20年ほど前の私たち二人
私は独立して鞄を作って食べていこうとしたのは21歳の時でした。
その頃作っていた鞄は手作りであることを売りにしたラフな鞄でした。素人が自己流で作ったカバンは未完成の味わい?と、置いてあげないと自殺しそうな私を哀れに思う慈悲深い鞄屋のご主人に支えられて独立系鞄職人としての道は始まった。
私の鞄職人としての成功の論理は理路整然としていて、成功間違いなしと思えた。ただ私自身の実力は考えていなかった。ゆえに現実は七転八倒いばらの道。技術力がない、生産力がない、ビジネスのノウハウがない、お金は当然ない、ないものだらけで、あるのは裏付けのない夢だけ。
借家の家賃滞納は常習犯、食費にも困る日々。でも良く働いた。朝の8時から夜中の2~3時まで夢を食べて働いていた。その時思った事は気合と根性だけでは現状を変えることは出来ないという事。気合いと根性は大事だけれど。あの頃のようには今の私は働けなくなったなぁ~。
そんな私は多くの才能ある人たちと知り合い、その才能のエッセンスを吸収し反芻することで少しづつ鞄職人の体をなすようになっていった。しかし生活は楽にはならない。少し上向きになると、私は自分の器以上の夢を求めて、また元のもく闇。その繰り返しの悪循環。「心の貧乏人にはなりたくない!」とハミは言った。それが金欠独立系鞄職人の家族の家訓でした。
ハミのモノ作りの才能は認めていたけれど、私自身の夢が大事でハミの事は後回し。ハミが好きな鞄を作れるようになったのはつい最近。それまで、私の我儘に振り回され続けた年月でした。
才能ある若い独立系鞄、靴、革小物職人の人たちから刺激を受けながら、私たちも頑張っていこうと思う。私たちが独立系の鞄職人として始めた頃は、他の皆も手作り鞄の領域で作っていて、それだからなんとか才能なくてもやる気があればやっていけた。今の若い人たちはその頃の私たちに比べて高いレベルでモノ作りしている人たちが多いことに驚かされる。
ル・ボナーに来店されて、普通のお客様と違うバッグの見方をしている方を見かけます。きっと同業者だと思うのだけれど、名乗らず帰られる事が多い。名乗って欲しい。そしたら革の事、鞄の事色々話しましょう。接点を持てれば、お互い刺激を受ける事ができるじゃないですか。
75歳で現役の美容師をしているル・ボナーのお客様がおられます。生き生きとした可愛いおばあちゃんです。長く作り続けることが大事だと思う。鞄職人として人生全うしたいと願っています。長く続けることが支持してくださるお客様たちへの最大のサービスだと思う。何十年かぶりで思い出して訪れた時、思い出のままの形でお店が存在していた時、幸せな気持ちになれると思うから。
そのためには、後世になってから名を残す芸術家ではないのだから、楽しく仕事を続けられるぐらいのビジネスプランを持って作り続けて欲しい。30年遠回りしたバカな先輩からの一言。
ル・ボナーの一日
がんばれ!若き独立系職人たち
2008年04月07日
20年ほど前の私たち二人
私は独立して鞄を作って食べていこうとしたのは21歳の時でした。
その頃作っていた鞄は手作りであることを売りにしたラフな鞄でした。素人が自己流で作ったカバンは未完成の味わい?と、置いてあげないと自殺しそうな私を哀れに思う慈悲深い鞄屋のご主人に支えられて独立系鞄職人としての道は始まった。
私の鞄職人としての成功の論理は理路整然としていて、成功間違いなしと思えた。ただ私自身の実力は考えていなかった。ゆえに現実は七転八倒いばらの道。技術力がない、生産力がない、ビジネスのノウハウがない、お金は当然ない、ないものだらけで、あるのは裏付けのない夢だけ。
借家の家賃滞納は常習犯、食費にも困る日々。でも良く働いた。朝の8時から夜中の2~3時まで夢を食べて働いていた。その時思った事は気合と根性だけでは現状を変えることは出来ないという事。気合いと根性は大事だけれど。あの頃のようには今の私は働けなくなったなぁ~。
そんな私は多くの才能ある人たちと知り合い、その才能のエッセンスを吸収し反芻することで少しづつ鞄職人の体をなすようになっていった。しかし生活は楽にはならない。少し上向きになると、私は自分の器以上の夢を求めて、また元のもく闇。その繰り返しの悪循環。「心の貧乏人にはなりたくない!」とハミは言った。それが金欠独立系鞄職人の家族の家訓でした。
ハミのモノ作りの才能は認めていたけれど、私自身の夢が大事でハミの事は後回し。ハミが好きな鞄を作れるようになったのはつい最近。それまで、私の我儘に振り回され続けた年月でした。
才能ある若い独立系鞄、靴、革小物職人の人たちから刺激を受けながら、私たちも頑張っていこうと思う。私たちが独立系の鞄職人として始めた頃は、他の皆も手作り鞄の領域で作っていて、それだからなんとか才能なくてもやる気があればやっていけた。今の若い人たちはその頃の私たちに比べて高いレベルでモノ作りしている人たちが多いことに驚かされる。
ル・ボナーに来店されて、普通のお客様と違うバッグの見方をしている方を見かけます。きっと同業者だと思うのだけれど、名乗らず帰られる事が多い。名乗って欲しい。そしたら革の事、鞄の事色々話しましょう。接点を持てれば、お互い刺激を受ける事ができるじゃないですか。
75歳で現役の美容師をしているル・ボナーのお客様がおられます。生き生きとした可愛いおばあちゃんです。長く作り続けることが大事だと思う。鞄職人として人生全うしたいと願っています。長く続けることが支持してくださるお客様たちへの最大のサービスだと思う。何十年かぶりで思い出して訪れた時、思い出のままの形でお店が存在していた時、幸せな気持ちになれると思うから。
そのためには、後世になってから名を残す芸術家ではないのだから、楽しく仕事を続けられるぐらいのビジネスプランを持って作り続けて欲しい。30年遠回りしたバカな先輩からの一言。
Le Bonheur (07:16) | コメント(5)
Comments
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「あっ!ハミさんが稲川淳二に抱き寄せられてる」と思ったのは私だけではありますまい?まあ、それはともかく、苦労を重ねてきたからこそ、そしてそんな苦労もどこか楽しんでこられたからこそ今のお二人があるのだろうと思います。でなければ、お店に行って面白くない訳がないじゃないですか。これからもお邪魔しに行きます。
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「心の貧乏人にはなりたくない!」というハミさんの言葉にとても勇気付けられます。「後世に名を残すような人たちの周りには、沢山の無名な人の仕事が合ったに違いない。自分はその一人であればよい。」というのが、妻の口癖です。損得がチラつくと人の心は離れていき、大切なものを失うように思います。もちろん霞を食べては生きていけないので、健康で好きなことを続けられる生活があれば幸せです。時々旅行二人でして、ちょっと、ちょっと万年筆のコレクションを増やしていける自分たちの生活に満足です。幸せと思えるから、優しくなれるのだと思います。
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こんな細い松本さんは、松本さんじゃない!
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d-sakata さん
耳が痛ぁ~い言葉です。私はオーダーの期日を破り続けるダメな職人です。約束事を守るのは大変なことです。お許しください。
でもまた来てくださね。
pretty pun-chan さん
失礼な。私の20代の写真を見た娘が「キムタク」みたいとおもわず言ったのですぞ。後で断固訂正を求めましたが。今はイタリア人と間違えられますが、、、?。そう!余裕で楽しむのでなくて、ギリギリで精一杯楽しもうとする方が思い出いっぱい得られると思うし、そんな風に入手した品はかけがいがないモノになると思うのです。新しい万年筆か最近入手したであろう貴重なライターを見せに、来てくださぁ~い。
ノブ さん
ごめんなさい。自宅のパソコンからメールの送信が出来なくなって返事書けませんでした。素敵なお仕事頑張ってください。アウロラの80周年良いですね。私は85周年を指をくわえて見ています。その事ブログで近々書きます。万年筆は底なしですぞぉ~。
三好 さん
私は19歳の時45キロだったのです。栄養失調状態だった訳であります。その後も東京時代はスマートでした。神戸に来てからメタボリまっしぐらぁ~。




今日のブログは何度読み返しても心の中にカウンターパンチのごとくズッシリと応えました。どんな職業であれ夢を諦めた時から老いが始まるように思います。いつもお店に伺っても心の洗濯?いやいや心の透析をうけるがごとく、スッキリした気持ちになります。ありがとうございます。私もここに来られる皆さんのように夢をもって仕事に励みたいと思っております。私の師匠から頂いた言葉です
《どんな小さな約束でも守れる人になりなさい》これがなかなか難しいんです。