のように、自由で柔らかく生きたいと常々思っています。
軽やかで変なこだわりは持たない生き方。なかなか真似できません。

中央線の沿線で、一番お洒落な国立の街で、スタジオT & Y は村田ご夫妻の個性を表現しつづけています。

2006年04月23日

私的自動車考

外国車.jpg
今日は、お店のすぐ傍の会場で、外国車の展示会があり、お店を抜け出してちょっと見物してきました。
私は68年式ビートルを手放す気はないのですが、普通の車も欲しいと思っています。
ビーちゃんは家族の一人で、移動のためにもう一台。
普通に走る車が1台あればそれで充分ではないかと言われれば、ごもっともなのですが、無駄な所有欲だと笑ってください。分かっているのですが、この我儘な欲求は捨てられないのです。

私が自動車に求める最も重要な要素はインテリアです。コンパクトに収まっていて居心地の良い空間。シートその他が質感のある革で仕上がっていて、上質な包まれ感のある空間。
理想はマセラティのクーペです。上質の革に包まれた空間は絶品です。しかしマセラティはあまりにも非現実的です。誰か乗っている人がいたら、載せてもらいたいな。

アルファ147が気になっています。今日もドライバーズシートに座ってみました。
革シートの質感と包まれ感のあるコックピットは絶品です。
去年、アルファ147が欲しいと、家族会議にかけたところ、娘はセミのようなフロントマスクがイヤだといい、ハミは安心して載れないイタリアの車はイヤと2対1で却下されました。
ハミが美しいと言っていたジャガーXJにも座ってみましたが、家の応接間のようなインテリアは私の好みではなく、そのうえ広すぎて包まれ感がない。その前に値段が、私の欲しいアルファの4倍近く。
革も贅沢に使っているのですが、顔料がいっぱいのった私の嫌いなタイプの革。これではいけません。
それに比べ、アルファの使用する革は手入れ次第で、良い艶がでてきそうで、経年変化を楽しめそうな革です。ランボルギニーが使っている革と同じだと思います。

調べてみると、アルファを作っている工場は、イタリアの物作りを一手に担っている北イタリアではなくて、美味しい料理と、仕事ほどほどで井戸端会議をする人たちしかいないと思っている南イタリアのナポリ近郊にあるのです。
アルファの営業マンは、この車は問題は多々あるけれど、面白い車ですよとセールスする。日本車のセールストークでは、決して言わない、割り切った言葉。
怖いもの見たさに似た魅力?も含めてアルファ147は面白い。

アルファ147の1600ccMTにオプションでタン色の革のタイプがいい。
マイナーチェンジをしてセミのような顔ではなくなった( 私自身は残念な事 )ので、もう一度へ理屈を考えて、家族会議に提案してみようかな。
イタリアおやじに憧れる私には、あのエンブレムが魅力なのです。
ル・ボナーの常連のお客さんと一緒に見に行ったのですが、アルファのエンブレムの絵柄はすぐ剥げるんだそうです。そうなのかぁー、でもそれもアルファ・ロメオ。

2006年04月27日

チャーの夢

うたた寝チャー.jpg
チャーは家での定位置で、うたた寝です。
時々寝言を言ってます。彼はどんな夢を見ているのだろうか。
彼が凛々しく、目をぱっちり開けて、いつものだれたお座りではなくて、ちゃんとしたおすわりをする時間があります。

松本家のマイホームは3LDKのマンションで、少し変わっているとしたら、リビング、ダイニングには何も置いてなくて、畳の6畳間にすべて集約しています。長方形の堀コタツを中心に、テレビも、パソコンとその周辺機器を設置している机も、チャーの安楽ソファーも、本棚も、この6畳間にあります。昭和40年代の家族団らんをイメージして、そうしました。
家に居る時は、チャーを含めて家族みんな、だいたいここに集まっています。

当然食事もこの6畳間のコタツでします。
チャーがお座りした時の目線の先の同じ高さに夕食のお皿が並びます。
その時だけ、しつけの良い犬に変身します。定位置はハミの横。食い入る様に,微動だせず、お皿のおかずを見つめています。
それに負けて、ハミはチャーにおすそ分け。
ビーグルは食べ物への固執が特別強い犬種だと言われていますが、チャーは特別です。
その結果、彼の体重は小型犬のビーグルとしては、あってはならない20キロオーバーです。そのため年に一度の注射も高くなりました。

ル・ボナーの親しいお客さんが飼っているジャック、タッセル、テリアのカノンちゃんが5匹赤ちゃんを産みました。今飼っていただける人を捜しています。生後1ヶ月ちょっとです。
映画のマスクで有名になった犬種で、マツダのプレマシーのCMにも出ている、人気の犬です。
子犬を抱いてしまうと飼いたくなるのですが、チャー1匹でテンヤワンヤしている私たちには2匹は無理です。

生後1ヶ月.jpg  5匹の赤ちゃん犬.jpg

夜、家路の途中、わぁー可愛い子犬のシェパードと言いながらおばさんが近づいて来ました。チャーを見て何だビーグルかと言ってそのおばさんは去って行きました。ビーグルで悪かったな。失礼なおばさん。
当然、チャーは島一番の良く響く吠え声で威嚇しつづけました。

2006年05月04日

シンプリシティーとダドグラフ

デュフォー表ウエブ.jpg

デュフォー裏.jpg

昨夜、NHKのハイビジョンで何年か前に放送されたフィリップ デュフォーとアントワーヌ プレジウソの違った形での時計作りの日々を中心に綴った” 独立系時計師たちの小宇宙” という番組のビデオを見ていて、ますます時計が魅力的に思えて、次の日。
お客様が持って来られました。フィリップ デュフォー氏の作ったシンプリシティーとランゲ アンド ゾーネのダドグラフを。見て 触って 音を聞きました。

フィリップ デュフォー氏のシンプリシティーは、昨夜ビデオで製作風景を見たばかりだったので、特別の感慨を持って見てしまいます。
シンプルな3針時計の部品一つ一つに丁寧な仕事の手が加わり、誠意を人に伝えてくれます。
ハンドメイドが高い次元で、技術と調和しています。
値段を考えず、一つだけ手に入れられるとしたら、私は迷わずこの時計を選びます。
しっかりと響く音色が、心地良い。

ダド表.jpg ダド裏.jpg

ランゲ アンド ゾーネのダドグラフはシンプリシティーとは全然違う感動を与えてくれます。
ドイツの強さ、洗練されていない愚直な美しさ。
すべて丸見えの複雑なムーブメントに圧倒されながら、部品一つ一つの硬質な厚み感に驚かされます。
写すのがヘタなため、ムーブメントの凄さを伝えられないのが残念です。
それにしても、ケースがプラチナであることも相まって、なんて重い時計なのだろうか。

この2つの時計の唯一の共通点は、ムーブメントの素材がジャーマンシルバー(洋銀)だという事。この素材、なかなかいいのです。
鞄に使うオリジナル金具の素材としてどうか、調べてみよう。

私は今日、時計の中に夢をみました。
私の作った鞄の中に、お客様が夢が描ける、そんな鞄を作っていかなければ。
作るものは違っても、同じ職人なのだから。

2006年05月06日

設営禁止場所でのキャンプ

公園でキャンプ.jpg
我が家の前の公園にテントが一棟、朝起きてベランダ越しに見えました。
治安が良くて、水道もトイレもあるので、街中でのキャンプ地としては、良い場所かもしれない。
ゴミさえちゃんと持ち帰っていただければ、いいのではと私は思っています。
季節が良くなると、ここにテントを設営したり、バーベキューをしたりする家族を何度か見ます。
私もテントを張って、一夜をすごそうかと思ったりするのですが、目の前の集合住宅の一員であるのに、設営禁止場所にキャンプするのは、いかがなものかと躊躇っています。

私も何度も設営禁止場所でキャンプをしました。貧乏だったので、少しでも節約するという単純な理由と、体制への抵抗?という、とって付けたような大義名分で。

千葉の館山の海水浴場でのキャンプでは、夜、暴走族の大集団が通りかかり、此処はキャンプ禁止場所ですよーと石の集中砲火。多勢に無勢、私たちはテントの中でじっと我慢していました。

木曽福島の浦島伝説で有名な寝覚めの床のある公園では、夜遅くテントを張り、目覚めるとそこは一面の芝生、そこに管理人のおじさんが立っていて、こっぴどく説教されました。

芦屋カントリークラブ前の芦屋川はキャンプをするにはベストの場所でしたが、図々しい猪に悩まされました。

あと、牧場の隅で、牛の糞と牛の襲撃に注意してキャンプをしたり、真冬にスキー場のリフト乗り場の横にテントを張ったり色々な設営禁止場所でキャンプをしました。
設営禁止場所でキャンプをするのは、守られたキャンプ場でキャンプするより、体力も、図々しい精神力も必要です。でも記憶に残ります。

私は体力の衰えとともに忘れていた事がありました。
人生において、思い出作りが一番大事と言いながら、物欲に心がシフトしていました。
モノは、それぞれの思い出の脇役なのです。
自動車工場の期間従業員をしていた頃、夜勤明けの朝、寝ずに家族や仲間とキャンプに行っていた体力はもうないけれど、あの頃一緒に遊んだ仲間は、声をかければ今でも喜んで一緒に思い出作りをしてくれるだろう。
大事なことを、見失わないようにしないと。
50歳からの思い出作りの日々が始まります。


2006年05月12日

F夫妻のローマ

ヴェネト通り.ブログ.jpg

ル・ボナーの常連客で、私の神戸学の先生のF夫妻が、ゴールデンウィークにローマに行って来ました。去年の秋にフィレンツェに行ったばかりなのに、またまたイタリア観光旅行です。
F夫妻の旅行は、基本的に街を歩き続けます。朝から晩まで街を歩き続け、観光マップにはない、マイ、スポットを見つけ出す旅です。そのため歩く総距離はハンパではありません。
そんなF夫妻も、ローマの荒れた石畳は、相当きつかったようです。
パンプスで、平気で一日中歩き続けられるF婦人も、途中でギブアップして、スニーカーを購入したそうです。パリの旅行の時のように、足の親指だけが腱鞘炎になってしまったような事態にならずに良かった、良かった。
ピンチョの丘から.ブログ.jpg

私はイタリアが好きです。まだ行った事のない私ですが、行った人の話しを聞くと、ますます好きになります。過去に素晴らしい文化を築きながら、優等生と劣等生が入り乱れて混沌とした万華鏡のような国。そして職人の神様は、イタリアに居ます。

F夫妻のローマの旅の話しを聞きながら、私はフィレンツェに心は飛んでます。
年に一度秋にイタリアで開催されるリニアペレ(ヨーロッパのタンナーが一同に集まる世界最大の革の見本市)に、革屋の常務をそそのかして、同行させてもらって、フィレンツェとその近くにある、タンナーのワルピエやバトラッシーがある美しい村に行きたい。
職人の神様は、そのあたりに住んでいるように思います。

2006年05月14日

ポンテペルレ

ジャガー.JPG

フィアット500ウエブ.jpg


年に一度、六甲アイランドをスタート、ゴール地点にして開催されていたクラシックカーのイベントが、今年から、神戸フルーツフラワー・パークが出発到着地点となり、見ることができません。
6年間、六甲アイランドで開催されるイベントの中で、一番楽しみだたのが、このポンテペルレでした。

去年のポンテペルレで、私が選ぶベストオブ車は1937年式ジャガーSS100です。あまりに完璧すぎるレストアに驚かされます。この状態にするまでにどれほどの手間とお金をかけていることか。
敢闘賞は習志野ナンバーの1964年式フィアット500でしょう。このイベントに出場するために、千葉からこの小さな車で来て、3日間ポンテペルレで走り続け、千葉までまた帰っていくのです。凄いと思います。

静岡から1959年式ベンツ300SLロードスターに載って来られるご夫婦は、前日の夜、必ずル・ボナーに立ち寄ってくださる、6年前からのお客さまです。
毎年、このイベントに参加して、ル・ボナーに立ち寄るのを楽しみにしてくださったこのご夫妻も、今年は会えませんでした。
ベンツ.JPG
このハイソなイベントに一度は参加したいと思い続けました。
去年は本気で参加しようと準備を進めました。
私の1968年ビートルでは、クラシックカーのお仲間には入れてもらいそうになく、ビーちゃんの主治医の古川さんに相談したところ、俺は恥ずかしくて出場する気はないけれど、1956年式のポルシェのロードスターなら用意できるから、貸してくれると言ってくれました。
助手席に座る友人も確保し、ワクワクしながら申し込もうとしました。
その時分かったのです。参加費用がいることを。それも16万円です。
ハイソな人たちのお仲間に入るには、この程度の費用は余裕で払えなければ、いけないのだ。
見てるだけで、我慢しないといけない。でも今年は見ることもかなわなかった。

私にとって、1968年式ビートルはオモチャです。移動手段という機能はおまけなんです。
身の丈相応です。ポンテペルレの仲間に入るのは、まだまだ敷居が高いようです。

2006年05月18日

ストーヴァのアンテア

アンテア表ウエブ.jpg

アンテア斜めウエブ.jpg   アンテア裏ウエブ.jpg
 
ドイツのストーヴァ社のアンテアです。シンプルなバウハウスデザインの、ドイツ時計らしい腕時計です。

私が時計に興味を持ち始めるきっかけになった時計です。

35年前に親に高校入学の記念にセイコーの自動巻きの腕時計を買ってもらって、それをすぐに紛失して以来30数年、腕時計には興味がなく、持っていませんでした。
しかし、ル・ボナーに来店するお客様たちの、魅力的な時計や、センスの良い時計を見ているうちに強く興味がわいてきました。

そんな時、出会った時計の中で、飾り気がなく、質感はそれなりにある優しい時計と私は感じた、このストーヴァのアンテアに出会いました。価格も手頃で、誠意を感じます。
高価な時計を色々お客様たちに見せてもらい、感動をいただくのですが、美術館で絵を見るような感じなんです。私の腕に巻く時計ではないのです。

本命の手巻き3針の時計は年末のお楽しみで、こつこつ小遣いをためている途中なのですが、常連のお客さんたちに、趣味思考がお子ちゃまと言われている私はどうしてもシースルーバックの夢捨て切れなくて、ストーヴァーのアンテアを買ってしまいました。

手元に届くまで実物を見ることが出来ない不安と、長く使っていく上でのメンテナンスの不安から躊躇していたのですが、スイスから写真付きのメールを送っていただく、時計において絶大な信頼をおいているライターのN氏の推薦と、機械時計新入生の私の最初の時計としては、入門しやすい値段とが後押しして、購入することにしました。

それから3ヶ月忘れた頃に、ストーヴァのアンテアは私の手元に届きました。
実物は想像以上の質感で、非常に満足しています。ただベルトが値段なりの出来で、自作のベルトに変えました。これからも色々な革で時計ベルトを作って楽しもうと思ってます。
年末に本命の時計を購入しても、普段はこのアンテアを付けます。私らしい時計だと感じています。


2006年05月22日

T氏の優雅な趣向

エル、プリメロウエブ.jpg
親しくしている印刷屋の若社長のT氏が、奥さんの積み立てをくずして買ったゼニスのエル・プリメロです。
エル・プリメロはここのところデザインが毎年派手になってゆくので、欲しい人は今のうちかもしれません。
それにしても、このタイプでも充分派手で、その上45ミリの大きい方で、目立つ時計です。40ミリの小さい方でも大きく感じます。日本人で45ミリをつけてる人はめったにいないと思います。
秒針はエスケープメントが表から見えるようにくり貫いた窓のところにあり、目をこらさないと動いていることすら確認できません。
その針が秒針であることを、買った本人は知らなかった。

T氏に初めて会ったとき、関西商人丸出しのしゃべり口調にたじろぎながら、ナチュラルな考え方が面白くて、序々に親しくなってゆきました。
第一印象は、車はベンツ、時計は金無垢のロレックス、鞄はルイ・ビトンというお決まりのお金持ちのぼんぼんだと思っていたのですが、知れば知るほどT氏独特の美意識を持っていることを知りました。

T氏は直感の人です。
普通男は、大事な一品を購入するとき、念には念をいれて、ディテールを調べ、歴史を調べ、躊躇を繰り返しながら決断します。彼にはその躊躇がないのです。自由で柔らかなのです。

T氏はブランドの名前に迷わされない、自分の直感で選んだ質の良いシックな品で身の回り品をそろえていて、鞄、革小物等はル、ボナーのものです。が、時計だけは彼なりの美意識で選んだ、目立つ派手なものをチョイスします。
家族を愛し、会社とそこに働く若く才能ある社員を大事に考えながら、働きつづけるヤングエグゼクティブのT氏が、腕に巻いたからくり人形のようなエル・プリメロを見るとき、子供の心に戻れ、安らぎを感じるのかな。

そんなT氏と知り合って、豊かさのバランスを教えてもらいました。
彼は生粋の神戸人だと、私は感じています。


2006年05月26日

至福の時間

ダビゾフ.jpg

お店を終える前、この葉巻を吸います。私にとって至福の時間です。
海外旅行のお土産でお客様から頂いて、最初は香りに抵抗があったのですが、何本か吸ううちに、この高価な嗜好品の魅力に負けてしまいました。

葉巻一本で、紙巻煙草数箱分の値段。紙巻煙草のようには吸えません。大事に大事に吸ってます。
お酒を飲まない (飲めない)私なので、葉巻はお許し下さい。
健康には害があるでしょう。でも私よりヘビースモーカーだった親父は76歳まで生きました。私も煙草吸いながらその位生きたら充分です。

五感の中で、臭覚は一番気にされていない感覚のように思います。
その部分を刺激する嗜好品は、豊かな時間を提供してくれます。
モーツァルトを聴きながら、コーヒーを飲みながら、葉巻を一本燻らせる時間。その時私は無です。何も考えていません。それが私の至福の時間です。

昨日の休日は、久しぶりに再度山公園でリフレッシュ。ビーちゃんは山道の爽やかな空気の中、気持ち良さそうにコーナーを抜けてゆきます。
帰る途中、一ヶ月分の葉巻を元町商店街にある杉本酒販で購入。煙草の種類の多さは神戸で一番です。何にするか迷いつつ、結局吸い慣れているダビドフを。
その後、神戸堂で夏用のベレー帽を購入。ボルサリーノのストローハットが魅力的ですが耐久性に不安を感じつつ、あの値段は出せません。
神戸はディープな嗜好を満たしてくれるお店が色々とある、大人のワンダーランドです。

2006年06月01日

F夫妻のセレブな体験

老舗三角地帯.jpg

大丸神戸店の前の三角形の場所には、神戸の老舗が軒を並べています。セリザワ、神戸堂、神戸シャツ。そしてその中でも特別なお店が、高級時計と少しの宝飾品を扱うカミネです。本店は決して広くなく正直狭いのですが、ここの2階に行くのは勇気がいります。置いてある時計が高級すぎて、冷やかしではあがれません。ここの会長さんはAIHH(国際高級時計協会)ジュネーブ本部の理事をしているほどの格式高い時計屋さんなのです。

今年でカミネは創業100年を迎え、その記念の行事の一つとして、今週の日曜、月曜にホテルの会場を使って、顧客のみに招待状を送り、大商談会がありました。お金持ち相手の商談会は違います。土曜、日曜ではなくて、日曜、月曜なのです。ほんとの上客は月曜なのでしょう。カミネ3店舗はその2日間は店を閉めてます。

その選ばれし者たちのサークルに、いつも ル・ボナーの一日 に話題を提供してくれる常連客のF夫妻は行ってきました。F夫妻は決して金持ちではありません。普通の共稼ぎ夫婦です。が生活を楽しむことにおいては貪欲なのです。今回も、数年前にカミネで買った、アクセサリーによる参加です。

会場は次元が違っていたそうです。
高級時計や宝飾品がいっぱいあって、特にブレゲは力が入っていて、2億円の時計を筆頭に、ツールビヨンの時計も20本近くあったそうです。指の巾より大きい宝石のついた指輪をしているご婦人、2000万前後するツールビヨンの時計を数本、腕にあててみて商談している人。そんなお金持ちがいっぱい居たそうです。

F氏はサービスのコーヒーを飲みながら、いつもは一番安いダビドフを吸っているのに、ここ一番高級手巻きのダビドフ葉巻を吸いながら(セレブなサークルでは喫煙は市民権がまだあるようです)、買うことの無い高級な機械式時計の説明を聴き。
奥様は、数百万のネックレスを何点も首にあててみて、もう少し見てから考えると席を立ち、手頃な値段のアクセサリーを購入。セレブのサークルに参加するにはほどほどの参加費。
F夫妻は、一番の目的のスイス観光とオーデマピケの工場見学の旅の抽選に応募して、選ばれし者たちの集うサークルを後にしました。

私はそういった場には行けません。ドギマギして居心地悪くて、楽しむことが出来ないのです。
F夫妻のように楽しむことはなかなか難しい。
神戸を楽しむ秘訣は、そのあたりにあるような気がします。

私は安テントでアウトドアを楽しむおじさんで居続けます。
お客様が話してくれる、そんな別世界の出来事をお店で楽しく聴きながら。

2006年06月02日

6月1日の優しい休日

6・1ビーちゃん.jpg
昨日の休日は朝一番、チャーの散歩で、ハミと一緒に遊歩道を歩いてきた後ドライブ。
午前10時、六甲アイランドを出てすぐの神戸製鋼ラグビー部のグランド前の交差点で信号待ちをしている時、牛乳で一杯になったステンレスのタンクに写った愛車のビーちゃんをパチリ。やはり可愛いなぁー、でも暑い。走っていると三角窓から入って来る風が心地良いのだけれど、止まると暑い。ビーちゃんはもう少ししたら夏眠に入ります。関西の真夏は厳しく、私はこのエアコンの付いていない愛車に乗るのは出来るだけ遠慮しています。

山手の道を走って目的地へ。住吉から新神戸に抜ける道沿いには神戸の美味しい食べ物を作って売っているお店が多くあり、プラタナスの並木が優しい、私が好きな神戸です。
兵庫の大倉山あたりで発見。私好みのレトロで清潔そうな床屋さん。今度いってみようっと。

チャーをオタニ動物病院に連れてゆきます。恥ずかしながら前足の爪を切りに行くのです。
チャーの前足の爪を前回自分達で切った時、深く切りすぎて血が噴出してきて、それ以来私たち家族はチャーの爪を切るのが怖くなってしまったのです。そのため伸びすぎた爪は巻いてしまうほどになりました。弱虫松本家のメンバーはオタニ先生にお願いすることにしました。診察台に乗って数秒、震えるチャーには気も留めず、チョキチョキと素早く切ってもらいました。やはりプロは違う。

その後、ハミの好きな長田商店街で、お昼に食べるおこあご飯と私の大好きな豆大福を買って、途中ビーちゃんの主治医の西土居モータースの古川さんの処へ。
まだ昼前11時半なのに、古川さんはお昼の休憩でいません。1時半までは戻ってこないので今日は待たずに帰ちゃいます。レストア中の初期型カルマンギアも少し進展したようです。今まで置いてなかった古いミニが数台あり、少し気になります。西土居モータースはいい。油の匂いと、雑多な道具と、甦るのを待っているボロ車たちが、居心地の良さを演出してくれる。ここはばばちくても、それも雰囲気。
フィールにて.jpg
夕方、朝も来た六甲アイランド南端のマリンパークへ。
海辺のカフェテラスのフィールでのんびり午後のテータイム。ここはペット同伴でもOKなので時々利用します。海風と汽笛の音色が心地良い。ハミと二人、あまり会話もすることなく、柔らかな時間を楽しみました。

若い頃は、休日はめいっぱい遊んでいました。
この歳になると、ゆっくり時間が流れる休日がいいな。昨日の休日は平凡だけれど、良い感じの休日でした。

2006年06月06日

アディダスカントリー

アディダスカントリー.jpg
私はアディダスカントリーを25年近く代替わりしながら、履き続けています。
最初に履いたカントリーはフランス製で、すごく気に入ってボロボロになるまで履き続けました。
その後、中国製になり、今はベトナムで作っていますが、初めて履いたフランス製の感動が忘れられず、全然違った靴になってしまっている現在のカントリーですが、今も愛用しています。

高校時代、アイビー全盛期、皆はローファーやタッセルの革靴を履いていましたが、私はオニツカタイガーのリンバという青いベロアのジョキングシューズを履いて通学していました。
その後、仕事柄革靴の知識も豊富になり、何度か購入意欲がわいたことはありましたが、未だに革靴はアウトドア用しか持っていません。あっ あった。冠婚葬祭用の、友人にいただいたマドラスモデーロの靴。
その靴を持たなかった頃、ご近所のお爺さんの葬式があり、その時は困った。黒い長靴を履いてお通夜にいきました。お昼にある本葬は、長靴であることがバレてしまうので勘弁させてもらいました。

20万円前後のフルオーダーの手縫いですくい縫いをする紳士靴は別として、ミシンで底縫いする既成紳士靴の場合、セオリーに忠実に作ったものは10万円前後の高級ブランド靴と3万円前後の国内靴の差が分からないのです。どちらも美しいのです。
顧客のお客様が履いていたプレーントゥの靴が良く見えて、その靴はジョンロブですか?と聞くと国内の某メーカーのものでジョンロブの3分の1程度で買える靴でした。靴は履く人の雰囲気やお手入れ方法で決まるとその時思いました。

紳士靴はアッパーを縫製した後、木型に巻き込んで成型するので、縫製段階よりステッチが美しく見え、その状態で磨き処理をするので革の表情も良く見えます。素顔と化粧をした後の女性のような違いです。
それに比べ、鞄は型を使う工程がないので、革は素顔のままです。美しく見せるためにはパターンが重要になってきます。

私は普段はずっとアディダスカントリーを履き続けるでしょう。
もしフランス製のカントリーのデッドストックの26センチ前後のサイズのものが手に入るなら、喜んで大金をはたきます(限度はありますが)。
しかしこの歳になると、冠婚葬祭用にチャンとした紳士靴も一足買わないといけないなぁと考えています。
いつまでも友人に頂いたゴム底の磨り減ったマドラスモデーロではいけないような気がします。
買うとしたら、ジョンロブ似の某国内ブランドの黒のプレーントゥにするでしょう。革もヨーロッパの有名ブランドが使っている革と同じものを使っていますから。

2006年06月10日

デジタルについていけない世代。

CATV.jpg

世の中のデジタル化に、私は全然ついていけません。
今日も、地上デジタルに対応させるための、ケーブルテレビの工事が我が家でありました。今日から我が家は70チャンネルほどが視聴出来るようになるのですが、リモコンの操作を覚えるだけで、頭がパニックを起こしそうです。私の老化しつつある頭脳は説明書なるものに拒否反応を起こします。

同業者を見渡した時、私の年齢あたりを境に、年寄りはデジタル機器に弱い者ばかり。それに比べ若い人たちは自分でホームページも作り、パソコンの保守点検も自分でしている人が多く、デジタルを上手に使っている。私はブログは好きで続けていますが、なにかパソコンに異変が起こると、必要以上にパニくって、専門家の助けをお願いしてしまいます。
今回のテレビデジタル化も、我が家の中の模様替えで、テレビの位置を変えてアンテナの差し込むところが変わるたびに調整が必要らしくて、そのたびにデジタル音痴の私は、ケーブルテレビジョンの人にお願いしないといけません。なんと不自由なことか。

一度、進化するデジタルネットワークを知ってしまうと、それのない生活に戻れなくなってしまいます。どのあたりが良いバランスなのか冷静になって考えて、折り合いをつけていかないといけません。

電化製品の技術的進化は急激で大容量で変わっています。しかしテレビが白黒からカラーになった時、ビデオデッキが登場した時のような感動は得られません。なくてもいい技術を押し付けられているようなところもあります。選択する知識が必要なのですが、なかなかそれも大変です。
私はデザインに着目しています。技術で大差ないなら、デザインというアナログなものでの選択の方が豊かにその電気機器と一緒に暮らしていけるように思うのです。

数ヶ月に一度来られる、70歳を越えられた仲の良いご夫婦が今日来られました。ご主人へのプレゼントでパパス、ショルダーを買って行かれました。ご主人の腕に古いオメガの手巻きの3針時計が。聞くと50年ほど前、奥様と婚約した時に結納返しで購入した時計だそうです。
文字盤は少しくすんでいますがそれも良い感じ。50年近く一度もメンテナンスに出した事はないのに、順調に時を刻み続けているそうです。
50年、ご夫婦の歴史と一緒に歩み続けた時計。拝みたくなる味わいのある機械でした。
年輪を刻んだアナログなモノはやはりいいな。


2006年06月13日

老化と肥満

お店裏の公園.jpg
お昼の食事を終えた後、チャーと散歩するのが日課です。
店裏にあるこの公園に、よく来ます。誰も居なくて静かでホッとさせてもらえます。
数十分、なにもしないで柔らかな空気感じていると、そんな時間が愛おしく感じます。

昨日は私の体に異変が起きてしまいました。
午後になってフラフラするのです。真っ直ぐ歩けないのです。そんな状態が3時間近くつづき脳梗塞じゃないかと不安になって、かかり付けのお医者さんにフラフラしながら行って、そこで紹介状を書いてもらって総合病院でCTでの検査。脳の中はからっぽだけど異常なし。理由を特定出来ないまま、その後も目眩で頭クラクラ。
そのため、ワールドカップ、サッカーの日本戦を観ないで寝てました。さすがにヘビースモカーの私でも、タバコは吸う気になりませんでした。
一夜明けた今日、調子は回復したのですが、ハミがどうしても調べてきて欲しいというので、隣の人工島にある、神戸で一番大きな病院に行って調べてもらいました。

診断の結果、お医者さんが言うには、老化と肥満が原因なのだそうです。
東京から神戸に引っ越してきて14年。食べるものが美味しくて1年1キロのペースで肥満の道を進んできました。ウエストも90を越えています。
脂身の肉が大好きで、夕食後は必ずデザートでアイスクリームを食べる日々は、もう若くない体に、注意信号を灯したのです。

こういうことがあると、健康が一番大事と痛感させられます。健康でさえあれば、残りの人生楽しくやっていけます。少し摂生していこうと自覚した昨日今日でした。今日のタバコは美味しい。


2006年06月15日

雨の休日

6,15車内のチャー.jpg
今日は雨の休日。
散歩だよというと、喜んでいつも吠えまくるチャーも、雨の日は別です。私が靴を履いてもリビングでぐずぐずしています。おやつでつっても来ません。ハミが玄関まで、チャーのお尻をずるずる押してようやくの散歩です。散歩にでても要をたすと一目散で帰りたがります。
水がほんとに嫌いなのです。

車は別です。車に乗るよというと雨だろうがなんであろうがへっちゃらです。リアシートの指定席に一目散です。チャーは車に乗ると、獣医さんに行く時は別として、自分が一番偉くなったかのように、散歩中のワンちゃんやヘルメットを被ってバイクに乗っている人を見ると吠えまくります。ほんとに困った犬です。

雨の日は基本的にビーちゃんには乗りません。今日はどうしても買い物にいかなければならず、久々に雨の日のドライブです。
何故雨の日は乗らないようにしているかというと、危険だからです。
まず、デフロスターが役目をはたさない。フロントガラスのくもりはタオルで拭き拭き運転します。大雨での運転で、深めの水溜りに突っ込んで、ビーちゃんは床上浸水、ドラムブレーキはまるで効かなくなり、死ぬのを覚悟?したことがありました。それ以来、雨のドライブは苦手です。
ハンドルとメーター.jpg
しかし、ビーちゃんの運転席まわりは良い。おせいじにもコックピットと言えませんが、シンプルなメーター周りとクラシックなハンドルが心を和ませてくれます。ガソリン臭が網目のところから出てこなければ、他の多くの問題点は目をつぶる事ができるのですが。雨の日もそのガソリン臭のために、窓を開けて走らないといけません。当然濡れます。
この相棒と何時までも一緒にいるように思います。多くの問題を含み込んで。

2006年06月19日

自家製ハンバーグ

ハンバーグのクレープ.jpg
我が家では、ハミがハンバーグを作った翌日の夕食はクレープと決まっています。
ハミの作るハンバーグは独特です。ミンチ肉はつなぎ程度に入れるだけで、大部分野菜を細かく刻んだもので、一般的なハンバーグではありません。私の体を心配してではなくて、ハミが肉嫌いで、そんなハミでも食べれるハンバーグを試行錯誤した結果なのです。これが美味しくて、正直肉好きの私でも、このハンバーグらしきものを食べると、レストランのハンバーグは食べれません。

作った当日は、キノコを一杯入れた和風ソースと大根おろしで食します。ついつい食べ過ぎて、野菜一杯ヘルシーなんだけど、たくさん食べてしまうので肥満対策の効果はありません。
翌日は、残した前日の特製ハンバーグやほうれん草のバター炒め、生の野菜、チーズなどを焼きたてのクレープに包んで、特製ソースでいただきます。これが我が家の決まり。
クレープの夕食の時だけは、私の健康の事を考えて止められているアイスクリームもOKで、バナナと生クリームをクレープに一緒に包んで食後のデザートです。至福のひと時。

私たち夫婦は30年近く一緒に仕事をしている共稼ぎ夫婦なので、当然家事も分担してやるべきなのですが、私はまるで手伝いません。30年近くハミは私の屈折した性格を修正することに力を注ぎ、共同生活者としての責務の事までは頭が回らず、私は修正不可能な家事の出来ないおやじのまま一生を終えると思います。
料理を作った記憶はここ久しくありません。洗濯機は操作方法がわかりません、触ったことがないのです。食べた後の洗い物ぐらいはしてと頼まれて、私のとった行動は、食洗機の購入。2週間ほどは面白くて食器をセットしていたのですが、すぐに飽きてしまい今はやっていません。

ハミが泊りがけで家を留守にした時、一瞬家事から解放されますが、帰ってからが悲惨。洗濯物が山と貯まり、食器が流し台に山とつまれ、室内はチャーの毛だらけ。そんな時ハミは爆発します。私にはなんの弁解の余地もありません。部屋の隅で小さくなって嵐の過ぎ去るのを待っています。

私はチャーと同じように、過保護で我儘なまま歳をとってゆきます。ハミのおかげで少しは良くなったと思いますが、一人では生きていけません。これからもハミにお世話を掛け続けると思います。子供のままおじさんになってしまった私です。

2006年06月22日

囲碁

囲碁.jpg
休日の夕方からは、シェラトンホテルで囲碁を打ちます。このクラブで囲碁を打ち始めて7年ほどになりますが、なかなか上達せず1級を目の前にして足踏み状態が続いています。
勝負にこだわると上達しないし、美しい碁を打とうとするとなかなか勝てません。奥が深くて魅力的なゲームです。

会員の平均年齢が70歳を越えるクラブで、私以外はみんな60歳を越えています。
私が入会した頃は20人以上いた会員も、今は13人ほどです。最後まで生き残る可能性が高いという理由で、このクラブの幹事(雑用、経理)をさせられています。

夕方の5時から5時間ほど、4試合ほどします。日本棋院が決めているポイントで、ハンデを決めての試合になるのですが、7段の上級者でも、負けると本気で悔しがります。
私も初段になるまではやめられません。攻めと守りのバランスが良くなれば初段にはなれると思うのですが、それが難しい。

今日の対局者は、私と同レベルの82歳の横浜生まれのダンディーな老紳士。長考を重ねる人で、2局しか打てませんでしたが、2連勝しました。気分良く家路につきました。

木曜日の5時から、シェラトンホテルで囲碁を優雅に楽しむクラブに参加しませんか。
RIC囲碁クラブの幹事をしているル・ボナーの松本までご連絡下さい。


2006年06月24日

週末の六甲アイランド

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神戸の東の海に作られた人工の島、六甲アイランドは街の中央に六甲ライナーと言う名の新交通システムが高架を走り、その線路の下に人工の川が南北に流れ、その周りが公園のようになっています。ル・ボナーはそれを観るような位置にあります。

週末の夜は、毎週あちらこちらで野外ホームパーティーをしています。目の前のオレンジ色の高層マンションが外国人専用賃貸マンションのためなのか、野外でホームパーティーをしているのは、外国の人と日本人が半々ぐらいです。この街は関西で一番外国の人が多く住んでいる街なのです。数日前も阪神タイガースのウイリアムスが家族で店の前を歩いていました。

夏になると、この人工の川だと、安心して小さな子供を遊ばせることができるので、若い家族が多く訪れます。川の水は浄水して繰り返し使われます。欧米人の子供は10月の涼しくなった時期でも泳いでいたりします。日本人とは体温が違うのではと思ってしまいます。

この街に住み始めた頃、すべてのものに人の手が加わっていて自然なものがないことに抵抗を感じていましたが、20年ほどの時間が街を熟成させて、住む人と一体感を持って愛すべき街になってゆきました。隣の人工島の先輩、ポートアイランドは街として、少し翳りを感じますが、六甲アイランドは魅力的な街へ成長しています。
住民みんなで、新しいふるさとの歴史を作っています。

スーパーマーケットは3軒あり、ホテルも2つ、総合病院もあり、学校も大学まですべてあります。映画館も大きなプールもあります。
ないものと言えば、魅力的なお店。その部分をル・ボナーが頑張らないといけません。
個性を大事に育ててゆくお店がこの街に増えてゆけば、この街は完成形です。


2006年07月01日

ブレゲ クラシック、レギュレター、パワーリザーブ

ブレゲ、クラシック.jpg
月に一度ほどル・ボナーに家族で、迫力のあるおじさんと一緒に来られ、ゆっくりお買い物をされるお客様がおられます。そのお父さんの時計が気になりました。さりげなくつけてられるその時計をはずして見せてもらうと、その時計はブレゲのレギュレター、パワーリザーブです。上品で色気のある時計です。奥様はパテックのクォーツです。

1年前までは、時計にまるで興味がなかった私でしたが、その後時計が面白くて夢中で知識を吸収してゆきました。そのことで次元の違う世界に迷い込んでしまいました。
ル・ボナーに訪れるお客様たちは、雲上の時計を特別でなくつけている人たちが多くいるのです。時計の雑誌やカタログを見ながら、憧れを感じながら実際は高嶺の花とあきらめるはずの時計たちを、見て、触って、聴くことが出来てしまいます。
ブレゲもパテックも知らなかった時は、何も感じなくてよかったのに、知ってしまった今の私には100万円の腕時計は安いような錯覚に陥ります。現実の私には遙かかなたのことなのに。

これから私は高価な時計を手に入れたいと思う気持ちはただの所有欲でしかないと自分に言い聞かせて、時計の達人をめざします。私の思う時計の達人は、時計の知識で遊べる人だと思っています。でも良い時計を見ると欲しくなります。いけないいけない、武士は食ねど高楊枝。年末に購入する時計で、ひとまず所有欲はお休み。

昨日、ライターのN氏が、時計店の取材出張の途中立ち寄っていただきました。いつもスイスから魅力的な写真を送っていただく、私の時計の先生のN氏。徳島、高松、岡山、神戸とハードな取材の中、お顔をだしていただきました。
時計の話し他色々なお話をして、あっという間に時間が過ぎてゆきました。
N氏の腕にもブレゲでした。ベルトはパリのジャンクロードペランのおやじさんの工房で本人に作ってもらったガルーシャ革のもの。今私は時計ベルトを色々調べているところなのです。

2006年07月03日

コイーバの香り

バージンブリーズと葉巻.jpg
お店を早退して、絶品鳥鍋の富に行ってきました。今回は予約を入れず突然だったので4日前に予約していないと食せない鳥鍋は残念して、表メニューの鴨のハリハリ鍋をメインにその他色々を注文しました。
メンバーはいつものF夫妻と、私のことを鞄のお父さんと慕ってくれている、可愛い鞄職人見習いのMちゃん。
いつ食べても、富の料理は鮮度抜群、真心いっぱい、スープが特別。それでいて心配したくなるほど値段は良心的。次回は予約を入れて鳥鍋です。

その後、バー、パパヘミングウエイへ。バーは大人が静かに時と空間を楽しむ場です。ある種ストイックな酒場とでもいいましょうか。しかしパパヘミングウエイは楽。プロレスラーの蝶野似のマスターは、どこかとぼけていて場を優しくさせてくれます。今日も体育会系のパワフルなシェイクです。

私はいつものバージンブリーズを頼み、本命の葉巻を吸います。今回はコイーバの葉巻。今度スギモトに葉巻を買いに行く時、値上がりが心配です。この一本が今でも1600円なのです。
バーで吸う葉巻は特別。場と葉巻の香りが至福の時を提供してくれます。

料金は4人で9,700円。10、700円出してお釣りはいいよとしゃれ込む?つもりだったのに忘れていた。残念。当然のように帰りは午前様と相成りました。

2006年07月07日

カファレルのチョコレート

カファレル、チョコ.jpg

http://www.caffarel.co.jp/kitano/index.html

家のパソコンの調子が悪く、ブログの更新に支障をきたしております。だいたいブログは家に帰って夕食後に書いているのですが、今はそれが出来ません。素人のわからんちんがいじると余計に訳のわからない状態になってしまいます。ここは専門家のお友達に助けてもらうことにします。

昨日の休日はトアロードにあるカファレルというチョコレート屋さんに行ってきました。
カファレルはイタリアのトリノに本店のある、3世紀つづくチョコレートの老舗です。そのカファレルが日本で始めて神戸に直営店を出しました。ベルギーなどのチョコレートと違って、ポップでカジュアルな感じで、それでいて味は本格派。私たちお気に入りのチョコレートです。

神戸は洋菓子激戦区です。そんな神戸にあえて日本唯一の直営店を出したカファレルの心意気にエールを送ります。チャーをビーちゃんで留守番させて、ハミとチョコレートを見ていたら、店内でもチャーの一人にしないでというせつない吠え声が響き渡って、落ち着いて買い物もできません。困ったバカ犬です。

6,6チャー.jpg

ワールドカップのために私は寝不足の日々がつづいています。
準決勝に残った4チームでイタリアとポルトガルを応援していました。ドイツとフランスはカッコ良くて共感を感じないのです。それに比べ私の応援する2チームはカッコ悪いほどひたむきに見えるのです。
ポルトガルは演技過多で負けました。イタリアはスタミナ勝負で走り勝ちました。最後は気合と根性が勝負を決めるんです。わたしはガッツーゾという選手が好きです。イタリアがんばれ。

2006年07月14日

高島野十郎という画家

野十郎展.jpg
東京に行ってきました。今回の目的は三鷹市美術ギャラリーの高島野十郎展を見に行くことでした。
私が高島野十郎という画家を知ったのは、つい最近,美の巨人たちというテレビ番組で紹介されて知りました。その番組をハミと二人で見て、その画家の生き方とそれを伝える絵に深い感動を感じました。

その画家の絵が100点以上、実際に見れるのです。個人所蔵の絵が多いため、これだけの点数を揃えるのは大変だと思います。静かな絵が多くの事を語りかけてきます。最後に展示された、画家を代表する月と蝋燭を描いた何点かの絵を見たとき、感極まって目頭が潤んでしまいました。
心洗われる2時間あまりでした。

私は今まで絵ではフェルメール、陶芸では板谷波山というように、絶対美を表現する芸術家の作品が好きでした。そんな私が不覚にも画家の生き様に感動し、その生き様を伝える絵に刺激を受けてしまいました。

帰りの電車の中で考えました。自己を表現するっていうことはなんて素晴らしいことか。
私は自己を表現する名もなき多くの人たちにエールを送りたい。

私は今日からいつもの様に鞄を作ります。心を少しリフレッシュさせて。

2006年07月16日

東京

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東京駅は丸の内側が好きです。昔の丸ビルがあった頃は必ず丸ビルのショッピングモールを散策しましたが、今はその丸ビルも変わってしまい序所に思い出の風景は、心の中にだけ残るものになります。

私は17年間、東京に住んでいました。
東京には多くのチャンスがあり、多くの挫折も経験しました。
必死で生きていた東京での17年間。
現在、神戸の人となって、時々東京に来ると、住んでいた時には見えなかった東京が見えます。時々自分を見つめ直すのに東京は悪くない。でも2,3ヶ月に一回でいいかな。

三鷹の高島野十郎展を見た後、浅草橋の金具の問屋が集まる三筋に。
このところカジュアルな製品をあまり作らなかったので、久しくご無沙汰していた柳場美錠に。社長は覚えていてくれました。昔のアウムさんねと。
ル・ボナーの取引先の多くが、なぜかビジネス的な一生懸命さがありません。柳場美錠もその最たる金具屋さんで、真鍮の金具では日本一有名な金具屋さんだと私は思っているのですが、そのブランド力をうまく使って事業拡大とか全然考えていない風で、周りの金具屋さんが新しい社屋に建て替える中、柳場美錠は昔のままです。
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その後、鞄メーカーの堀切の猪瀬さんのところへ。
猪瀬さんの古い木造校舎のような仕事場はいつ来ても、いいのです。一階の裁断場には、裁断職人40年のベテラン、上岡さんがニコニコしながら迎えてくださいます。二階の縫製場では忙しくサンプルと量産をこなしています。
仕事として、今年一番楽しみにしている企てを猪瀬さんたちとやるのです。どんな内容かは秋には公表します。形にするまで、楽しいけれど大変な日々がつづきます。今回はその相談で行ったのです。

夜は、日本橋の老舗の蕎麦屋さんに、Mさんとお食事。
Mさんとは、専門学校のヒコ、ミズノさんがバッグコースを開設する関係で知り合い、東京に行く時は会いたくなるお人です。今はトラバーユし、大手外資系企業の中枢で働いておられるのですが、江戸の下町を愛する好中年。
江戸前の蕎麦はちょっと特別。せいろとざるの違いは色が違う。のりはざるにも乗っていなくて、ざるの蕎麦の色の方が薄くて、せいろの蕎麦の色の方が濃い。海苔は別に頼んで漆器の小箱に入ってきます。江戸っ子の粋な蕎麦の食べ方は、箸ですくったそばの端を少し蕎麦つゆにつけて、蕎麦の味を楽しむというけれど、現実は蕎麦つゆがだし醤油なみに濃くて、蕎麦を全部蕎麦つゆにつけて食べると、濃くて食べれたものではないのです。

そんな蕎麦屋で楽しくお話して、いつもの東京の定宿、学士会館へ。やはり私にとっては居心地の良い宿です。今回の東京2日目は、午前9時には新幹線の中でした。蒸し暑くて早く神戸に帰りたくなりました。新神戸の駅に降り立つと、空気が優しかった。


2006年07月18日

ダイソン友の会

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私はダイソンというイギリスの掃除機を一年ほど前に購入しました。
最初、ダイソンという掃除機を知ったとき、こんな高い値段の掃除機を買うなんて冗談じゃないと考えていたのですが、使っている人の話しを聞いたり、掃除機だけを真剣に作っているダイソンの心意気に感銘を受けて、買ってしまいました。

私は家電製品を購入してこれほど惚れたものは他にありませんでした。
ダイソンは相当うるさいタービン音を代償に、良く吸います。いつも貯まる得たいの知れない微粒子をゴミ箱にかき出す時、よくそこまで吸ってくれたと感謝すら感じてしまいます。

デザインも秀逸で、まるでSF映画に出てくる機械のように嘘っぽく非現実的で、家の中で目立っています。このデザインが面白くて、我が家ではリビングにいつも鎮座しています。

今日、横浜に戻った店長(あだ名)からメールがあり、彼もダイソンを買ったそうです。やっと大人の選択?の買い物が出来るようになったねとメールを送っておきました。
私は親しくなった人たちにダイソンを勧めています。その甲斐あって知っているだけで10人ほどは買いました。私はダイソンの営業マンではありません。しかし豊かさを共感してもらいたくて勧めています。

私は、販売員の誘導にそそのかされて、オプション部品いっぱいの一番高いタイプの紫色を買いましたが、黄色のタイプで充分。吸うパワーは変わらないし、紫色のより黄色の方が可愛い。紫色のを選んだことが少し後悔。

しかしなんであれ、このダイソンはよくがんばってくれます。いつまでも吸引力が落ちない唯一の掃除機というキャッチフレーズが事実かどうか、これからが楽しみです。掃除機にこれほどまでに思い入れをもったのは初めてです。変だと言われれば確かに変。

マックのレトロ・モダンなデスクトップパソコンのデザインに衝撃を受け、色々な事情で諦めて以来、久々にデザインに一目惚れした電気製品がこの掃除機。性能良し、メーカーの心意気良し。

2006年07月22日

チャーのバランスはアンバランス

7,20チャー.jpg
座布団とか載せていて、今にもすべり落ちそうになっているのに、チャーは我が家での安住の場所のソファーで、寝ようとします。座布団などを蹴飛ばし落として寝ればいいのに、そういったモノを抱え込んで寝ようとしています。バランスが悪くて寝にくいと思うのだけれど。

彼を見ていると、時々犬のぬいぐるみを着た人間の子供ではないかと思うことが多々あります。
喜怒哀楽がストレートで、吠え方は何種類もあり、ことばを覚えきれていない子供の感情表現のようです。
もしかしたら頭の良い犬かもしれないと思いつつ、ネコと同じ身勝手で、人間様には従順な頭の良さではないので、一生彼の頭の良さはわからずじまいで終わるのでしょう。

彼の大好物はアイスクリームです。
私がアイスクリームを食べ始めると、彼は瞬きもせずじっと見ています。口からはいつもはあまり出さないよだれが零れ落ちます。少し残したアイスクリームを彼にあげると、彼は陶酔したようなまなざしをして、なめてます。その真剣な姿は少し怖い。
肥満対策のため、私にアイス禁止令がでているため、彼もここのところ大好きなアイスを口にしていません。

昨日の夜、お客様がお店に入って来ると吠えました。初めて来店したその女性のお客様は商品を見ることなく、怖ーいと言って店を出て行きました。
閉店時間が近づいていて、チャーは帰宅モードになっていて、いつもは吠えない若い女性にも吠えてしまったのです。彼の人様に従順でない我儘な態度が、ル・ボナーのお客様になったであろう人を失います。怒ると反抗する我儘犬です。

散歩中、遠くに見える他のワンちゃんが気になって、溝に落ちました。
野生を忘れた、バランスの悪い犬です。

2006年07月24日

私の自転車

マイ自転車.jpg
子供の頃、同級生のみんなはライトが一杯で変速機がついた、その頃流行の自転車に乗っていました。私は兄弟のお下がりの自転車でした。ライトも一つ、変速機もついていなかった。流行の自転車に乗りたかったけれど、怖い親父には言えなかった。
それがトラウマになって、自転車には思い入れがあります。

この自転車は10年ほど前に購入したもので、京都のナチュラルサイクルというところのもので、色や部品を自分好みにチョイスして組み上げてくれるのが気に入ってえらびました。見た目を大事にする私は、サドルはイギリス製の革のものにしたのでお尻が痛く、タイヤはロードスポーツ用の細いものにしたので、土道だと滑ってしまいます。それでも乗っている人を見たことがないので気に入っています。
ハミも同じメーカーの女性用の自転車を、こちらは柔らかなシート、普通のタイヤ、泥除けカゴ付きで実用的に乗っています。

ここのところ、自転車が安くなったなーと驚かされます。前後サスの付いた部品盛り沢山のマウンテンバイクが、シンプルな私の自転車より安く手に入れることが出来ます。海外の安い賃金の国で大量に作るからでしょうが、国内で地道に自転車を作っているメーカーは大変です。オリジナリティーを育てていくしかありません。

自転車には、少し距離のあるホカ弁屋さんにお昼ごはんを買いに行く時位しか乗っていません。昔、自転車で目黒から権の助の坂を越えて赤坂の仕事場まで通勤したり、自転車に二人乗りして都内のどこへでもドライブ、デートをしていた私は、今では運動不足のデブなおやじ。運動不足解消にまた自転車に乗ろうかな。六甲アイランドの外周道路は一周8,9キロはあります。この距離をフルスピードで漕ぎきったら、今の私は酸欠状態でたおれるでしょう。

2006年07月27日

窓越しに見える雨のリバーモール

雨のリバーモール.jpg
今年はほんとに雨がよく降ります。
例年だと、もう梅雨が明けてもいい時期なのに、降り続けます。
水が嫌いな迷犬チャーは雨も当然嫌いで、雨の日は散歩にも出たがりません。彼にとって集中力が必要なウンチも、雨が邪魔して出来ず、いつもは一日三回する犬が、雨が二日続いた時は、二日間ウンチがでない便秘犬でした。

私は極めつけの雨男で、子供の頃運動会はいつも雨模様だったように記憶しているし、遠足もよく雨だった。大人になってよくキャンプに行ったけれど、必ず雨が降っていた。それゆえに工事用のブルーシートのタープ貼りは名人です。
雨は嫌いではありません。特に垂直に落ちてくる雨が好きです。ボーと見てて何もしたくなくなります。心が休まります。

昨日も晴れていたのに、急に雨が降ってきました。窓越しに見える人工の川では夏になると子供を遊ばせています。
1キロほど続くこの人工の川は水を浄水して繰り返し使っています。浅いので安心して子供を遊ばせることが出来ます。週末には島外からも、小さな子供を連れた親子連れがたくさん来ます。
急な雨の中、子供たちは気にせず楽しんでいます。お母さんたちは六甲ライナーの線路の下で雨宿り。

梅雨時から真夏にかけて革には厳しい季節です。革には湿度が大敵です。
エアコンは革のためにつけ続けています。革の臭いもこの季節が、一番強くなります。

でも今日はうって変わって暑い。休日の今日は、カンカン照りの中、ハミの大好きなホームセンター回り。
チャーと私はビーちゃんの中で待っています。
ハミがホームセンターに行くと1時間は戻ってきません。炎天下の駐車場でエアコンのないビーちゃんで日なたぼっこ。脱水状態寸前で待っています。
現在社会の都会で、エアコンの付いていない車に乗ることは自殺行為に近いかも。
もう涼しくなるまでビーちゃんには乗りません。


2006年07月29日

イタリア旅行

大聖堂内.jpg

私がイタリアに行ったことがないというと、お客様たちは驚かれます。
私がヨーロッパのどこかの国でカバン作りの修行していたと思っていたと。
特に私自身が公言している大好きなイタリアの空気を吸っていない事を不思議がられます。私も行きたいのです。ただチャンスがなかった。

お客さんに39,000円のイタリア旅行があると教えていただき、早速ネットで見てみました。
ありました。ローマ3泊宿泊付きフリーという激安キャンペーン価格。東京往復プラス宿泊代でローマで3泊楽しめるのです。あまりの安さに驚きながら、一人で行っても楽しさ半減なので、一緒に行ってくれる相棒を捜しました。
幼友達の弁護士のO君が名乗りをあげてくれました。彼も私と同じでヨーロッパには行った事がなく、エコノミークラスの席での13時間あまりの苦痛を体験したことがないのです。
語学がまるでダメな私には強い味方。早速パソコンで申し込もうとしました。
するとあの激安39,000円ツアーはなくなっています。売り切れたようです。

ウエッブホロロマーノ.jpg

私のイタリア行きたい病に火が付いてしまいました。弁護士のO君も同じです。
初めてのイタリア。いっそのこと主要都市をダイジェストに見たいと思っています。
ミラノ、ベニス、ナポリ、ローマそしてフィレンツェ。格安でないか今捜しています。

旅慣れたお客様たちはイタリアの安ツアーだけはやめた方がいいと言います。ホテルがほんとに予想を超える酷さだと脅かします。私は20年前アメリカの西海岸の治安の悪い安モーテルを2週間泊まり歩いたというと、そんなレベルじゃない。ましてやもう50おやじで若くないのだからと忠告に拍車がかかります。
へそ曲がりの私は益々安ツアーでないと味わえない、屈折した楽しみがあるように思えてきます。

お客さんの撮ったイタリアの写真をブログに載せるのではなくて、私自身が見て撮った写真を載せたい。
大部分いい加減な国。しかし特別なモノを持っている国。なによりモノ作りの天使が住んでいる国です。
その空気を吸いに行ってきます。

2006年08月02日

ジャガー・ルクルトのビッグ・マスター

ビッグ、マスターウエブ.jpg
この時計好きです。ジャガー・ルクルトの作る時計の中では一番欲しくなる時計です。
シンプルでクラシカルな面持ちを持っていて質感があり、私的嗜好でカレンダーがなければ年末の購入対象になっていた時計です。ただ、ビッグ・マスターは今は製造をやめており良く似たタイプはムーブメントを新設計して出ていますが、クラシックな感じが薄れています。
ベルトはジャン・クロード・ペランの特注モノで、良いバランスです。

欧米のブランドの常で、ジャン・クロード・ペランという会社にはジャン・クロード・ペランのおじさんは居ません。辞めたのか辞めさせられたのかは知りませんが、今はパリでアトリエ・ドゥ・ブレスレット・パリジャンという時計ベルトと革小物のお店を家族経営でやってます。左端の髭を蓄えたおやじさんがジャン・クロード・ペラン本人です。
今の方が幸せに見えるのは、私だけかな。

私もここのところ、時間を見ては時計ベルトを試しで作っています。
時計ベルト.jpg
上の写真のベルトはつい最近作ったものです。迫力は充分すぎる位あるのですが、バランスが悪い。
何度か試作して、自分なりのバランスのセオリーを見つけ出さないといけないと思っております。
既製の時計ベルトとは明らかに違う雰囲気を持った時計ベルト、しかしバランスは良い時計ベルトが作れるのではと思っています。試行錯誤が続きます。

しかし、この時計ベルトの表に使ったペリンガーのビューカーフは素晴らしいなめしです。薄く漉いても、ゴムのような跳ね返りがあるボックスカーフです。10数年前に手に入れたことのある良かった頃のカールフロインベルグのボックスカーフに匹敵するレベルです。良い仕事をしたモノに接すると、感謝したい気持ちになります。ペリンガーというタンナーは私の知る中では、現在最高のクロームなめしの革を作るタンナーだと思います。

2006年08月06日

六甲アイランドの夏

水遊び.jpg
ル・ボナーの工房の前の人工の河で、エトランゼの親子が水遊びしています。
すぐ傍に、高層の外国人専用マンションがあるので、よく目にする光景です。
その横の方では、カナディアンスクールに通う子供たちが、薄いビニール袋に水を入れて、雪合戦ではなくて、水合戦をしています。この街はエトランゼが元気です。

この人工の街は良く出来ていると感心します。
街の中央を人工の河が流れ、その周りが1,5キロ近く公園状態になっていて車は通れません。
それゆえに、子供たちを安心して遊ばせることが出来ます。
河の両側にお店が集中的にあります。下のマップの左右、マップに載っていないところに住宅街の多くがあります。

マップ・ウエブ.jpg
住んでいる多くの人は、この街を気に入っています。しかし此処でお店をしている人の多くは、選択を誤ったと思っています。
神戸の観光スポットからは離れていて、島外からこの島にお客さんを呼び込むネタが少ないため、商圏としては厳しいところです。
此処にお店を出して良かったと言っているのは、親しいお店の中では、クラシコイタリアのオーダースーツを作っているお店と世界からペットグッズを専門に仕入れているお店の店主たちと私ぐらいです。
と言うことは、特徴のあるお店ならやっていける場所だということです。
個性あるお店が多く出店して、既製ぽくない商店街になったらなんて楽しい事だろう。
この街で、お店を始めた最古参の私は思っています。

ここのところイタリアの本を夜な夜な読んでいます。
ベニスはアドリア海の浅瀬に、人力で作られた不思議な街です。ベニスに住む住民が育て豊かにした人工島です。ベニスに足を踏み入れるのが楽しみです。新鮮な驚きが待っているような気がします。
六甲アイランドも住民と事業者が協力して、21世紀の日本のベニスになると良いなぁー。豊かさは時が育ててくれると信じて。

2006年08月08日

N氏のバーゼル、ジュネーブ・サロン

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シュランケンカーフの水色で作ったグラスが時計雑誌のクロノス9月号に載りました。
私の時計学の先生のN氏が担当しているコラムのページで紹介されたのですが、エッセイ風な文章がすごく良くて、私は幸せです。ハミが思い入れを込めて一点作りで作ったグラスで、それが伝わる文章なのでうれしくなりました。
それと写真が綺麗。伝え難いシュランケンカーフの質感が良く撮れているのです。やはり、プロのカメラマンは違うと感心しました。ル・ボナーのホームページの写真もこんな風に撮れるといいのだけれど。

N氏が中心の一人として取材された、時計雑誌TIME SCENEvol7のバーゼルとジュネーブ・サロンの特集記事は良かった。
時計の好きな私には新作の揃うバーゼルは興味深いのですが、N氏たちの特集記事は、新作は当然紹介しながら、そこに集う人と空気を伝えようとしています。
ビジネスの一環であるのは確かなのだけれど、世界規模の大人の遊び、文化祭のような、同窓会のような。
独立系時計師の作品も、大手メゾンと同じようにバイヤーの目に留まります。資金力のない独立系時計師は一つのブースを共同で借りて展示します。ライバルでありながら同志でもあるみんな。時計職人とデザイナーが主役のお祭り。
この特集を読み進めると、それが臨場感をもって伝わってきます。
時計を地道に作り上げている人たちの年に一度のご褒美のようなひと時。それを多くの時計関係者が祝福し、ついでに関係者みんなが楽しんでいる祭典。

そんな忙しく楽しんでいる?最中N氏は、私の大好きなフィリップ・デュフォーさんとパパス・ショルダーの写真を送っていただき、感謝、感謝。

カバン業界も、日本規模でいいから、一同に集うお祭りがあればいいのになぁー。
私たち独立系鞄職人は、お金ないからグループを組んでブースを借りて展示します。
ビシネス的にも大手問屋と対等の条件を得ることができます。大手問屋も刺激を受けることが出来て、業界全体が活性化すると思うのです。
その時には、N氏に特集記事を書いてもらいたいなぁー。
そんな夢を描かせていただいた、N氏のバーゼル、ジュネーブ・サロンの特集記事でした。

2006年08月11日

ランドセルを背負ったオヤジ

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親しい連中に、松本さんはランドセルを背負ったまま50歳のおやじになった人と言われました。
人の話は上の空で、自分の興味あることだけに夢中になり、社会と協調しようとせずに生きていると言うのです。

良識ある大人は、まず人の話に耳を傾け、巾のある考えや行動を吸収身につけ歳を重ねていくもの。
それに比べ、私は人生自転車操業、目の前の興味だけに必死で取り組み、大局を見ることなくいい歳になった。私の囲碁の問題点と同じ、視野が狭い。

言われなくても、分かっているのだけれど、このまま年老いていくのでしょう。
子供の頃、中間、期末テストはなんとか一夜漬けでそれなり出来たのですが、実力テストは実力ないから全然ダメ。長く続けられたことと言えば、カバン作りと結婚生活ぐらい。前者は不器用な私は、それ以外の生き方を見つけられなくて、それが功を奏した結果。結婚の方は、ひとえにハミの辛抱。

私は益々、子供の頃のように好きなことしかしなくなっています。あと人生20年か30年。折り返しました。それもハイスピードで時間が過ぎてゆきます。我儘に生きちゃいます。ただ回りの人には、出来るだけ迷惑をかけない様に配慮して。不可抗力はお許しあれ。

お盆も休みません。長期の休みは何か目的があるか病気にならない限り取らないでしょう。
週休一日で充分。カバンを作る事とお客様とお話するのは大好きな事の最たること。
好きなことしかしない私は、ル・ボナーのお店兼仕事場に居続けます。

イタリア旅行は楽しみです。子供の頃、田舎を一緒に冒険遊んだO君とのイタリア旅行。小学生だった頃のワクワクドキドキをもう一度体験出来るような予感がします。当たり前のように、多くの人が何度も海外旅行を楽しんでいる昨今。それに比べ、私たちは諸事情がその事を許さないまま50のオヤジになってしまいました。そのため特別な思い入れがあり、修学旅行の前のような、ときめきを今から感じております。そのように、私は目の前の事や楽しみだけに目がいきます。我儘なイタリア旅行をしようと思っています。

私の作ったカバンには、ランドセルを背負ったオヤジの後ろ姿を、タグ・デザインにして刻印しようかな。
ハゲおやじがランドセルを背負った後姿。気持ち悪い。

2006年08月15日

ジープJ30系

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ル・ボナーの常連客の若夫婦が購入したJ38です。東京まで行って見つけてきて、排ガス規制をクリアーするため触媒を装着して若夫婦の所有となった20年以上前に生産された車です。まるで新車のようなエクステリア、ワンオーナー車で走行距離は5万キロ弱です。こんな程度の良いJ30系は、私が20年前に乗っていたブルーとクリーム色のコンビのJ37以来見たことがありません。こんなに程度の良いJ30系を現在入手するのは奇跡に近い。

J37は2600ccガソリンでワイパーが3本、J38は2400ccガソリンでワイパーが2本という違いで、興味のない人にはどうでもよい違いです。

私は今でもこのJ30系が一番好きな車です。
経済的諸事情で、J37を手放して以後、何度か再購入を考えたことがあったのですが、私の愛したJ37より程度が劣ったモノしか見つからず、思い出の中に大事にしまって置くことにしました。

J38リア.jpg

ジープJ30系は、車としての大部分の性能が現在の車、いや私が今乗っている38年前のフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)よりも劣ります。移動手段としては、相当な負担をドライバーと乗員に与えます。
しかし車に別の価値を見る、一部の人間には大きな喜びを与えてくれる乗り物です。
それは不思議なノスタルジー。幼児が始めて描く車の絵はこんな形の車。それが実際に動くのです。

思い出の中にしまい込んだ大事な私の宝物が目の前にあります。
私の所有物ではないけれど、こんなに程度の良いジープJ30系を見れたことが幸せです。
鉄板が厚くて、制御系にコンピューター使っていないから、楽な車に乗りたい浮気心がでなければ、一生相棒として付き合える車です。もし、普通の車に後々乗り換えたいと思った時は私が責任を持ってJ38の面倒見ますから連絡してください。

でも、ほんとに新車並の程度抜群のJ38。コックピットも良い味出してる。
時代に取り残された宝物見つけた。

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2006年08月18日

A氏のストーヴァの手巻きのアンテア

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エリートサラリーマンのA氏が日本では販売していない、ストーヴァの手巻きのアンテアを得意の語学力で、ドイツ本国から取り寄せ購入しました。

これが美しいのです。私の購入した自動巻きのアンテアとはムーブの仕上げがまるで違うのです。コート・ド・ジュネーブ仕上げ(私に写真の腕がないから、その仕上げの美しさを撮ることができない)で、青焼きのネジが美しく、スケルトンで見るに値する手をかけたムーブメント。私の自動巻きアンテアと同じETA社のムーブメントなのに手の掛け方がまるで違う。その上色気のあるブレスで注文して、ユーロ高のご時世でありながら込み込み83,000円。

ストーヴァのアンテアは同じドイツのノモスに似ているのですが、私の買った自動巻きのアンテアは値段が安い分、ノモスのムーブの仕上げに負けていると感じていましたが、A氏の購入したアンテアの手巻きは、正直ノモスのムーブの仕上げより美しい。その時計をノモスの半値以下で入手したのです。

私は少し嫉妬を感じました。私もこの手巻きのアンテアの方が良かった。同じアンテアなのに手巻きと自動巻きで仕上げがこんなに違うなんて反則だぁ。
でもマア良いか。私の最初の相棒になった自動巻きのアンテア。見えるムーブは丁寧な仕上げではないけれど、自作の水色のシュランケンカーフで作ったベルトとの良いコンビネーションで私らしい時計に変身してます。良い感じです。自分で勝手に納得。

時計は年々値が上がっているように思います。その時計がその値段の価値を有しているのか疑問に感じる昨今の時計価格。そんな中、ストーヴァの手巻きは対費用効果は抜群。その誠意に脱帽です。

値段に比例しない、自分のお気に入りのモノが見つけられて購入できた時、思い出というもう一つの宝物を同時に手に入れられる。その時、モノはお金では買えない大事なモノに変身します。


2006年08月22日

醤油味比べ

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醤油の味比べをしました。
小豆島で丹波の黒豆を使って天然醸造で作ったヤマロクの菊醤(きくびしお)。この醤油はテレビのどっちの料理ショーの厳選素材として紹介された、気合のいった一品。
それと醤油の聖地?和歌山の湯浅の天保12年創業の老舗、角長の火入れしてなくて保存がきかない濁り醤(にごりびしお)と火入れして保存がきくようにした手作り醤油(もう少し気の利いた名をつければ良いのに)。コレも両方天然醸造。
それとスーパーでも売っている寺田家の有機さしみ醤油(本醸造)。あと普通の市販醤油。

なめてみると確かに違うのです。
菊醤は爽やかな旨みがあり、突出したところがなくてまろやか。濁り醤は日本酒のような、みりんのような独特の香りがして既存の醤油とは違う。手作り醤油はそれに火入れしたことで独特の香りが弱くなり濃厚な旨みに変わる。
寺田家のは若干の旨みは感じる程度で柔らかな感じ。市販の醤油は他の醤油に比べて塩分が特別強い。

確かに味覚がお子ちゃまと言われる私にでも、なめてみると違いは分かります。
ただ、冷奴をそれどれの醤油で食してみると私にはどの醤油も同じ醤油に思えました。

相当な味覚の持ち主か、木の樽で発酵させ、機械を使わずすべて手仕事にこだわった作り手の思いに強く共感できる人にはお勧めです。
小豆島のヤマロクに行って直接買えば、ご主人の天然醸造の醤油にたいする熱き思いを聞くことができますし、湯浅の角長に行けば、古き良き時代の醤油屋を体験できます。

天然醸造の醤油は要冷凍のため、家の小さな冷蔵庫は醤油ビンがスペースを占めてます。醤油はそんなにすぐにはなくならないので、当分はこの根性の入った醤油たちと付き合うことになりそうです。

2006年08月26日

聖跡桜ヶ丘

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23年前に購入したボンド貼り機です。
一時は毎日のように使っていた機械ですが、今は月に一度ベルトをまとめて作る時しか使わなくなりました。毎日のように使っていたころにはモーターから煙を出した事もありましたが、今でも元気にがんばってくれてます。
道具や機械たちは私たち夫婦の浮き沈み人生を共にがんばって来てくれました。


23年前、私は東京の京王線沿線の聖跡桜ヶ丘に始めてお店を出しました。
ショッピングセンター内の4坪ほどのお店でしたが、私たちの夢のお城でした。
国立の村田ご夫妻に紹介していただき、ラグビー仲間の工業高校出で、一生懸命勉強して一級建築士の資格をとったばかりの友人が、材料費にもならない10万円で内装、電気
系をやってくれました。

その友人は、我々草ラグビーチームのキャプテンで、口数少ないけれど、先頭に立って苦しい練習をすることでチームをひっぱる男でした。仕事でも前向きな人間で、一級建築士の資格を取ったあとも他の資格をとるため、夜間の専門学校に平日は通っていました。
そんな自分を厳しく律する友人は、30歳を少し越えた時急死しました。愛する奥さんを残して。私の50年の人生の中で、一番悲しい死でした。

技術的には、まだまだ素朴な手作りカバンの域を出ていない製品しか作れなかったけれど、お店はそれなりに順調でした。
まだ若かった私たち夫婦のお店には、10代から20代になる多感な若者たちが多く集まりました。私たちと一回り歳が違う若者たちです。将来に対しての不安と希望、恋愛の喜怒哀楽、そんなこんなを見た、今は40歳を前にする友人たちとは、今も久しぶりに会ってもあの頃と同じに話せます。

久しぶりにジブリのアニメ”耳をすませば”を見ました。私の大好きなアニメです。
”耳をすませば”の舞台は聖跡桜ヶ丘近辺です。ショッピングセンターのお店の大きな窓からは地球屋のあるいろは坂の上の、多摩の高級住宅地が見えました。
雫と聖司のような、他人の責任にせずに、内なる自身を見つめた若者たちが私たち夫婦のお店に集いました。地球屋は今でも私の憧れのお店です。

この映画を見ると、私の聖跡桜ヶ丘での20年ほど前の日々が思い出されます。
8月23日で50歳の大台に突入した私は、聖跡桜ヶ丘のスクエアーのアウム(当時の店名)に集ったみんなに会いたいと思います。
聖跡桜ヶ丘の始めてのお店は、私の大事な思い出です。

2006年08月28日

アンティーク時計

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ル・ボナーのお客様がつけてられた、1950年代初頭のロレックスです。
親しくしているイギリスのアンティーク時計ショップに良いコンディションのロレックスが見つかったら連絡してもらうように頼んで、3年ほど前に購入した時計だそうです。

ケースや文字盤からは、これがロレックスだとは分からず、聞くとイギリス仕様のロレックスだそうです。
上品で控えめだけれど目立っている時計。イギリス人のセンスの良さを感じさせる一品です。古伊万里のような、上品な時計です。

私はアンティーク時計に魅力は感じていたのですが、怖くて手が出せないでいます。
車で、信頼のおける整備士と知り合うまで、無駄な出費と苦しみを味わった経験から、時計で同じ思いは味わいたくないと言うのがその理由です。
信頼のおける業者さんと時計の名修理人に出会えたら、アンティーク時計趣味にいっちゃうでしょう。
しかし今はまだこんなに魅力的な時計を見せられても、躊躇します。

シーマスター.jpg
1960年代の初期のオメガ・シーマスターです。
若いお客様が、京都の骨董市で3万円で購入されたもので、
手始めにこのあたりが良い感じと思うのですが、やはり信頼できる時計修理職人に出会えてからです。そんな主治医が見つかったら、時計趣味はもっと豊かな楽しみを持てます。

私は大量生産多量消費の社会のサイクルに否定的です。
そのモノを愛せば、いつまでも使いつづけたいし、作ったモノには責任を持って、お客様が使い続けたいと思い続ける限りバックアップ出来るモノ作りをしたい。
良いモノは、時間に淘汰されながらも残ってゆきます。

現代社会は、文明が発達すると、反比例して文化がしぼむと言っていたお客様の言葉は真実を言い当てていると思った今日この頃です。


2006年09月11日

新聞会館とかつ丼吉兵衛

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今日は新しくパスポートを申請しに三宮にある旅券事務所に。
ビルの高層階にある旅券事務所の窓から、昔新聞会館のあった場所に新しく建ったミント神戸というビルが見えました。旧新聞会館とは似てないと思うのだけれど、なぜか旧新聞会館を思い起こさせます。
阪神大震災で壊れるまで、三宮駅のホームから見える風景の一部としてあの少しぼろいビルは大事な存在でした。

私が10歳の頃始めて、県の公務員をしていた親父が神戸に連れて来てくれました。その時の記憶は強く残っています。但馬の田舎で育った私はそれまで年末に姫路に買い物に連れて行ってもらうぐらいで、神戸には行った事がありませんでした。三宮の駅に着いて最初に目に付いたのが旧新聞会館でした。それ以来なんのヘンテツもない雑居ビルの旧新聞会館を目にすると、神戸に来たという気持ちになりました。
初めての神戸の時、親父は栄町あたりの外国の船乗りさんが多く利用するタバコの煙がたち込める酒場のようなレストランに連れて行ってくれました。その時初めて外国の空気を感じました。
あの頃の神戸の空気は薄れましたが、今も残っています。趣味人の大人のワンダーランドとして。

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パスポートの申請を終えた後、急ぎ一駅先の杉本酒販へ徒歩で。
ここは酒販と名乗っているのにメインはタバコ。神戸一葉巻を揃えています。愛煙しているダビドフの葉巻をきらしていたのでまとめ買いです。途中何軒かのお店に立ち寄りたい衝動にかられながら急ぎ足で杉本酒販に一目散。今回はちょっと太めの葉巻も何本か入手。

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最後に今日の最大の目的、かつ丼吉兵衛で昼ごはん。このお店いつも行列して並んで待たないと食べることができない人気のかつ丼屋さんです。ここのかつ丼は大変旨いのですが、それ以上に店主の手際の良い仕事を見ているだけで楽しいのです。吉兵衛の店主のかつ丼を作る時のスピードは神業です。その無駄のない仕事ぶりを見ているだけで、帰ったら仕事がんばるぞーという気持ちにしてくれます。並600円で充分お腹いっぱい。950円のだぶるを一度頼んだことがあるのですがこれは相当な大食漢でないと厳しい。

あーいけないいけない。神戸の中心地に来てしまうと色々なお店に立ち寄りたくなる。神戸にはまだまだ私が行ったこがない本物の名店がありそうです。一駅分歩いただけでも魅力的なお店をあちこちみつけられます。街歩きが楽しくなってしまう街、神戸です。
神戸にも街を見守る天使たちが居る様に思えます。

2006年09月13日

30代前半、不遇の時代

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        30歳前半頃作っていたフレームトップのボストンバッグ

私は20代後半初めてのお店を聖跡桜ヶ丘に持ち、ほどほど順調だったのに、さらなる野望に燃え高級住宅街で有名な世田谷の成城駅前にお店を出しました。それが大失敗で、全て失いました。その後も何度か野望に燃えては失敗を繰り返し、やっと50歳になって落ち着いたかなという感じ。ハミは私が変な野望をまた抱かないかと今でも気は許していません。

その最初の失敗は、私たち夫婦に2人目の子供が産まれ、ハミが仕事から離れていた時に起こした私の暴走だったのです。その後、借家の庭に8畳ほどのプレハブを建て、そこを仕事場にしてオリジナルの鞄の卸で再出発をはかりました。しかしこれがなかなかうまくいかず、家庭経済は悲惨な状態になってしまいました。今ならネットでの販売とかあるのでしょうが、その頃はまだインターネットが世の中に普及していませんでした。

その時、この窮地を脱するには、私が体力勝負の副業をし、ハミが子育てしながらカバンを作り、私が副業の余った時間手伝うという案でした。
私が選んだ副業は自動車工場の期間従業員でした。拘束時間の割りに賃金が良くて、六ヶ月働くと失業保険もついてくるのです。夜勤の時は昼カバンが作れて、その営業にも行ける。睡眠時間が人間には必要だということを考えずに、これで経済危機を脱することが出来る素晴らしい妙案と自画自賛。

実際に自動車工場で働き出して、現実は厳しかった。
わたしに与えられた仕事はプレス機でボンネットを成型して部品をそれに取り付けること。結構重いボンネットを抱えながら作業はつづきます。
あの頃、毎日朝起きるとボンネット掴むような形で指が固まっていました。指をほぐすのが毎朝の日課でした。指がこるという経験はあの時しか経験したことはありません。

六ヶ月働き辞める時、また働きにおいでと言われましたが二度と行く事はありませんでした。私はその時、分かったのです。自動車工場で働かされたレベルでカバン作りをすればなんとかなると。しかし人間は強制されてするのとは違い、自主的にやるのは難しい。それでも天職としたカバン作り、がんばらねば。それから朝8時から夜中の2時までカバン作りすることで、我が家の経済危機を乗り切りました。今では想像出来ないほど、あの時はよく働きました。

工場の夜勤明けの朝はそのまま寝ずにキャンプへ。8時から夜中の2時までカバン作っていた時も、納品できた後にはキャンプ。いつもその時には、11歳年下の仲間の誰かがが一緒だった。貧しかったけれど、仕事も遊びも体力限界まで使っていた。あの頃に戻りたいとは思わないけれど、よく働きよく遊んだあの頃を思い出すと懐かしい。

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     一緒に遊んだ11歳年下の仲間たちとの貧乏キャンプ

2006年09月15日

9月の休日

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昨日の休日は秋の爽やかな風を感じる静かな休日でした。
朝、六甲アイランドの一周5キロの遊歩道を、チャーを連れてハミと2時間かけてゆっくり散歩。歩道沿いには萩の花が可憐に咲き、オリーブの実がたわわに実ってます。
島の南端マリンパークで釣り人を見ながらのんびり一服。

東京から離れた神戸に居てよかったと思う。
鞄業界の多くの人と知り合った東京。狭い業界だけにその知り合った人たちと万華鏡のように複雑に絡み合う東京人間模様。商売をするには東京がいいだろうけれど、私はもう戻らない。神戸で静かに夫婦二人でカバンを作っていようと思う。
時々聞こえてくる雑音はあるけれど、思い出は良い形で心に残したい。

散歩の途中お店に寄ってメールのチェック。親しいお客様からの何通かのメール。
その中にエルメスの立命館大での経営理念についての講演の内容を参考にまでと添付していただいたものがあり熟読。大グループに加わった多くのブランドがグローバル化の流れの中で目先の利益を求めて利益最優先の経営をしなければならない中、エルメスの経営理念はヨーロッパのモノ作り文化を守り、職人の技術を後世の時代に残すことが最大目的という考えだと。私はそんな考えを持つエルメスが好きです。豊かだと思う。

夕方からはシェラトンホテルで囲碁。私もやっと1級の仲間入り。このままスムーズに初段になれるといいな。初段になれれば囲碁はそれで充分。あとは美しい碁が描ければ満足。
勝ち負けよりも、気持ちの良い戦いがなにより。とは言いながら、今日は3戦3勝、ニコニコしながら家路につきました。

2006年09月17日

N氏のフィレンツェ

カバン職人ジーノさん.jpg
ライターのN氏が現在ヨーロッパ取材旅行中です。
スイスでの時計取材は2日間で、7日間フィレンツェで時計と鞄、靴などの工房の取材です。
フィレンツェで時計の取材って何なのか分からないけれど、鞄、靴の取材とは、私のイタリア旅行のためににはグッドタイミング。帰国したら来てくださるそうなので、その時色々なイタリアの情報をN氏から聴いて、初めてのイタリアを充実した旅にしようっと。

今回フィレンツェから届いたメールに添付されていた写真は17歳からこの仕事をしているジーノさんの革を裁断している写真。
フィレンツェの市内の古い建物は大型の革裁断機の重量を支える床の強度がないため大規模な鞄工房は郊外に移っていて、小さな鞄工房しか残っていないそうです。
ジーノさんは手断ちです。珍しいのはカット台の下敷きに錫の板を使っています。
現在革を裁断する時に使う下敷きは世界共通、硬質ビニール板を使うところが多い。
フィレンツェの鞄職人はみんな昔はこの錫板を使っていたそうです。

フィレンツェでは何軒かの鞄の工房を訪問したいと考えています。
私が日本の鞄職人であることを伝え、作った鞄を持って行って見せると、歓迎してくれるそうです。鞄職人同士言葉は伝わらなくても以心伝心新鮮な感動を感じれる時間を過ごせる。
鞄職人だから経験できる特別なフィレンツェを味わって来ます。

ところでN氏。またまた面白い時計のストラップを今回の取材旅行では見つけてきたそうです。来神された時に何点かの面白い時計と一緒に見せていただくのが楽しみです。
ライターのN氏のモノを見る目は面白い。値札やブランド名は見ずに、今まで多くのモノを見てきた経験と知識を基準に選択する。その眼力に私は共感する。
今回のフィレンツェでは色彩鮮やかなシルクのスカーフ。値段は5ユーロだそうです。安い。私も土産で買ってこようっと。ただ訳ありだそうですが。

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フィレンツェのアルノ川の夕暮れです。
私ももう少ししたら同じ風景を実際に見れます。


2006年09月24日

古山画伯来店

手縫いショルダー.jpg
画家の古山さん が来店されました。前回来られた時より細身でお洒落になられたと大喜びのハミ。スケッチブックと一杯の万年筆。
万年筆とカバンの陽気なコレクターの古山画伯の今日のお供のカバンはフジイさんの工房で作った手縫いのショルダーバッグ。オール手縫いで仕上げられた独特の形状をしたカバンは迫力充分。刺激を受けます。お見事。

画壇の異端児、古山画伯の絵は不思議な魅力があり、いつかほしいね!と考えていることを画伯に話すと、カバンと物々交換しようとの画伯からの提案。私たちには願ってもないこと、喜んでその提案に乗りました。不思議なキャラクターの動物や人物がル・ボナーのカバンを持っている絵を描いていただけるそうです。ル・ボナーの店の壁にその絵が飾られる日が楽しみです。個々の基準で価値を認め合うから出来る物々交換は、現金を介するよりワクワクします。物々交換なんて大阪のミシン屋のオヤジと過去の遺物のような古いクリッカーとカバンを交換して以来です。

画伯は憂いでいます。多くのカバンをコレクションしていて、戦前の日本で作られたカバンたちが素晴らしいことに気づくのだけれど、その技術が現在に継承されずにきている。
大正時代のボール紙を革で包み込んで手縫いしたトランクは100年近くの年月を経た現在でも使用に充分耐える状態で残っている。トランクの元祖の国イギリスのモノは現存するモノをあまり見ない。日本の手をかけた技術がいかに素晴らしいものだったかを日本の大正時代のトランクは物語る。
そういう技術を戦後の鞄業界は大事にしようとしなかった。何処の国でもよく似たようなものだけれど、日本もまた鞄職人の技術の継承に資金を投入せず、職人が日本で枯渇しそうになるると、海外に工場を作りその場しのぎして、利益追求に邁進する。鞄作りも他業種の多くと同じように、日本国内での作る現場の空洞化が進んでいます。そこのところを今のうちに声高に発言していかないと、ほんとにいなくなってしまう。鞄作りをしている私もそう思う。鞄を作るという仕事は楽しい行為です。楽しいだけではすまないけれど、若い鞄職人が多く育ち刺激を受けながら新陳代謝を繰り返す業界になってほしい。

そんな話をしながら楽しい5時間ほどを過ごし、古山画伯は帰ってゆきました。

2006年09月26日

ホンダ・ビート ドライヴィングインプレッション

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顧客の一人で、愉快な車好きの方がおられます。ベンツ500Eなんていうモンスターを筆頭に5台お持ちなのですが普段の足はホンダ・ビートとスバルR1です。

そのビートを運転してみました。これがすこぶる面白い。
エクステリアには目をつぶって運転席に座ってみると、もう立派なスポーツカー。ドライヴィングポジションも低く包まれ感があり、私の憧れるコックピットなのです。NSXのコックピットをコンパクトにした感じと私には写りました。
私的には、インテリアがマセラティ・クーペのように革で包まれていたら、もう完璧。至福の空間です。そんな改造をビートでする人はまずいないだろうけれど。

ショートストロークのギアをローに入れてスタート。アクセル、ブレーキ、クラッチのポジションも軽自動車とは思えない良い感じ。このコックピットを軽の巾の中で作り出すため、助手席は完全に犠牲になっています。

走り出し各ギアーを思いきり踏み込むとF1のようなキーンというホンダサウンドを奏でながら気持ちよく吹け上がります。しかしスピードはそれに比べてやはり軽。だから安心。
コーナーではミッドシップエンジンが功を奏しているのか、気持ちよくクイックに曲がります。車幅を気にせずに走れるので、運転の下手な私でも緊張せずに走らせることが出来ます。
NSX、S2000より本田宗一郎を感じれると私は思いました。私は本田宗一郎が大好きです。

前に、購入したばかりの最新のランボルギニーに載ってこられた方がおられて、載せてもらったのですがこれはいけません。巾がありすぎるし、視認性が悪すぎて、私だと性能の1%も出せない感じで恐れ入ります。それに比べればビートは初めて運転する運転下手の私でも楽しくドライブ。見栄をはらなければ絶対ビートの方がいいと思う。比べること自体変だと思うけれど。

運転がそんなに上手じゃなくてお金をあまりかけずドライブする楽しみだけを求める人にはほんとに面白い車です。ただ高速道路を走るとただうるさいだけ。一般道だと巡航速度の中で目一杯楽しめます。保障は出来ませんが中古(しかない)で10万円台から今なら手に入れることができます。

私も欲しいと一瞬思いましたが、1,5人?しか乗れない車は非現実的です。
もし3台車が所有できるなら考えますが、それは宝くじでも当たらない限り有り得ない。ほんとに最高のおもちゃなんだけれど、、、、残念。

ル・ボナーに来店されるお客さまは、鞄好きだけではなく、靴好き、時計好き、車好き、万年筆好きなど色々なモノ好きの方がおられます。そんなモノ好きのお客さまと話していて、自分なりの哲学?をお持ちになってモノをチョイスしているお客さまのお話は面白い。

私がアルファロメオが欲しいと言い初めて何ヶ月経っただろうか。家族との交渉継続中。
現代の車の中で、これなら欠点も含みこんで愛せると初めて思った車なのだけれど、ハミと娘は許してくれない。やはりこれしかないと私は思うのだけれど。


2006年09月29日

ビーちゃんの夏眠明け

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昨日は久ぶりにビーちゃんを運転しました。
2ヶ月ぶりにビーちゃんでドライブです。始動一発とはいかなかったけれど、メキシコ製の1600ccのエンジンはうるさいほど元気な音を奏でています。
この1968年式のビートルが我が家に来て10年になります。問題だらけの車に手を加え続け整形美人のビーちゃんだけど、汗と涙の結晶。大事にしたいと思います。
ただビーちゃんの主治医、西土居モータースの古川さんが自動車整備の仕事をやめたらビーちゃんは手放します。絶好調のビーちゃんに変身したのは古川さんに整備をお願いしてから。古川さんなしのビーちゃんは考えられない。

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ハミとチャーを載せて再度山公園に鋭気を癒しに。
私たちはここが好きです。季節ごとに必ず訪れます。ここまでの山道も気持良い。
チャーも緑の空気を感じ始めると、忘れかけていた野生がうずくのかキューンキュンと興奮します。ここを訪れると必ず、売店の品の良いおばあさんが作る焼きソバと煮込みすぎたおでんを食します。静かな時間が気持良い。私たちの年齢になるとそんな時間が必要なのだとしみじみ感じます。ここには外国人墓地があり、神戸に生きたエトランゼが永遠の眠りについています。

神戸の中心、三ノ宮のトアロードを登りきって、15分も狭い緑につつまれた山道をドライブすれば、自然に包まれた別世界に行けます。すべてがコンパクトに収まっていることも地方の小都市、神戸の魅力です。帰路、トアロードのチョコレートのカファレルでお買い物。
その後、メツゲライ・クスダで自家製ハムを買おうか迷ったけれど今日はパス。
食べ物も、身の回り品もこだわったお店の多い神戸です。そんな神戸が好きです。

2006年09月30日

ハミの万年筆

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美しいモノみつけました。ハミは若い頃から持っていた万年筆への憧れが、カバンと万年筆の陽気なコレクター、古山画伯と知り合ったことで興味津々。ハミにとって面白いモノ見つかったようです。
万年筆は特別な文具です。作った人の思いが隅々まで感じられて、使う時使う人をも、シャキっとした気持にさせてくれる文具です。

数日前