思い返してみると、私が10歳前後の頃 小学校から帰宅した午後3時頃から
「奥様洋画劇場」というテレビ番組で見た「自転車泥棒」という白黒映画が
イタリアとの最初の出会いであったと思う。あの重たい映画がやけに記憶に残った。
その後も思い返してみると、ハリウッドの映画よりイタリア映画を好んで見ていた。
「鉄道員」「苦い米」にインパクトを感じ、思春期には「青い果実」シリーズに動揺し、
ホラーではダリオ・アルジェントの「サスペリア」に圧倒された。
そしてそんなイタリア映画好きのボンジョルノにとって集大成のような映画が「ニューシネマ・パラダイス」であった。

「ニューシネマ・パラダイス」の3時間あまりのノーカットオリジナル版を先日衛星放送で見た。
何十回も見たこの映画ではあるけれど、何度見ても私の琴線に触れる。
どのシーンも私が心に思い描く憧れのイタリアそのもので、ローマ帝国とカソリックが生み出した文化遺産以上にイタリア庶民の心豊かな日々に惹かれる私です。
そんな心のどこかに持ち続けた憧れの国・イタリアに4年前始めて行った。
そしてその次の年も行った。イタリアは私の思いを裏切る事なく魅力的な異国だった。
去年は行けなかった。そして今年は必ず行くぞと思っていた。

行く準備は万端整えた。上の写真のように。
アルミのスーツケースもハミの韓国旅行のためではなく、
私のイタリア旅行を想定して本当は購入した。
GRD Ⅲだってフットワーク軽くイタリアを写し撮るのが本当の目的での購入であった。
そして相当無理な屁理屈を付けて一緒に行く仲間を募る手立てを画策したが、
一人減り、二人減り、そして誰も一緒に行く人はいなくなったぁ~。
一人でも行くぞと思いもしたけれど、仕事は言い訳でイタリアを楽しむのが第一義、
楽しさを共有する人がいない一人旅は虚しい。
その上ボンジョルノが一人でイタリアなんぞに行ったら、
身ぐるみ剥がされ路頭に迷う事必定などと多くの常連客が言う.
ボンジョルノは海外において(普段の生活でも)初めてのお買いものをする幼児と変わらないと言うのだ。イヤそんな幼児より厄介なオヤジだと。
そしてイタリア・ボローニャで毎年開催される世界最大の革の見本市「リニア・ペッレ」の期間は過ぎて行ったぁ~。大儀名文がなくなってしまったぁ~。

2006年11月ミケランジェロ広場から
フィレンツェは私にとっては革を使ったモノたちの妖精が住む街と同時に、「わが青春のフロレンス」の舞台。出演したオッタリア・ピッコロは私にとって長らく銀幕の恋人であった。
そんなフィレンツェには訪れるたびに新鮮な刺激を私に与えてくれる。
今年はこの後年末に向かって仕事山積みで、イタリアへ行くのは絶望的になった。
でも私は負けない。心にイタリア持ちながら、来年こそは行くぞぉ~の思い持って日々を過ごそう。来年こそ破綻しない理詰めの計画企てて我が心の故郷イタリアへ~。
メンバー集め(吉宗さん、谷本さん、時計ライターのN氏などなど)から、目的地の策定、交通アクセス・チケット入手の検討から携帯する小道具類・スーツケースの入手、F夫妻との入念な情報交換、更にはイタリア行きの目的と意義の高らかなる宣言(とってつけた大義名分)など、ル・ボナーの常連客ならみんな知っているイタリア行きが無くなって、正直な所、笑っちゃいました。「たまには仕事しましょうね」というお告げと受け止めていただき、ル・ボナーへ行くことを楽しみにしている皆さんのお相手をつとめて下さいな。
Re: pretty-punchan さん
そこまで事細かに半年をかけて画策してきた私のイタリア旅行計画を説明頂き、笑って頂き、そこに愛ある慰めを感じております。まことにありがとうございます。
でも私は負けません。プンちゃん一緒にイタリアへ行きましょうか?
ル・ボナー松本