ル・ボナーの一日

ボンジョルノの青春

2008年10月04日

8927%E9%A0%88%E7%A3%A8%E6%B5%B7%E5%B2%B8.jpg 19歳の時毎日のように通った須磨海岸は33年経っても変わらない 私の10代は悶々とした日々であった。 生きる方向が見えず、受験勉強に集中しなければならない時期も、本ばかり読んでいた。 高校3年の時は授業中も読んでいて、1日小説なら2冊ほど読み切る日々。 当然大学受験には失敗し、予備校生に。 神戸の予備校には行かず、須磨の海岸で本を読む日々。 そんな私の将来は真っ暗で、デカダンス。 それでいて、存在価値を求める自分がいた。 ある雑誌(姉が買っていたアンアンだったと思う)で、 手創りでモノ作りするグループの特集記事を目にした。 モノ作りの世界でなら、今置かれている自分の状況から生まれた 劣等感から脱出出来るのではないかと思った。 そんな私の考えを、親父は甘すぎると烈火のごときに怒り、勘当を言い渡され私は東京へ。 確かに甘い。でもその甘い考えを貫徹するには、 その後多くの困難を経験しなければいけなかったけれど、 何度もやめようと逃避しそうになる私だったけれど、 私はカバン作りが大好きだから苦しくてもやめないというハミ。 一緒に困難を乗り越える相棒がいたから、33年続ける事が出来た。 ハミと一緒になった時点で、私には鞄職人の道を全うする以外の選択はなかった。 なぜあの時カバン作りを選んだのかと聞かれると、はっきりした理由はなかった。 木工・彫金・靴・洋服・陶芸・帽子その他etc・・・・・・色々な物作りの中でカバンなのは、 きっと私的には、基礎技術の鍛練をそんなにしなくても、 自己表現できるモノ作りがてっとり早く出来ると甘く思っていたからなのだろう。 現実は入口は確かに楽だけれど、その後いまだに先の見えない試行錯誤の繰り返し。 だから33年続けても飽きない魅力を持った仕事でもあるのだろう。 私が33年前に無給でもいいからカバン作りさせて欲しいと言って 鞄職人として第一歩を踏み出した工房は赤坂8丁目にあるマンションの 半地下部分の駐車場を仕切って工房として使っていた。 貧乏だけれど楽しかった。無我夢中で働き、無謀に体力使って遊んだ。 結婚を期に経済的な理由とカバン作りの方向性が違っていた理由で辞めて独立したけれど、 この工房での2年半は今思い返すと、本当に喜怒哀楽全てが激しく躍動した2年半だった。 その後独立して収入は少し良くはなったけれど、無責任な子供のまま楽しめはしない。 子供も生まれ、全ての責任を自身が負わなければならない独立系鞄職人の日々に比べ、 赤坂の工房での2年半は、本当の意味で私の青春だったように思う。 東京出張の時には、その頃よく通った赤坂「みんみん」に行きたくなる。 その時いつも30年以上前に、ボンジョルノの青春時代を過ごした工房跡を訪れる。 今は倉庫として使われてはいるけれど、建物はそのままあり、あの頃の事が甦る。 その工房は、その後渋谷に移って大きくなった「ヘルツ」。 私はヘルツの創業時の4人の中の一人だった。 私はあの頃の思い出を大事に思っています。 二人の仲人でもあるヘルツの近藤さんに会いたくなったなぁ~。

Le Bonheur (05:33) | コメント(11)

Comments

  1. つきみそう より:

    ある時期、ヘルツの製品が気になって仕方なかったことがあります。代官山のオーソドキシーで東芝リブレット用のケースをオーダーしたりもしていた、小さなコンピュータやPDAのケースをひたすら探し求めていた頃のことです。
     が、結局ヘルツは、何となく「ゴツい」感じが合わなくて、気になったものの自分のものにはしませんでした。でも、気になるメーカーであることに代わりはありません。そことボンジョルノにつながりが・・・。感動です。

  2. orenge より:

    ヘルツ製品を使っています。ラティーゴは堅牢な革ですね。つながっているものですね・・・

  3. ル・ボナー松本 より:

    Re:つきみそう さん
    私が居た頃にはもうあのカバンたちのトータルイメージは出来上がっていて、それを30年以上変わらず作り続けたことには敬意を感じています。私たちは変わりつづけました。これからも変わっていくと思います。このつながり予想外だったでしょう?。
    Re:orenge さん
    ラティーゴかぁ~。懐かしい名称ですね。私が居た頃使ってた革とはヌメ革は同じでもでも、現在のヘルツさんが使っている革は違ってます。
    縫製方法は昔と同じです。懐かしいです。

  4. Kato Ryo より:

    毎日、将来のことを考えてしまう日々です。
    しかし、今までにこれほど一つのことに夢中になったことはありません。
    まだ、鞄作りに関わって間もありませんが、自分の一生の仕事だと確信しています。
    これからも今まで以上に貪欲に勉強していきたいと思っています。

  5. skot より:

    お初にお目にかかります。
    ではヘルツHPにある、創業当時の写真の中の若い人が、
    もしかしてボンジョルノさんの若かりし姿でしょうか?
    もちろん今もとても若々しいですけどね。

  6. ル・ボナー松本 より:

    Re:kato Ryo さん
    カバン作りは魅力的な仕事だと思います。色々な現実の厳しさに直面すると思いますが、描いた夢を大事にしてください。応援していますよ。
    Re:skot さん
    その写真見てみました。あの写真は私が見た雑誌に載っていた写真です。写真の中の一人は同居していた芸能プロダクションの板さんです。懐かしいなぁ~。

  7. taka より:

    やっぱりヘルツでしたか・・・
    30代から40代は
    縦のランドセル型ショルダー、細いブリーフケース2個、計3個が愛用鞄でしたよ。
    タイミングからいって、もしかすると会長の作ったものを使っていたかも知れませんね。
    年齢が行くと、革の質、風合い、エージングがもの足りなくて、壊れる度にすててしまいましたが、懐かしい鞄です。
    会長の造る鞄の、継手、握り手のがっしり感は、その時のDNAですかね?

  8. ル・ボナー松本 より:

    Re:taka さん
    お久しぶりです。
    私とtakaさんは8歳違いますから、30代に使い始めたとしたら残念ながら違いますね。ヘルツの事は個人的に酒の席で話したと思うのですが。

  9. isa より:

    初めまして。
    今日伺いました者です。
    気恥ずかしくて声をかけることなく通り過ぎる様に帰りました。
    以前からブログを拝見しておりまして..
    勝手ながら、ご拝見しまして大変好きでした。
    四角い黒の重厚感ある物に興味を抱きました。
    高そうだったので眺めているだけでしたが。
    私は、24歳で服の製図を引いておりました。
    しかし、趣味と違い仕事となった時から一気に冷めてしまいました。
    また、商業主義で物を大量に作る姿をまじかで見て冷めてしまいました。
    物作りは大変好きなのですが、それ以降一気にやる気をなくしてしまいました。
    技術もなし、経験もなし、何もなし。
    ぐだぐだです。
    求める仕事は手作りで、相手に普通に届けるという感覚はどうしても捨てたくないです。
    今は全く業種を変えて、パン屋をすれば自分の努力を形にして死ぬまで続けれるのではないかと。。まったく意味の分からない内容ですが。
    ルボナーさんの様になりたいです。。
    かっこよすぎです。
    何かアドバイスいただけませんでしょうか?
    ps革のブックカバーをみて、本をひらいたら銀河鉄道でしたね!素敵です ^^
    Re: isa 様
    コメント、ありがとうございます。
    isa様のお気持ちは充分伝わりました。
    自分は何をしたいのか、と日々悩んでいた若い頃を思い出しながら書かせていただきますね。
    私(ハミ)の場合、高校卒業後就職しましたが、経済的に断念した絵の世界が忘れられず、2年後の受験に失敗。
    専門学校に通わせてもらいましたが、両親に負担を掛けた分、必至でした。授業の一部であった鞄つくり、革の感触に魅せられこの仕事を選びましたが、好きな事を仕事にするには多くの困難がありました。商売の基本など何も知らない私ですので、騙されることもありましたし、注文を受けたのも関わらず、利益の出ないことの連続でしたが、そんな時いつも自分に問うことは、私は何をしたいのか、でした。自ら選んだ仕事、この仕事に巡り合えた幸せを大事にしよう、生活が苦しくても好きなことができる幸せを思いここまで続けてこれました。その後の結婚、
    主人は家族を支えるため、何度も何度も転職を考えていたようですが、続けてゆくことが私であり、意味があり、その先には全うした自分の幸せがあると信じています。
    世の中はシビアです。でもあたたかい方々は沢山おられ優しい心に励まされてここまで何とか続けられてきていることに感謝と喜びを感じています。
    どうぞ、自分を信じて、あたたかい人の心を感じて、これだ!と思うことを続けてください。続ける事の、続けられることの大切さを今、しみじみ感じています。
    今度来られる時は、声を掛けてくださいね。待っていますよ!!

  10. isa より:

    お返事頂きましてありがとうございます(><)
    お忙しい中、時間を割いて返答して頂けて、申し訳ないです。。
    自分で切り開くしかなさそうですが、くじけず何かを探して職を作って行きたいと思います。
    苦労をされてのし上がられたと存じ上げますが、勝手ながらに本当に素晴らしいと思いました。
    ハミさんならびに、ご主人さんを見習って、私も「何か」を明確にして目指して行きます。
    (ここで、鞄職人になる!なんて軽々しく言えないです。)
    今後、ルボナーさんの所に遊びに伺うかもしれませんが、その際は宜しく御願いします。
    私も頑張ります。><

  11. にしたに より:

    次に買うダレスバッグの比較していて、「もしかして・・・」と思い、「Herz ル・ボナー」をキーワードに検索してこのページに辿り着きました。そうだったんですね。自分自身の感覚に納得しました。尊敬する先輩からダレスバッグを勧められて、銀座のもの・上野のもの・京都のもの・渋谷のものなどいろいろ見させて頂いたんですが、どれもしっくりこなくて「困ったな。ダレスバッグはまあこういうものなのかな。だったら、先輩のアドバイス通り無難に銀座のものにしておこうか」「いや、一番好みに近いHERZにしておこうか」と迷っていたときに、ル・ボナーさんのダレスバッグの写真に出会いました。「そうそう、こういうのが欲しかったんだよ!」と膝に手を打ちました。素人ですのでうまくはいえないのですが、それはやっぱり「神戸の感覚(センス)」というか「神戸っ子の好み」なのではないかなあと。神戸の感覚が若い時に身にしみてしまうと、ずっと好みを左右してしまって、人生に大きく影響するのではないかなあと。私はその後、東京や東北地方、外国にも住んだりしましたが、そういう若い時に染み込んだ感覚って変わらない、変えられないのかなあと改めて思った次第です。長文失礼しました。このページをみていろいろ思ってしまいました。(私も高校時代、埋め立て前の芦屋浜の堤防に座って海を眺めながらいろいろ考えてました)

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