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鞄職人松本氏の優雅な生活 アーカイブ

2005年10月04日

迷犬チャーのプロフィール

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仕事で店を離れる時以外は、いつも私と行動を共にしている次男のチャーです。
今年で6歳になる彼は薩摩ビーグルという犬種で、
猪狩のために、江戸時代に薩摩犬とイギリスのビーグルを交配してできた犬種だそうです。
そのため気性が激しくて、よく吠えます。
犬嫌いの人はル・ボナーでの買い物が落ち着いて出来ないとおもいます。
よく吠えるのを見かねたお客さんに警察犬の指導をしている人を紹介してもらったのですが、
ビーグルは無理といわれ、それ以来野放し状態です。
それでも可愛い我が家の次男坊チャー。


2005年10月07日

愛車とその主治医と私

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左が名医、古川氏。
古川氏とめぐり合うまでの長い月日と修理代も無駄?ではなかったのかと思う。
寡黙な中に、時おり見せる笑顔が私たちをやさしくしてくれる。
兵庫区、西土居モータースの古川さん。
名医といえば、動物のお医者さん、尾谷氏。近じかリンクします。

私の愛車ビートル

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私は68年式フォルクスワーゲンタイプ1にのってます。
ジムニーSJ10、ジープJ37、ランドクルーザー40系、とちょっと癖のある4WDを乗り継いできた私が初めて手に入れた乗用車です。
買って1年ほどは問題てんこ盛りで、高速道路の継ぎ目を通過するたびに左右にジャンプする、30キロ以上の距離をはしると必ずエンストしてしまう、その他いろいろ。
あちこちのワーゲンショップに持ち込んで修理を繰り返したのですが、本調子にはほど遠く
手放そうかと思っていたとき、ル、ボナーのお客さんで旧車を4台ほど所有しているM氏が
愛想は悪いけれど腕の良い整備士がいるから、1度見てもらったらといわれ、
これが最後と持ち込みました。
それからの5年間大きな問題もなく幸せなワーゲンライフを送っています。
つくづく旧車を乗り続けるには、腕のいい主治医がいない無理だとおもいます。
家族で遠出をするときはレンタカーを借りてしまう軟弱な私ですが、
このカブトムシが可愛くてしかたありません。

2005年10月22日

迷犬チャーの遠吠え

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チャーの我が家での指定席です。彼は居心地のいい場所を見つける名人です。
彼の吠え声は素晴らしく嫌になるほど大きいので、甘やかしている私たちは色々な
制約をうけます。
彼が来てからの6年間、家族で一緒に外食をする事は一度もありません。
外食をする時は誰かがチャーと留守番です。
いい猟犬か番犬にはなる素質はあると思いますが
集合住宅で暮らす我が家では無用の長物です。
愛玩犬に程遠いこいつとこれからも付き合っていきます。

2005年10月24日

私が愛用している革小物たち

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私は使い込むと馴染んでくれる革小物がすきです。
19歳の時初めて茶利革というタンニンなめしの革に出会った時から30年間そのことは変わっていません。タンニンなめしの革は思い出も一緒に染み込んで自分色に変わってゆきます。
ただ100パーセントピュアタンニンでなめされた革は少なく、合タンの場合馴染みません。
クロームなめしの革もよくなめされた染料染めの革は、タンニンなめしの革とは違った形で馴染んでゆきます。
ただ、私のようなカジュアルな生活をしている者にはタンニンなめしの革小物があっているように思うのです。

ビーちゃんが車検から帰ってきました。

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私の1968年式フォルクスワーゲンタイプ1が車検から帰ってきました。
車検のたびに若返るビーちゃん。今回は手を入れた部分はすくなくてすみました。
ドアウインドウのハンドルが異常に硬くなっていたのでその部分の部品の交換、バックミラーの交換、サンバイザーの取り付け、ヒーターが効かなくなっていたのでその部品も交換。
ヘッドライトの電球の交換、ワイパーのモーターの交換ぐらいです。
今まで、車検のたびに大手術をしていて小さな部分に手がまわらなくて今回やっと小さな問題に手をつけることができました。
あとは内装です。これは自分でやるしかありません。ぼちぼちやって行きます。
ビーちゃんは私にとって等身大のオモチャなんです。世話がやけるけれど現在の車では味わえない楽しみをいっぱい味あわせてくれます。

2005年10月26日

エトランゼの住む街六甲アイランド

シェラトンホテルから見たリバーモールイースト
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真ん中に見える三角の塔の下辺りにル、ボナーのショップが在ります。
此処にショップを出して13年になりました。
安藤デザインのこの建物も現代建築でありながら、日本の文化が感じられて気に入っています。
この人工島には外国人居住者が大変多く、おそらく関西で一番多いと思います。
左の方に見えるオレンジの高層ビルは外国人専用賃貸マンションです。
阪神やオリックスの外国人選手もここに住んでます。
英語が話せない私たち夫婦は、日本語で外国のお客さんに接しています。
神戸の中心の三宮から少し離れているこの街は商売をするにはハンディが多く、13年前一緒に出店した仲間の大部分は店を閉め、今も続いている所は数えるばかりです。
ただ、人工島でありながら緑が多く春夏秋冬を感じさせてくれて住みやすい街だと思います。
明日は週に一度の休日です。ハミとチャーと一緒にビーちゃんに載って再度山公園に鋭気を癒しに行きます。神戸の外国人墓地のあるところで私たちのお気に入りの場所です。そこで食べるおばあちゃんが作るやきそばが大好きなんです。
その後、もし今日阪神が勝ったら日本シリーズ第五戦を甲子園に見にゆきます。
お願いだから阪神勝ってください。

2005年10月27日

今日は再度山(1)

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阪神4連敗で私の甲子園デビューは夢と消えました。来年は必ず行くぞ!
今日は再度公園にいきました。
三ノ宮から車で15分ほどでこんな別世界に来れてしまいます。
神戸の良いところです。
此処で深呼吸をするとカラダに良いものを吸っているって感じます。

今日は再度山(2)

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この先に外国人墓地があります。
神戸の文化はこの先にある墓地に安眠してるエトランゼが作ったものだと思います。

今日は再度山(3)

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外国人墓地は部外者は入れません。外からやっと撮れた写真です。

今日は再度山(4)

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ビーナスブリッジから見た神戸です。ここから見る夜景が神戸では一番と言われているビューポイントです。
神戸は小さな街だけれど、豊かな街だと思います。
少し足を延ばせば自然があり、街には沢山のカラフルな色があり、こだわっているお店がいっぱいあります。時計、宝飾のカミネ、婦人帽子のマキシム、靴の銀座堂、他にもいっぱい、名前をあげればきりがありません。
この街でこれからも鞄を作って行こうとおもいます。

2005年10月29日

私の仕事椅子

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私は今まで仕事用にいろいろな事務椅子を使って来ましたが満足する椅子には出会えませんでした。一年ほど前初めて満足出来る椅子に出会えました。それがこの椅子です。米軍払い下げの家具を扱うお店で出会いました。クッションがないのに座ってみると全然お尻が痛くなく自然な姿勢ですわれました。私には少し高かったけれど買ってしまいました。
一年経った今でも非常に気に入ってます。
日本の60代より上の鞄職人の多くは床に腰をおろし仕事をしていたのですが、私たちの世代は机で仕事をするので自分にピッタリ来る椅子に出会えることはけっこう大事なことです。
あとで分かったことなんですが、同メーカーの椅子をアメリカの画家のノーマン、ロックウエルも使っていたようです。彼の絵にもでてきます。
作業用の机は科学の実験室で使っていたものを使ってます。カッコウはよくないですが安定感があるので気に入っています。

2005年11月03日

アウディーTTでドライブ

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今日の祭日はお店をあけたため、その代替で昨日はお休み。
休日の楽しみは午後のお昼寝。ふとんの中に潜り込んでウトウト始めたらリンーと電話。
電話は店長から。20年来の友人です。
私が東京の聖跡桜ヶ丘に始めてお店を出した時、同じショッピングセンターで別のお店の店長をしていて、今は出世して会社で責任の重い仕事に就いているのですが私たち仲間は今も店長と呼んでいます。
聖跡桜ヶ丘時代はよく遊び呆けていました。私たち家族と店長とアルバイトの卓ちゃんで
お店が閉まってから、次の日もお店があり息子は学校があるのに湘南の海岸まで車で行ってドンちゃん騒ぎ。ほかにもいっぱい無茶をしました。
店長は屈折した性格で、私みたいなノーマル(?)な性格の者と気が合うのが不思議です。そんな店長が横浜から転勤で関西に来て1年になります。
最初は勤務地の京都に住んでいたのですが、京都に適応できず3ヶ月でギブアップ。
横浜に似ている神戸に暮らすようになって何とか発狂せずに今は落ち着いています。
一番気の許せる友人です。腐れ縁は死ぬまで続く様な気がします。
話しを元に戻して
その店長が神戸の端の垂水にあるアウトレットモールに行こうと言うのです。
男二人でドライブです。須磨から垂水につながる国道2号線はオープンで走ると潮風の臭いが心地よく、遠くに淡路島と明石大橋が見えてデートにはベストシーンですが、男二人ではいけません。
アウトレットモールはハリボテの建築が印象に残っただけであとはありません。
ところで、写真のアウディーTTロードスター1,8Tクアトロ6速マニュアル左ハンドルは店長の車なのですが、現代の車の中で私はこの車とアルファロメオ147がすきです。
今まで強そうな車ばかり乗っていた店長にしてはセンスのいい選択だと関心しています。
飽きっぽい店長のことですから、この車も近いうちに手放すと思うので、その時は安く私のものにしようと思ってます。

2005年11月05日

フィリップ、デュフォーの時計

Philippe Dufour (Simplicity) ①ウエブ.jpg
作る人の魂を感じれる物に出会えた時、私は感動という震えを感じます。
フィリップ、デュフォーのシンプリシティーも私にとってはそんな一品です。
ブランド崇拝を卒業した時人は職人の魂の入った一品を求めるのだと思います。
魂のいった一品は魂に比例して高価になります。
しかし、ブランド力に比例して高価になるウソとは違って純粋なんです。
私も来年から二ヶ月に一品ペース位で、自分と正面から向き合って魂の入った鞄を作ろうと思う今日この頃です。

2005年11月08日

山口小学校の楠木

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親父の仕事の関係で、あちらこちらに引っ越した私ですが、故郷はどこかと訪ねられたら小学6年間と中1を過ごした現在の朝来市朝来町とこたえます。
今年の夏、小学校の時からの友達で今は弁護士をしているO君が、庭師の大ちゃんと3人で小学校の担任の衣川先生に会おうというのです。
弁護士のO君と庭師の大ちゃんとは10年前同窓会で久しぶりに会って以来親しく付き会っています。
O君は大阪に弁護士事務所を持って日々ハードに仕事をこなし、大ちゃんは何百年も先まで残る庭を造ろうと汗をかきながらがんばってます。全然違う仕事をしている3人ですが気が合うのです。
10年前の同窓会では、その後二次会、その後小学校の時仲の良かった男3人と美人で美容師をしているひろ子ちゃんと私の初恋の人ヒサ子ちゃんと、5人でひろ子ちゃんの家に押しかけ夜遅くまで話をしました。たのしかったなあ、、、、その数年後美人のひろ子ちゃんは白血病で亡くなりました。
それ以来の故郷です。
先生に会う前の日の夜、お店をハミに任せて特急はまかぜに乗ってゆきました。
生野駅までO君が車で迎えに来てくれて夜はO君の実家に泊めてもらいました。
次の日の朝は雨で、山の上半分は霧で隠れ空気が美味しくて思わず深呼吸。
私の住んでいた林業試験場もその官舎も今はありません。
私がお風呂にいる時間に美川ケンイチのヤナガセブルースをかけて映画の始まりを知らせる町に一軒の映画館もなくなっていました。
それでも朝来の町を歩くと、思い出がアチラこちらから顔をだします。
午前中に先生の家に行き、色々話して、飲んで、食べて午後からはお酒の飲めない私がO君の車を運転して、朝来の観光スポットを4人で回りました。
朝来の森美術館、千年家、ミコバタの精錬所跡、遠足でよく行ったババ山。
静かで幸せな時間でした。最後に、卒業した山口小学校に行きました。
私たちが学んだ木造校舎はなく、鉄筋の新しい校舎が建っていましたが、正門とその横にある楠木は今もありました。卒業文集の表紙の絵は私が書いたこの楠木でした。あの頃は枝がもっと横に伸び葉は青々と繁っていて偉そうだたのに、37年ぶりに見る楠木は少し元気がなさそうでした。
その日の夜,新井の駅から播但線で帰りました。O君と大ちゃんは駅のホームで手を振って送ってくれました。私にとっては幸せな24時間でした。
この年になって思うのですが、思い出は自分の人生のかけがいのない宝物なんだと。
また同窓会をしたいな。

2005年11月10日

あの頃はいつもジープ37に乗っていた

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東京の聖跡桜ヶ丘に始めてお店を出した頃に、このジープJ37を手に入れました。
子供の頃、親父が林業試験場の仕事でこの車に乗っていて、その頃から乗りたい車でした。私の車選びはエクステリアが五感を刺激すれば、あとはどうにでもなるというものです。私の所有した車で一番好きな車でした。
その後店をたたみ鞄製造卸し業に戻ってもこの車で、営業、仕入れと東京を走り回り
時間が出来ると家族と仲間で信州にキャンプに行ってました。
その頃人生で一番貧乏だった私はこの車を持ち続けることが出来ず、手放してしまいました。今でももう一度乗りたい車です。
アルバイトをしてた卓ちゃんを高校の卒業式の日に校門の前で待ってそのまま陶芸を勉強する京都に送っていた時もこのジープJ37でした。今は鎌倉で陶芸をつづけています。
その時京都観光にとついてきた映画マニアの井坂は、今はポルノビデオの監督をしています。昔の写真を見ると色々な出来事が蘇ってきます。


2005年11月13日

あの頃はみんなでキャンプ

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30代の私は時間がとれるといつもキャンプに行っていました。
貧乏だったあの頃、お金を掛けずにリフレッシュするのにキャンプは最高のチョイスでした。
写真の時は珍しく贅沢な旅行で6人宿泊予定で貸し別荘を予約し、11人で行きました。
場所は信州、白樺高原。昼はそれぞれ勝手に遊び夜は皆でドンちゃん騒ぎ。
一番チープなキャンプは卓ちゃんと卓の弟の周とアルバイトのイガの4人で行った12月31日からの奥蓼科での越冬キャンプでした。所持金は4人で1万円弱。燃料費が安くて済むのでイガのぼろジープに乗って下道でいざ奥蓼科へ。通行止めの道の先の先、零下15度の別世界へトリップ。装備はディスカウントショップで買った5000円のテントと1900円の寝袋の二重仕様。夕食は味噌味に餅、白菜、サザエの缶詰、あるもの何でも入れて山賊鍋。食べた後は花札して負けたら罰ゲームは、零下15度の雪原で雪にパンツさげたお尻を押し付けて100数える。朝、テントから外に出ると数え切れないお尻の形が雪原にありました。夜中、二重寝袋のかいなくあまりの寒さに目を覚ますと隣で酔って寝ているイガは寝袋も掛けずにグーグー熟睡モード。こいつは豪傑かバカだ。隣のテントからは寒さを紛らわすための歌が聞こえてきます。
次の日、帰り支度をしていた私たちの前で、和歌山ナンバーのカップルを乗せた新車のエスクードがスッタッグ。浮かれ気分で通行止めの雪道を走るからだ、ザマア見ろという思いでしたが、一時間ほどしても脱出できず、スタッグ脱出ベテラン4人組は助けてあげる事にしました。10分もしないうちに脱出成功。その後卓ちゃんの長々とした説教。お礼にとお金を差し出すカップルに金なんかいらないとまたまた説教。ほんとは金欠キャンプの私たちには喉から手が出るほど欲しいのにやせ我慢。それでもというのでしかたなく(?)貰ってあげて一万円をダッシュ。この不労所得で帰りは露天風呂と食堂での食事。
2年前の夏の終わり、岐阜の高山のその奥でキャンプをして以来していません。あの時も楽しかったなあ。私は工事用のブルーシートをターフとして使う名人なんです。

2005年11月16日

昔、ファーラウトというブランドがありました。

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15年ほど前、私は鞄ブランドの企画をしていた事があります。
鞄職人としていき詰まり、車工場の期間従業員のアルバイトなどをしていた時、知人から鞄ブランドに勤めてみないかという話しがあり、私は東京の広尾にあるその会社に面接にゆきました。その会社の名はファーラウトといいデザイナーの林ヒロ子さんを中心にヨーロッパでも通用する鞄ブランドを作ろうと立ち上げた会社でした。
林さんは若い頃ヨーロッパやニューヨークでモデルをしてて、その後ヨーガンレールの革製品のデザイナーを経て、ファーラウトのデザイナーとして独立した女性です。
その林さんのデザインを具体化しパターンを起こしサンプルを作り製造工場(メーカー)と打ち合わせをするのが私の仕事です。その時一緒に企画の仕事をした先輩が金田さんで、鞄作りの幅を広げる意味でも、一般の鞄業界の諸事情を知るうえでも勤めたことは有意義な経験でした。
ファーラウトは商社から資金が出て、社員15人の小さな会社でしたが豊かな仕事環境が豊かな発想を生むという考えで資金を贅沢に使いました。
写真のお店はファーラウトの1号店で日本橋高島屋の1Fにありました。その後6店舗の直営店を出しましたがどの店も贅沢な内装でした。会社のショールームの内装はそれ以上に
すごいもので床にはイタリアから輸入した大理石を敷き詰めてました。
贅沢に材料を使い、手間のかかる鞄作りをし、理想を追い求めました。
しかし、スポンサーの商社が倒産し、いっしょにファーラウトも解散しました。
その後、林さんはファーラウトのメンバーの半数を連れてトモローランドで新しいブランドを立ち上げようとしましたが上手くいかず一人イタリアに旅立ちました。
私には大きな経験であったし、夢のような楽しい時間でした。
林ヒロ子さんがワールドでファーラウト、ビヨンドというブランドを立ち上げたという話しを聞きました。がんばってください。夢を追い求める林さんは素敵です。

2005年11月17日

休日の私達

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休日は特別な用事がない時は、いつもチャーを連れて夫婦で六甲アイランドの南端にあるマリンパークまで散歩します。今日は空気が冷たく澄んでいて空は雲一つない晴天。
住宅地を囲うように遊歩道が周回し一周すると5キロになります。遊歩道の両側に色々な木々が植えられていて、今日はオオシマザクラの紅く紅葉した葉が目につきました。
マリンパークでは必ず釣りをする人がいます。ただ3,4年前まではほんとによく釣れたのですがここ数年魚が少なくなりました。ハミと娘のモモも一時釣りに凝っていて、朝の5時頃からマリンパークに行き、結構大きな魚を釣っていました。
その後ハミは水彩画の教室に行き、私は車の手入れかお昼寝をして夕方からの戦いに備えます。実は私の一番の趣味は囲碁を打つ事なんです。毎週木曜日の午後5時から10時の間シェラトンホテルの一室を借りて囲碁をうっています。私がこの囲碁クラブにはいって5年になりますが、メンバーのなかで一番弱くて実力は一級程度です。少しでも上をめざしてがんばっているのですが、なかなか勝てません。しかし囲碁というゲームはほんとに面白い。私は模様をはり大きな夢を碁盤に描く碁が好きです。実力が伴わないと勝てない美しい碁です。だから私はなかなか勝てません。
今日も1勝2敗で負け越しました。

2005年11月19日

チャーの恐怖

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チャーはカメラを向けると怒りの表情にかわります。その顔がこれです。魂を抜き取られるとでも思っているのか、カメラに向かって本気で怒りだします。
あと、仕事場でハミと今日はチャーをお風呂に入れようなどと話していると聞き耳を立てていて、家に帰る時間になってもなかなか帰りたがらず、なだめすかしてなんとか家までたどりついても家の中に入ると私に食ってかかってきます。格闘の末風呂に入れると今までの凶暴なチャーは影を潜め、哀願するような切ない鳴き声に変わり、お願いだからお風呂だけは許してとなきつづけます。それほどお風呂は嫌いです。
それ以上にチャーの最大の恐怖は獣医さんのところへ行く事です。チャーの主治医のオタニ動物病院に車で行く時、チャーは病院の10キロほど前から指定席のリアシートから立ち上がり私の肩に前足を置き声も出せずに震えだします。ただの予防注射に行くだけなのに
彼には幼い時の恐怖の体験が甦るのでしょう。それはオカマになった手術です。
彼の前足から伝わる震えは笑ってしまうほどの彼の恐怖のほどを伝えます。
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弱虫のくせに闘争心丸出しのチャーとは違って、前に飼っていたクークーはほんとに優しい犬でした。彼女はいつもいっしょに飼っていた猫のあかねとその娘のヒラメと犬小屋で仲良く寝ていました。クークーを留守番させて家族で泊りがけの旅行に行った事がありました。
家に帰ってみると家の中はグチャグチャに荒らされていて、泥棒に入られたのです。
近所の人は誰も気付かず、どうやらクークーは泥棒さんと仲良くなったようで吠えもしなかったようです。結局金めのものはなにもなく、グチャグチャにされただけで何もとるものがなくくたびれ損だったようです。。そのクークーは今は海の見える芦屋霊園の犬の形の石造のペット共同墓地に眠っています。

2005年11月20日

私のメガネ

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私はメガネが好きです。ただ勉強をあまりしなかった事が幸いしてか、目がアフリカの人なみにすこぶる良く、メガネとは無縁の45年間でした。
それがここ2,3年遠視が進みメガネを使うようになりました。
その間作ったメガネは5本。作り過ぎと言われますがそのとうりです。ごめんなさい。
今4本のメガネを使っています。写真の上から
自宅で新聞を読んだりする時につかいます。革まきはオリジナルです。
その下は手縫いなどの細かな仕事をする時に使います。小さなメガネで、万年筆より少し大きめのケースに入ります。アルミのケースに革巻きしました。
その下のメガネが一番よく使うもので、仕事中はこれをかけています。
一番下のは外出用で中遠両用で、ドイツ製のおしゃれなメガネです。
これからもメガネは買って行くと思います。
そんなにいらないと言われればそのとうりです。
でもまた買ってしまうのです。
私は10代の頃からジョン、レノンが好きで、彼のような雰囲気を持った大人になりたいと思っていました。しかし現実は厳しく30代前半に店をつぶした時の心労が黒髪の長髪をハゲオヤジに変え、神戸での飽食の生活が50キロ台のスマートな体型をデブな中年に変え、
ジョン、レノンになるのを諦めました。諦めたときにメガネの必要な人になりソコだけジョン、
レノンしてます。
後から分かった事なんですが私の乗っている白のビートル68年式はビートルズのアビーロードのアルバムの写真の4人が歩いている後ろに止まっているビートルと同じ年式、同じ色なんです。それも当時ジョン、レノンが乗っていたくるまなんです。他人が聞けばどうでもいいことなんでしょうが、ジョン、レノン好きの私にはその偶然に感動で震えました。
ナチュラルな生活に憧れながら、色々な欲をすてきれない私です。

2005年11月22日

安藤忠雄氏の建物

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私は安藤忠雄氏が設計した建物に、住吉の長屋がマスコミで紹介された頃から興味があり、現代的でありながら日本の美意識を具現化した建物に大いなる刺激をうけました。
13年前お店をここに出す事にした最大の理由は、安藤忠雄設計事務所が設計した建物にお店を出せるという事でした。一番安藤建築らしさが表現されていると、私が思ったスペースを借りるために、建築途中から下見に行き、この場所をかりました。なけなしのお金をかき集めての出店だったので、広さは9坪程度で、現在のお店の広さの半分以下でした。この場所に決めた1番の決定打がこのカーブした壁です。
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写真では伝えきれないのが残念なんですが、ほんとに表情のあるコンクリート打ちっ放しの壁なんです。
石をスライスして磨いたような硬質な表情があります。それは13年経った今も全然変わりません。安藤建築以外のコンクリート打ち放しはどれを見てもただのコンクリートです。後で知ったのですがコンクリートを枠に流し込むとき、安藤設計の建物の場合何度も締め付けてコンクリートの密度を高める作業を繰り返すそうです。
他のお店がコンクリートの壁を覆う内装をする中、壁が活きる内装を心がけました。
その年の大晦日の夜、お忍びで安藤忠雄夫妻が愛犬を連れて来店されました。13年間の中で一番ドキドキしたお客さんでした。
今は隣のお店との仕切りの壁を抜いて広いお店になりました。隣のお店の内装をそのまま使わせてもらっているので、お店と工房が統一感のないものになっていますが、目線の先には硬質な文様を持った壁が13年変わらずあります。

2005年11月24日

朝来へドライブ

今日はハミの要望で、朝日新聞で日本のマチュピチュとして半分冗談で紹介された、私の故郷、朝来にある竹田の城跡に、チャーを連れてビーちゃんに乗ってドライブです。
竹田の城跡に行くのは小学6年の時以来37年ぶりです。
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城壁のすぐ傍まで車で行けるとは知らず、下から登って着ました。結構へばりました。
素晴らしい風景です。遠くの山々が水墨画のようです。
空気は冷たいけれど優しい感触です。
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その後神子畑のイチョウの木を観に行きました。
夏に来たときに見つけたのですが、年をとったイチョウだけの特徴である、枝からオッパイのような部分がいっぱい下がっているんです。そのイチョウを見ると拝みたくなる神々しさを感じてしまうのです。そのイチョウは銀杏の実がなっていたので、女性でした。合掌。
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最後に、多々良木にある芸術の森美術館に。彫刻がいっぱいあり見てて楽しいのですがそれ以上に石を途方もなく積み上げたダムが圧巻です。
充実した休日でした。

2005年11月25日

我が家のビーちゃんは絶好調

昨日は久しぶりに、我が家のビートル68年式で遠出をしました。車検帰りのビーちゃんは絶好調。始動一発で目を覚まし大きなエンジンの音を響かせます。環境問題が厳しい折、肩身を狭くしながら?300キロほどの走行距離を、ビーちゃんをなだめすかしながら走り出しました。
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.高速道路は80から90キロで巡航します。120キロぐらいは出るのですがエンジンが壊れそうな悲鳴を上げるので、そこまではあまり出しません。4速が高速用で下道では3速が大部分です。タイヤの巾が145しかないので、見た目空気抵抗の少なそうな形をしているのですが横風で左右によく揺れます。
高速でよく止まった過去の記憶がトラウマになって、今でもすぐに路肩に避難できるようにキープレフトの癖はなおりません。ちなみに68年式のワーゲンにはハザードが付いていません。ドア窓から手を出して後続車に知らせます。
サービスエリアで休憩していると、若者が近寄ってきました。何か言いがかりでもつける気かと思いきや、綺麗なビートルに乗っていますねと褒め言葉。彼はグローリー、ビートルに乗っているとの事。1978年式のドイツ本国で作った最後のビートルをそう呼びます。
古い車に乗っている人間は、その車に金では買えぬ価値を勝手に見出します。私もその一人です。若者のビートルは完全にオリジナルで、そのためボロボロだそうです。そんなことはないでしょうと若者のビートルに近づくと、確かにひどい。だが若者よ、貴方は偉い。
私のビーちゃんはボディーは全塗装、エンジンは新品のメキシコ製、足回りも総とっかえ、整形美人なのです。でもそれは言わずに、サービスエリアを後にしました。
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ハミはビーちゃんの助手席に乗るようになってから、うたた寝をしなくなりました。80キロ走行で最新の車の160キロよりスリルを味わうと乗った人は言います。褒め言葉と受け止めて、ハミも一緒に愉しんでいるのだと信じています。
今回のドライブで、私は自信がつきました。夏以外はレンタカーを借りなくても、このビーちゃんで遠出ができると。今度は尾道に行こうと思っています。

2005年11月28日

私の親父

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私の親父は森林関係の研究をする公務員でした。人付き合いの悪い性格が災いして、最初は県庁に居て、そのあと林業試験場に行き、最後は親父のために作ったような緑化センターの初代所長という肩書きで公務員を終えました。親父は品種改良と害虫の研究を主にしていました。品種改良で思い出すことは、芋ほどの大きな栗を長年かけて作ったことがあり、それを実験台として食べたことがありました。これがひじょうにまずく、マロングラッセにしたら何とか食べれるのではと試してみても、やはりまずいものはまずく、結局実用化されませんでした。ハンドボールほどのイガイガが育つ栗の木は今も夜久野高原の緑化センターの森にあると思います。害虫研究では、親父の研究室に数えられないぐらいの虫の入っている試験管があったことがおもいだされます。天橋立に行ったとき、松くい虫が大発生し天橋立の松が危険にさらされた時、陣頭指揮をとって駆除し被害を最小限に抑えたと自慢気に話していました。
怒るとメチャクチャ怖い親父でしたが、休みの日には弁当を持って家族であちこちの山に登りました。行きたくなくても親父が行くと言えば行かなければならない絶対君主のような親父でした。そんな親父が死んで15年になります。
勉強嫌いの私は親父の思い描いた理想の息子とは正反対の人生を生きてきたように思います。親不幸な息子でした。
私の息子は、高校時代担任の先生に親の後を継いで鞄職人になればいいのにと言われていたのに、不思議な事に私の親父と同じ森林関係の研究者の道を進んでいます。
息子が学会で論文を発表するのを親バカの私は聞きに行ったことがあります。その時私は私の親父のことを思いました。もし生きていたら孫のこの姿を一番喜んだのは私の親父であったと思う。
親父は普段はいつも作業着を着ていましたが、出張の時はスーツに、冬は誂えたウールのコートを着て出かけて行きました。お土産はいつもハイクラウンチョコレートでした。
そのコートを今レトロ好きの孫が気に入って着ています。誂えた年が内ポケットに刺繍されていて、昭和31年とありました。私が生まれた年に誂えたコートでした。

2005年11月30日

20代はラグビーに夢中だった

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私の24歳の誕生日の、ハミのプレゼントはラグビークラブの申込書でした。
私は昔からラグビーが好きで、してみたかったのですが、学校のクラブにはラグビーがなく、その後は職人人生、見るだけで我慢していました。そんな時、このプレゼント。うれしくてすぐ申し込みをしました。入ったクラブはのっぺラボウズという草ラグビーチームで、西荻窪のすし屋の常連が作ったチームでした。のんべいが作ったホドホドラグビーをエンジョイする程度のものだろうと考えていたら、これが社会人が趣味でやるレベルではなく毎週猛練習の連続、ヘドは出る、足はつる、さぼろうとすると電話はかかるし、迎えに来るで学校のクラブなみなのです。月曜日は体中筋肉痛で仕事にも支障をきたすありさま。それでもやればやるほどラグビーの虜になってゆきました。私のポジションはNO11のウイングです。足が速いのでこのポジションを任されたのですが、決して得点力のあるウィングではありませんでした。ただディフェンスには自信があり、タックルに命かけてました。
メンバーは雑多で、鉄工所のおやじ、特許庁の職員、ファイト一発のCM撮ってるカメラマン、一級建築士、家具職人、お金が貯まると海外を放浪する日雇い労務者、東大の学生など色々な人種が集まってました。皆懸命に走ってました。
夏の2泊3日の山中湖の地獄の合宿は午前も午後も練習、練習、夜は筋トレ、遊びの粋は完全に越えていました。
そのかいあってチームは徐々に強くなり、私がお店を出し日曜日休めなくなりチームをはなれた後、都のクラブチームの大会で準優勝する強いチームになりました。ただその時のレギュラーは大学でラグビーをやっていた私の知らないメンバーで、一緒に走っていた雑多な連中は裏方をやっていました。良い時にこのクラブでラグビーが出来たなあとおもいました。ヘタな私でもレギュラーでやれた時期に。
今はテレビで見るだけですが、ラグビーは一番好きなスポーツです。近くに神戸製鋼とワールドの練習グランドがあり、ラガーマンのお客さんも何人か来られます。そんな時ラグビーのことを話すのが、大好きなわたしです。

2005年12月03日

ハミが書いた絵

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私はハミの描く絵が好きです。
この写真の絵は、ル・ボナーが三ノ宮のギャラリーで展示会をしたときポスター用に数分で描いた絵です。
伸びやかで物語を感じるこの絵が特に好きです。
私の妻であり鞄作りの相棒であるハミがいなければ、鞄職人をつづけていなかったと思います。金銭的に苦しい時も、精神的に行き詰った時も、ずっと傍に居てピュアーな心を持ち続け柔らかな人であり続けた。感謝しています。
ハミの作る鞄は、ハミの描く絵と同じで自由で柔らかな感性を表現してます。その時々の流行とは無縁のデザインで、好きなものをつくります。
それに比べ私は俗人で、これ見よがしの鞄を作ったりします。
ル・ボナーの工房の壁には少しずつハミの絵が増えて行きます。もっともっと描いて欲しいなー。私の宝物です。

2005年12月04日

ル・ボナーの家具

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私はフランスのアンティック家具がすきです。写真の鏡台とテーブルもそうです。
フランスのものはウォールナット(クルミ)が多く使われていて、硬質な木目がわたしは好きです。日本に輸入されるヨーロッパのアンティック家具はイギリスの物が多く、イギリス物はオークを使った塗料の厚塗りの家具が多くて、好きになれません。
特に写真の鏡台はクルミの根をつかった象嵌細工を表面に使った手のかかったもので天板の大理石の年代から推測して200年は経っているとの事。テーブルはフランスのウォールナットの家具らしいキメの細かい木目を松脂のワックスで磨き上げ、それぞれの足に控えめな彫り物がしてあります。
この鏡台とテーブルは東京の国立にあるタイムジャックというフランスアンティック家具を専門に扱うお店で購入しました。お店は小さいのですが、郊外に3箇所倉庫があり、そこには宝物がいっぱい隠してあります。それに都内のお店に比べて値段が安くて、質がいいのです。
ル、ボナーの年末の大掃除の仕上げはこの家具たちをフランス製の松脂のワックスで磨き上げることです。
家具も鞄も革も人の手仕事は、それぞれの国の文化や民族性に起因していると思います。百花繚乱だから面白いのです。グローバルスタンダードという言葉は私には無機質なつまらないものを感じます。好き嫌いは別として、色々あるから楽しい。無駄は豊かさだと思う。

2005年12月05日

傷心のチャー

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チャーは先週の木曜日の散歩で、足の裏の肉球を何かで切ってしまったらしく、今日もびっこをひいて歩いています。足の裏を見るとそんなにたいした傷ではないので、過保護ゆえにオーバーな態度をとって甘えているだけだとほっておいたのですが、よくならず、獣医さんに見てもらいにゆこうかと声をかけると急に元気な足どりになります。獣医さんに行くのがチャーにとって最大の恐怖で、獣医さんのところへ行くぐらいなら、傷みは我慢できるという精一杯のチャーの意思表示なんでしょう。
今週の木曜日にはどちらにしてもオタニ動物病院に連れて行きます。ついでにお腹にできたデべそのようなおできも切ってもらおかな。
チャーはちゃんとお座りと言わないと写真のようなお座りをするだらしないビーグルです。
骨がまがっているのかと最初は思っていましたが、親のナナも同じ姿勢でお座りをするのを見て血筋だと分かり安心しました。
体重は20キロを越えデブビーグルです。

2005年12月07日

身の丈の幸せ

15年前の私たち家族
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私は今幸せです。好きな鞄作りを生業とし、家族4人が食べて行ける。
身の丈にあった私の幸せです。この幸せを充実したものにすればそれでいい、もっともっとと欲張ろうとは思わない。
大きな夢を求めて高みを目指す人は美しい。しかし自分の金銭欲や名誉欲を満たすためにもっともっとと走りつづける人は悲しい。目指すものが抽象的なためにいつまでも求め続けもっともっとと走りつづける。多くの人を踏みつけて登った高みの先にはもっと高い欲望という高みがあり、それは永遠につづく。
それに比べ身の丈の幸せを規定できると自由になれるように思う。背伸びして前だけ見てると見えなかったいろいろなことが見えてきます。五感が自由になるのです。その時その時を感じながら生きていける。美しいものが見えてくる。
私はずっと宝くじを買っています。2年ほど前まではもし当たったら人生が変わると色々想像していました。それがこの頃、もし当たっても大きく変わらないなと思うようになりました。
決してお金持ちになったからではなく、求めるものが変わったからだと思います。
身の丈より少し背伸びしたものを買うときのドキドキとする幸せ感。それに比べどんなに高いものでも余裕で買ったものにはそれはない。
事業拡大をしようとした時期もありました。それが私の身の丈を越えていたことを悟ったとき自由になれました。今その時その時を感じながら生きてます。

2005年12月08日

休日のル、ボナー

今日はビーちゃんに乗ってチャーの足を診てもらいに兵庫の山手にあるオタニ動物病院に
行きました。途中郵船ビルが見えました。親しいお客さんがこの3階の海が見える場所に事務所を持ちます。仲のいい連中の隠れ家風に使うとのこと。遊びに今度行ってきます。
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オタニ動物病院ではチャーの激しい抵抗にあい、押さえ込むのに大変な体力をつかいました。やはりチャーの右足の肉球は深く切れていて、レントゲンと注射2本と沁みる消毒とチャーにとっては悪夢の時間でした。今日はいつもより早めに車の中で震えだしました。その後に起こる悪夢の時間を予期していたかのように。
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帰り道、お世話になっている人に贈り物を買うためにまずは大井肉店へ。神戸ビーフを買うならここでと言われている老舗の神戸ビーフ専門店です。創業明治4年というまだ肉を食べた事のない日本人が大部分の頃からやっているという事。偉い
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その後六甲道にあるメツゲライ、クスダというハム、ソーセージ専門店へ。専門店は売っているものへの思い入れが違うので好きです。あれもこれもと買っているうちに結構な金額になってしまいました。猪肉のパテは買わずにはいられなかった。
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最後に阪神御影駅前のケルンというパン屋さんへ。神戸は人口あたりパン屋とケーキ屋が日本一多い都市と言われています。私たちはここのパンが好きです。とくにコッペパンは絶品です。お昼ごはんは猪肉のパテとコッペパンにごぼうサラダをはさんだサンドイッチとコーヒーでした。美味しかった。
写真は御影駅の高架下の入り口です。昔この先に多くの個人店舗があり、にぎわっていたのだろうなと想像し、今はその賑わいはなくその寂しさをこの扉が象徴しているように思えました。
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今夜は囲碁クラブの懇親会です。一番若くて最後まで生きているだろうからと幹事をさせられています。結構雑用が多くて後悔してます。

2005年12月10日

パソコンとのお付き合い

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パソコンと毎日接するようになったのはブログを始めるようになってからです。
それまではキーボードもマトモに打てませんでした。今もパソコンのことは全然無知で、分からない事があるとコンピューター関連の会社に勤めている親しいお客さんに助けてもらってます。色々説明してもらうのですが頭の中が固くなっている私には、馬の耳に念仏で何も頭に入りません。それでもブログはつづけられているのですから、パソコンは偉いです。
私は形から入るタイプなので、マックのパソコンが欲しかったのですが、みんなにそれはやめろと言われ、しぶしぶマックに少し似ているデルのこのパソコンにしました。
17インチの画面で老眼の私でも見やすくて気に入っています。ただデルは基本の状態は安いのですがアレも欲しいコレも欲しいとオプションを加えていくとあれよあれよと高くなり、
必要のないオプションいっぱいの厚化粧パソコンになってしまいました。まあいいか。
高校の頃勉強が嫌いだったので、授業中も小説ばかり読んでいて、物書きになれるといいなあとぼんやり考えていた文学少年だったので、ブログを毎日更新するのは全然苦になりません。
ただパソコンにアクシデントが起きたときはあたふたします。親しいお客様の暖かいご協力なしには私のパソコンライフは維持しません。みんなありがとう。
ホームページは大和出版印刷というところに頼んで作ってもらいました。元々そこの社長さんや社員の人たちがル・ボナーのお客さんで、ホームページを作ったほうが良いよと勧められ善意で作ってもらいました。今年中にリニューアルします。楽しみです。
それとル、ボナーのポスターを今、大和出版印刷で製作中で、それを印刷技術を競うコンクールに出品するそうです。完成するのが楽しみです。

2005年12月13日

チャーは元気になりました